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2006/09/12

安倍晋三と統一教会(1)

9月11日(月)「同時多発テロ」という表現にいつも違和感を感じている。「9・11」からはや5年。TBSのよくできた特集「NYテロ5年目の真実」を見た。安住とかいうアナウンサーのだらしない姿でのインタビュー以外は「さすが」と思った。ジムで泳いだあと青山ブックセンターに行く。「9・11」は陰謀だという本がいくつか。ぱらぱらと見たけれどこれまでに読んだものと内容はたいてい同じもの。「どうかな」と疑問なのは、大韓航空機爆破事件当時も「KCIAの陰謀」説が、とくに日本で報道されたからだ。デーブ・スペクターに「アメリカではどうなの」と聞いてみた。「話にならないですよ。アポロが月に行かなかったというのやホロコーストはなかったと主張するのと同じで、すでにマスコミでは否定されています」と言う。「でもペンタゴンに旅客機は突入していないというよ」と聞いた。「いやいや何万ページもの報告書のなかには、客席の遺体などの写真もあります」という。「では機内から携帯電話で家族に電話をしたというけど、携帯では地上に届かないという意見は?」とさらに問うと、「あれは客席に設置された電話を使ったんです。これも報告書をちゃんと読んでいればわかることですよ」という。そもそもテロ計画はクリントン大統領時代から計画されたというから、「反ブッシュ」のための「陰謀説」には歴史的に無理があるというのだ。そうは思うものの、まずは時間を見つけて「9・11」についての報告書を読んでみたい。たとえば「TIME」「U.S.NEWS&WORLD REPORT」(9月11日号)には、「疑惑」に対する「事実」を明らかにした記事がある。そこでは疑惑説が主張するミサイルや小型飛行機ではなく、ボーイング757機がペンタゴンに突入したときの様子、乗客64人の遺体が1人を除いて確認されたことが紹介されている。

 あるマスコミから問い合わせがあった。安倍晋三官房長官の『美しい国へ』は統一教会元会長の著作をなぞったのではないかという。「きっこのブログ」などのネットで流れている噂だ。久保木修己遺稿集のタイトルは『美しい国 日本の使命』。「美しい国」という言葉は同じでも、内容は違う。思想的流れとして復古主義的であることは同じでも、安倍が統一教会本を「丸写し」したという批判には、何の根拠もない。それと同じで安倍事務所が官房長官名で統一教会系の「天宙平和連合」に祝電を打ったことで本人を批判することには無理がある。国会議員の事務所は、祝電でも弔電でも、関係者から依頼があれば、その事務所レベルで判断する。いちいち「議員先生」本人に問い合わせることなどしない。安倍には統一教会への対応方針がある。それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。安倍本人が「天宙平和連合」の大会に参加して激励したとか、本人の意思で祝電を打ったのなら厳しく批判されるべきだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ような批判の仕方は政治の世界だけでいい。わたしは安倍の改憲をふくむ戦後の枠組み解体路線には断固として与しないが、事実を誇張した批判にも賛同はできない。

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