アイドルのエッチと、ラーメンのうま味
「うちは味の素なんか使ってへんで。うちはな、ハイミーや」
と、自慢げに話したラーメン屋のオヤジがいたとか。
ハイミーは味の素の2倍以上するので、「高級品を使っている」という素朴な自慢なわけだ。
化学調味料の有害性云々の問題については私はあえて踏み込もうと思わないし、自分が自分で家で食べる分には使うことに抵抗はない。
ラーメン屋でも、使われて気持ちのいいものではないが、たいていの場合は使用していてもわからない(世の中にはすぐわかる人もいて、凄いと思う)し、最終的にうまくなるのなら許容してもいいと思っている。
ただ、それは客の立場からの話であって、作る側にそれを言われるのはイヤだと思う。その分の手間をかけないと宣言しているようなものだから、他の部分でもそういう姿勢でやってるんじゃないかと思ってしまう。だからあえて「化学調味料不使用」と謳っているところはがんばってほしいと思う。
で、普通は冒頭のような無邪気な店主はそれほどおらず、たいていは化学調味料の使用は隠す、客も疑問を持ちながらもあえては問わないというのが、ラーメン屋と客との不文律になっている。
安い店やチェーン店なら「ああ、そりゃ使ってるでしょ」と織り込み済みで行くわけだし、そうでなくても調理台の上にある白い粉の入った入れ物を見かけたら、「ああ」と思いつつ、声を呑み込む。そんなもの。大人だもん。
アイドルだってエッチはしてるだろうけど、あえて「やってます」とか、「あなたはやってますか?」と聞く人はいないでしょ、という感じかな。やってそうだと思っていても、1%の可能性を残してそこにはあえて触れないというか。違うか。違いそうだがわかってくれ。
繰り返して恐縮だが、私は店側が化学調味料を使ってもいいじゃん、と言うのはイヤだ。それは「有害性」云々だからではなく、味にかける手間を省きますと宣言しているようなもので、その姿勢はそれ以外の別の部分にも出てくると思うから。
少なくとも露わにしない、というのがたしなみではないのかと。
で、私は今回、あるスジから(^O^)なかなかショッキングな資料を入手した。
「味の素」「ハイミー」でおなじみの味の素KKが制作した、対象をラーメン屋に絞った業務用商品の販促小冊子。
おそらく全国のラーメン屋にDMで送っていると思われるので、かなりの量が出回っているはず。ググってみると、全国には38000軒くらいのラーメン屋があるそうだ。(^O^)
この小冊子、題名は
「明日のラーメン界を担う精鋭に贈る、独立企業支援ブック
ラーメン界のリーダーたちに聞く独立奮闘秘話
オレの味を探せ!」
という。「ラーメン界のリーダーたち」とは、
東池袋大勝軒 山岸一雄
ちばき屋 千葉憲二
くじら軒 田村満儀
なんつッ亭 古屋一郎
の4人。
東池袋大勝軒の山岸一雄氏といえばラーメン好きでなくとも知っている、ラーメン界の伝説的人物だ。去年の7月に東池袋大勝軒が閉店した時には報道ステーションなどでニュースとして報じられたくらいで、私も一度は食べてみたかったと思っている。
ちばき屋の千葉憲二氏は、最近名前を知った。どうして知ったかというと、この人、今年の4月に正式発足した日本ラーメン協会の会長なのだ。この協会自体、何がやりたいのかイマイチはっきりわからないんだけども、まあとにかく、初めての全国的ラーメン屋組織のトップに君臨する男、ということになる。(^O^)
くじら軒はなんばパークスにあったラーメンコンプレックス「浪花麺だらけ」に店を出していた。食べたこともある。あまりうまいとは思わなかったけど、有名店らしい。
なんつッ亭は名前と店主の顔しか知らない。店主の顔は昔、テレビで見たのだと思う。
というわけで、全部関東の店ながら、大阪の私でもそれぞれなんらかの形で知っているほどの店だ。「ラーメン界のリーダー」なのかどうかはわからないけれど、ひとかどの「成功者」であることは間違いないだろう。
さて、その「成功者」たる彼らがここで語るのは、実にショッキングな事実であった!(大げさ (^O^) )
彼らが語るのは、彼らの「うま調」の使い方。
「うま調」とは競走馬調教師のことではなく、うま味調味料=化学調味料のこと。味の素KKの販促冊子だからして。
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大勝軒山岸: グルタミン酸、イノシン酸...『うま調』はうま味の固まりだよね。一年を通じて四季があるように、素材の状態も毎日移り変わる。大事なのは、その変化を感じて自分の味に調整していく力なんだ。その過程で味をまとめてくれるのが『うま調』。オレにとっては、ずっと親しんできた安心できる味。これ無しでは『大勝軒』の味は出せないよね。 |
山岸氏にそう言われてしまうと、そうですかと言うしかないよねえ。そうですか、「これ無しでは『大勝軒』の味は出せない」ですか。......うーん。
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ちばき屋千葉: 今手に入る素材は、絶対的にはうま味が足りないんだよね。だから『うま調』を使う。もちろん『うま調』に頼りすぎるのは論外だよ。味のバランスが取れたスープに、更に『うま調』で味を足してやるんだ。料理の味を引き立たせるのが『うま調』。オレの感覚では、『うま調』の入ってないうまいラーメンってのは、ちょっと考えられないんだよなぁ。 |
えええええ。
「『うま調』の入ってないうまいラーメンってのは、ちょっと考えられない」って......。まままままま(仁井原調)まじですか?
