中国産野菜はときに「農薬の異常数値」がニュースになるが、それは輸入業者が事前検査を行っているために明るみに出ることだ。一方、国産の野菜には農薬の検査は義務づけられていないため、ノーチェック。
また、「無農薬栽培」という表示を「一切の農薬が使われていない作物」だと思っている人は少なくないと思うが、実は「その作物を栽培する期間のみ農薬を使っていない」だけ。その前後に農薬を使った栽培をしていても、無農薬を謳って構わない。
これなどは、言葉のトリックが誤解をもたらす一例である。中国産野菜に厳しい目を向けるなら、日本産にも同様の視線を持ってほしいと著者は言う。
もう一つの偏見の対象であるコンビニ弁当は、保存性アップのための商品設計の点から鑑みても優秀だと本書には記されている。菌は、食品が18度から60度の間にあるときに繁殖するのだが、コンビニ弁当に使用するご飯は、真空冷却器で一気に温度を下げ、細菌が繁殖しやすい温度帯にある時間を短縮している。逆にスーパーやデパートの弁当屋の対面販売の場合は、ご飯を熱いまま盛りつけるので、ごはんもおかずも細菌が繁殖しやすい温度帯で放置される時間が長い。その分、保存できる時間が短くなる。
加えて、コンビニでは保存料は使わない代わりに、pH調整剤を利用している。pH調整剤を添加することで食品の腐敗を防ぐのはお弁当に梅干しを入れた昔ながらの保存食の知恵と同じだと言う。他にもコンビニのほうが、衛生面の監視を強化し、チルド輸送の徹底などを行っていると著者は説く。
衛生管理は優れていても、規格外やクズの原材料を使っているのではないかという消費者の懸念も著者は一蹴する。あれだけ多くの店舗に供給するためには、安定した原材料の確保が不可欠になる。クズ材料を取引していてはそれはかえって難しいというわけだ。
評者も思い込みでコンビニ弁当を敬遠していた口だから、誤解していたことを申し訳ないとは思った。だが、一定時間を過ぎるとそそくさ回収破棄されてしまう弁当を見ると、あらぬ疑いをかけたくなってしまう気持ちが雲散霧消したわけではないが……。
それはそれで、しんどそうな世の中だけど
さて、先のように食の安全に積極的に取り組んでいる企業もあるが、さしたる罪悪感なしに、相変わらず偽装を繰り返している企業もある。偽装の連鎖を断ち切るためには、どうすべきなのか。
まずは、各食品会社自身が、工場監査、品質チェックなど管理体制のルールを明確化すること、それを定期的な検査や抜き打ち検査などで監視しつづけるしくみをつくることだ。納品業者に対しても、海外の工場に日本人の駐在員を置く、加工会社は原料供給会社に細かな規定をつけた「納品規格書」の提出を求める、などの管理体制づくりを著者は提案する。もちろん、食品衛生法、JAS法などの食品関連の法律を、処分規定も含めて整え直すことは急務だ、と。
著者の主張は単純明快。形だけの監査で何となくの信頼のもと営まれる社会ではダメだ、裏返せば、お互いが信用し合っていない不信社会を前提に構造改革をしろ、という話である。哀しいかな、それは窮屈で物憂い社会のありようだ。
確かに、いち消費者として、信頼できる/できないの見分けは難しい。食をめぐる諸問題の現状をつまびらかにされるほど、どの店を信用し、何を買うべきか、途方に暮れてしまう。
ただ、「ブランドメーカーの製品だから安心」「国産だから安心」という判断や認識が甘いことだけはわかった。
賢い消費者になるためには自分の常識だって疑うべし。その教訓は評者の頭の隅に残った。
(文/三浦天紗子、企画・編集/須藤輝&連結社)