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社説:視点 船場吉兆廃業 「くいだおれ太郎」も泣いている=論説委員・近藤伸二

 料亭「船場吉兆」が経営再建を断念し、廃業した。加工食品の産地や原材料の偽装に続き、新たに客が残した料理の使い回しが発覚し、客離れが止まらなくなったためだ。

 顧客や消費者の信用を失った企業の退場は当然の結果だ。それ以上に、大阪商法と関西の食文化の誇りを地に落とした責任は極めて大きい。

 廃業の引き金になった使い回しについて、料理長は湯木正徳前社長の指示だったことを強調し、「もったいない精神」を持ち出して、釈明に努めた。女将(おかみ)の湯木佐知子社長も「食べ残しとはニュアンスが違う」などと弁明した。

 大阪商人は代々、ものを無駄にしない「しまつ(始末)」の精神を受け継いできている。だが、必要なものまで惜しむ「けち」としまつは違う。客が代金を払った料理を別の客にまた出すのは代金の二重取りであり、老舗の看板を隠れみのに客を欺く行為だ。けち以前の問題で、ましてしまつとはほど遠い。

 船場吉兆は料理人として初めて文化功労者に選ばれた故湯木貞一氏が1930年に創業した日本を代表する料亭の流れをくむ吉兆グループ5社の一つだ。大阪の中でも、「粋」や「洗練」といったイメージを象徴する存在だった。

 貞一氏が大切にしてきたのが「もてなしの心」だ。庶民的な店でも、値段につりあった味と気持ちのいいサービスを提供する店は繁盛するし、高級店ののれんを掲げても、客をより好みするようなら見向きもされない。消費者に満足してもらいたいという精神が「もてなしの心」であり、それが徹底しているから大阪が「食い倒れの街」と呼ばれてきたのである。

 船場吉兆は、その前提となる店と客の信頼関係を根底から壊した。大阪商人は目ざとく利を追う一方で、客から信用され、社会に奉仕することの重要性を説いてきたが、偽装や使い回しはそんな大阪商法のモラルにも反する。

 大阪では今、7月に閉店するもうひとつの老舗料理店が話題になっている。49年に創業して以来、市民に親しまれ、さまざまなアイデア商法で注目されてきた道頓堀の「大阪名物くいだおれ」だ。歴史や営業形態は異なっても、「食の大阪」を印象付ける存在であったことは間違いない。

 看板人形「くいだおれ太郎」の誘致合戦は起きても、「船場吉兆」ののれんが消えるのを惜しむ声が少ないのは、企業の姿勢を見極める消費者の目がいかに厳しいかを示している。

毎日新聞 2008年6月2日 東京朝刊

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