このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと((a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容)、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
桜井淳所長は、米国で唯一震災した原発名は、オハイオ州の電気出力125万キロワットBWRのPerry-1という情報を得ましたが、それは、地震地帯にない原発であるため、また、これまでそのようなニュースに接していないため、疑問視していたそうです。可能性が高いのは2003年12月にカリフォルニア州サンシメオン(San Simeon)地震の影響を受けたロサンゼルス北西150キロメートルにある電気出力110万キロワットPWRのDiablo Canyon(M7.5の耐震設計)です。サンシメオンはロサンゼルスとサンノゼの中間点の海岸線です。Diablo Canyonはサンアンドレアス断層からわずか5キロメートルしか離れていません。米国で最も厳しい耐震を課せられた原子力発電所です。
想像を絶するほど長期間にわたり、日本の原子力開発の政治的スポークスマンを務めたのは、日本原子力産業会議の事務局長・専務理事・副会長を務めた森一久氏でした。桜井淳所長は、最初、単純に、森氏が京大物理学科卒の経歴が有り、それプラス政治的能力が優れていたために、スポークスマンに必要な両面を備えていたがため、そのような役割を獲得したと解釈していましたが、実際に、原産嘱託として、森氏と接する中で、実は、そうでないことに気付き、凍りついたそうです。桜井所長に拠れば、それは、森氏が、直接、桜井所長に語った内容にあったそうです。それによると、森氏は、1945年8月、京大大学生の夏休み、郷里の広島に帰省し、爆心地からわずかしか離れていなかった実家で被曝したそうです(この事実は、桜井所長が森氏から直接聞いた話であり、また、森氏が、1999年に『中国新聞』のインタビューに答えた真実であって、秘密の暴露ではないそうです)。桜井所長は、それ以来、日本の原子力開発は、理解し難いほど複雑だと感じたそうです。桜井所長は、森氏が他に優る能力があったためというよりも、政治家が、森氏の経歴と被曝経験を政治的に利用した結果の出来事と解釈しているそうです。そのため、桜井所長は、森氏とは、意識的に距離を置くようになったそうです。桜井所長に拠れば、国民は、日本の原子力開発の"政治的構造"にまだ気付いていないそうです。
以下の内容は"水戸"からの情報です。桜井淳所長は、6月4日、早朝、いくつかの案件を抱え、上京しましたが、電車で水戸と東京の往復時間を利用し、故・星野芳郎先生の学術論文「Artisans and Politics-Japan, China and Europe, from the 13th Century to the 19th Century-」(帝京経済研究第29巻第2号、pp.27-79(1996))を熟読・吟味したそうです。その論文は、古代科学・ローマ帝国まで遡り、歴史的に、欧州・中国・韓国・日本の職人(当時は、研究者とかエンジニアということではなく、そのようなことができる専門家という意味での職人)の政治的・経済的・社会的役割と位置付けを考察したものです。桜井所長に拠れば、故・星野先生は、技術論の日本語と英語の教科書を同時に刊行する予定でしたが、実現できませんでした。この論文は、英語の教科書を書くための練習・準備として執筆した約50頁の英文論文です。桜井所長には、故・星野先生が何を主張したかったのか、良く理解できると言っていました。荒削りですが、歴史的に分析し、新たな構造を浮上させようとする研究方法論は、継承しなければならないと言っていました。