ようつべ懐メロ・角川編
鼻が赤くてアレなんで悪人呼ばわりされるんだが、おいら、この人の悪口はいいません。むかし小説家やっていた頃、角川の子会社でオートバイ小説書いて、そしたらオッサン、何を考えているやら、いきなり5万部も刷った。ワンマン会社なので、部数はすべて角川春樹が決めていたらしい。で、印税200万も貰った事があるんでね。おいらの本は、そんなにゃ売れません。角川春樹という人はイケイケドンドンの代表みたいな人で、何の映画だったか、オートパイレースの場面の撮影で、突然「オレが乗ってみる」と言いだして制止もきかずにコケて大怪我、撮影が延びてしまったという話もある。レーサーなんか乗った事もないのに、鼻が赤いので全知全能の神だと思いこんでしまうわけだ。ちなみに、レーサーのオートバイはチェンジが逆だったりして物凄く乗りにくい。素人に乗れるもんじゃないんだが。
まぁ、そういう勘違いしたバカが大金持ってイケイケドンドンやるから、映画というのは面白いわけだ。算盤だけは達者な小心者が会議でああでもない、こうでもないと話し合って作るものではない。で、映画を作るにもワンマンで、何でも自分の思いのままにやるわけだ。
角川映画というと思い出すのはコレなんだが、ジョー山中です。人間の証明のテーマ。流行ったというか、毎日TVCMで叩き込まれるので覚えてしまうわけだ。
それまで映画会社はテレビをライバル視していたことと、あまりに広告料が高いため、テレビCMはあまりやらなかった。しかし角川は前代未聞の広告費をつぎ込みテレビCMなど大規模な宣伝をうち、書籍と映画を同時に売り込む事によって相乗効果を狙ったもので、結果大成功を収める。映画製作を目的とした角川春樹事務所も1976年に設立された。翌年には第2作『人間の証明』(1977年)の宣伝のキャッチコピーとなった「読んでから見るか、見てから読むか」「母さん、ぼくのあの帽子、どこへ行ったんでしょうね」は大量のテレビCMが流され、流行語となった。
とてつもない巨額の宣伝費を投入するというのに、ほとんど無名のジョー山中を起用するあたり、ワンマンの極みなんだが、この人、経歴が面白いです。
1962年
- 腕っぷしの強さを聞きつけた金平正紀にスカウトされ上京、金平ジム(協栄ジム)入りしボクシングに打ち込むが三年やって辞める。
1965年
- GSグループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」を結成し、ボーカルを担当。翌年シングル『星空を君へ』でデビュー。(その後脱退)
1970年
- 内田裕也の誘いに応じ、ロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」の結成にボーカルとして参加。同年アルバム『anywhere』でデビュー。アルバム『SATORI』をアメリカ・カナダで同時発売するなど国際的に活躍。
1973年
- 4月の京都公演を最後にバンドは解散。以後はソロに転じ、翌年アルバム「Joe」をリリース。
1977年
- 映画「人間の証明」に俳優として出演。主題歌『人間の証明のテーマ』(歌詞は西条八十の詩の英訳)も担当し、50万枚を超える大ヒット。
フラワートラベリングバンドのボーカルだというので、まぁ、知る人ぞ知る、知らない人は知らないという経歴で、喧嘩が強いらしい。ちなみに映画には俳優として出演している。で、たしかに歌はうまいしカッコイイんだが、主題歌をうたわせて巨額のTVCM費用を投入するのに、鼻の赤いキチガイオヤジでもなければこんなもん起用するわけがない。ワンマン万歳だw で、次にコレなんだが、
「戦士の休息」というのは「野生の証明」の主題歌だ。主役は世界の高倉健と、これがデビューの薬師丸ひろ子。まだ14歳でした。おとうさん怖いよ。こんなまん丸な顔した素人娘を高倉健の相手役に起用するあたり、やっぱりワンマン万歳だな。今の時代だったら、プロジューサーと監督がすべての主演女優候補を抱き比べて、薬師丸ひろ子ならぬ「ヨクシマルオメコ」で決めるんだろうが、鼻の赤いオジサンはロリコンなのでそういう事はしなかったようだ。で、主題歌を歌っているのは町田義人。まだ14歳の薬師丸ひろ子には、主題歌は無理だったのかね?
