安重根「獄中の硯」発見 栗原・大林寺に寄贈
硯は縦13.3センチ、横7.5センチ、高さ1.0センチ。裏には「庚戌3月 於旅順獄 安重根」と刻まれている。1910(明治43)年3月26日、安が中国・旅順の監獄で処刑される直前まで使用した硯とみられる。 硯を発見したのは、埼玉県川越市の70代の男性歯科医師。古い硯の収集家で、旧満州鉄道のコレクションが売りに出されていることを知り、買い求めた中にあったという。 歯科医師は「安重根の魂のこもった品だから、硯に刻まれた思いを大事にしてくれる場に寄贈しようと思った」と話す。安と、監獄で安の監視役を務めた千葉十七(栗原市出身、1885―1934年)の法要を毎年営み、2人を顕彰する大林寺に今年4月、硯を持参した。安が使用したとみられる墨片も一緒に奉納した。 「硯の資料室」(東京)を主宰し、硯を鑑定した楠文夫・東京芸大講師は「安重根の書の筆跡と比較するなどした結果、本物だと確信を持てる」と断言する。歯科医師によると、韓国の国立中央博物館の専門家も来日し、「間違いない」と鑑定したという。 安は1909年10月26日、旧満州(現中国東北部)のハルビン駅で伊藤博文を射殺。旅順の監獄で、千葉は安の人格と見識に敬愛の念を抱き、親交を持った。 処刑の直前に安は千葉に書を贈り、千葉は郷里で大切に保管。2人の友情の証しである遺墨は後に韓国へ返還され、国宝に指定された。 大林寺の斎藤泰彦住職(73)は「本当に驚いた。千葉への遺墨に使われた硯だろう。日韓にとって歴史的な遺品であり、親善に向けて重要な価値を持つ」と話す。 2009年は伊藤博文射殺から100年、翌10年は安重根没後100年の節目となる。斎藤住職は「いずれ機会をみて、硯を韓国に返還することも検討したい」と言う。 <平和実現へ「歴史の証人」/安重根に詳しい牧野英二法政大文学部教授の話> 千葉十七への書「為国献身軍人本分」や「日韓友誼(ゆうぎ)善作紹介」を記すために用いられた硯だろう。日韓両国だけでなく、東アジアや世界平和の実現のためにも重要な「歴史の証人」だ。大林寺の法要の崇高な営みの重要性を再認識させてくれる。韓国に返還されたら国宝級の扱いを受けるだろう。
2008年06月05日木曜日
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