もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。
ブログの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。
承認制というのは、コメントを書き込まれてもすぐには反映されないということです。私が判断して、これはないんじゃないかなというコメントはブログに反映しません。せっかく書いていただいたコメントも、私の承認がないかぎり、コメント欄に表示されないことになります。「死ね」と書かれたコメントは表示の承認をしません。みなさんからいただいたコメントを表示するかしないかは私が責任をもって決めます。
そして、もう一つ。ブログを持っているみなさんも、これから持とうとしているみなさんも、コメント欄を承認制にしたほうがいいですよ、とお勧めします。
「でも私の使っているブログじゃできません。はてなダイアリーにはそんな機能がないんです」という場合は、そんなブログを使うのはおやめなさい、とお勧めします。ただし、はてなダイアリーには、コメントは会員だけに限定する機能があるのでそれを使うとほぼ同じ機能になります(それでも捨てIDとかで爆裂する人はいますが)。そうした、各ブログシステムの詳細については各人がお考えください。
そう決心したのは、昨日のエントリ「極東ブログ: あなたのブログのイヤなヤツ」(参照)にも書きましたが、ブログに「死ね」と書かれたことで自殺に至った少女の死が私はとてもショックだったからです。
彼女に、今私が書いているこのエントリの趣旨、つまり、「ブログを持つならコメント欄は承認制にしなさい」ということを伝えることができていたなら、あるいは私がもっと早く決心していたなら、と悔やまれました。もちろんそれでその命が救われていたはずだと思い上がるわけではありませんが。
現実的には、私のこのちゃちなブログを彼女のようなかたがご覧になった可能性は低いでしょう。そもそもこの爺臭いブログを仮面ライダーキバのファン以外のかたがご覧になるとすれば、よほど物好きでしょう。でも、私はブログの物好きがいつか日本の社会を変えるだろうと、0・2%くらい信じています。そしてその連鎖がうまく彼女のようなかたに届いた可能性が0・002%くらいあったかもしれないなと思うと、マジ泣けました。
ブログに「死ね」と書かれたくらいで死ぬなよというのは、自分がティーンエージだった心を裏切る部分があります。まして私は50歳にもなってしまいました。社会的にはクズFAだけど、まあいい大人ですよ。もしかするとパソコン通信の黎明時代から四半世紀にわたってここの世界に関わってきた希少生物かもしれません。少しここいらで考えを変えるべきだし、このネットの世界に少し自分なりの立場を明らかにしたいと思いました。
少なくとも、コメント欄を承認制にすれば、「炎上」はなくなります。それで困るのはJ-CASTの炎上ネタ? いやもうそれも飽きられているじゃないですか。切込隊長さん十八番の炎上批評もなくなってしまう? あれももういいんじゃないの。
ブログは炎上しなくても、掲示板で炎上する? はてなブックマークでネガコメ炸裂、「死ねばいいのに」タグ満載になる? なるほど同じ事かもしれないし、黒木ルールでいう匿名禁止は掲示板システムでもやらなければいけないとか、そもそも全部実名しろオグリンGOGOGOみたいな意見もあるでしょう。けど。私は私ができるだけのことをしますし、実現可能なことをお勧めしたい。というだけです。
ちなみに、ブログのトラックバックはもうすでに死んでいます。いや承認制してあります。私がイスラエル問題を書くのに、巨乳情報やお勧めの金融商品、RSS検索羅列などのトラックバックを送られてもな、ですよ。
ついでに、ケツの穴が痒くなりそうなんで、たぶんこれっきりにしたいのだけど、ブログをやっている人や、始める人にお勧めをまとめておきます。ブログ・クソッタレ撲滅ルールの試案です。
ブログ・クソッタレ撲滅ルール
- トラックバックは承認制にしなさい、ほとんどはゴミだから。
- コメント欄は承認制にしなさい、イヤなこと言われっぱなしにしないでいてください。
