離島救急船、船長が引退 36年で搬送400回2008年06月06日 医療機関のない広島県尾道市の離島の救急患者を36年間にわたって自分の船で本州側に搬送してきた船長が、31日に引退した。島をほとんど離れず24時間態勢で出動に備えてきた。船長は「島民の命を守る責任を果たせた」と語り、この日舫(もや)い綱を固く結んだ。(大野正昭)
JR尾道駅前の桟橋から南東へ約7キロにある百島(ももしま)。島に暮らす670人(4月末現在)のうち、65歳以上の人は6割を超える。島民の足として高速船やフェリーが1日9往復しているが、深夜や早朝に一刻を争う患者の搬送には不向きだ。 この島で72年1月から搬送を始めたのは旗手(はたて)正守さん(87)。日ごろは農業に励むが、島の人たちからは「救急船の旗手さん」と呼ばれる。 患者を船で6〜7分の本州側の桟橋か、本州と橋で結ばれている同市向東町の港に約15分かけて運ぶ。搬送は36年で400回を超えた。断ったことは一度もない。 搬送を始めたきっかけは深い後悔の念だった。その数年前、島内に住む当時45歳の義弟が屋根を修理中に転落して大けがを負ったが、島外から迎えに来る船がなかなか着かず、義弟は病院に到着する前に亡くなった。「島から直接運べば、時間が半分ですみ、助かったかもしれない」と悔やんだ。 同市に働きかけて患者搬送の委託契約を結び、島のミカンを運搬していた木造船「旗正丸」を搬送船(5トン)に仕立て、自分で運ぶことにした。委託料は日中の搬送で8500円、夜間は1万500円だ。 妻ミチ子さん(81)との連携は欠かせない。島の人から電話で要請があると、旗手さんは自転車で約5分の港へ向かい出港の準備を整える。ミチ子さんは市の消防局に患者の年齢や容体を伝え、本州側に救急車を待機させる。 4、5年前、島内の自宅で倒れ一刻を争う状態だった70代の男性は旗手さんの船で本州側の桟橋に運ばれ、救急車が福山市の病院へリレーして、一命を取り留めた。 だからこそ、島を離れる気持ちにはなれない。昨年11月、社会貢献支援財団(東京)から長年の功績を認められて表彰された時は2日間だけ島を空けた。搬送を担い始めてからは、週2〜3回の晩酌もやめた。 市は今回、旗手さんの年齢を考えて、後継者探しに乗り出し、島民ら3人を選んだ。新たに救急搬送の専用船も買い入れた。 旗手さんは「自分が言い出した仕事でもあり、島民の信頼に応えようと続けてきた。助けてくれた妻にも感謝している」と話し、引退後は夫婦で温泉旅行に出かけるのを楽しみにしている。 PR情報この記事の関連情報コミミ口コミ
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