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【社説】

東京五輪招致 改革こそを切り札に

2008年6月6日

 二〇一六年夏季五輪の招致レースが白熱の時を迎えた。一次選考を通過した東京も、ここからが正念場だ。施設整備や豪華さだけでない、明快な開催哲学こそを最後の切り札としたい。

 国際オリンピック委員会(IOC)は四日(日本時間五日未明)の理事会で、二〇一六年五輪招致の一次選考を行い、立候補を申請した七都市のうち三都市を落として、四都市に絞った正式立候補都市を決定した。バクー(アゼルバイジャン)、プラハ(チェコ)、ドーハ(カタール)が落ち、東京、マドリード(スペイン)、シカゴ(米国)、リオデジャネイロ(ブラジル)が残った。各立候補都市は来年二月に計画書を提出。IOCの評価委員会による視察・報告をへて、同十月のIOC総会(コペンハーゲン)で開催都市が決まる。

 ライバルはどこも強力だ。厳しい戦いになるのは間違いない。どの都市も、インフラ整備や運営などの面では甲乙つけがたい計画を用意するだろう。ここからはそれらに加えて、さらに関係者の心をつかむメッセージを発していく必要がある。

 そのために、五輪大会そのもののあり方について、もっと踏み込んだ考えを示したい。いまこの時代にふさわしい五輪はどういうものなのか、それをどう具体化するのかを明快に語るのだ。

 近年の五輪は規模、豪華さともに拡大の一途をたどっており、その弊害も目立っている。本来、オリンピックとはスポーツの祭典であり、それを通して平和や友好の実をも挙げていこうという質実なものだったはずだ。それが豪華さや新奇さ、あるいは国威発揚を競う巨大ショーに変じており、さまざまなゆがみをもたらしている。大都市ばかりの開催も五輪精神に反しているのではないか。

 なのに、そうした傾向をそのまま踏襲してきたのが最近の大会だった。立候補都市にはそこを省みる責任がある。ゆがみやひずみをただし、本来の五輪精神に沿った新時代の大会モデルを示せれば、それは意義ある改革として注目と共感を集めるだろう。

 五輪開催計画となると、都市の再生や活性化ばかりにスポットが当たりがちになる。ここはぜひ、大会そのもののあり方についても一歩先んじた考えを示してもらいたいところだ。

 そこには市民、国民の声も大いに取り入れたい。そうなれば地元の幅広い支持も生まれるはずだ。

 

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