成城大学在学中の1968年に「ズー・ニー・ヴー」を結成、ボーカルを務める。 ズー・ニー・ヴーは「白いサンゴ礁」のヒットで注目を集める。その後脱退し、ソロで活動。1978年公開の映画「キタキツネ物語」において、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、メインテーマ「赤い狩人」を歌う。同年の角川映画「野性の証明」でもメインテーマ「戦士の休息」を歌い、ニット帽にサングラスというスタイル、そしてオリコン最高位6位、29万5千枚のセールスを記録した事でも注目される。
ズーニーブーのボーカルですかそうですか。また、マニア好みの人なんだが、どうしてこう、GS崩れみたいな、微妙ところを連れて来るのかw しかし、名曲です。コレを毎日なんべんもTVから叩き込まれるので、どうしたってヒットしてしまう。角川春樹という人は、「実力がありながら、パッとしないでくすぶっている」人を売るのがうまいわけだ。横溝正史というのもそうだったが。で、角川映画はやがて角川三人娘の時代に入る。Wikipediaの解説です。
1980年代は、スター・システムによるアイドル映画を手がけた。特にコンテストで発掘され角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世の3人は「角川3人娘」と称され、薬師丸は『野性の証明』(1978年)『セーラー服と機関銃』(1981年)で、渡辺は『晴れときどき殺人』(1984年)で、原田は『時をかける少女』(1983年)『愛情物語』(1984年)で、一躍スターダムへと駆け登った。この3人はテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した。
よく見ると「物凄い美人」というわけでもない、微妙なんだが、つうか、そこら辺にいそうな女の子なんだが、露出を絞った事によって有難そうに見えるわけだ。
この頃はまだ下手です。曲は名曲です。この頃、おいらの知人が薬師丸ひろ子の運動靴を持っていた。新宿のスタジオでレッスンしていて忘れたモノらしい。パートのオバチャンが知らずに持ち帰って、気をきかせて取りに来るだろうからと洗濯しちゃったそうで、洗ってなければ「お宝」なのに、と残念がっていた。ちなみに、当のオバチャンは薬師丸ひろ子が何者なのかまったく知らないという、まぁ、普通の女の子にしか見えなかったらしい。
メインテーマ、Woman、なんていうのもあります。だんだん歌がうまくなるね。渡辺典子はどうでもいいです。つうか、たまには外れもある。で、原田知世なんだが。
「お湯をかける少女」というCMもあったな。おいら、この人、デビューした頃にナマで見た。横浜の新港埠頭で撮影やっていた。なんで、こんな素人のネーチャン撮るんだろうと、知らないのでそう思って眺めていたんだが、しばらくしたら漫画アクションのグラビアにその時の写真が登場したわけだ。
原田知世は目が小さいし、あまり派手な顔ではない。角川春樹がプッシュしなければ世に出なかった顔なんだが、ワンマンというのは凄いもんだ。ところが、彼女には幼い頃から追っかけのファンがいて、バレエの発表会なんぞを撮り溜めていたそうで、その爺さんが原田知世の写真で個展やったりしている。おいらの評価としては、薬師丸ひろ子と原田知世を世に出したというだけでも、角川春樹は偉大だと思う。両方とも、いまだに現役でしっかり仕事しているしね。で、天国にいちばん近い島なんていうのもありました。
で、角川映画といえば忘れてはならないのがコレなんだが、
ウォンチューです。南佳孝です。
1972年にテレビ番組「リブ・ヤング」(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日にアルバム『摩天楼のヒロイン』(松本隆プロデュース)でデビュー。この日、文京公会堂にて行われた音楽バンド「はっぴいえんど」の解散記念イベント「CITY-Last Time Around」への参加がデビューステージとなる。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、映画音楽やCMソング、他のアーティストとのコラボレーションやプロデュース、さらに音楽以外ではナレーションなどもこなす。
