2008年6月 1日 (日曜日)

学ぶぞ。

昨日(31日)は、僕の街の仏教会主催の“花まつり”があった。
 
法要のあと、「お稚児さん」として参加したちびっ子達53人が街中をパレードをした。
 
 
 
僕もちびっ子達と一緒にパレードの列に入り歩いた。
ちびっ子達に声をかけたり、「変なお坊さん!」とからかわれたりしながら、楽しいパレードだった。
 
 
 
そして、夜は前回投稿した方の「お通夜」だった。お経をあげて、緊張しながら法話をさせていただいた。
 
 
そんな1日の出来事を振り返りながら、
色んな「いのち」の場面を考えていた。
肩こりがバンバンに酷くなっていた。
 
 
 
 
今朝目覚めたら、また悲しい知らせが入った。若者が交通事故で。
 
 
現実は容赦なく、僕の想いを超えて、押し寄せてくる。
 
 
 
しばらく、めまいが止まらなくなっていた。
 
 
さ、学ぶぞ。
自分のいただいたいのちをよりクリアーに受け取る為に。

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2008年5月30日 (金曜日)

死亡診断書

 「枕経」の知らせ。

 お宅へ伺う。

 亡くなったのはバアチャンと二人暮らしの息子さんだった。なんで??

 

 家の中に入った瞬間、皆さんの「雰囲気」で・・・・、分かる。

 

 枕経をあげて、

 葬儀の日程を打ち合わせるべく、皆さんと向き合う。

 みんな無言だ。

 重たい空気の部屋の中。

 そして、僕も、どんな言葉を先ず言えばいいのか、戸惑う。

 

 すると、

 『死亡診断書』が僕の目の前に置かれる。

 「(これを見て、察してください)」

 という「無言」が、また引き続いていく。

 「死因」と「備考欄」に書き込まれた内容に、

 僕は、言葉を失う。

 何度も何度も、その欄を見る。

 皆さんの様子の意味が・・・分かる。

 バアチャンが小さく呟く。

 「若い人が先で、何で年寄りが後なんだ・・・」

  

 部屋の壁に目をやる。

 1箇所を除いて何の予定も書いていない真っ白な5月のカレンダー。その「28日」の欄に、バアチャンの字が書いてある。

 「○○。たんじょうび」  

 ひとつ年齢を重ねたのは、2日前。病院のベッドだった。昏睡のままで。

 

 

 バアチャンの介護をしたり、バアチャンの病院の送り迎えをしたり、

 孝行息子さんだった。

 僕が最後に会ったのは3月。

 やはり、

 バアチャンを連れて、お寺にお参りに来ていた姿を見た。

 人なつっこそうな、優しい笑顔だった。

  

  

 自分を取り巻く「状況」と、それを受け止める「心」の歯車。

 その歯車がズレてしまったとき。

 自らの手で「そっち」へ向かおうとする心の 

 何が「ブレーキ」になるんだろう?

 もし、

 タイムマシンがあって、「その時」に戻れるなら、

 何が「ブレーキ」になる?

  

  

 ・・・・・・・・・・・・帰り道。

 車の中で、

 さっきの放心状態で座り込んでいるバアチャンの「姿」を思いだしていた。

 横たわる息子さんの「姿」を思いだしていた。

 

 僕はつぶやいた。

 「ばかやろう」

  

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風が運んだ時間

 
朝、ウチを出たときのこと。
 
サーッと風が吹いてきたら、遥か昔、小学校の頃に登校する時に感じた「匂い」がした。
せっかくの懐かしい気分を失いたくなくて、思わず立ち止まって、深呼吸をした。
 
物置のガラス戸に映る僕は「現在」だった。
 
 
時間ってなんだろね。
 
 
もう5月も終わるんだなぁ。
 

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2008年5月29日 (木曜日)

言葉のイメージ。いろいろ。

たとえば、女性から

「明日、ランチrestaurantご一緒しませんか?heart02

な~~~んて「お誘いのメール」が来たら、ワクワクするっスcoldsweats01

ランチですよ、ランチ。「昼飯」じゃありませんって。「ランチ」だから、サバみそ定食とかカツ丼じゃないな、パスタとかピザとか、ちょっとオシャレな感じかなぁ。。でも、そんなオシャレな店が近所にないのも問題点・・・ま、妄想妄想・・・confident