日本ラーメン協会会長......。_| ̄|○
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くじら軒田村: 自分は『うま調』の味が好きなんですよ。だから自信持って入れてます。同じ味を自然の材料で出したら、びっくりする位のコストになってしまうしね。昆布なら、3倍は入れないとこの味は出ないですよ。『うま調』を上手に使えば、びっくりする位味の良いスープができる。もちろん使い方によるけれど、ラーメンに入れるにはとてもいいものだと思いますよ。 なんつッ亭古屋: 修業先の店で『うま調』を入れてるのを見た瞬間は、正直「あ~、やっちゃってる」って思ったね(芙)。それだけでうま味を出してるっていう思い込みがあったから。今ではとんこつラーメンに『うま調』は欠かせないと、胸を張って言ってます。素材から引き出した様々なうま味を、『うま調』がまろやかにまとめてくれる感じだね。個人的には『うま調』がある程度しっかり入った味が好きなんですよ。 |
「『うま調』の味が好き」って言われちゃうと、それ以上何も言えないよなあ。
| 大勝軒山岸: 「素材の状態も厨房の状況も、全く同じ日っていうのは無いからね。スープの機嫌を見ながら最後にバランス良く『うま調』を加えれば、味をうまくまとめてくれる。決して『うま調』を入れれぱいいと思っちゃいけない。『うま調』を使いこなしてやろうっていう気持ちが大事だね。ラーメン屋は毎日が勉強の連続。満足したらそこでおしまいなんだ」 |
山岸氏が言うと何でも「まあこの人が言うなら」と思ってしまいそうになるのがどうにもなあ。(^^;
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ちばき屋千葉: 「結局素材も調味料も、本当にいいもんの味を知らないやつには、いい味は作り出せないのさぁ。それだけ飲んでも十分うまいスープに『うま調』を足すと、味のレベルがグッと引き上がる。このバランスが腕の見せどころさあ。スープ、麺、具材...それぞれ食べてもおいしいもんを、一つの丼に合わせたのがうちのラーメン。基本の味をきっちり作れないと、いくら『うま調』を使ってもいい味のものはできないんだよな」 |
「それだけ飲んでも十分うまいスープに『うま調』を足す」必要がどこにあるのか、わからんのだよなあ。
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くじら軒田村: 「うちでは、『味の素』とい『ハイミー』を50:50でブレンドして使ってるんですよ。『ハイミー』には昆布とかしいたけとか、いろんなだしの素も入ってるから。『うま調』を使えば、スープに使う昆布の量が1/3程度で済む。コスト的にも本当に助かってますよ」 |
このあたりが本音だろうなあ。
その意味ではやはり経営者の味方だわな。
化学調味料は、「時間」。そして「時間」=「お金」なのだ。
しかしそうか、ブレンドの割合にもこだわりがある。(^O^)
これはこれで極めると凄いのかも。
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なんつッ亭古谷: 「自信を持ってお客さんにお出しするために、自分でも色々調べたんですよ。『うま調』は、言ってみれば『アミノ系調味料』だな、と言うのがオレの結論。もちろん摂りすぎは良くないけど、それはしょうゆでも味噌でもスポーツ飲料でも同じこと。店のホームページにも『うま調』使ってます、と胸を張って書いてますよ」 |
店のホームページ(http://www.nantsu.com/index.htm)では、そういう記述は見つけられなかった。探し方が悪いんだと思う。
01 スープに使う
まあ買う側に「悪くないんですよ」とプロパガンダする冊子だからして......。
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大勝軒山岸:
「長時間煮込んで、スープがほぼ出来上がったところでバーーーツと『味の素』をでっかい鍋に振り入れるんだ。スープの味を見て、量は感覚で調整する。『味の素』の缶を両手に持って入れてたから『二刀流』なんて言われたりしてたね」
ちばき屋千葉: くじら軒田村: なんつッ亭古谷: |
あまりにあっけらかんとしている。
しかしちばき屋、ほんと、十分うまいならそれで満足してくれ。
