学ぶぞ。
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「枕経」の知らせ。
お宅へ伺う。
亡くなったのはバアチャンと二人暮らしの息子さんだった。なんで??
家の中に入った瞬間、皆さんの「雰囲気」で・・・・、分かる。
枕経をあげて、
葬儀の日程を打ち合わせるべく、皆さんと向き合う。
みんな無言だ。
重たい空気の部屋の中。
そして、僕も、どんな言葉を先ず言えばいいのか、戸惑う。
すると、
『死亡診断書』が僕の目の前に置かれる。
「(これを見て、察してください)」
という「無言」が、また引き続いていく。
「死因」と「備考欄」に書き込まれた内容に、
僕は、言葉を失う。
何度も何度も、その欄を見る。
皆さんの様子の意味が・・・分かる。
バアチャンが小さく呟く。
「若い人が先で、何で年寄りが後なんだ・・・」
部屋の壁に目をやる。
1箇所を除いて何の予定も書いていない真っ白な5月のカレンダー。その「28日」の欄に、バアチャンの字が書いてある。
「○○。たんじょうび」
ひとつ年齢を重ねたのは、2日前。病院のベッドだった。昏睡のままで。
バアチャンの介護をしたり、バアチャンの病院の送り迎えをしたり、
孝行息子さんだった。
僕が最後に会ったのは3月。
やはり、
バアチャンを連れて、お寺にお参りに来ていた姿を見た。
人なつっこそうな、優しい笑顔だった。
自分を取り巻く「状況」と、それを受け止める「心」の歯車。
その歯車がズレてしまったとき。
自らの手で「そっち」へ向かおうとする心の
何が「ブレーキ」になるんだろう?
もし、
タイムマシンがあって、「その時」に戻れるなら、
何が「ブレーキ」になる?
・・・・・・・・・・・・帰り道。
車の中で、
さっきの放心状態で座り込んでいるバアチャンの「姿」を思いだしていた。
横たわる息子さんの「姿」を思いだしていた。
僕はつぶやいた。
「ばかやろう」
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たとえば、女性から
「明日、ランチご一緒しませんか?
」
な~~~んて「お誘いのメール」が来たら、ワクワクするっス
ランチですよ、ランチ。「昼飯」じゃありませんって。「ランチ」だから、サバみそ定食とかカツ丼じゃないな、パスタとかピザとか、ちょっとオシャレな感じかなぁ。。でも、そんなオシャレな店が近所にないのも問題点・・・ま、妄想妄想・・・。
でも、
・ランチをする・・・・(昼飯を食う) とか ・ディナーに誘う・・・・(晩飯に呼ぶ)
なんて、単なるカタカナ言葉のイメージにちょいとダマされてるのかも(*^_^*)
逆のパターンもあるな。
意識してカタカナ言葉の使用を避けている場合。
例えば、
僕がススキノのライブハウスでライブに出演するために、どうしても檀家さんの法要の日程を変更してもらわなきゃならない場合、
「あのぅ、こんど、札幌でですね、私、公演を依頼されておりまして、お参りの日程を変更していただけないかな・・・と
」
しかも、「公演」が、「講演」と聞こえる効果もねらっている・・・
うーん、
言葉のイメージ。いろいろ。
云わんとする内容は同じなのに(*_*)
札幌での『みのや雅彦 コンサートツアー』に出かけるとき、駅で、檀家さんのバアチャンとすれ違い、「どっか遊びに行くのかい??」と言われ、咄嗟に
「はい、わたくしのお師匠サンの【公開講演会】が札幌でありますので、勉強も兼ねて、聴講に行ってまいりますっ!!」(←実際に使用した言い回し)
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自ら命を絶った「ある人」の文章を読みながら、思うままにならない人生と、孤独について考えてた。
いつも笑っていたあの人。しかし「笑顔」の影で生きることへの「絶望」が進んでいたことに誰も気づかなかった。いや、気づいていたとしても、そこまでの「心の闇」を見抜けなかった。
「孤独にして同伴者なし」という経典の言葉があるように、やはり人は孤独だ。
でも人は、大きくなって絶望して自殺するために成長してきたわけじゃないはず。
そうなるにはそうなるまでの状況や巡り合わせ、それに対する本人にしか分からない受け止めがあるわけだから、
もし人生が順調に進んでいたら、死を決断することもなかったろう。
じゃ、なんでそういう状況になったんだろう?
