「チベット仏教の最高指導者」といえば、今話題のダライ・ラマ14世だ。ダライ・ラマは5月中旬の6日間、通算33回目になるドイツ訪問をした。私はダライ・ラマを初めて目の当たりにすることができたが、その強力なキャラクターに大いに印象付けられた。一言で説明するなら、我が生まれ故郷、大阪に特徴的な中年女性のような気さくな人物、つまり、大阪のおばちゃんである。
わが母もそうだが、あめ玉(あめちゃん)を配る行為は、大阪のおばちゃんに特徴的だ。何と、ダライ・ラマはあちこちでこれをやっていた。独西部ボッフムでの講演会(5月16日)でのこと。ダライ・ラマは自分の講話が英語からドイツ語に訳されている間、突然、右手で赤い袈裟の中をさぐり、満面の笑みであめ玉を取り出した。会場がどよめく中、舞台を歩き回って、司会者やゲスト、通訳にあめ玉を配った。主催者発表で2万5000人が集まった5月19日のベルリンの大集会でも舞台前の子供にあめ玉を差し出した。この微笑ましい光景は独紙でも大々的に紹介された。
欧州では、最高指導者の称号であるダライ・ラマにさらに「神聖な」という決まり文句が付く。口をはさむ者は少ない。ダライ・ラマの話に熱が入ると、止まらなくなることは度々だ。訪独中たった1度開かれたボッフムでの記者会見でも、約1時間半の間に記者たちが質問できたのはわずか3回。会見ではダライ・ラマの思いつきで、以前の話題に再び逆戻りすることが2度もあった。熱が入ると彼の表情やジェスチャーは子供のように豊かになる。意味不明のうなり声や笑い声を突然上げることもある。自分が言った冗談に記者たちが反応しなくても、自分だけがしばらく大笑いしていることも何度となくあった。
ダライ・ラマはドイツではスターに似た人気者だ。街の書店では、伝記や講話集が平積みにされている。冷戦期にチベットの平和と非暴力を訴え、ノーベル平和賞を受賞したことで敬意を集めているのはもちろんだが、チベット暴動でさらに注目の人となった。知人の説明では、旅行好きなドイツ人にとって地の果てのイメージがあるチベットはあこがれの地でもある。ベルリンに拠点を置くドイツのチベット支援団体の話では、ドイツ在住の亡命チベット人は300人ほどだが、この支援団体の資金提供者がドイツに約5000人いる。ベルリンの大集会ではかなりの著名音楽バンドが次々に登壇し、演奏の合間に「チベットに平和を」と叫んだ。ブランデンブルク門周辺を人が埋め尽くす光景を私は初めて見た。ブランデンブルク門に近いポツダム広場では先日、中国人学生たちが中国政府のチベット政策を支持する集会を開いた。こんなに多くの中国人がドイツにいるのかと私は驚いたが、それでも警察による参加者数は約3500人。中国人学生に混じって中国政府を支持するドイツ人もいるにはいたが、多くはなかった。
独西部ボッフムでの記者会見でのこと。大勢の警護に付き添われて現れたダライ・ラマは、会場後ろの入り口に待ち構えた多数のカメラマンの一人ひとりに合掌したあと、少し離れてカメラを構えていた私に突然握手を求め、話し掛けてきた。「アー・ユー・チャイニーズ?」。後で分かったことだが、彼は自分自身を報道で「犯罪人呼ばわり」し続けている中国メディアの記者に、敬意を込めてあいさつしたかったらしい。実際、会見本番では中国人記者が質問に立ち、チベット亡命政府の幹部の言葉を引用して、チベット独立を求めないと主張するダライ・ラマの「矛盾」を突いた。
ダライ・ラマは記者の質問を笑顔で歓迎しつつも、「亡命政府にもいろんな意見がある」とかわし、続けて「中国の報道機関は事実をゆがめて伝えている」と大きな身振り手振りで、怒りをあらわにした。会見の後、ダライ・ラマは、この中国人記者のもとに歩み寄り、何事もなかったような笑顔で記者の手を取った。中国人記者も心なしかうれしそうだった。帰り道、ダライ・ラマは再び私に握手を求め、別れを告げた。彼の手は会見前よりも温かく、少し汗ばんでいた。【ベルリン小谷守彦】
2008年6月3日