何というか、上の3人はまだ、世代的にアリだとは思うのよ。高度成長期世代というか。
でもなんつッ亭古谷氏まで同じことをやって、ほんとにそれでいいんだろうか。
02 元ダレに使う
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大勝軒山岸:
「元ダレに『ハイミー』は、入れたり入れなかったりだね。というのは、その日のスープの出来次第で決めてたから。スープのうま味に納得できないときは、元ダレに『ハイミー』を入れて助けてもらってた。かつおなんかの風味調味料を入れるのもテクニックの一つだね。食べたときにおいしく感じることが重要だからね」
くじら軒田村: |
「かつおなんかの風味調味料」ってのは、ほんだしとかのことなんだろうな。
くじら軒、そこまでやってるんなら、無理に入れなくてもいいんじゃないのか。
03 具材に使う
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ちばき屋千葉:
「うちの半熟煮玉子の秘訣は、塩分濃度。ちょうどいい塩加減の漬け汁に一晩漬けて中まで味をしっかり入れると、プリプリした良い味の半熟煮玉子が仕上がるのさぁ。漬け汁に『ハイミー』入ってるかって? もちろん入ってるよ。しょうゆ、みりん、酒なんかの調味料と一緒にね」
なんつッ亭古谷: |
伝わるだろうか、その熱意......。
いやその、ほんと、ねえ。
いや、いいんだけど......。
うーん。
あああ、アイドルがラブホテルから出てきたところの写真を公表したような気分だな。
大人気ないというか。
いやでも、うーん、やっぱりショッキングな冊子だった。
18歳未満は真似してはいけませんよ、やっぱり。
こんな感じ。
詰まるところは味向上ではなく、コストダウンという文脈の話だからして。
そして、その後ろめたさに対して、
「こんな凄い人たちも使ってるんだ。いいんだな」
と背中を押すための冊子なんだよね。
いやはやびっくらこいた。
突然食いたくなったものリスト:
- マカロニグラタン
本日のBGM:
Joint /RIP SLYME
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化学調味料の話は結構ナイーブでね。
過剰反応になるか、「そんなもん入ってるのが当たり前じゃないか。今さら何言ってんの?」のどちらかに収束することが多いね。
化調使用が時間の節約になることは事実だし、でも使わずにちゃんと味を出している店もたくさんある。
どっちかに偏ってわかったような口を叩いても、ダメなんだろうなあ。
悩ましい。
その辺の問題については、「美味しんぼ」の三八巻でも語られていますね。日本人が化調の味を極端に偏愛することは事実だと思います。旨味という味覚の存在を発見したのは日本人だそうですが、それだけ旨味の味わいは東洋の食文化の根幹を成しているということなんでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%BE%E5%91%B3
そういう意味では、ラーメンという料理の大衆性を考えると、「それだけで十分『うまいっ!』と思えたスープに、最後に『味の素』を入れる」というのも、大衆食の商売の論理としては(コスト以外の観点においても)わからないではないです。
料理人の優れた味覚ではうまいと感じられても、日頃何にでもマヨネーズをかけたりソースをドバドバ使ったり煙草をバカバカ吸うような一般人には、何か一つ物足りなく感じるのかもしれない。そこでパンチを出す為に化調を加えることで広く大衆一般にとって「美味い」と感じる最大公約数の味に纏める。それはそれで否定すべき事柄でもないような気がしますね。
以前オレは炒飯作りに凝ったことがあるんですが、当時は化調は卑しむべきものという先入観があったので、料理本のレシピで「うまみ調味料少々」とか書いてあっても無視していて、精々「中華あじ」を使うくらいだったんですが、どうも今ひとつで、味を付けた飯という以外のものにはならない。
で、hietaroさんもご存じだと思いますが、と或る芸能人が「味の素がなかったらヤキメシが出来ない」とキレて番組スタッフを殴った事件があったと聞きまして、「そんなに味の素が大事なのか」と思って試しに使ってみたら、たしかに「炒飯の味」になるんですね。