「スローなブギにしてくれ」って、コレも流行ったね。片岡義男のオートバイ小説というのも角川のウリだったんだが、この人、元はテディ片岡という名前で、寝ぼけてコンドーム付けたままションベンして、それを女房の顔にぶちまけるとか、そういう小説を書いていた人です。人に歴史あり。
で、あれから幾星霜、角川春樹は角川書店から追い出され、それでもめげずにやってるようで目出度いです。最近では「男たちの大和」でまたしても世間を騒がせたね。まぁ、角川一族は本社周辺の土地を地上げしまくっていた時期もあるほどの金持ちなので、これからも良い意味でのワンマンで世間をアッと言わせて欲しいものです。
時をかける少女 価格:¥ 4,935(税込) 発売日:2000-12-22 |
角川春樹氏、俳人としても面白い人です。
ちょっと破調の句とか、
親父さんも俳句の人、
角川書店って先代の頃は、俳句の固い本も多かった。
息子の俳句は快く思ってなかったみたい。
春樹氏にはこんな句も、
向日葵や信長の首斬り落とす
薬師丸ひろ子のお母さん、
うちの小学校で給食の調理師してたという話も。
これはただし噂レベルなのでたしかめてはいません。
原田知代は、いまのほうがいいかも。
インスタントコーヒーのCMにずっと出てますね。
角川三人娘のもうひとり、渡辺嬢ってどうしてるのかな、
投稿 ゆ | 2008/06/05 06:31
>何の映画だったか、オートパイレースの場面の撮影で、
角川映画でオートバイレースといえば、大藪春彦原作の「汚れた英雄」かな?
草刈正雄主演で、レースシーンでは平忠彦が主人公役バイクスタントを担当したハズ。
投稿 高柳君は角川で編集になったそうで | 2008/06/05 07:10
おバカな天才のアニキか。フツーにお悧巧な弟か。
会社のトップにはどっちが面白いか? というお話ですw
信長のように、自分をカミさまだと勘違いしてた社長の下で、普通のまじめな社員がどれほど苦しんだかご存じか(そら外から見たら面白いだろうが…)。
「赤と黒の洪水…」の頃、本郷の通りの反対側に鳩ポッポ所有のビルがあって、隠しマイクがない前提でいろいろ話したんだが、キ●ガイの上に◎チューは芸人だけで十分だと思う。
投稿 odinn | 2008/06/05 07:35
ジョー山中、私の中では無名ではなかったです。
中坊の頃、朝のヤング720って番組でトラベリンバンドの
前身のフラワーズでよく出演していましたよ。
内田裕也も格好良かったです。
投稿 クーパパ | 2008/06/05 08:45
バイク乗ってコケたのは汚れた英雄ですねw
よごれたひでおじゃないですw
野獣死すべしとかの頃は良いんですけど、最近は微妙なのが多いですね。
モンゴルの奴とか椿三十郎とか酷いですw
投稿 海DQN | 2008/06/05 09:07
世の中、角川さんのおかげで、CMがたくさんでウザイです。
汚れた英雄のテーマといえば、映画の主題歌というよりも、プオタ的にはターザン後藤の入場テーマとして有名です。
角川文庫には碌なものがないが、角川源義さんの「第二次大戦の敗北は,軍事力の 敗北であると同時に,私たちの文化力の敗北であった。」というあとがきを思い出した。
投稿 t3t | 2008/06/05 10:30
人間の証明か。。。
黒人演歌歌手ジェロは、何もかも承知の上でデビューしたのか?知らなかったとしたらそれは罪作りな話で、わかる世代にとっては昔の古傷が痛む話のような。。。
投稿 う | 2008/06/05 10:58
>渡辺典子はどうでもいいです。つうか、たまには外れもある。
カワイソス・・・まあ当たってますけど
こういうハズレの子が大好物です。
殺人と書いてキルミーwww
投稿 をちぁ | 2008/06/05 11:09
中学時代の友人が、最初の写真集が出版された時に直接自宅まで行って(笑)、サインを貰って来ました。
その時、親御さんが出て来て、「今勉強中なので、ちょっと待っていて下さい」と写真集を持って奥に引っ込み、少し経ってから「ハイどうぞ」とサインを入れたそれを返してくれたそうなんですが、そのサインが綺麗な楷書で「薬師丸ひろ子」と書かれていたので、それを聞いたクラスメートに「お母さんが代筆したんじゃねーか」と笑われていました。
まあどちらにしてものんびりした時代の良い思い出です。
投稿 山田恣 | 2008/06/05 11:40
私の友人が以前角川春樹の秘書みたいなことをやってた。
ずいぶんと宗教的儀式がお好きだったようだ。
