本家サイト「好き好きおにいちゃんM!」 本田透「喪男の哲学史」
よろしければ、本家の方へもお立ち寄りくださいな(^^) エロゲ感想まとめエントリ(最終更新日08/05/31)
2008-02-27 カリスママゾヒスト伊藤ヒロさん、かく語りき −現代のマゾッホ−
■萌命的東浩紀論 −保守的文化体制への挑戦−
この公式が熱烈に今私の胸に焼き付いて離れません…これがアイあい愛loveamour…!!
東浩紀先生があんずたんでもあるということは、実に示唆的にして世界の豊饒的な郵便的であり
存在論的な偶然を超えた共時性の奇跡的シンフォニーを聴き取らずにはおれないことであると思います。
恋姫をプレイしたことがある人なら分かると思うんですが、恋姫に出てくる四人のヒロイン、
あんずたん、すざくたん、まゆきたん、那水たん(四人とも大好きなヒロインですが、私に
とって一番好感度が高い順に並べました)は、みな、二重性を持ったヒロインなのですね。
実はこの子達(ヒロイン達)は人間に擬態して暮らしている妖怪の女の子達なんです。
人間への擬態を解くと、彼女達の髪の色がカラフルに変わり、頭から角が生えてたりします。
妖怪達が人間に擬態しているのは、勿論、妖怪だということが人間にばれると、人間から
排斥されてしまうから、というのがあって、妖怪達は人間のことを極度に警戒しています。
結果、人間のことは決して受け入れまいとする。彼女達が妖怪であることを知った主人公
からはその記憶を消してしまおうとする彼女達の父親(それぞれ、妖怪の世界でTOPクラスの
実力者達)と、彼女達が人間でなくとも彼女達を愛する主人公と、そして主人公に答える
彼女達の対立というのが大きな物語軸なのです。本作は二部構成で、彼女達が妖怪で
あることを知らない主人公が彼女達と愛を深めていく一部と、一度は記憶を消されるが、
再び記憶を取り戻した主人公が彼女達と、人間と妖怪の垣根を越えて愛し合うがために、
妖怪の王達(彼女の父親達)にそれを認めてもらおうと奮闘する二部に分かれています。
実に示唆的だと思うんですね。まさに、あんずたん=東浩紀先生だと思うんですよ!!
東浩紀先生は、エリート中のスーパーエリート、東京大学在籍中に柄谷行人に
ソルジェニーツィン試論で認められ、やろうと思えば、オタク文化について公的に
語ることなく(勿論、プライベートでは楽しむとして)、斯界(哲学界)の若き天才哲学者
として、社会から認められる保守的な安泰の道を歩むこともできたと思うんですね。
でも、東浩紀先生はそうしなかった。自分のオタク的な趣味を公然と開示して、
そういったこと(オタク的なこと)にも、「東浩紀」として積極的に発言していった。
これはすごいこと、ほんとにものすごいことだと思うんですね。
学術の世界というのは徹底的に上下関係・高尚とされる権威(階級秩序・ハイカルチャー)
が支配する閉鎖的な世界ですから、そこで、一般的な映画やコミックについて語るとかなら
まだ大丈夫なんですが、一般的なものとは違い、皆から徹底的に蔑視されていること、即ち
セクシャリティが絡むオタク文化を語ること、エロゲ・エロアニメ・エロマンガ等について当事者的に
語るということは、もう、本当に、圧倒的に革命的なことであるし、物凄いリスクを伴うことなんです。
例えば、哲学科で、エロゲについての哲学論文を書いたら、「お前、学校から出て行けよ、しっし!」
と追い出されちゃう訳です。身の安泰を図るならとても行えない、ものすごいリスクなんですよ。
どうでもいい余談ですが、私なんかは、完全に追い出されちゃってるわけですね…(爆)
新・アニメ・批評さん「『シゴフミ』(第7話)の批評と解説、あるいは佐藤竜雄のために。」
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-168.html
いずれにせよ、アニメの批評については、みなさん、「対象a(nime)への愛が足りない」
ということでしょうか(笑)。 蓮實さんについては彼くらい映画に愛を注いでいる「消費者」が
日本アニメに存在してこなかったのは歴史的な悲劇なんじゃないかと思います。
彼は凡百の生産者の何倍も生産的なわけですから。
これは、愛がないんじゃないですよ。アニメに愛がある、そして蓮實さんのような優れた批評の情熱を
持った人は、今までもいたし、これからもいるでしょう。ただ、映画とアニメの置かれている立場が、
ハイカルチャーのヒエラルキーに支配された世界(学術的世界)において全く違うんですよ…。
映画論について、熱く真摯に、学術的に批評論文を書くなら、それは学術的世界においても認められる
可能性があります。ただ、アニメ論について、熱く真摯に、学術的に批評論文を書くとき、それは、
「君、学校から三時間以内に出て行きなさい」といった事態を招きかねないものとなるんです…orz
新・アニメ・批評さんのような、素晴らしい優れたアニメの読みをされてらっしゃる方には、このことは
どうかぜひ分かって頂きたいな、と…。立ちふさがるものは、徹底的に保守的な既存の文化体制なんですよ…。
アニメやゲームは、映画より低俗なもの、語ることはアンタッチャブルなものとして見られているところがある…。
もちろん、アニメやゲームの広がり、東浩紀先生や永山薫さん、スーザン・J. ネイピアら、先駆者達の活躍
により、こういった形態は少しずつ変わりつつありますが、それでもやはり、究極的に保守的な性質を持つ
文系の学術の世界では、アニメやゲームは「低俗な下らぬ代物」とみられているところは大きい…。
特に、東浩紀先生や永山薫さん、スーザン・J. ネイピアら、勇気ある先駆者達が公言した、セクシャリティ
のオタク文化、エロスの絡む18禁オタク文化(エロゲやエロアニメ、エロマンガ)は、保守的文化体制
からの圧倒的な蔑視の眼差しと排斥の力関係のなかに置かれているのが、今も現状です…。閑話休題。
東浩紀先生と私の考えで異なるところは一杯ありますが、ただ、私がどうしても尊敬せずには
おれないところは、斯界のスーパースター、スーパーエリートとして歩むことも出来た東浩紀先生が、
オタクであることを自らきちんと公言し、それについて、公的に語り続けたところですね…。
人間に排斥される妖怪としての運命に立ち向かったあんずたんにどうしても重ならずにおれない…!!
東浩紀先生が、それについて語るだけで、保守的な斯界の人々が眉を顰め排斥の権力を発動する、
エロゲなどについてちゃんと、当事者として語ったということは、もっと高く評価されていいことと思っています。
東浩紀先生がもしいなかったら、オタク文化について、きちんと学問として語るということは、もっと難しかった…。
このことは、勿論、東浩紀先生自身は何も云いませんが(語ったら武勇伝になってしまうし、そういうことは
しないです…)、でも、私達はもっとちゃんと認識していていいことと思うな…。リスクをとって、既存の
ハイカルチャーの支配する体制に挑むと云うことは、とても大変なことだし、そういう姿勢を取っている方を、
私は応援したい、そういう気持ちでありますね…。がんばれ、がんばれ、超がんばれ!!あんずたん!!
そして、保守的な文化体制に挑むオタクのみんな、がんばれ、がんばれ、超がんばれ!!俺もがんばるよ…!!
参考作品(amazon)