永山 則夫さんの死刑が執行されたことを、新聞によって知った。
その記事を目にした瞬間、身体の力が抜けてしまって、どうしようもない虚脱感がやってきた。
遺骨と遺品を僕の敬愛してやまない遠藤誠先生が引き取ったということを知って、先生の心を思ってどうしようもなく切なくやり切れなく、怒りにも似た感情も沸いてきた。
遠藤先生は著書の中で、彼のような哀れな人間のためならば、身代わりに死んでもいい。と語っている。
ここまで永山さんのことを思っていた遠藤先生の無念さはいかばかりか。
今日の朝日新聞の読者の声で、
「もっとこの世の中には悲惨な境遇の人間もたくさんいる。でも人を殺したりはしない。だから永山は死刑になって当然だ」
という論調が掲載されていた。
永山さんの境遇を本当に知っているのか?
それとも、あなたが永山さんより悲惨な境遇で育ったというのか?
もし、自身がそれより悲惨な境遇で育ったならばそれを言う権利はあるかも知れない。しかし、この世の中において彼ほど悲惨な境遇にあった人を僕は知らない。
遠藤先生の著書をそのまま引用させていただく。
世の中には、ツイていない人がいるものである。何をやってもうまく行かず、一生懸命やっても裏目に出、最後は、最悪のドン底におちこんでしまう人が。
少年永山則夫君も、そんな少年であった。
八六年六月、僕は、所属する第二東京弁護士会の会長小野田六二氏と副会長錦織淳氏(今のさきがけ衆院議員)からたのまれ、いわゆる「連続ピストル射殺犯」永山則夫君(当時37歳)の国選弁護を引き受けた。
彼は、一九四九年六月、北海道の網走で生まれ、五歳のとき、バクチ熱に浮かされた父と、女手一つでは七人の子供を育てきれなくなったため、下の三人の子どもを連れて青森県の実家に帰ってしまった母によって、網走に置き去りにされた。
彼とともに残されたのは、姉明子(十四歳)と兄忠雄(十二歳)と兄保(九歳)の三人である。以来、四人の子どもたちは、極寒の網走で凍死と飢餓線上を彷徨した。これに対し、福祉事務所も、近所の人たちも救いの手をさしのべなかった。七ヶ月後、福祉事務所の手によって、餓死寸前だった彼ら四人は、青森県板柳町の母の実家に送られた。
コジキ小屋のような長屋で、母と兄弟七人のドン底生活が始まった。ボロボロの服を着せられたため、小学校に入ってからも、彼は周りから軽蔑の目で見られ、仲間はずれにされ、いじめられ、次第に学校に行きづらくなった。
中学校に入ってからは、家計を助けるため新聞配達をはじめた。そのため遅刻、早退と授業中の居眠りがつづき、挙げ句の果てには生活保護を受けていたため、給食費と教科書代がタダなのを級友たちから「あいつはタダでメシを食っている」と白眼視され、中学にも行きづらくなってしまった。
六十五年三月、形だけ板柳中学を卒業し、十五歳で東京・渋谷の果物店に就職するのであるが、小さいときやけどした左ほほの傷と、戸籍謄本にその出生地として「網走市番外地」と記載されていた所から、またまた差別の目で見られ、またまた差別の目でみられ、以後六十八年九月までの間に、転々と職場を変えざるをえなくなった。また、母や兄、姉たちからも、相手にされなくなってしまった。
僕自身もこの文章を綴りながら落涙を禁じ得ない。
永山さんの本を僕はかつて読んだことがある。
「永山 則夫の獄中読書日記」という本だ。
彼が死刑確定前後に読んだ本の書評を集めた本である。
僕などのような人間には到底たどり着くことのない知の高峰に彼はあったのである。
死刑を控えた人間の生は濃縮された生だという。今日死ぬかも知れない。明日死ぬかも知れない。という最後の時間を如何に使うか。
僕たちは必ず死ぬることにおいて死刑確定囚と同じなのだけれど、その切実感が違う。僕たちにおいて、死は一種のフィクションである。
その切実な死を獄中という空間で待つという気分は如何なるものか?死は、死自体が恐ろしいのではなく、死を待つことが恐ろしいのは論を待たない。
それを続けるだけでもう刑の目的は果たしているだろう。
死刑にしたといっても、殺された者は還らない。つまりこれは遺族のルサンチマンを晴らすのだけが目的なのである。殺人は死刑を廃止してもなくならない。軽微な犯罪については死刑を適用することによって激減せしめることが分かっているが、殺人は減らないということが分かっている。死刑はその人自身を更生させることもなく、犯罪を抑止する意味もない。生きている者の生を奪うという国家による合法的な単なる「人殺し」なのだ。
仏陀は人を罰しなかった。キリストも人を罰しなかった。そのような聖人ですら、人を罰することはなかった。
罪なき者は石を投げよ。
というキリストの言葉に人々は立ち去ったではないか。
これまで、世間は彼をこれほどまでに酷く扱い、そうして最後には生命をも奪った。
むしろ、石を投げられるべき者は僕も含めた世間の人間である。
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