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発狂小町 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-05-24

バブル時代のとんでもエピソード教えて下さい

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http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0420/179635.htm

2008年4月20日 19:42

先日、映画「バブルへGO!」をレンタルして観ました。

その中でお札(チップ?)を振ってタクシーを止めたり、ビンゴ大会の賞品が200万円だったり、初対面の人に「これタクシー代」とか、物凄いバブリーなシーンがたくさんありました。本当にこういうことってあったのでしょうか。


その他にも「札幌ラーメンが食べたくなって日帰りで北海道へ行った」とか「会社の面接へ行ったら豪華な食事へ連れていってもらえた」とか聞いたことがありますが、本当なのでしょうか。


もっとすごいエピソードが聞きたいです、バブル時代のとんでもないエピソードを教えてください。

すっごい気になります。

以下、発言小町のバブル経験者のレス。


〔40代目前のバブル経験者です〕

・ 就職活動中なのに企業から高級ホテルのレストラン招待

・ 内定企業から研修と言う名の旅行プレゼント

・ 友人と高級クラブで短期バイトしたが、初日からチップで10万

・ そのクラブでチップとバイト代で100万稼いだ

・ 学生の時から高級ホテルや高級レストランに行っていた(おごり)

・ 入社してすぐの夏のボーナスは80万ぐらいだった

・ 会社の飲み会で支払をした事は一度もなし

・ 飲み会の帰りは必ずタクシー券がもらえた

・ 日帰りで香港に行った事がある

・ 男性が羽振りが良かったので、一週間外食(おごり)出来た

・ 給料がそのままお小遣いだった

・ 海外出張に行く男性にねだれば化粧品はプレゼントしてもらえた

・ 海外で買物する時は日本未入荷か否かで購入(金額無視)


ふざけてますが、事実です

いきなりフルスロットルですね。ちびりそうだ…

〔当時から派遣でしたが〕

あの時代はお金があまってたんですかねぇ。。。

派遣会社に内緒で、上長からボーナス代わりに寸志をいただくことなんてしょっちゅうでしたねぇ。どういう会計処理だったんでしょうか?

まだ電車がある時間なのに、残業帰りにタクシー券もらったりとか。


そうだ、社内忘年会で「政治家サン御用達赤坂の料亭」に行きました!

あまりの高級感とお店の方の立派さに気後れしました。

分相応ということを実感するよい機会でした。


あ、短期単発の仕事で、地方だったので断ろうとしたら、ホテルとってもらっちゃいました。駅前ビジネスでなくわりとオシャレっぽいところ。

ただ、生来の貧乏性なので、たとえ人様のお金でも勿体無いって思っちゃっていた自分にも気がつきました。

〔働いて2年目のボーナスの額が、〕

当時、羽振りの良かった証券会社に勤めて2年目の姉妹のボーナスの額が、父(部長クラスの公務員)より多かった。そのことを知った父は落ち込んでました。


地方在住の従姉妹は、就職面接のため上京したら、往復交通費、ホテル代、某有名レジャーランドのチケットをもらったらしい。もちろん、面接後は高級店で食事、その後、社会見学という名目で銀座をはしご(全ておごり)したそうです。

〔今でも忘れられない〕

喫茶店で友達と待ち合わせしていたら

隣のテーブルに20代前半の女性が二人。

前髪は半分垂らし半分大きく上げてスプレーで固め

ワンレン・ボディコン・ハイヒール・・・

とにかく「バブル」を絵に書いたような

ハデハデお姉さんたちの会話がすごかったです。


女性A「今度のんは、大ヒットやわ」

女性B「すごい金持ってんの?」

女性A「そうやねん。ホテル行ったとき、

    誰かと仕事の話、電話でしとってん。

    何千万とかの話やねん。

    そんときアタッシュケース開けて、中が見えてんけど

    100万の札束が何個か入とってん。」

女性B「すごいやん。ええやん。」

女性A「そうやねん。しばらく、ええ思いさせてもらうわ。」


以上、バブル時に実際に聞いた話です。

今でもその栄光が忘れられない方が小町にはバンバン居られる気がします。

〔遅いレスですが、失礼します。〕

バブルと言われた時代・・(当時は意味をあまり理解していませんでしたが・・)

例えば今ガソリンが値上がりして頭がとっても痛いですが、当時は80円台で買えました。

銀行に100万を一年預けて、25万円の利息がついた事もあったし。(内5万円は税金で徴収されたけど。)


飲みや食事に行っても男性が払ってくれて、旅行も友人の会社の社長さんのベンツで行ったり・・

宿泊はスイートルーム、海ではクルーザーで豪遊!