これは逆に謂うと、オレらが普通に中華料理屋で喰う料理にどれだけ化調がふんだんに使われているかということでもあるんですが、旨味成分の大量投入による過剰性というのも、一種下世話に感じる「美味さ」ではあるんじゃないかと思うんですよ。
勿論、その一方で無化調を謳って、化調が果たしていた旨味成分の過剰性という役割を食品から自然に抽出するという方向性もあるでしょう。まあ、ここは仰る通り商売のコスト面の問題ですね。記事中にもある通り、旨味成分を食品のみから得るとしたら、単純に数倍の食品が必要になります。品質ということを考えると、出汁系の食品というのは安いものではないですから、物凄いコスト負荷がかかるわけですね。
そこを敢えて無化調に拘ってコストダウンの努力を払うか、それとも一握りのグルメにしかわからない化調の厭味を許容するか、そういう思想の違いではないかなと思います。
ちなみに、オレは化調を使われてもわからない程度の味覚でしかないので、化調使用を批判する資格はないと思います(笑)。喰ってみてもわからないのに「化調使用」という「何となく不味そうな」言葉の響きだけで批判するのは、やっぱり品のない行為ではありますよね。
あ、そのへん、私も気をつけて書いたつもりではあるんですが、私は化学調味料を否定していませんし、批判もしてないんですよ。
昔「生冷し中華@オオタメン」というのを書いたんですが(最後のパラグラフ)、この時のように、「化学調味料」→「過剰に否定」とか、そういうありがちな流れになることは私もおかしいと思っていますし、そういうスタンスは採っていません。
本文に書いたとおり、私は自分では化学調味料使いますし、店で使われても「露わにしないたしなみ」を守ってくれるのであれば、そしてうまいならそれで文句はありません。
特に中華料理は「チャイニーズフードシンドローム」という言葉があるくらいで(^^;、入っているものだと思っていますし、『料理の鉄人』のレシピ本で、陳建一の料理にはいつも「うま味調味料」とありましたし(^O^)、はい、私は全然否定しませんし、
>旨味成分の大量投入による過剰性というのも、一種下世話に感じる「美味さ」ではあるんじゃないかと思うんですよ。
というのもよくわかります。(^O^)
「使ってる!」と胸を張って言うのはやってほしくないなあ、という部分にこそ引っかかっているわけです。
そして実は、この部分は、私は結構その個人個人の生きてきた時代とかが影響するんではないかなあと思っています。
(ですから「高度成長期世代」はアリだと思う、という書き方をしてるんですね)
ただ、
>そこを敢えて無化調に拘ってコストダウンの努力を払うか、それとも一握りのグルメにしかわからない化調の厭味を許容するか、そういう思想の違いではないかなと思います。
という部分は、まあ何というか、私が考えている論点とはちょっと違うんです。
本文でも、私は化調の「味」について問題にしていないんですよ。むしろ、「いやほんとはコストをかけてやらなきゃいけないんだけど」と思いながらやっちゃうか、「悪い?」とやるか、みたいな部分で引っかかりを感じているというところで。
化学調味料が入ってるとすぐにわかって、絶対にイヤ!という人も何人も会ったことがありますが、私にはよっぽど凄くないとわかりませんし、わからないならそれでいい。
ですから、もし「思想の違い」とするなら、「味」に対するものではなく、「手間」に対する思想なんですよねえ。
ですから、
>ちなみに、オレは化調を使われてもわからない程度の味覚でしかないので、化調使用を批判する資格はないと思います(笑)。喰ってみてもわからないのに「化調使用」という「何となく不味そうな」言葉の響きだけで批判するのは、やっぱり品のない行為ではありますよね。
という論調に落ち着かないように書いたつもりだったんですが、そうはならなかったのかなあ。
あ、今、時間がないので後で続きを書くかもしれません。
続きを書かれるかも、ということでそれを待ったほうがいいのかもしれませんが、誤解のないように確認しておいたほうが無駄がないと思いまして。
いや、勿論hietaroさんの仰っていることは理解しておりますし、そういう誤解を与えるような書き方にはなっていないと思います。それを踏まえた上で何故味の問題に還元したのかと申しますと、「手間を惜しむ」ということと商売の合理性のバランス、そして、
>>「使ってる!」と胸を張って言うのはやってほしくないなあ
