小麦.品種.農林10号は1935年、当時の岩手県農業試験場にあった国の指定試験地で育成された。
背丈が低く、茎が頑丈で、多くの穂をつけても倒伏せず、安定した収穫を目指す品種であった。
しかし、日本の多雨条件の下では、やや病害に弱いことが災いし、あまり普及しなかった。
WW2の後、GHQは様々な栽培種を日本からアメリカに持ち出した。
その中でも農林10号(Norin10)は肥料が多い条件でも倒伏せず、高.収量の品種として注目された。
メキシコの農業試験場のボーローグ(N.Borlaug)博士らによって、この半.矮性.品種の血を導入した品種がさかんに育成され、世界の各地に送り込まれていった。
特に、インド・パキスタンなどでは小麦.生産量が4倍にもなり、アメリカ・ECなど主要小麦.生産国の生産性の躍進にも寄与している。
WW1の直前にドイツで化学肥料が開発され、農業生産性は飛躍的に向上した。
しかし、在来品種に化学肥料を施しすぎれば、生長しすぎて倒れてしまうことが多かった。
これに対して、高.収量.品種は、化学肥料の効果を最大限に生かすように改良された、現代的農業に適した品種を目指していた。
この、発展途上国の飢餓を克服と、食料の安定供給を実現を「産業革命」に対比して「緑の革命」と言う。
人類の食糧確保への貢献に、1970年にボーローグ(N.Borlaug)博士はノーベル平和賞を受賞する。
現在、農林10号の血を引く品種は世界中で500品種以上に及び、50ヶ国で栽培されている。
半.矮性.品種のメカニズム解明にも日本人は大きく貢献している。
一般に肥料が少ない状態では、植物の背丈が伸びずに結実する事が知られている。
しかし、このような品種でも肥料が多い状態で栽培すると、背丈が大きくなってしまい、高.収量の目的を果たせない。
植物の成長を司る物質としてジベレリン(Gibberelline)がある。
このジベレリン(Gibberelline)は、1926年に台湾総督府農事試験場の黒澤英一(Kurosawa Eiichi)が着目し、1935年に藪田貞治郎(Ybuta Teijirou)が単体分離、命名している。
その後の研究で、ジベレリン(Gibberelline)の感受性が悪ければ、肥料が多い状態でも背丈が大きくならず、また背丈の成長が悪いだけなので、肥料の条件が良ければ、それだけ多くの収量が見込めるメカニズムが判り、高.収量.品種の開発が大きく進歩した。

もし農林10号が無ければ、食糧問題は深刻になり、
WW2以後の長い平和は無かったかもしれない。