フラワートラベリングバンドだの渡部典子だのテディ片岡って、懐かしい名前。
片岡さんには幻の雑誌『えろちか』でお世話になりました。
投稿 昔の歌なんかしらない | 2008/06/05 11:49
「時をかける少女」
好きでしたね~♪
勿論、映画観に行ったし、主題歌も長い間、カラオケに行くと良く歌ってました♪
原田知代の代表作ってこれしか思い浮かばないのに、「一発屋」的なイメージはなく、程よい距離感を持って芸能活動してますよね。
…って、元ファンの贔屓目かな?(笑)
今も、あの透明感のある歌声が健在なのが嬉しい♪
…ところで、ブレンディ、不味くありません?
好みの問題ですけど、インスタントコーヒーは、ゴールドブレンドが好きです。
投稿 日本が大好きな日本人 | 2008/06/05 12:26
角川春樹は 筏とか遣唐船とかで 冒険していたような記憶があるけど。
こちらも興味あります。
投稿 連想 | 2008/06/05 13:00
好きだな、角川春樹という奴。侠気というか狂気というか、あの無茶苦茶の自己中心なところ。
彼は「亀鳴くや何も賭けない人ばかり」という句を獄中で詠んでいる。彼にしてはあまり出来がよくないし、「亀泣く」のほうがぴったりくるのにな、と思ったりしたが、「亀鳴く」は春の季語である。
ゲリラさんのエントリーで思い出したのはそんなことではない。
ある男の酷い裏切りで、彼は入獄することになったのだが、その男にささげたのが前掲の句だと、角川の側近から聞き及び思わず膝を打った。
その男はいま、立ち上げた(嫌な流行語だ!)出版社が順風満帆、つい先
頃は己のサクセス話をテレビで口角論じていた。角川はそのかっての部下の裏切りを恕しつつ、何も賭けない浅薄男を憐れんでいたのである。ならば当然、「亀泣く」ではなく「亀鳴く」でなければならないはずだ。
投稿 独居やもめ | 2008/06/05 13:47
ジョー山中w。好きです。昔ワールドロックフェスティバルバンド
観にいきました!
松田優作のドラマにも気の弱いチンピラ役で出てました。
投稿 こた | 2008/06/05 15:07
ある男って、同胞の隠れ朝鮮人女優に鞭でしばかせて恍惚の表情を浮かべるあのお方ですかなるほどザワールド
投稿 キンキン | 2008/06/05 15:36
渡辺典子は、キャラがちょっと他の二人よりエロ寄りなので脱いだり脱がなかったり忙しいようでw
今は、他の二人よりも一番TVに出てるんじゃないですかね。主に昼ドラとか二時間ドラマの悪女役とかですがw
投稿 海DQN | 2008/06/05 15:49
そのオトコとは幻の関係ですか。
投稿 小樽人 | 2008/06/05 15:59
セーラー服と機関銃とか、赤川次郎全盛期とかぶっていて、
非常に懐かしいです。
投稿 ピンちゃん | 2008/06/05 16:05
ズーニーブーか、懐かしい^^新宿歌舞伎町に王城っていう
喫茶店があってその向いのビルの地下にアップルという
ゴーゴーホールがあった。デ・スーナーズっていう
フィリピンバンドやセミプロみたいなバンドが出ていた。
中でもパワーハウスというリードギターが陳清輝でベースに
柳ジョージ、ジョンレノンの風貌でクリームのナンバーを
やっていた。たまに角田ヒロがドラムを叩いていた。
ある晩、いつもはR&Bナンバーのズーニーブーが
「今度僕達レコードデビューするんです」と阿久悠作詞、
白い珊瑚礁を唄った。何か場違いな感じだったが
フライングソーサーだとか学生バンドなど軟派&小遣い稼
ぎだったのだろう。軟派のヤンキー野郎なども出入りして、
ジミ−などと呼ばれたハーフが後のクールス、ジェームス
藤木だった・・・イラストレーター志望のウェイターが
フラワーのSATORIのジャケットの絵を描いたと見せてく
れた・・・ヴィレッジバンガードあたりでは帰還したベト
ナム兵と東北出のチャンコロねえちゃんがシンナー臭く
抱き合ってたな^^ベ平連の小田実も死んだ・・・・
遠い昔の話だな^^
投稿 アップルか | 2008/06/05 16:49
懐かしいなぁ薬師丸ひろこ、品川の八潮高校でしたね、都立ってのも驚きです
友達がクラスメイトだったけど気さくでスレてなくていい子だったそうです。
サインも見せてもらったけど確かに楷書でしたね、丁寧過ぎてて笑えたなぁ。
投稿 まんそ | 2008/06/05 20:32
献上の事悪く言っちゃダ~メ?
