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2008年01月09日(水)

久々の不愉快

テーマ:ブログ
やっと大学も冬休みが終わった様です。

長かったな~いつもの事ですが。

明治大学応援団の3年生が自殺しました。
やはり。。という感じです。

大学内でもあり顧問やOBも多く関わってて、活動も公にされており
そして根本的には真面目な学生が所属してる部なのに。

大学の責任ですよね。
リンチが明らかに成ったのに、何故警察が入らないの?犯罪でしょ。

親御さんが遺書から大学へ申し出ても、リンチを否定したでしょ。
でも証拠ビデオが部室から出て来て初めて、部活を停止させたでしょ。
停止??廃部にすべきでしょ。それ以前に犯罪ですから。

そもそも規律=体罰を美徳としてる部なのだから、大学生とはいえ
まだ社会に出て無い子供なのだから、大学は野放しにしておくべきじゃない。

3年生か、、新人から3年間大変だったろうな、あと少しで華の幹部という時に
理不尽なシゴキがエスカーレートして、辛いばかりの下積時代を味わい自ら
命を落としたのね。

大学は違うけれど娘も同じ部に入部して、即辞めました。
辞めて良かった。

私は未成年の親として部に抗議したけど、主将の対応次第では
大学総長に抗議しに行く気だったし、大隈像に唾掛けてやる気満々だったけど。
亡くなった男子学生の親御さん、大学生だし、男の子だし、と
普通見守ってしまいますよねえ。

体罰だろうがシゴキだろうが、1番辛いのは団体で個人に圧力かける事
個人が純で真面目だと、その圧力は個人の尊厳や人格を傷付けたうえ
「弱い者」「脱落者」と弱者と強者になる。
それをイジメと言うのです。

娘の大学の部では「体罰禁止」だったけど、部の根底の精神的な物は同じ。
規律に対する美徳も、美徳違い。
単に集団イジメと同じ方向へ走りがちな美徳、個々に「イジメ」の意識が希薄、
いえいえイジメ=規律と信じ込んでる。

要は大して苦労も努力もしてない子供が、規律とか団体とか伝統を正義として
幼いくせに立派振るから、真の幹部が育たない部。

そんな幹部が統制する部に所属する下級生は地獄か、幼いくせに「伝統は美しい」
なんておバカな大学生に育つか、どちらかの道しか無いのよね。

美しい伝統など有り得ないですから。
長い年月受け継がれた物には、必ず犠牲があり、その犠牲は美化され
個人の犠牲は問われないのが伝統ですから。

神宮でも明治大学応援団は、下級生に対する暴力が問題になってたのだから
六大学応援も連盟が有るのだから、神宮の応援団、応援部の活動は自粛すべきだわ
不愉快だわ。

「応援部、君達すご~くカッコ悪いよ!!」と言ってやりたい。

真に体育会、運動会を応援したいなら、いち学生として純粋に
学生席で応援したら?と言ってやりたい。

私に孫が生まれて「明治大学へ行きたい」と言っても
絶対に許さない。
御遺族の申し出に「リンチはなかった」と否定した大学は腐ってる。

ちなみに一橋大学も。ホストを講師に呼ぶなんて、ホストの集客術、
セールス術を大切な若い学生に学ばせるなんて、大人のする事じゃない。
水商売の女の子をどんだけ騙してお金儲けするか、それがホストの仕事だと
誰でも知ってるでしょ、それを学問を学ぶ場で正当化して許される?

娘の大学でも学園祭でさえ、沢山の学生が亡くなってるけど、大学は謝罪したし
犯罪としたから、まだ腐っては無い。

やはり、、親がお金出して子供に学ばせるのは、成人した子を社会に出さないで
大学で学ばせるのは、将来や世間体やキャンパスライフを楽しませたい為では無く、学問を学ぶ必要があるからで、学識も人格形成過程に基本は必要だから。

物の道理や成り立ち、歴史も経済も何が必要で何が美しいのか、その基本を学ぶには
4年間では足りない程だもの。
部活もバイトも旅行も、そんなの付録みたいなもんで、勉強しないなら辞めちまえで、
勉強しろ!勉強!

