緊急企画3 第三世代エロゲオタによるエロゲ諸論ミーティング開催(β1.0)
エロゲにおける閉塞とは何なのか。何が問題なのか。
何が更科氏のような存在を産み出すのか。などなどを討議してみました。
私が討議ログを編集しましたので、ミーティング文の文責は私が負います。
ログは私の独断により、相当量のカット・編集がしてあります。
ミーティングログ(前半の討議:更科一派の暗躍)(書記:kagami)
・まずは更科派の暗躍についてです。
「りぜるまいん」「未来にキスを」「コズミック」は異端で袋小路でダメと彼等は
ばっさり切りました。
・「閉塞感」、「逃げ場がない」ってのはすでに白髪の交じった左翼活動家の常套句ですね。
・コズミックは…(以下、コズミック論。激しくネタばれにつき割愛)
・(未来にキスを・コズミックの話から)
彼等(更科派)が切り捨てたメタフィクションには新しいものを築く可能性があると思います。
・ただ、元長柾木氏(未来にキスをシナリオライター)が今の手法でスタンダートを取れるかというと難しい。
・その点では更科氏達の言う事も一理あるかと。
・シナリオライター達(更科派)自身が進化を(自分以外に)求めているのはどうなんですかね。
・過去の呪縛に捕らわれない新しい世代が新たな中心を掘り起こすってのが
パターンじゃないんですかね?
・ということは今の道が行き止まりに近付いていると感じること
= 自分のその世界での限界ですね。
・更科派は自分で自分の首を締めている(自分の限界を感じている)ってこと?(同意多数)
・革新が「新しさ」でなく「勘違い」と言う輩などただの年寄りかと。
・優越感に浸りたがっているだけの愚かな老人達ですね。
・年寄りなんですよね。 最近つとに思うのは、
革新に対する姿勢で老人か若者か分かれてくるのではないかと。
革新に対して保守的な態度をとる人物のことを「老人」と定義するべきだと思うのです。
・絵なんかは新しさと古さが露骨にでるのが面白いです。
・そういうものなんですか?
・かじめの絵古すぎだと思いませんでした?
・かじめのは古いですね、たしかに
・絵は一度ある時代の流行にのったクセを身につけてしまうとなかなか修正できないんですよ。
顔は今風でも体の描き方が古いとかアンバランスな絵になっちゃったりとか。
・シナリオにも同じことがいえると…?
…(以下雑談)
ミーティングログ(後半の討議:エロゲの革新について)
・初期のエロゲはHシミュレーター系。光栄やエニックスの作品でした。
・そこからアニメ絵ベースのものになったのは最初の革新であったと思うのですよ。(同意多数)
・さらにここからが更科先生達が言う「クリエイター」の時代だと思うんですけど、
物語性を求めるようになったのも革新だと思います。
・そういう見方をすると、シナリオの方向性云々はどう足掻いても革新には成り得なくて、
絵でもシナリオでもない何かが革新のキーになりませんか?
・だとするとこの人達(更科一派)がシナリオの方向性で色々語り、革新を求めているけど、
実はそもそもの考え方(シナリオ優先)が袋小路から出られていないんじゃないのかな?
と。
・そうすると新しい革新とは何に?
・やはりUI(ユーザーインターフェイス)でしょうか?
・音声はどうでしょう?
・シュムペーター学説を採れば複数の要素を同時に引き上げたりすることでも
革新は達成できるんですよね。
複数の要素を持ち寄ったり高めたりしても新結合になって革新になるのでは。
・エロゲ+アニメ絵=美少女ゲームみたいな結合ってことでしょうか。
・音声入力というデバイスとの結合で進化の可能性もあるということですね。
・声で意志疎通がかなりリアルにできるゲームっていうだけで、
恋愛ゲーに関しては感情移入度がますと思います。
・GPS使って場所っていう要素を入れるというのも。
・実姉妹はどうでしょう?可能性にはなるんじゃないかなと。
・(実姉妹は)ネタ的には革新になりますけど、上で・・・さんが言われたような
(高度な)レベルの革新ではないですよね。
・う〜ん、ソフ倫という外的な価値観を越えられるかもしれないということかな?
・究極にバーチャルな方向に進むというのしか思い浮かびません。
・実写合成とか3Dとかが一番革新に近いところを走ってるように思います。
・オンラインはどうでしょうか。オンラインエロゲ。
・相手はヴァーチャルですか?
