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『“食の安全”はどこまで信用できるのか 現場から見た品質管理の真実』河岸宏和著、アスキー新書、724円(税別)
あれほど世間を騒がせた中国製冷凍ギョーザ事件は、真相は闇に包まれたまま、過去の話になりつつある。だが、昨年から今年にかけて次々発覚した日本国内の食品偽装事件のニュースのおかげで、私たちの「食の安全」に対する危機感は一気に増幅された感がある。
一連の問題は、ごく一部の関係者が利益追求を優先して、あるいは、バレなければいいのだという倫理観のなさが災いして、生まれた事件だろうか。
そんな解釈で片付けるわけにはいかない現実を、本書はかなりクリアに説明している。著者によれば、日本の食品業界全体の管理体制の甘さが、構造的に食品偽装の問題を作り出しているのだ。
食品偽装の中で多いのは、賞味期限ラベルの張り替えである。そもそも日本には、製造年月日の表示義務がない。消費・賞味期限も業者が勝手に決めていいというのが通例だ。
もちろん、細菌検査や官能検査(人間の五感を使った品質チェック)などをもとに科学的に期限を設定している業者もあるが、「何となく」「長年の経験」で〈適当に決めている業者は本当に多い〉と著者はいう。
“適当”の例を挙げれば、船場吉兆は、返品されたびん詰め商品のびんを叩いて発酵していないか確認し、ラベルを貼り替えていた。茨城県の大手干しイモ加工会社「マルヒ」は、返品された干しイモを「良品」と「粗悪品」に選別し、「良品」の賞味期限を最長90日延ばしていた。これらはまさに、長年の経験と会社側の自己都合とが合わさった期限延ばしだろう。
消費者からすれば、「なんてずさんな」と思うわけだが、それで細菌数的にセーフであれば、賞味期限の変更も、JAS法や食品衛生法的には問題がないというから驚く。
博多明太子やアジの干物が東京のスーパーで売られていると、パックに貼られたラベルを見て、消費者は昨日今日加工されて飛行機で運ばれてきたように錯覚してしまう。ところが実際は、凍った状態で入荷し、スーパーのバックヤードで適宜解凍され、店頭に並ぶのである。そこでは、「消費期限」と産地の表示はされていても、そのアジがいつ獲られたかについては不問。一消費者としてはブルーになるが、著者はこう書いている。
食品偽装の温床は日本の独自規格
〈皆さんは、せいぜい1ヶ月ぐらい前だろうと思うかもしれません。店員さんも、そう思っているかもしれません。実は、2年前に釣り上げた魚であることも十分考えられるのです。2年どころではなく、4〜5年前のケースもありえます〉
他にも、卵は36度で保管するとたった1日で食中毒レベルにまで菌が繁殖してしまうのに、日本ではチルド保管が徹底されていないことや、業者間で原材料を売買する場合は、ウナギなど一部商品を除いて、賞味期限などの表示義務はないため、たとえば町のラーメン屋に賞味期限切れの卵が納品されて客に提供されても、業者同士が結託すればその事実は明るみに出ないなど、業界内にまかり通っている歪んだ現実が示される。
このように著者は、本書の前半で、食品流通業界の「常識」と一般消費者の意識とのずれをあれこれ指摘していく。
ちなみに、先の明太子や干物など産地直送の加工品が安定供給できるような流通が可能になったのは、ひとえに冷凍技術の発達の成果である。だから、技術の発達そのものを責めるのは間違いだが、一度は冷解凍した商品であることをきちんと消費者に伝えるべきではないかと著者は述べている。
著者の告発の動機も、ひとつは、消費者にわからないようなそうした「トリック」が、恒常的に施されていることにある。
では、食の信頼を揺るがしかねない現状がなぜ放置されているのか。一言でまとめれば、日本の安全基準は、FAO/WHOによる国際食品規格に準じていない日本独自の規格でまかり通るからである。日本の食をめぐる状況は、そもそも偽装の温床を生み出しやすい構造になっていると著者は語る。
消費者に隠されてきた食品流通のトリックを暴いていく著者は、食品業界歴25年、とりわけ食品工場の品質管理に通じているプロだ。畜産大学を卒業後、ハム・ソーセージメーカーに就職。養鶏場、食肉処理場、畜産、卵の加工品工場、コンビニ向けの惣菜工場など、あらゆる現場で品質管理を仕切ってきた。ひき肉は見ただけで何の肉かわかる、見てわからない場合は生肉を口に含めば当てられるとも書かれており、キャリアへの自信の程がうかがえる。
著者は一方で、消費者が漠然と抱いている「中国産野菜は農薬汚染がひどい」「コンビニ弁当は添加物だらけ」などの間違った思い込みを正していく。