- ブログから離れたところに自分を受け入れてくれるコミュニティを持ちなさい。
- できたらはてなブックマークのコメントや掲示板からのアクセスを気にするのはやめなさい。
3点目のお勧め「自分を受け入れてくれるコミュニティを持ちなさい」は、サットンのお勧めのアレンジです。ブログというのは、やってみるとわかるけど、奇妙に孤独な世界です。いやそんなことはないという人もいるかもしれないけど、少なくとも、ある一定以上の人気が出ると、それに比例して奇妙な孤独がやってきます。そんなこと言える? ええ、私がそうですよ。
ブログのない時代は、表現者であることは、同人誌や地下出版くらいでしか可能ではありませんでしたし、それらは、受け入れてくれるコミュニティも付随していました。だから内輪揉めとかもっと凄惨なこともあったけど、それはそれなりにコミュニティはあったものです。でも、ブログというのは、やってみるとわかるけど、奇妙にぞっとする孤独があるものですよ。それがなさそうな人もいるけどね。
自分が正しいと思って書いたことをみんなが嘲笑しているのではないか。そんな悪魔の囁きどおりに探すとなるほど嘲笑ばかりです。その嘲笑のほうが正しいのかもしれません。そんなときは、自分を受け入れてくれるコミュニティのなかで、どう?と聞いてみるべきでしょう。もっとも、そのコミュニティが全員イカレているかもしれません。でも、そこまではもうしかたないでしょ。
話が複雑になるけど、たぶん、自殺された女子高校生のかたは、そんな殺伐としたブログではなく、ブログ自体がコミュニティを志向するようなそんなブログだったのかもしれません。つまり、SNSに陰毛が生えたくらいの、覗くなよ、みたいな。つまり、ブログとは名ばかりで本質はSNSだったのかもしれません。SNSでも、「死ね」コメントはあるでしょう。そして晒しもあるでしょう。そこについては、私は、またわからないなと思います。
今回の事件については、いわゆるブログではなかったのかもしれませんし、私が息巻いて書いているようなブログ管理者の心得みたいなものの対象ではないのかもしれません。毎日新聞記事”女子高生自殺:ネットの「死ね」にショック、初欠席のすえ”(参照)より。
女子生徒が遺書で触れた書き込みについて、同じクラスの生徒が開設したブログだったとの情報もあるが、確認はできていない。同校は、自殺した女子生徒へのいじめや、いわゆる「学校裏サイト」などへの書き込みがあったかなどについても県警に協力を依頼して確認を進める。
「死ね」書き込みはその後、確認されました。が、朝日新聞記事”HPに「死ね」の書き込み確認 北九州の女子高生自殺”(参照)では、「死ね」の書き込みは確認されたとしながら、もはや「ブログ」という言葉ありません。
北九州市の高校1年の女子生徒(16)が、「ホームページに『死ね』と書き込みされた」などとつづった遺書を残して自殺した問題で、福岡県警は1日までに遺書が指摘したとみられるホームページを特定し、「死ね」などほぼ指摘通りの内容の書き込みがあることを確認した。生徒が通っていた同市小倉北区の私立女子高校は、いじめの有無など事実関係を調べている。
県警などによると、問題のホームページは生徒の同級生らが日頃利用していたものとみられる。生徒は遺書の中で同級生1人の名前を挙げ、「ホームページに私のことを『死ね。葬式行ってやるよ』と書いた」などと記していた。いじめられていたと訴える記述もあったという。
この記事からは、ブログというより、いわゆる学校裏サイト、つまり匿名的な公開掲示板の問題ではないか、つまり「ブログ」というのは誤報だったのではないか、と判断するほうが妥当のように思われます。
でも、それはそれとして、問題の本質と、私が可能なことといえば、やはり、「もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ」というくらいだなということは、変わりません。私は決めました。ブログには価値がある。でもその価値を維持するには不便もある。
私塾のすすめ 齋藤孝・梅田望夫 |
