父が初めて教えた内また、最後の技に 引退表明の井上2008年04月30日01時44分 00年のシドニー五輪で世界の頂点に立ち、日本の柔道界を引っ張ってきた男子100キロ超級の井上康生選手(29)が29日の全日本選手権で敗れ、北京五輪代表の座を逃した。現役を引退する意向だ。アテネの惨敗から4年。ケガやスランプに悩みつつ父と二人三脚で目指した「最後の五輪」の夢はかなわなかった。
激しい技の応酬が続いた準々決勝。残り10秒でかけた内または決まらず、逆に抑え込まれて試合終了。転がったまま、両手で顔をぬぐった。これまでの応援への感謝の気持ちがこみ上げ、最後は深々と長く礼をした。 「最後は得意技で勝負しようと。それで負けたら仕方ない。前に出る自分の柔道ができたので、悔いはない」 試合終了後は涙もなく、すっきりした表情だった。 5歳で柔道を始め、小学生で全国制覇。人一倍の努力と警察官だった父明さん(61)の指導で、才能を開花させた。中学時代、地元・宮崎では敵なし。東海大相模高、東海大に進み、99年の世界選手権で初優勝。シドニー五輪もオール一本勝ちで金メダル。表彰台で、前年に亡くなった母の遺影を高々と掲げた。 しかし、04年のアテネで2連覇を逃してから、浮き沈みを繰り返した。05年1月、嘉納杯で復活優勝を果たしたが、大胸筋の腱(けん)を断裂。技の鋭さが消えた。6月には長兄将明さん(当時32)も心筋梗塞(こうそく)で世を去った。 「もう一度僕と柔道をやってくれませんか」 その年の暮れ、井上選手は宮崎で暮らす明さんに電話した。5年前に脳梗塞で倒れ、左半身にまひが残る明さんは翌日、もう道場にいた。親子2人で暮らしながら北京を目指す生活が始まった。 だが、今年2月のフランス国際で5位に終わるなど、五輪をかけた試合で結果を出せなかった。「勇気が出ない」とふがいない言葉を口にする息子に、明さんは「おれは本当に役に立っているのか」と迷ったこともあった。 この日の試合最後の内または、明さんが最初に息子に教えた技だった。 「結果は負けだったけど、満足です。柔道をやらせてよかった。同じ夢を見て走れたことは本当に幸せでした。最高の息子です」(延与光貞) PR情報スポーツ
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