リアルですか?対応する相手の人格という意味です。
・リアルしか考えられませんね。片方が女キャラを演じて片方が男を演じて、
大枠自体はゲームシステム内で作られている。
・そうするとサクラのいるテレクラと変わりませんよ。
・読ませないで完全に声と動きで全て表現できれて、
しかもそれがアニメという手法でないというのはどうでしょう?
・それはDの食卓でやって失敗してしまった手法ですね。
・シェンムーもそうでしたね。
・う〜む…。
・難しいですね。
・そこで難しくて考えられないものを平気で素通りできる人が「革新を起こす世代」なのだと思うのです。
・なるほど…我々には無理ですかね…。
・第4世代に期待しましょう。
・「革新を起こすようなものは希有な存在」ですからね。
・第四の選択が思いつかない我々の世代は、今の選択肢を研ぎ澄ませていく形での革新を
ねらうしかないんですよ、きっと。
・更科先生達はそれを否定してしまったが故にどん詰まりに落ちちゃいましたね。
・洗練という形で新しい革新を狙うのも、それはそれで大きな意味があると思います。
…(以下雑談:討議終了)
ご協力してくださった皆様、ありがとうございました。
彼は
世界を変えようとする人で
変わらない世界に対する
反逆者だ
世界はお互いに依存しあい 関係しあう
だからこそ 変われない
まさにその変えようとする意志に
全ての価値が帰属する
昨日と異なる今日は
それ自体価値を持つのだ
絶対的な購買力としての貨幣は
未来を先取りする
未来を体現する貨幣と現在の実物の差異として
信用が創造される
未来と現在の差が縮小すれば
信用は収縮する
変えようとする行動は
新たな別の変えようとする行動を生むが
人は
そうして増殖される
不確実性に耐えられない
(シュムペーター)
緊急企画2 更科コラム感想文リンク集
‐更科派のお言葉「今の作品は須らく異端である」‐
リンク集を作りましたので、お役立ち出来れば幸いです。二次感想系(更科氏コラムではなく、その感想に対する更なる感想)は除外。
CutePlus 更科修一郎御大のHP。全ての始まり。第二世代オタクを名乗り、現行の第三世代オタクを否定する。
「数字と結婚しているような人々に何を言っても無駄ですから」
涼元悠一WebPage 涼元悠一氏 ソフトハウスkeyのシナリオライター。更科派。更科氏と同じタイプ。日記は全て自慢話。
「俺らが凄いと思いハマっていた、ある種未熟で虚無的な部位が、現役の連中には何の価値もないんだなあ」
Takahashi's Web 高橋直樹氏 フリーシナリオライター。更科派。全てを異端と切ってすてる凄い方。りぜるのどこが異端なんですか?
「かつて中心にあったものは失われ、異様な変化を遂げた周辺作品だけがバラバラと残っているという状況」
「桃の頁」 お名前がわからないのです(^^; 文意はたいへん示唆に富んでてなるほどなと…。
「新しい感覚がすべて刺激的なわけではないのだ、つうか、その物語のメインターゲットには、同様に刺激的なのかもしれない。」
「求道の果て」 らじ氏 オタク界のインテリさん。京大で有名。SF界でもちょっとだけ有名。
「「おたく」は終わらないと思います。それはニーチェの神と同じく、自分がそれを中心に置き続けるかに規定されるから」
Å DASEIN お名前はなんだろう…(^^; 哲学ですか…個人的にはニーチェ&ハイデガーは嫌い(^^;ショーペンハウエルが好きです。
「一線を越えてしまった「おたく」のそれは、「自覚」などではどうにもならない『業』ですから。」
「書淫大好きふりすきー」 ふりすきーさん。物の見方が一番普通のエロゲオタに近いような(悪い意味じゃないです)
「AIRをエロゲーの到達点とかいうな!あんなもんコンシューマで十分だろうが。」
「閑話休題」 irysさん。 私は、このリンク集の中でirysさんの意見に一番共感できました。その通りだと思います。
「異質なものとネガティブなつき合いしかできないんだったら、人生なんて凄く詰まらないじゃないか」
「Why does my soul feel so bad?」 EFAさん。更科氏の矛盾点を的確に突いています。
「この負け惜しみくささだけはどうにかならなかったのでしょうか...」
あと、更科派は「未来にキスを」や「りぜるまいん」を「進化の袋小路、異端である」と切って捨てていますが、非常に残念です。
なぜ、「未来〜」や「りぜる」が進化の袋小路なのでしょうか。両作品ともとても意欲的な、
それこそ明るい未来への希望となる作品だと思います。(「コズミック」は読んで無いので、どんな作品なのかわかんないけど…)
私は、両2作品が大好きですし、記号ゲーム論な社会認識において、認識の新しい変化を説いた未来〜や