カラオケにもよく行っていましたが、女性は支払いを全く気にしなくてもいい時代でしたね。(笑)


でもアフターを楽しむ為に、当然ながら仕事も皆頑張っていましたね。(ニートとかフリーターって当時は皆無だったかも)

ポケベル持っている人が、なんだかかっこよく見えたな〜。


でも、やっぱり今の時代の方が色々と生活には便利ですよね。(笑)

氷河期の方には申し訳ありませんが〕

現在がバブル越えの売り手市場と言われていますが

あれは一部の優秀な学生のみの話だと現場の方々から聞いています

ガイアの夜明けでも先日やってましたね)


昨今の売り手市場より、やはりバブル期の方が凄かったです


何がすごいって・・・大した努力もせず

三流大学でも上場企業に入れていた(短大も同じく)

地方大学の優秀じゃ無い人でも、

その業界のトップランクの企業から内定をバンバン貰っていました


さらに公務員は本当に人気が無かった

自治体が、各大学に「受験してください」ってお願いしてる始末

それでも受験者が少なく、それがニュースになってました

当時公務員を受験するというと「はぁ?」「もったいない」と言われるほど


フリーターになる人も多かったです

理由は、フリーターでもかなり稼げたから

そしてフリーターになっても充分敗者復活出来た時代でした

実際、わざと留年して遊びまくっている学生も沢山いました

フリーターでお金を稼いで起業する人も多かった


仕事さえしていれば「ワーキングプア」という事にはならない時代でした

〔めちゃくちゃな時代でしたね…〕

当時、車関係の仕事をしていました。

もう、高級車がキャッシュでポンの時代でした。

ベンツは当たり前(なにせ六本木カローラと言われていましたから)

人々は、とにかくレアな車を求めました。

高級外国車→女子大の前に縦列駐車

高級国産車→女子高の前に縦列駐車

国産中級車→女子中の前に縦列駐車(嘘だ!と思っているそこの方!本当ですよ)


制服のスカートの丈が長スカからミニに急転換したのもこの時期です。

女の子がブランド品を当たり前のように持つようになったのもこの時期からです。


免許さえ持っていない女の子(18未満)が、パパ(何人居るの?)におねだりをして、赤いクーペを買っていく姿、うーん、そういえば名義や車庫証明はどうだったのかな〜って今なら思い返しますが、当時はそんな事お構いなし。


得をした人は、得をしたのでしょうが、何か大事なものを片っ端から無くして来ている気がしてなりません。

中にはこんな方も。

〔バブルの恩恵を受けなかったバブル世代〕

バブルの真っ只中に、日本で最高峰と言われる大学を出ました。同級生の話では、商社に内定が決まったらすぐその会社の招待でハワイに一ヶ月間連れて行かれ(他の会社の内定を受けないように海外で拘束)、現地で遊び尽くしたそうです(費用はすべて会社持ち)。

それから家庭教師のアルバイトをしていた同級生は、受験直前に生徒のお母様から好きな色を聞かれ、その生徒が合格したらその色の車をプレゼントされたそうです。家庭教師先の生徒が合格したら、ご褒美として先生も一緒に海外旅行へ連れて行ってもらったという話もよく聞きました。


わたしはそういう同級生たちを横目に、ひたすら勉強に打ち込み、博士課程を出ました。そしたら就職先がない!同時期、政府の方針で大量に博士課程の学生を増やしたため、ちょうど職がないポスドクが大量に発生し始めたころでした。今年、ようやく非常勤のアカデミックポジションを得ましたが、任期つきなので将来は明るくはありません。


どこで人生、間違えたんだろう。。。

仲良く出来そうです。一緒に辛酸なめようぜ!(やだなあ)

〔当時大学生でした。〕

・社員の高級しゃぶしゃぶの忘年会にバイトも呼んでもらえた(当然タダ)

・就職活動で面接行けば、特上寿司、高級中華のランチが。帰りにタクシー代も渡された。

・役員面接で上京時、往復の交通費、ホテル代はもちろん、手土産やら内定者集めて高級中華で大宴会。

・三流大でも一部上場企業の内定が複数もらえた。


すべて自己体験です。

〔すごかったです〕

当時大学生でした。

ディスコに毎日通い、始発で学校に。飲み代払ったことないです。お店がお酒とかご飯出してくれたし、誰かにおごってもらえたし。帰りはナンパ車でタダで送ってもらえたし。いまだったら知らない人の車が怖いけど当時はナンパされてタダで送ってもらえたし。

コンパニオンのバイトしてましたが、チップもらえました。

タクシーチケットとかももらえました。

就職するころバブルが弾けました。

社会人になり一年はそれはもう現実に馴染めず地獄の日々でした!今となってはいい思い出かな。本当に夢だったのかも〜ってくらい現実離れな世の中でした。

〔いったいいくらかかったのだろう〕

バブルのころでした。北関東のある温泉地で宴会をしていたのです。となりの部屋で宴会をしていた、どう見ても普通のおじさんと話が合ってしまい、これから、銀座にいくぞ!!ということになりました。当然、ご冗談と思っていたら、タクシ−を呼んで、高速道路を150km以上走り、銀座の高級クラブまで、本当に連れて行ってもらいました。かえりも、逆のコ−スでタクシ−に乗りました。ほんとにいくらかかったのでしょうか?。

じゃ、今はと聞かれれば、近所のコンビニで買った、発泡酒を大事にのんでおります

人の夢と書いて儚いと読みますが、ほんとすごいですね。

こんな無茶してよく国が潰れなかったもんだなあ。


ここでトピ主さん。

たくさんのレスありがとうございます。

バブルを知らない私にとってはおとぎばなしを聞いているようです。

本当にすごかったんですね!やっぱりちょっとでもいいから味わってみたかったです。(泣)


「自分の名前さえ書ければ就職できた時代」と聞いたことがありますが、本当にそんな時代だったんですね。ここでのレスの一部を友人に話たら「うそだ〜!」と言っていました。嘘だとは思っていませんが、でも今では信じられない事ばかりで聞いているだけでも興奮します!

これ、釣りトピックじゃないよ、ね?