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成田空港闘争:保釈中逃亡の被告、29年ぶりに出頭し収監

成田空港建設に反対する1坪地主たちの所有地に対しての第1次強制代執行は、4日目の1971年2月25日、初めて機動隊が前面に出動し反対派学生らと衝突。学生たちは投石や竹ザオで激しく抵抗したが、つぎつぎと逮捕された。第4地点で
成田空港建設に反対する1坪地主たちの所有地に対しての第1次強制代執行は、4日目の1971年2月25日、初めて機動隊が前面に出動し反対派学生らと衝突。学生たちは投石や竹ザオで激しく抵抗したが、つぎつぎと逮捕された。第4地点で

 成田国際空港用地の強制執行を巡り1971年7月、反対派と警官隊が衝突した事件で公務執行妨害と凶器準備集合罪で起訴され、保釈中に開かれた79年の1審千葉地裁の判決公判前に逃亡した元地方公務員、渡辺往勇(ゆきお)被告(69)が千葉地検に出頭し、収監されていたことが分かった。今月20日に29年ぶりに公判が再開され、判決が言い渡される。

 捜査関係者によると、渡辺被告は3日午前1人で出頭し氏名などを名乗った。千葉地検が指紋などで本人と確認し、同日中に千葉刑務所内の拘置施設に収監した。

 渡辺被告は71年7月26日、空港用地内にあった反対派の地下壕を撤去しようとした警官隊と衝突。警察官を角材で殴るなどして公務執行妨害容疑などで逮捕、起訴された。空港用地では、強制収用を進める国側と建設反対派の闘争が激化しており、渡辺被告は中核派メンバーとして事件に関与。この事件では計274人が同容疑などで身柄を拘束され、警察官ら約300人が負傷した。

 千葉地検の調べに渡辺被告は「組織とかかわりを持ちたくなかった。日雇い労働などで生計を立てていた」と供述しているという。【駒木智一、柳澤一男】

毎日新聞 2008年6月5日 23時36分(最終更新 6月6日 10時40分)

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