そうそう、そういう言葉をブログなどで公開していくと、そこで、志向性を同じくする人との出会いが生まれると思うんですね。志向性を同じくする人と語り合うことの意味は大きい。でもそういう人が物理的な空間、会社の中とか、学校の中とかで見つかるというほうがおかしいというのが、先ほど言った、僕のある種の諦観です。そこでおかしいな、誰もまわりにいないなと思ったときに、対象空間をぐうっと広げるのに、インターネットというのはすごく役に立つ。
ネット上で、ほんとうにたくさんの事例をみているのだけれど、それほど目立っていないあるブログの例を挙げましょう。ページビューで言えば、一日せいぜい三百から五百くらいしかないブログなんだろうと想像するのだけれど、そのブログを毎日読み、コメント欄なので交流している人たちの雰囲気がとてもいいのです。
(中略)
人間って案外、小さなことで幸せになれる。朝起きたときに、そのブログに、「この本を読んで感動した」と書いてあった。「じゃあ、私も買いにいってみよう」。それだけでずいぶん人生は潤う。
そこは本当にそう思う。
その先に、私は、この数日になってからの違和感を述べることにしたわけです(この本を読んだときは違和感はありませんでした)。
その部分の引用を続けます。
先ほども「炎上」の話をしましたが、そういうふうに幸せにしている、五人か十人がコアメンバーのブログ、ページビュー数百以下のブログで、炎上なんて起こらないですよ。そんなところにやってきて、そのコミュニティを壊そうなんていう人はいないし、オープンなんだけれど、そのブログの存在自体が、ふつうは見つからないから。でもオープンにしていなかったら、そのメンバーは出会えなかったわけです。
たぶん、それは現実にはまだ正しいでしょうし、今後もたぶん正しいんじゃないかと思います。
でも、私はそうしたコミュニティの最もナイーブなものが無残に壊されることはありうるなというのと、数百のページビューがいつか数千、数万のページビューになることはそう不思議ではないと思っています。まさか無名の私のブログが、そうなると思っていなかったのだし。
このあたりの問題は、ページビューとの相関で見てもいいのかもしれません。ただ、私は、もうちょっと、不便だけどコメント欄承認制へ踏み出しますし、それをお勧めします。
私は「死ね」とコメントいただいたらサクッと削除するでしょう。「おまえ馬鹿だろ」については、微妙ですが。それだけを黒木ルールでいう(参照)匿名さんが書いたならサクっと消してしまうと思います。きちんとブログを持っているかたが書かれたのなら、「ほぉ、お前さんと私がどっちか馬鹿か晒したるぜ」ってことにする可能性もあるかもしれません。「なんたらの部分だがお前馬鹿だろ、それはだな」みたいなコメントは承認すると思います。Nakajimaさん、お元気ですか。野ぐそさんのダラコメはOKするんじゃないかな。もう随分前になってしまったけど、切込隊長さんのブログが炎上したとき、炎上勢力がいろいろと切込隊長さんの支援と思われる人の切り崩しにかかったとき、野ぐそさんこと旧うんこさんは、むしろ弾に当たった。俺はね、ああいうふうにスジを通すヤツは大好きなんだぜ。
実際のところは、このブログについて言えば、すでにエントリ書いてもさしたるコメントもないので、ほとんど変化はないでしょう。それどこか、イージーミスとか誤訳の指摘を頂く敷居が高くなって、恥さらしの可能性が高くなりかえない。でも、そのくらいの恥はさらすしかないかな。いや、間違い指摘や反論は頂きたいと思ってます。ちょっと反応が遅くなるけど。
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コメント
私はあるときを境にして、コメント欄を見るのをまったくやめてしまいました。悪意に満ちたコメントがあふれかえっているので気分が悪くなるし、発言者が匿名だと読んでも得るものがないからです。ネット上に読みたいものはあふれかえっているのに対して、コメント欄のSN比はとても悪いです。だから、コメントするのもやめました。自分が読む価値ないと思っているようなものを書いてもむなしいので。(今回はネタがネタだけに例外。)
というわけでコメント欄承認制になってもまったく影響ないのですが、悪意のあるコメントで傷つくブロガーがいるなら、コメント欄自体をなしにするなり承認制にするなりしたらいいんじゃないでしょうか。