少女との恋愛モチーフを極限まで快楽的に推し進めたりぜるは、これからのオタ作品を切り開く可能性の一端となる作品でしょう。
更科派の方がお作りになられている「KEY系列作品&グッズ」の方が、酷く閉塞した、未来への展望無き商業的収束かと思います。
TWILIGHT DUALはめっちゃ大好きな作品で、めちゃくちゃプッシュしてたし、その作者がこんなこと言ってると、
激しくジレンマというか凄く悲しい…。
TWILIGHT DUALは性抑圧とその代償としての夢を描いたタイプの作品で、エロゲとして、とても良く出来ていると思います。
文句無しにエロエロで、これこそまさに「エロゲの本道」って感じだし。更科氏みたいな批評家崩れならともかく、
夢と幻想を描く表現者が、なんで、りぜるや、未来を「異端」の一言で否定してしまうのかな…私にはわからないよ。
緊急企画‐更科氏を代表とする旧保守派達の迷妄について‐
まずは、これを読んで頂きたく。エロゲ雑誌「ピュアガール」に連載していた更科修一郎氏のコラムである。
なんというか…呆れ果てる以外の言葉が浮かばなかったが、さらに!
驚嘆すべき事に、更級氏の論調に同調した意見が大勢を占めているのである。反論している論考はたった一つだけ。
…更科一派にとても哀れみを覚えた…。過去の残滓が今だ呪いを撒き散らしている…。
断言する。更科氏とそれに付随する更科一派の論調は、現在のオタ社会にとって百害あって一利無しの最悪な言論。
更科一派が過去にすがり、何も新しいものを産まない収束した市場だと現在のオタ社会を批難する本当の理由。
それは、更科一派が、創造的なものを産み出す事が出来ない存在であり、なおかつ、それを認めたくないからだ!
更科一派達は言う。
「結局は、過去の懐かしい要素を、技術革新が起きるたびにマイナーチェンジを繰り返し、
それを「新しさ」と勘違いし続けていくのでしょう。」
「創作の原点たるエッセンスが商品になり得ない時代」
と…。笑止!はあ?いったい、いつ、どこに、エロゲのどこに…いや、オタク文化のどこに新しいものがあったんですか?
新しいもの?創造的なもの?創作を舐めているんですか?
本当に新しいもの、創造的なものなど、真の天才の手によって、数百年に一度出れば良い方だ。
文化とはイミテーション(偽物)・レプリカ(複製)の連なりである。
オタク文化に新しいものなどない。いや、ほとんどの文化に新しいものなどない。
そして、イミテーションとレプリカは決して忌むものでもない。それは人々の、文化の福音。
過去の遺産を継承し、そしてそれを洗練させていくことで、文化は発展を遂げていくのだ。オタ文化も然り。
洗練と継承の中で、オリジナルを超えるレプリカが、オリジナルを超えるイミテーションが生まれ、文化は一歩ずつ発展していくのだ。
元々、エロゲ文化とは完全なる借り物の文化である。
古来よりの文学・音楽・映画・コミック…それら、歴史のある文化から借りてきた「物語」をやはりこれも借り物の、
過去から連綿と続く、「ポルノグラフティの系列」と融合させた、ごちゃ混ぜの未熟なレプリカ文化である。
始まりの時から新しいものなどない。大きな枠でみれば、これはオタ文化も然り。
しかし、複製だからこそ、そこにはさらなる洗練の可能性がある。
未熟な複製だからこそ、成長の果てにオリジナルを超える可能性がある。
そして、一番重要なことだが、創作するものは、自身が創作したいから、創作するのだ。
過去の遺産は勿論、創作者に影響する。それは文化の持つ能力、継承と洗練。
だが、創作という物語自体は過去に縛られないのだ。創作を縛るのは、創作者の心だけである。
更科一派はこういう。
「もうオタ文化自体が枯渇しつつあるんじゃないかと。「絞りカス」になりつつあるんじゃないかと」
「俺の人生は高一の夏で終わっていて今やってるのは長すぎるおまけシナリオだとマジで思ってる」
笑わせるなよ…。お前達、更科一派がオタ文化が終っていると感じる本当の理由…、それはお前達が過去に縛られているからだ。
お前達はオタ文化に向き合い、オタ文化を語っているように見せかけて、
実は自分の内面の鏡に向き合い、自己の世界を語っているだけだ。
彼等の本当の言葉。それはこんなものであろう…。
「もう俺自体が枯渇しつつあるんじゃないかと。「絞りカス」になりつつあるんじゃないかと」
「俺の人生は高一の夏から逃げていて、今はただ逃げてるだけだとマジで思ってる」
彼等は自己の内面に向き合いたく無い為、それをオタ文化に投影しているだけだ。
本当に「何かを作りたい・何かを産み出したい」と思っている人間は、過去にしがみついたりはしない。
純粋な、「世界に何かを表現したい」という想いが、表現者としてその人間を突き動かすのだ。
その時、何を気にする必要があろうか?過去?なぜ過去などに縛られる必要がある?