でも、
・ランチをする・・・・(昼飯を食う) とか ・ディナーに誘う・・・・(晩飯に呼ぶ)

なんて、単なるカタカナ言葉のイメージにちょいとダマされてるのかも(*^_^*)

  

逆のパターンもあるな。

意識してカタカナ言葉の使用を避けている場合。

例えば、

僕がススキノのライブハウスでライブに出演するために、どうしても檀家さんの法要の日程を変更してもらわなきゃならない場合、

「あのぅ、こんど、札幌でですね、私、公演shineを依頼されておりまして、お参りの日程を変更していただけないかな・・・とcoldsweats01

しかも、「公演」が、「講演」と聞こえる効果もねらっている・・・catface

 

うーん、
言葉のイメージ。いろいろ。

云わんとする内容は同じなのに(*_*)

  

  

札幌での『みのや雅彦 コンサートツアー』に出かけるとき、駅で、檀家さんのバアチャンとすれ違い、「どっか遊びに行くのかい??」と言われ、咄嗟に

「はい、わたくしのお師匠サンの【公開講演会】が札幌でありますので、勉強も兼ねて、聴講に行ってまいりますっ!!」(←実際に使用した言い回し)

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2008年5月28日 (水曜日)

心の闇

自ら命を絶った「ある人」の文章を読みながら、思うままにならない人生と、孤独について考えてた。

いつも笑っていたあの人。しかし「笑顔」の影で生きることへの「絶望」が進んでいたことに誰も気づかなかった。いや、気づいていたとしても、そこまでの「心の闇」を見抜けなかった。

 

「孤独にして同伴者なし」という経典の言葉があるように、やはり人は孤独だ。

でも人は、大きくなって絶望して自殺するために成長してきたわけじゃないはず。

そうなるにはそうなるまでの状況や巡り合わせ、それに対する本人にしか分からない受け止めがあるわけだから、
もし人生が順調に進んでいたら、死を決断することもなかったろう。 

じゃ、なんでそういう状況になったんだろう?

そこで感じることは、
人生は自分の思い通りになるという「思い込み」、
生きるとは自分の都合の良いものだけを追い求めていくという「前提」・・・、
そういう「思い込み」や「前提」をまず問わなくてはならないと思う。

 

決して強くない私。状況が整えば何をしでかすか分からない私。

  

だからこそ、いま、確認しておきたいこと。

思うままにしたい気持ちと、思うままにならない人生。

その中で
限界を知る「覚悟」。
事実を受け入れる「勇気」。

  

まぁ、言葉ではなんとでも言えるけどね。

  

でも、だからこそ、いま、確認しておきたい。
「哀しい夢」を見た自分の「心の闇」と向き合いながら。

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2008年5月26日 (月曜日)

迷わない雑誌

夜中のコンビニには、「スィーツ」という誘惑の他に、新刊の「雑誌」を立ち読みする楽しみがある。
 
かつての僕は、「袋とじ」という雑誌の企画に騙されては写真週刊誌を買っていたことも…(苦笑)
 
「うぅぅ……見たい。どうしても見たい!」
…と雑誌編集者の「ワナ」にマンマと引っかかっていた。(でも、その内容が予想以上だった事はほとんどない。)
 
最近の僕は、そういう「ワナ」への興味も失せて、そういう雑誌もあまり読まなくなっていた。
 
  
しかし、
最近、雑誌の「表紙」に、やたら見かける「顔」がある。
 
  
それは、
イイ年したオッサンの私が何故か気になる
「綾瀬はるか」
である。
  
ホント彼女が表紙の雑誌がやたら多い。
近々、映画が公開になるから、PRも兼ねているのだろう。(そういえばテレビにもよく出てる)
  
   
昨日もコンビニで何冊かの雑誌の表紙に彼女を発見!
  