投稿 akira | 2008.06.02 20:42
>野ぐそさんのダラコメはOKするんじゃないかな。
それじゃ駄目。狡兎死して良狗煮らるって言うじゃない。喧嘩両成敗とも言うじゃない。喩え小さくともコツコツだろうとも、今後末永く続けていくことを考えた場合、目先の非情は非情じゃないし目先の孤独は孤独じゃないんよ。そこ気付いてキチンと実践しなきゃ駄目よ。
>もう随分前になってしまったけど、切込隊長さんのブログが炎上したとき、炎上勢力がいろいろと切込隊長さんの支援と思われる人の切り崩しにかかったとき、野ぐそさんこと旧うんこさんは、むしろ弾に当たった。俺はね、ああいうふうにスジを通すヤツは大好きなんだぜ。
その代わり、炎上勢力?が消えた後になって緑のおっさんが非情に徹せず私を排除しなかったばっかりに、私がエンガチョ勢力?になったじゃない。まぁ、地金でもあるしわざとでもあるけど。他の面子が、そこまで割り切ってるとも限らんでしょうに。人間には、どーやったって欲ってもんが付いて回るんよ。それが人の性なんよ。そこを甘く見ちゃ駄目なんよ。
じゃあ、そういうの?キチンと?分かってる人?が他に出るよう?頑張る?のが弁当爺さんの余生の仕事だよね。だから、私がこれ以上ここに居座っても邪魔なんよ。私が中途半端に偉くなっても仕方ないんだ。
弁当翁は別に孤独じゃないんだから。ブログやって大きくなったから孤独とか言われた日にゃあ、雑誌でも新聞でもテレビでも、よりマスの現場でやってるヤツはどんだけ孤独なんだよって話じゃないか。医者でも何でも、死ぬまでに何万何十万と患者を診続ける立場の人はどんだけ孤独なんだよって話じゃないか。商売人なんか何百万何千万何億を相手にする事だってあるじゃない。政治家になったら何十億を相手にすることだってあるじゃない。そいつら皆孤独ですとか言い出した日にゃあ、世の中辛いだけでしょが。
そうじゃなくて。ブログをやるからマスの現場に居るから商売やるから政治をやるから、だからこそ私は孤独じゃ無いんだって意識を持とうよ。手前味噌になるけど、私はそーゆー意識を持ってるからこそ弾に当たれるんよ。そんで、そういう人間は、用?が済んだら捨てなきゃ駄目なんよ。
序でに言うなら、件の女子高生が何より可哀想?なのは、そーゆー類の意識を僅かながらでも持ってたか持とうとしたか、その矢先に潰されたから可哀想ってことでね。弁当翁はそーゆー生き様を見て心動かされる人なんだから、だったら(その志向の帰結?に居る)野ぐそは排除しなきゃ駄目です。
でも弁当翁さんにその気は無いみたいだから。じゃあ、お世話になりますた。ってことで。ほなさいなら。
投稿 野ぐそ | 2008.06.02 20:55
儀礼的挨拶抜きで、真面目にコメントします。
>現実的には、私のこのちゃちなブログを彼女のようなかたがご覧になった可能性は低いでしょう。
こういうことを、本気で(というか平常心で)書ける神経が私にはわかりませんね。彼女は自死されたんですよ?私は、そういうfinalventにカチン来るんですよ。
この辺、意味分りますか?読み手にとって、このような言説は"彼女"や、彼女と同じ境遇の人間を貶めると感じるわけですよ。
何様気取りで、ちゃらけた文章書いているのですか?(後略)
投稿 けろやん。 | 2008.06.02 21:05
なんでこういう機能をデフォルトで有効にしているブログサービスってすくないんでしょうね。
現状のネットを見る限り、提供側も性悪説前提にサービスを作る位の知恵があっても良さそうなものですが。
ネガティブコメントばかりのブログによって日本のネット環境(とくにCMS)は大きく出遅れてしまいました。
投稿 trat | 2008.06.02 22:08
まだまだ長生きしてください。いや本当。このコメントが掲載されないと悲しい。
投稿 | 2008.06.02 22:20
こんにちは。
偽善といわれても…
死ねと書き込まれて死んでしまった女子高生、ナイーブなクラスターが壊される事を
憂う記事を書いてくれたはてなユーザーが一人でもいたことに(神に)感謝しています…。
(私は怖いのでブログを書くことができません)
投稿 匿名希望 | 2008.06.02 22:40