クスだ嬢との事は有名だが・・・・・
春喜ちゃんミャンマーへ出かけておかしくなっちゃったんだよな、国境の三角地帯で消しの花今も有るのかな?
アナタと吸った消しの花は何処行ったんでしょうねぇ??
薬師丸ひろ子ちゃんはお母さんのサインでしょうね、
まぁ本名だから楷書で書きそうだが、お母さんアルバイトはして無いでしょう?
お父さん霊●会の経理だったから、そこそこお金持ってたし・・・
鼻の頭別にして、有る意味基地外じゃないと良い物創れ無いね、
映画なんて自己満足の極致でしょう、他人の評価より手前の自己満足!!
ゲバラTシャツ売れたら、映画作って頂戴。
投稿 旗本退屈男 | 2008/06/05 21:25
>何の映画だったか、オートパイレースの場面の撮影で、
それ当時、バイク雑誌でも、
写真ありのインタビュー記事覚えてる。
草刈正雄主演の、「汚れた英雄」。
角川氏が監督やって、
二輪の免許もないのに(ろくに乗ったこともないのに)、
撮影現場のサーキットで走ってみたいと言い出して、
たしか市販レーサーのTZ250で走り出すも、
一周も保たずにカーブで転倒、んで鎖骨を骨折。
映画は500だから、撮影用のマシンではなかったと思われ。
サーキットは(公道の)二輪免許要らないけどね。
いまは中学生が鈴鹿の4時間耐久に出たりしてる。
通常は最低、サーキットライセンスが必要。
撮影のときは、どうだったのか知らんけど。
投稿 ゆ | 2008/06/05 22:06
赤い鼻のおじさんは、その昔、性欲怪獣「ボッキラス」と自称していました。
ボッキラスって……。
投稿 ボッキラス | 2008/06/05 22:49
野次馬アニキのお送りする
ガラの悪いミュージックフェア
まさか角川映画特集とは斜め上の超展開!
セーラー服と機関銃で美少女と武器
時をかける少女はセカイ系と
角川の大将は
今のオタク美少女萌文化の礎を作ったのかもしれないですな
投稿 垢 | 2008/06/06 00:17
>何の映画だったか、オートパイレースの場面の撮影で・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=as3BqlYtH-Y
【 Ridin' High - Rosemary Butler 】
菅生サーキットに集まった観客は、木下やシャケさんや平を見に来た訳では無い。撮影終了後に「薬師丸ひろ子」のミニ・コンサートが目当てであった。反省しない男;角川春樹は全日本ロードレースの雰囲気を映画にする為、(たしか最終戦)実際のレースでカメラを廻した。 これにホンダが怒りボイコット!関係者は困惑したのであったw。撮影時のストーリーをかなり編集時に割作し、ストーリー性を求めては駄作だが・・・ある意味最高!の映画。大藪作品としては合格かな?
投稿 もりへー | 2008/06/06 00:45