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井上康生 北京への道途絶え現役引退

 準々決勝、高井に抑え込まれ一本負けした井上康生=日本武道館

 「柔道・全日本選手権」(29日・日本武道館)

 わが柔道人生に悔いなし-。北京五輪出場を目指したシドニー五輪100キロ級金メダリスト・井上康生(29)=綜合警備保障=が準々決勝で高井洋平(25)=旭化成=に敗れて代表から落選し、現役引退が決まった。終了間際に得意の内またを透かされ、そのまま相手に抑え込まれた。「現役は北京五輪まで」と決めていた井上は25年間の柔道生活に終止符を打ち、今後は指導者の道を歩むため、年明けに英国へ語学留学する予定だ。

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 すべてを出し尽くした。残り10秒。旗判定を待てば勝敗は微妙だった。しかし、攻めた。5歳で柔道を始めた時、父・明さんから最初に学んだ「内また」だった。どうしても“最後”はこの技を出したかった。たとえつぶされても…。そして、一本負けした。高井の140キロの“重し”が取れても、しばらく大の字になった。幼いころからあこがれた畳の感触を楽しんだ。

 優勝しても北京行きが厳しかったことは分かっていた。現役に別れを告げる11度目の全日本で、感謝の思いを伝えたかった。「すべてを懸けて臨んだ大会。見にきてくれた人に勝って恩返しをしたかったけど、自分自身の力は出せた」。閉会式後、客席に手を振ると「ありがとう」の大歓声。涙もろい柔道家は目を赤くして唇を震わせた。

 05年1月の嘉納杯決勝。大胸筋断裂の重傷がその後の柔道人生に響いた。筋力は生涯、負傷前の8割にも戻ることはない。手術の執刀医は代表争いに入ったことを「奇跡」と表現したという。二人三脚で歩み、鬼になった父は「“ボクサーだったらタオルを投げてやれるのに”と何度も思った。本人に伝えたい言葉は1つ。お疲れさまです」と目頭を押さえた。

 最重量級での世界一が夢だった。シドニーで金メダルを取っても「100キロ級は数ある階級の内の1つの王者」と言い切った。体が思うように動かなくなっても“最後は100キロ超級で勝負”と決めた。夢はかなわなかったが「北京への夢を追い続けられて本当に良かった」とうなずいた。

 綜合警備保障に在籍しながら学んできた東海大から博士課程の修了通知が届いた。大会後、井上は母校の打ち上げで「柔道家として、人間として成長させてくれて心から感謝します…」と涙し「培ってきた“東海魂”で後輩たちを指導していけるよう頑張っていきたい」と続けた。太く、長かった25年。今度は強く、愛される“第2の井上康生”を必ず育ててみせる。






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