という部分について、違うふうに認識する考え方もあるのではないか、それもまた肯定さるべきではないか、ということが言いたいんですね。
つまり、無化調で料理を仕立てるなら、そもそも「化調をガッと加えたパンチ」みたいな不自然な味を目指すというのは本末転倒なんですね。化調というのはグル曹やイノシン酸の塊ですから、日本人が「美味い!」と嗜癖を覚えるような味覚成分の過剰性であるわけです。
で、自然の食材だけを使って美味さを目指すのであれば、そんな過剰な味が出るのはおかしいという考え方もあると思うわけですね。同じような味を、手間とコストをかけて出汁系食材の大量使用で再現するというのは、一口で言って「化調をガッと加えたパンチ」のシミュレーションというかエミュレーションなんじゃないかと思うわけです。
そういう意味で、純粋に味だけの観点で謂うなら、「化調をガッと加えたパンチ」が欲しければ、化調をガッと加えるのが正しいわけで、手間惜しみでも何でもなく、それが最もシンプルな正解だという考え方もあると思うんです。むしろ、そんな不自然な味を食材のみを用いて再現する為に加える手間こそ、不合理で転倒したスノビズムだ、という考え方もあるわけじゃないですか。
で、化調で実現出来る味を敢えて自然の食品で再現しようとするなら、その正当性というのは、「化調は良くない」という根拠を持つ必要があると思うんですね。ですから、化調は良くないと思っている料理人が自然の食品で同じような旨味成分の過剰性を再現しようとするのは、それはそれで間違っていないと思います。
その一方、化調は悪いものではないし、化調を加えて実現される不自然な過剰性こそが大衆食としてのラーメンの魅力である、という考え方があるのであれば、化調使用を隠さないとか「何が悪いのか」という言い方にも、その考え方なりの筋道があるんではないか、と思うわけですね。
だから、一概に化調使用を「手間惜しみ」とするのも、絶対の真理というよりは考え方次第の部分だよな、というのが言いたかったわけですね。ですから、化調使用を正面切って謳うことの是非を論じるなら、「偏見だろうが正論だろうが化調の使用を客が嫌がるから」というのであれば、それこそ商売の嗜みとして納得出来るわけです。客の嫌がることをわざわざ言わなくてもいいじゃないか、という考え方はあるわけで、その一方で化調使用を明言することが客に対する誠意だという考え方もあるでしょう。
で、客に対するもてなしの心に悖る手間惜しみであるという前提が成立しないと仮定した場合、客の側で化調の使用を忌避するのは先入観だったり尖鋭な味覚の故であったりするわけで、それは大衆食という位置附けのラーメンにおいて、それだけが許容される唯一の考え方なのか、という疑問があるわけです。
勿論、ラヲタのような通人が認める「本物の味」という方向性もあって構わない、というより、あるべき方向性の一つではあるわけです。無化調と一口に言っても、「化調をガッと加えた味」そのものを否定して、本来あるべき味わいのバランスに特化した、言ってみれば尖鋭な味覚にマッチした高踏な味わいを目指す方向性もあるべきですよね。
ですから、ラーメンと一口に謂い、化調と一口に謂っても、思想次第の部分はあるのではないか、「ウチのラーメンは大衆食だ、一人でも多くの人が美味いと言ってくれる味を目指すんだ」という思想において、多くの日本人が化調の過剰性に一種民族的な味覚のルーツを震撼されるのであれば、化調を使用することが一概に間違いだとは言えないし、それを公言することも一概に否定出来ることではない。それはそれで食に対する思想として間違っていないのではないか、そういうことなんです。
化調使用を否定する思想もまた、その一方であっていいのだし、化調の過剰による下世話な味わいとは対極の味を目指すという思想もあっていい。hietaroさんの仰る意見もわかるのですが、ただ、ラーメン屋一般に無条件に適用出来る論でもないんじゃないか、と思うわけですね。
アジア各地の食堂で、味の素は必須アイテムですよね。
人の舌(感覚)は、より刺激求める(麻痺する?)ようですから、化学調味料を否定するのはナンセンスですね。
知り合いの調理人達も、「ウチオリジナル・魔法の白い粉」と呼んでちょっぴり自慢げでした。 (秘密の調合比率だったり?)
でも、知り合いに女の子は、少量でも入ってると、必ず頭が痛くなるそうです。
味の素、ハイミー以外にも、業務用で、数種類出てますよね。