日本サッカー協会の元会長で、日本と韓国の共同開催で行われた2002年のワールドカップ(W杯)招致に尽力した日本体育協会副会長の長沼健さん(77)が2日午後、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。
長沼さんは関西学院大、古河電工でプレーし、1956年メルボルン五輪に日本代表として出場した。64年東京、68年メキシコ五輪では代表監督を務め、メキシコ大会ではチームを銅メダルに導いた。
94年から98年まで日本サッカー協会会長を務めた。
▽川淵三郎キャプテンの話 急な知らせにショックを受けている。Jリーグ創設の際、陰になり日向となって全面的に支援していだたき、それが今日のJリーグの成功につながった、と心から感謝している。2002年ワールドカップ(W杯)招致活動の際は、地球を何周もするほど精力的に活動され、その功績が高く評価され、W杯の開催と成功に至ったと思う。ご冥福をお祈りします。
毎日新聞 2008年6月2日 17時53分(最終更新 6月2日 18時20分)