すると『Smart』という男性ファッション誌に  
「別冊付録 綾瀬はるかスペシャル写真集」  
と書いてある。
  
  
………………ワタクシ、久々に、迷わずに、その一冊を買い物カゴに入れていました(笑)
   
  
映画見たいゾ
来月見に行こう

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2008年5月25日 (日曜日)

この道ひとつ

今日は、毎月最終日曜日に開催しているお寺の「同朋の会(学習会)」の日だった。今月は、僕が担当で、「歎異抄」の第2章を読んだ。

 

京都の親鸞さんが60歳前後の頃のこと。

かつて約20年滞在した関東地方の門弟たちの間に、仏教(お念仏)の理解に対する「迷い」が生まれる。いくら親鸞さまから直接に「教え」を聞いた弟子であっても、いつしか周囲に「念仏は地獄へ堕ちるキッカケになるよ」という「他宗のカリスマ」が出てきたり、「私は念仏の本当の奥義を親鸞さまから直接聞いた!」というような「人物」が登場したりして惑わされると、次第に「根っ子」がグラついてしまうのである。

そして、動揺した弟子たちは、関東からハルバル「命がけの旅」をして京都の親鸞様をたずねて来て、

「本当のところは、どうなの?教えて!親鸞さま」

と訴える、そのあたりから始まるのが、歎異抄第2章である。

師匠・親鸞ならば、「本当はこうなのだよ。安心しなさい」と言ってくれると期待していた弟子たちに、「あなたたちの命がけで京都までやってきた目的は、命を本当にマットウする道を尋ねることだろう?」と問題点をハッキリさせた上で、親鸞さんは言う。

「私は、法然さんという師匠の仰せを受け取っているだけ、何も他に特別なことを知ってる訳でもないし、奥義の書いた経典を所有してるわけでもない。もし、そんなことを知りたいなら、仏教に詳しい学者さんとこに行ってきなさい。」

「この道を行って、うまくいくかどうか、そんなこと知らん。でも、法然さんの仰せを受け取って失敗しても、少しも後悔しないよ。」

「だってさ、この他の道を選んで進んで、うまくいくような才覚のある私なら、後悔もするだろうけど、もともと、救いようのない地獄行き決定の自分だから、うまくいかなくても、地獄こそもともと自分の居場所なのさ。」

「私の言いたいことは、それだけ」 

「だから、皆さんが、この道を行こうと、辞めちゃおうと、どうぞご自由にね」

(すみません、意訳しすぎ?興味のある方は、現本をシッカリお読み下さい・・・)

関東地方の弟子たちの間での「迷い・動揺」に対して、親鸞さんがこうレクチャーしてくれた、という「お墨付き」が欲しかった弟子たちであるが、言われたことは「私・親鸞はこう受け取っているだけ」という事のみ。

過去の比叡山での20年にもわたる修行で「自分のココロの構造」を厳しく見つめられた親鸞さんが、師匠・法然さまとの出逢いにより選んだ「一筋の道」・・・。

  

 

そんな内容の歎異抄の第2章を集まった皆さんといっしょに読みながら、約2時間の「講義?」を終えた。

帰る皆さんを玄関まで送り出していると、ちょうどお寺の外に女性2人の姿が・・・。それは10年くらい久しぶりに会う友人だった。驚きながら、玄関先で立ち話をする。近況を報告しあいながら、しかし、やがて、彼女はこう切り出したのだった。

 「話を聞いて欲しいんです。実は、私、ある宗教をオススメしているんです。」

と「ビラ」を1枚手渡してくる。少しビックリしたし、見知らぬ人なら、反射的にキツイ言葉で撃退してたかもしれないけど、昔からの友人なのでそうもいかない。逃げられないので、話を聞くしかない状況・・・。

 「因縁というものがあって、断ち切れないまま過去からずっと続き、そして、今の私を悩ませるのです。この宗教でその悪縁を絶ちきり、すべて解決できます・・・」 

 そういった内容。語る彼女の瞳は「死んだ魚」のようだ。

 「私、やっと結婚するんです。そうなれたのはこの教えのお陰でして・・・KONOさん、結婚していないですよね???それは過去からの因縁を断ち切っていないから。KONOさんはお坊さんだから・・・でも、九州のお坊さんも仏教にプラスして私たちの宗教で解決した人がいるんですよ・・・だからKONOさんにもぜひ・・・」

