Research Database No.f1590
「謎の温度感覚異常の原因を突き止めろ!」

2003/10/26 報告 報告者:柏木 康一郎、伊達 徹、宮崎 弦太、増田 由紀夫
◆事例1 〜1991年4月・アメリカ・カンザス州〜◆
ジェフ・バーンヒル(仮名)は、その日の朝、洗面所で顔を洗おうとした。そして水道の水に触れた瞬間。
「冷たい!」
指先に突き刺さるような激しい痛みを感じた。その痛みは、まるで氷水を触ったかのような冷たさを伴うものだった。妻のリンダ(仮名)も同じようにドライアイスを触ったかのような鋭い痛みを伴う冷たさを感じたのだ。2人は、その日のうちに近くの病院で診察を受けた。
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◆事例2 〜1998年1月・香港〜◆
ヤン・ケイ(仮名)は、この日、友人と夕食を取るためにレストランへ入り、運ばれてきた料理を食べようとレンゲを手に持った。その瞬間…
「なに、コレ!冷た過ぎて持てない!」
ヤンは、レンゲが氷のように冷たく感じられて持つ事が出来なかったのだ。ところが、友人がレンゲを触ってみたところ、なんともなかった。その後、ヤンは箸に持ち替え、豆腐を食べようとしたが、唇が痛み、とても食べられなかったのだ。ヤンは、友人に付き添われて病院へ行き、診察を受けた。
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2つの事例で起こったのは『温度感覚異常』。これは、通常、脳の温度を感知する「大脳皮質の感覚野」などが腫瘍や外傷により機能していない場合に起こる可能性がある。ところが、どちらの事例についても脳には障害は見つからず、医師は原因不明の症状と診断した。
なぜ、彼らは突然、温度感覚異常を発症したのか?そして南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシアの“ガンビエール諸島”で同じ症状が集団発生していた事実が判明した。ここは澄み切った青い海と美しいサンゴ礁で囲まれて、約600名が暮らしている。ところが1968年、島民達が「顔を洗うとき水が冷たくて触れない」「漁に出たとき海水に触ると、激しい痛みがある」というような、生活に支障をきたすほどの温度感覚異常の症状を島民たちが訴えたのだ。
そしてその後も、原因不明のまま患者は増え続け、やがて島民達はこの症状を引き起こした原因は「水爆実験」ではないかと噂し始めたのだ。実は謎の奇病が発生する2年前の1966年7月、ガンビエール諸島の北西約400kmに位置するムルロア環礁でフランスによる「水爆実験」が行われていたのだった。この事実を知っていた島民はその影響を受けた魚を食べた事によって症状が起きたのではないかと考えたのだ。そこで、フランス軍が調査班を現地に派遣し調査したが、島周辺の魚に放射性物質などの影響は確認されなかった。
そして、その後8年経った1976年。この原因不明の奇病に対処するために、WHO=世界保健機関は調査チームを編成し、海の毒物に関する世界的な権威である東北大学食糧化学科の安元健名誉教授(当時助教授)に調査を依頼したのだ。安元教授は放射能の影響ではないとすると、何らかの理由で魚が毒を持ったに違いないと推測し、かつて読んだ資料の中にあったある記述を思い出した。それは…
★15世紀、コロンブスの時代から大西洋を航海する船乗りたちの間で『大型船がサンゴ礁に座礁すると、そこに住む魚が毒を持つ』と言い伝えられていたこと。
★18世紀に太平洋を探検したイギリスの冒険家クック船長の航海日誌に『サンゴ礁に座礁した船の船員が、そこで獲れた無毒なはずの魚を食べて、奇妙な中毒にかかった』と書かれていたこと。
これらの記述から安元氏は『ガンビエール諸島の島民達を襲った奇病と記述にあったコロンブスの時代から伝わる話の原因は同じかもしれない』という仮説を立てたのだ。
そこで、安元教授は珊瑚礁で獲れた魚の調査を行い、入念に調べていた時、なんと、魚の消化器官から、見慣れない円盤状の新種の藻が姿を現したのだ。安元教授は、この新種の藻の生息場所を特定するために自ら潜水調査を行ったところ、島の東側の目に色鮮やかなサンゴ礁が広がる一角に一直線上に続く灰色に変色した場所を目にした。その範囲は、全長約500mに及び、幅10m海底から3m程えぐり取られたような、自然現象ではありえない形になっていたという。
実は謎の奇病が発生するおよそ3年前、フランス軍はガンビエール諸島に水爆実験の観測ステーションを建設し、建築資材を積んだ大型の船を接岸させるため、水深の浅い珊瑚礁の一部を削リ取り、海底水路を作っていたことがわかったのだ。そしてそこに多くの「石灰藻」が繁殖し、灰色に変色して見えていたのだ。
『石灰藻』
全体の多くの部分が非常に硬い石灰質で出来ている藻である。珊瑚のある場所には必ず存在し、環境の変化に強く、逆に珊瑚は環境の変化に弱いという特徴を持っている。そのため、海水の汚れや海底を削り取るなどの要因で環境が変わるとサンゴは死滅し、石灰藻だけが生き残って繁殖してしまう事があるという。
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安元教授は、この死に絶えたサンゴ礁や、そこに繁殖している石灰藻に、魚が毒を持つ原因があるのではないかと考え、分析を進めた。すると、なんと「ヒメモサズキ」という石灰藻に、魚の消化器官から発見されたものと同じ新種の藻が大量に付着していたことを発見したのだ!安元氏らは、この新種の藻を、「ガンビエールディスカス」と名づけた。
『ガンビエールディスカス』
海水温が20度から25度の暖かい海で繁殖する。
石灰藻の一種、ヒメモサヅキに付着しやすく、枝の根元部分を好み、
海水の流れが速く、強い太陽光線が当たらない場所に生息する。
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そして、安元教授がガンビエールディスカスの成分分析した結果、なんと、シガテラ毒と呼ばれている神経毒の一種が見つかったのだ!
