来年5月から、一般の国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まります。
私たちが、裁判員として被告に死刑を言い渡すことも想定されますが、人を裁くということはどういうことなのでしょうか。
40年以上前に言い渡した死刑判決に、今も悩み続ける1人の元裁判官を取材しました。
福岡市東区に住む熊本典道さん。
佐賀県唐津市に生まれ、九州大学で法律を学んだ後、裁判官になりました。
去年3月、熊本さんはある衝撃の告白をしました。
「裁判官のときに無罪と思いながら、死刑判決を言い渡してしまった」というのです。
いわゆる袴田事件。
1966年、静岡県でみそ工場を経営する一家4人が殺害され、工場従業員だった元プロボクサーの袴田巌死刑囚が、強盗殺人などの罪に問われた事件です。
袴田死刑囚は捜査段階での自白について、裁判では一転「強要された」として無罪を主張します。
この事件の一審で主任裁判官を務めたのが熊本さんでした。
裁判では、わずか2日ほどで作成された40通以上もの自白調書が提出されたほか、終盤になってから血液のついた犯人の着衣が突然提出されるなど、検察側の不自然な立証が続きました。
しかし、ほかの2人の先輩裁判官の結論は有罪で死刑。
結局、熊本さんは自らの良心に反しながら死刑判決を書き上げました。
死刑判決を言い渡した7か月後、熊本さんは裁判官を辞めました。
自らの意に反した判決を書かざるを得なかったことが、大きなきっかけでした。
裁判官を辞め、大学で教鞭を執るなどした熊本さんですが、袴田事件の判決について語ることはありませんでした。
しかし去年、自らも高齢になり、袴田さんを救うために異例の告白を決意したのです。
来年5月、一般の国民が刑事裁判に参加して被告を裁く「裁判員制度」が始まります。
死刑判決も考えられる重大事件を国民が裁くことになります。
熊本さんは、無罪と思いながら死刑を言い渡したことを家族にも長年話せないまま苦しみ、一時は自殺しようと死に場所を求めてさまよったこともあったといいます。
裁判員制度を前に今、熊本さんは人が人を裁くことの難しさを、そして、その責任の重さをあらためて語りかけます。
袴田死刑囚は現在72歳、刑は今も執行されず、40年あまり拘置され続けています。
支援者は、今年4月2度目となる裁判のやり直しを請求しています。
果たして真実はどうだったのか、裁判員制度が始まれば私たち自身が人を裁くという重い責任を課されることになります。