「表現したいから、表現する」その想いの前には過去など何の価値もない。
更科一派達は言う。閉塞していると。閉塞?なぜ閉塞を感じるのだ?
卑しくも更科一派達だって、表現したいという想いに突き動かされる、表現者の端くれではないのか?
だったら、何を気にする必要があろう。
「自分の描きたいものを描けばいい、自分の表したいものを表せばいい」
それは表現者だけが持ちえる誇り、完璧なる表現の自由。そこに何の縛りがあろうか?
そこには過去も未来もない、ただ、今だけが、自由だけが、表現への意思だけがある。
自分の作品が、過去の作品に似ている?それが縛られているだって?
笑わせるなよ。自分が心から書きたいと思った作品なんだろう?なぜ、自分の作品に誇りを持てないんだ?
縛っているのは、自身の心に過ぎない。閉塞させているのは、自身の心に過ぎない。
他者の批判があっても、自分の心からの表現をした作品なら、そこには誇りがある。表現とは、内面を表すものなのだ。
そして、誇り高き作品の一部は、オリジナルを超えていくイミテーション、オリジナルより美しいレプリカとなっていく。
それが文化の連なりであり、過去に縛られるなんて言説はナンセンスだ。表現を縛るのは、表現者の心だけだ。
更科一派は過去に縋り、今を否定する。それは彼等が自分自身に自信の無い連中の集りだからだ。
彼等は自分に自信が無い故に、過去の幻想に縋り、今を否定する。
そうすれば、彼等自身は「過去の栄光に浸かる者」として、自慰的な幻影の過去に縋る事で「今」に対し君臨できるからだ。
彼等は「今」を恐れている。だが、「今」にこそ、文化の連なりにこそ、
僅かずつ洗練されていくもの、新しいものの生まれる土壌があるのだ。
更科一派は自分自身の脆弱な内面をオタ文化に投影することで、「今」から逃げた。
それは、新しいものを見つけていく、それを快楽と、刺激として、自身も新しいものを産み出していくという、
創造者にとっての喜びを捨て去る事。
私は、更科一派達に哀れみを禁じえない。彼等は「今」を否定することで、目を瞑って過去に逃げた。
それは「成長」する事を捨てたことなのだ。
彼等は逃げた。その代償は永遠についてまわる。彼等は全てに取り残されていき、過去に縋りながら滅んでいく表現者である。
更科氏はさっそく「現実」とやらに逃げたらしい。…流石は更級一派の頭領としか…碇シンジ君を超える見事な逃げっぷりですね。
AIRのシナリオライターが更科一派の一人であることには、大いなる暗喩を感じる。
成長を否定するソフトハウス、最も閉塞したソフトハウス「key」に彼がいることは、最も相応しいのかも知れない…。
私は、エロゲを、オタクを、文化を、未来を、信じている。
そして、表現する意思を愛している。
表現を希求する魂に、敬意を表して。
――偽りの教典を戴き
――偽りの聖者を戴き
――偽りの原理を戴き
――偽りの神を戴き
―いつの日か―
偽りは真となる――