『シガテラ毒』
熱帯や亜熱帯の珊瑚礁海域で本来無毒な魚が突然毒を持つ場合の原因毒と言われており、長い間謎とされていたが、安元教授の調査によりガンビエールディスカスが生産する神経毒の一種である事が判明。動物実験の結果、温度感覚の異常を引き起こす事が明らかになった。その毒性はフグ毒の200倍ときわめて強いのだが、一匹の魚に含まれる量は非常に微量で人間が食べても死亡することはほとんどない。また、シガテラ毒を蓄積する可能性のある魚は、珊瑚礁海域に生息するハタ類やカマス類など300種類に及び、その毒性は熱を加えても変化しないため、加熱調理した魚でも中毒を起こす可能性があることがわかった。この毒は体内から徐々に排出されるが回復まで数週間から1ヶ月以上かかる場合もある。 |
こうして、安元教授らの調査により、ガンビエール諸島の謎の奇病のメカニズムは次のように判明。
@水爆実験のために作られた水路工事よって珊瑚礁の一部の海底が削り取られ、その場所のサンゴが死滅。環境の変化に強い石灰藻が生き残り繁殖。
A石灰藻の一種にガンビエールディスカスが付着し繁殖。神経毒のシガテラ毒を生産。
Bそのガンビエールディスカスを草食魚ガ食べ、その草食魚を肉食魚が食べることによりにシガテラ毒が蓄積。
C島民が毒を持った魚を食べ、シガテラ毒が体内の神経細胞に取り込まれる。その結果、神経伝達が正常に働かなくなり、温度感覚異常や吐き気、下痢などの症状が現われた。
また、15世紀から伝わる言い伝えも、珊瑚礁が死滅する事によって繁殖したガンビエールディスカスが原因ではないかと考えられるのだ。その後、35年経ったガンビエール諸島では、珊瑚礁が再生しつつあり、シガテラ毒を持つ魚も減少傾向にあるという。先の事例で紹介したアメリカのジェフとリンダの場合、症状が発症する前日まで、サンゴ礁で有名な観光地・メキシコのカンクンに滞在、自分達で捕まえたオニカマスを食べていた事が判明。さらに、香港のヤンのケースでは、友人たちと会う前に、昼食を取るために立ち寄ったレストランで、マレーシアのサンゴ礁海域で獲れたハタ類の一種アカマダラハタを食べていた。つまり、2つのケースとも彼らの食べた魚が獲れた海域ではサンゴ礁が死滅し、ガンビエールディスカスが生産したシガテラ毒によって中毒を起こしたと考えられる。そして今、シガテラ毒による被害は、熱帯や亜熱帯海域を中心に、多く発生し、毎年2万人から5万人もの中毒患者が発生しており、魚介類による世界最大の中毒と言われているのだ。
一方、日本の場合はどうなのか?厚生労働省食品安全部の斎藤充生氏によると、厚生労働省では危険性が高い魚については魚種鑑別の検査を行い、外国から日本に輸入されないようにしており、また国内でも地元の保健所や漁業関係者が市場に流通しないように注意しているという。
厚生労働省がシガテラ毒により危険だと指定している魚は10種 |
アカマダラハタ アマダレドクハタ オニカマス
バラハタ バラフエダイ フエドクタルミ
アオノメハタ オジロバラハタ マダラハタ
オオメカマス
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ところが日本では、シガテラ中毒が年間数件ほど発生しており、その多くはシガテラ毒を蓄積しやすい魚だとは知らずに、自分で釣った魚を食べた事により起きている。そのため、釣りに行った際には十分注意し、地元の人や漁業関係者が食べないような魚は、食べないほうが賢明なのだと斎藤氏はいう。また、厚生労働省が指定している10種類の魚以外にも、各地方でシガテラ中毒の可能性が高い魚が追加されている場合もあるので、事前に危険魚の情報を入手する事が必要だ。さらに安元教授によれば、本来、珊瑚が繁殖するような暖かい海域だけにいると思われていたガンビエールディスカスが温暖化により、伊豆や千葉の海域でも発見されており、今後、九州や沖縄以外の場所でもシガテラ中毒が発生する可能性があるという。
それまで普通に食べていた魚が、ある日、突然毒を持つ。珊瑚礁の破壊や地球の温暖化といった問題が今、
海の中で毒物を大量に生み出し我々自身を危険にさらしているのかもしれない。
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