義務教育で興味無い事も勉強してテスト受けて、点数付けられて
それは本当の勉強じゃ無いから。
偏差値、偏差値で競争させられ教科を与えられ大学へ入ったでしょ。
初めて自分の学びたい事を選べる場を与えられて、算数や国語や世界史ではなく
ピタゴラスやソクラテスやルソーやローマやギリシャ、何でも
発見した人など居ないのよ。
全部昔から有る物で人類って偉大でしょ、自然って驚異でしょ。
ドイツの哲学書を読んで泣けるでしょ、精神世界の進歩など無いのよ。
知れば知る程、謙虚であるべき姿の美しさに胸躍るでしょ。

それを知ってから世界を見に行ってごらん(自分のお金で)
何処へ行ってもその歴史に敬意を示し、人々を理解できるから。

やりたい事があるなら自分で働いて社会に出てから、何でも好きな事を
やればいいのよん。
でも、やりたい事があるなら、勉強しながらなら私は許す。
何を目指しても、勉強は決して邪魔に成らないから。

だから大学みたいな本来行く行かないを選べる、学びを職業としてる所が
腐ると、私は凄く不愉快なんです。


コメント

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■久々の…

うんうん頷きながら読みました。
久々の花吹雪節。

息子の中学でのいじめへの対処は
親に振り回され、コロコロ変わるお粗末さ。
言ったモン勝ち?って思ってしまった。

中学生くらいだと、親の育て方というか、
親の考え方に影響されていることも多いだろうけど、
大学生にもなれば、親のことも、
客観的に見て感謝したり批判したりできるようになって来ますよね。
そして自分のことも。
それなのに、集団の中に入ってしまうと、
自分のかっこ悪さにも気付けないのかしらね。

教員も、なんだか、自分が大事ってのが見え見えで、
枠に納まった子どもを指導することはできても、
個性の尊重と勘違いして、わがまま勝手にやらせて
枠からはみ出してしまった子の指導ができる程力量のある方は少ない気がします。

あ、つい、花吹雪さんにつられて本音が…
失礼しました。

今年もよろしゅうに(*^-゜)vィェィ♪

■生徒に

媚を教える必要はありません。責任の取り方を教えて欲しい。

なんか空気を読むとか、くだらない世の中になってきましたねー。

■教える事は他にあるだろう。

挨拶も出来ない、言葉も知らない生徒に教えるのは、他にあるだろうって思うなあ。
少子化の時代に、生徒や学生達にこびをうらないと『経営』が成り立たなくなって来るのは判らなくもないが、学校はあくまでも教育の場。
社会生活の厳しさを知らない、ぬるま湯教師や教育従事者に、社会人予備である学生を育て指導できるはずがない。
先が思いやられます。。。

■逃げてばかり。

長女が小学生の頃、いわゆる学級崩壊で、男子が教室で刃物を振り回す騒ぎにまで発展したことがありました。

教師は問題から目を背け、男子の親はわが子を妄信し最悪の結果になっていきました。

子供を正面から見据え、何に迷い何に傷ついているのか、ポイントをはずさず向き合うこと。

親としてできているかいつも自問自答します。

教師であるということは特別であったはずなのに、どこからその威厳はなくなってきたんでしょうね。
学ぶ喜びを教えることが教師の仕事だったはずなのに、、と思います。

■nerumama さん

子も子なら親も親、先生も大変だわね、もう少ししっかりして欲しい。
ある種、学校とは特別な場所、許さない事がある場所、とわきまえて欲しいですよね。
個性は礼儀や人に迷惑を掛けないうえで、尊重されるべきものですよね。
そんな個性を尊重して団体となったら、苛めも正当化されてしまい堪りませんよねえ。。

■あややんさん

友情や友をかばうとか、そういう純情を育てられる時期に、空気読むとか下世話な世界と同じになってしまい、子供達も可哀想。

■るんたさん

大学生になっても苛めとか集団で個人を責めるとか子供みたいな、意地悪な社会みたいな。
社会に出てからどうなるのだろう?同じ事をするんだろうなぁ。
そして親になって子育てか、、悪循環だわね。

■きららさん

そうなんです!学ぶ喜びを教えるのが最大の仕事だと思います。
学ぶ喜びを知ってる子は、道を外さないと思うんです。
それは何事にも共通する事だと思うんです、生きてる限り!

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