 「あなたのいう解決って何?」って質問したい衝動にかられる。でも、噛み合わない会話が継続していくのも、正直めんどくさい。

 さっきの「歎異抄」の親鸞さんが浮かぶ。

 -----もともと地獄行きだった私には、法然さまの仰せになった「この道」しかない----

 僕は、こう答えていた。

 「わかった。でも、俺は、親鸞さんの仏教をいただく浄土真宗の寺の住職になり、今も、皆さんと”学習会”をして終ったところなんだよ。」

 「うん、アナタの教えはよく分からんけど否定はしない。わざわざ足を運んで他人にオススメするあなたに敬意を表する。」

 「でも、親鸞さまの教えをいただいている俺には、アナタの言う教えは必要ないんだ。」

 そう言うと、

 「KONOさんには必要なくても、先祖が必要としています・・・」

 いかん、まずい、噛み合うわけがない。でも、僕は、こういうしかなかった。

 「ごめんな。あなたはあなたの信じる道を進んでください。俺は、今、自分にいただいた道を歩むだけだから。申し訳ない。ありがとう。」

 彼女の瞳の奥に、

 「(私の言う教えを信じないなんて、お気の毒に・・・)」

 という「哀しみ」が感じられた。

 彼女は帰っていった。

 その背中を見送りながら、僕は何とも言えない気分になった。

 凝り固まって、瞳の輝きを失い、訳の分からん話をして友人を失ったり、他の教えをいただいている場所(人)に土足で踏み込んできたり、周囲と噛み合わなくなっていくのが、「宗教」なのではないと思う。

 でも、彼女のお陰で、

 「この道ひとつ」・・・という親鸞さんの「受け止め」を考える事ができた。

 

 まだまだ「他の道を行けば、うまくいくのでは?」という可能性にうぬぼれたり、「この道ひとつ・・」と言い切れない自分がいたり。

 でも、僕は、迷いながらも、「命を本当にマットウする道」を、これからも尋ね続けるのだ。 

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2008年5月23日 (金曜日)

誕生日に免許証更新

今年は、5年に1度の「運転免許証」の更新の年。
  
今日は日中お参りが空いたので、チラッと札幌まで車を走らせました。
  
せっかく更新するなら、誕生日当日がいいでしょ!
  
更新手続きができる「札幌中央警察署」に向かう。
  
着いて、申請用紙をもらい、名前を書いて、印紙を貼って、写真を撮って、講習を30分受けたら、すぐ新しい免許がもらえた。
 私は決してマジメなドライバーではないはずだが要領が良い「優良ドライバー」なので、30分講習で楽!
  
所要時間1時間で全部終了!早い。
 
帰ってから、
今まで20年間の免許証を並べてみた。
 
右から20歳→23歳→26歳→29歳→34歳→39歳…の約20年。
 
免許証の大きさとか、文字の雰囲気とか、更新年の間隔も変化してきたが、こうして写真をズラッと並べると面白い。
  
「体重」は15キロほど増量・・・
「顔の輪郭」も変わり、
「メガネ」も昔はデカい・・・
「髪」が黒から茶へ。
「首」も太くなったなぁ。
  
ほんと、年とったなぁ。20年だもんなぁ・・・。
 
でも、
一応は『ゴールドドライバー』のワタクシ・・・
これからも安全運転を心がけていきたい。
  
 
 
そして、本日、私の誕生日に際し、色んな方達からメッセージやお言葉、お手紙をいただきました。
   
特に携帯メールでのメッセージは、今日の免許証更新の30分講習が終わって、帰るときに電源をONにしてみたら、まとまって着信して、びっくり。札幌中央警察署の玄関にしばし立ったままの状態で読んでました(笑)
 
みなさん、あたたかいメッセージ、ありがとうございます。
また頑張って行きます。
  
  
あと、その帰りに、久しぶりに「PPFM」へ行きました。すっかり店内は夏物の季節。新作を見るのは楽しい。(サイズが合えばもっと楽しい。)ハーフパンツやサンダル、パーカー、シャツなどを購入。
(ありがちな言い方ですが、自分への誕生日プレゼントなのさ!)

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«さぁ!