仲地省吾 医師
バンコク病院内科
1956年沖縄県生まれ。1982年に山口大学医学部を卒業後、2001年まで同県宇部市の宇部協立病院で内科一般、消化器科の専門医として勤務する。2002年2月にパキスタン・ペシャワールのメディカルサービス「ペシャワール会」に参加。2005年2月までの3年間、主にアフガン難民の診療にあたり、ドクターチーフとなる。ペシャワール会退職後マヒドン大学熱帯医学部の修士課程に入学して翌年卒、2007年に日本人で初めて、タイの医師免許を取得する。現在バンコク病院勤務。
――海外に診療の場を求めることになった理由は?
日本にいるころからアジアを旅行するのが好きで、タイは1998年に初めて訪れました。40を過ぎて「新たな挑戦を」と思い、海外での勤務に興味を持ち始めていたころ、ペシャワール会の活動を知りました。ハンセン氏病治療などで活躍するペシャワール会の存在は以前より知っていましたが、2001年に始まったアフガン戦争でアフガニスタンやパキスタン国境が注目を浴びたとき、難民の治療にあたるペシャワール会の活動が注目され報道されるようになり、それを見てぜひ参加したいと思い立ちました。
同地で3年診療を続けた後、バンコクに来ました。ペシャワール会での医療活動では日本ではほとんど存在しない疾病を目の当たりにして興味を持ち、マヒドン大学熱帯医学部で学んでみたいと思ったからです。同大熱帯医学部は世界的にも有名で、欧米からの医師も多く在籍しています。
――タイでの医師免許取得について
修士課程に通う最中、外国人でもタイの医師試験の受験が可能ということを知りました。さまざまな審査があって誰でも受けられるわけではなく、受験にいたるまでのハードルの数とその高さはかなりのものでしたが、タイ語を含めて勉強を続けていたところ、2007年3月に受験にこぎつけました。
私が医師免許を取得した当時の日本では、試験は臨床科目7科目だけだったのですが、タイでの試験は基礎と臨床の全科目から出題されるため、多くのことを勉強し直しました。しかも試験はすべてタイ語だけで行われます。免許を得るまでに数年を見込み、今回の試験では何科目か引っかかれば御の字と思っていたのですが、第一部の基礎医学と第二部の臨床医学で合格し、自分でも信じられない思いでした。第三部は臨床実地試験で、さすがにそこまで勉強していなかったため不合格となり、同年11月に受け直し、全て合格となりました。
――タイでの診療で違和感を覚えることは?
システムの違いはあれ、医療行為そのものは変わらないので、さほど違和感を覚えることはありません。システムの違いはすでにペシャワールで経験していますし、日本でも病院が変わればしきたりも変わるので、同じことです。
あえて挙げると、これもペシャワールで同様だったので慣れてはいますが、薬の投与量が日本より多いことです。日本人患者の場合、同じ薬でも日本より量がかなり多いものしかないといったような問題が起こることがあり、気を付けています。
――今後について
タイで出来るだけ長く医療に携わっていく所存です。バンコク病院は各科目のスペシャリストが集まっているので、やりがいを感じます。日本人の患者さんが多い病院なので、在タイ日本人の方々のための日本人一般内科医として、様々な病気、健康問題などに対応していければと思っています。
――ありがとうございました
ペシャワール会
パキスタンでの医療支援を目的に、中村哲医師を中心に1984年より現地で活動を開始。現在はパキスタン北西辺境州とアフガニスタンで1病院、2診療所を運営する。2006年度の患者診療数は8万7000人。
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