2008年04月30日 更新

【柔道】康生、準々決勝敗退で引退…内また貫き爽やかに散る

もう、この舞台には戻れない。康生は決勝が行われている会場を遠くから見つめた(撮影・山田俊介)

もう、この舞台には戻れない。康生は決勝が行われている会場を遠くから見つめた(撮影・山田俊介)

勝負にいった内また。伝家の宝刀を抜いて、負けた。悔いはない(撮影・奈須稔)

勝負にいった内また。伝家の宝刀を抜いて、負けた。悔いはない(撮影・奈須稔)

 全日本選手権(29日、日本武道館、観衆=1万3000)攻めの美学を貫き、散った! 北京五輪男子100キロ超級代表の最終選考会を兼ね、体重無差別で柔道日本一を決める大会で、00年シドニー五輪金メダリスト井上康生(29)=綜合警備保障=は、準々決勝で高井洋平(25)=旭化成=に屈し、この試合を限りに現役引退することが確実になった。今後は語学留学などを経て、国際人として日本柔道界に貢献するプランを進める。同級代表には優勝した石井慧(21)=国士大=が決まった。

 動けない。戦ってきた25年間の終焉(しゅうえん)は、スローモーションのように時が流れた。見えるのは、八角形の天井だった。かつて、3連覇を果たした畳の上で、抑え込まれた井上は、そのまま敗戦のブザーを聞いた。

 観客席から大きなため息と、どよめきが広がった。「よく頑張った!」と声もかかった。準々決勝で敗退。万感の思いで目を真っ赤に染め、顔をその手でぬぐった。試合開始1時間前、畳の上にジャージー姿で現れた。中央で大の字になって天井を見上げた。最後の大舞台を「体で感じていたかった」。その6時間後、再び天井を仰いだ…。

 準々決勝終盤、劣勢となっての残り10秒。康生が勝負にいった技は「内また」だった。5歳で柔道を始めたときに、父・明さん(61)から初めて教わった技だ。その技を磨き込んで世界の頂点に立った、体に染み込んだ得意技。ところが、跳ね上げた右足は空を切り、返し技の「内またすかし」で1回転。技ありを取られ、抑え込まれた。

 「得意の内またを返されたのだから、しようがない。悔いはないです。出し尽くしたという気持ちです」。“伝家の宝刀”を抜いて、負けた。退場の一礼では笑みも浮かんだ。

 アテネ五輪では4回戦で敗退。直後に100キロ超級に転向した。05年嘉納杯では右大胸筋けんを断裂。引退も考えた。それでも、最重量級での五輪優勝にこだわって復帰。輝きは戻らなかったが、全力を出し切って美しく燃え尽きた。

 大学関係者には「東海大の魂を、後輩に指導していけるよう頑張りたい」と伝えた。今後は1月に入籍したタレントの夫人、亜希さん(25)との挙式と披露宴を今秋都内と宮崎県内で開き、指導者としての道を歩み始める。東海大大学院博士課程を修了し、早ければ来年1月にも、語学学習と海外修行を兼ねた英国留学へ出発。日本の、世界の柔道を背負って立つ中心人物として帝王学を学ぶ。

 「北京を目指して夢を追い続けてきた。成功にはならなかったけど、この経験はまた生きてくると思います」。閉会式後、花道を去る康生に、拍手が巻き起こる。時代を築いたヒーローは大粒の涙を流した。最後まで戦い抜いた姿は、鮮やかに畳に焼き付いた。

(周伝進之亮)

■井上 康生(いのうえ・こうせい)

 1978(昭和53)年5月15日、宮崎・都城市生まれ、29歳。東海大相模高−東海大−綜合警備保障。5歳のときに、父・明氏の影響で柔道を始める。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。世界選手権は99、01、03年に同級3連覇。全日本選手権は01、02、03年に史上4人目となる3連覇を達成したが、アテネ五輪ではメダルなし。得意技は大外刈り、内また。1メートル83。

■シドニー後の康生の苦闘

 ★五輪惨敗 01年、03年と世界選手権を連覇したが、五輪2連覇を狙った04年アテネは4回戦、敗者復活戦と生涯初の「1日2度の一本負け」でメダルなし
 ★大けが 05年1月の嘉納杯は優勝したものの、決勝で右大胸筋を断裂。全治6カ月の重傷で右肩を手術し、世界選手権を断念
 ★兄の死 05年6月に、長兄の将明さん(享年32)が心臓病で死去
 ★結果出ず 06年6月の全日本実業団対抗で復帰し11月の講道館杯、07年2月のフランス国際で連勝。しかし同年4月の選抜体重別、全日本選手権はともに準決勝敗退
 ★リオの惨敗 07年9月のリオデジャネイロ世界選手権では2回戦でリネールに捨て身技をかけられて敗戦。12月の嘉納杯も決勝で石井慧に敗れるなど、丸1年間、個人戦の優勝なし

◆康生の恩師である山下泰裕・東海大教授

「芸術的な内またで一時代を築いた。よくここまで頑張った。ご苦労さまと言いたい」

夫人の亜希さん(中央)も必死の応援。右は女子78キロ超級代表の塚田。左は父・明さん(撮影・奈須稔)

夫人の亜希さん(中央)も必死の応援。右は女子78キロ超級代表の塚田。左は父・明さん(撮影・奈須稔)

★そのとき

 息子の最後の雄姿を見守った父・明さんは敗戦が決まった後、屋外へ出て目を閉じたまま一服。親子で歩んだ時間に思いをはせた。「アッという間の25年間でした。(内または)リスクを承知で最後のひと振りをしたんですから、悔いはないでしょう」。アリーナ席で観戦した夫人の亜希さんは試合後に「お疲れさま」と握手。「最後に笑顔で礼をしたので、(力を)出し切ったんだなと思いました。結婚してよかった」と、完全燃焼した夫にホレ直していた。