そこで感じることは、
人生は自分の思い通りになるという「思い込み」、
生きるとは自分の都合の良いものだけを追い求めていくという「前提」・・・、
そういう「思い込み」や「前提」をまず問わなくてはならないと思う。
決して強くない私。状況が整えば何をしでかすか分からない私。
だからこそ、いま、確認しておきたいこと。
思うままにしたい気持ちと、思うままにならない人生。
その中で
限界を知る「覚悟」。
事実を受け入れる「勇気」。
まぁ、言葉ではなんとでも言えるけどね。
でも、だからこそ、いま、確認しておきたい。
「哀しい夢」を見た自分の「心の闇」と向き合いながら。
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今日は、毎月最終日曜日に開催しているお寺の「同朋の会(学習会)」の日だった。今月は、僕が担当で、「歎異抄」の第2章を読んだ。
京都の親鸞さんが60歳前後の頃のこと。
かつて約20年滞在した関東地方の門弟たちの間に、仏教(お念仏)の理解に対する「迷い」が生まれる。いくら親鸞さまから直接に「教え」を聞いた弟子であっても、いつしか周囲に「念仏は地獄へ堕ちるキッカケになるよ」という「他宗のカリスマ」が出てきたり、「私は念仏の本当の奥義を親鸞さまから直接聞いた!」というような「人物」が登場したりして惑わされると、次第に「根っ子」がグラついてしまうのである。
そして、動揺した弟子たちは、関東からハルバル「命がけの旅」をして京都の親鸞様をたずねて来て、
「本当のところは、どうなの?教えて!親鸞さま」
と訴える、そのあたりから始まるのが、歎異抄第2章である。
師匠・親鸞ならば、「本当はこうなのだよ。安心しなさい」と言ってくれると期待していた弟子たちに、「あなたたちの命がけで京都までやってきた目的は、命を本当にマットウする道を尋ねることだろう?」と問題点をハッキリさせた上で、親鸞さんは言う。
「私は、法然さんという師匠の仰せを受け取っているだけ、何も他に特別なことを知ってる訳でもないし、奥義の書いた経典を所有してるわけでもない。もし、そんなことを知りたいなら、仏教に詳しい学者さんとこに行ってきなさい。」
「この道を行って、うまくいくかどうか、そんなこと知らん。でも、法然さんの仰せを受け取って失敗しても、少しも後悔しないよ。」
「だってさ、この他の道を選んで進んで、うまくいくような才覚のある私なら、後悔もするだろうけど、もともと、救いようのない地獄行き決定の自分だから、うまくいかなくても、地獄こそもともと自分の居場所なのさ。」
「私の言いたいことは、それだけ」
「だから、皆さんが、この道を行こうと、辞めちゃおうと、どうぞご自由にね」
(すみません、意訳しすぎ?興味のある方は、現本をシッカリお読み下さい・・・)
関東地方の弟子たちの間での「迷い・動揺」に対して、親鸞さんがこうレクチャーしてくれた、という「お墨付き」が欲しかった弟子たちであるが、言われたことは「私・親鸞はこう受け取っているだけ」という事のみ。
過去の比叡山での20年にもわたる修行で「自分のココロの構造」を厳しく見つめられた親鸞さんが、師匠・法然さまとの出逢いにより選んだ「一筋の道」・・・。
そんな内容の歎異抄の第2章を集まった皆さんといっしょに読みながら、約2時間の「講義?」を終えた。
帰る皆さんを玄関まで送り出していると、ちょうどお寺の外に女性2人の姿が・・・。それは10年くらい久しぶりに会う友人だった。驚きながら、玄関先で立ち話をする。近況を報告しあいながら、しかし、やがて、彼女はこう切り出したのだった。
「話を聞いて欲しいんです。実は、私、ある宗教をオススメしているんです。」
と「ビラ」を1枚手渡してくる。少しビックリしたし、見知らぬ人なら、反射的にキツイ言葉で撃退してたかもしれないけど、昔からの友人なのでそうもいかない。逃げられないので、話を聞くしかない状況・・・。
「因縁というものがあって、断ち切れないまま過去からずっと続き、そして、今の私を悩ませるのです。この宗教でその悪縁を絶ちきり、すべて解決できます・・・」
そういった内容。語る彼女の瞳は「死んだ魚」のようだ。
「私、やっと結婚するんです。そうなれたのはこの教えのお陰でして・・・KONOさん、結婚していないですよね???それは過去からの因縁を断ち切っていないから。KONOさんはお坊さんだから・・・でも、九州のお坊さんも仏教にプラスして私たちの宗教で解決した人がいるんですよ・・・だからKONOさんにもぜひ・・・」
「あなたのいう解決って何?」って質問したい衝動にかられる。でも、噛み合わない会話が継続していくのも、正直めんどくさい。
さっきの「歎異抄」の親鸞さんが浮かぶ。
-----もともと地獄行きだった私には、法然さまの仰せになった「この道」しかない----
僕は、こう答えていた。
「わかった。でも、俺は、親鸞さんの仏教をいただく浄土真宗の寺の住職になり、今も、皆さんと”学習会”をして終ったところなんだよ。」
「うん、アナタの教えはよく分からんけど否定はしない。わざわざ足を運んで他人にオススメするあなたに敬意を表する。」
「でも、親鸞さまの教えをいただいている俺には、アナタの言う教えは必要ないんだ。」
そう言うと、
「KONOさんには必要なくても、先祖が必要としています・・・」
いかん、まずい、噛み合うわけがない。でも、僕は、こういうしかなかった。
「ごめんな。あなたはあなたの信じる道を進んでください。俺は、今、自分にいただいた道を歩むだけだから。申し訳ない。ありがとう。」
彼女の瞳の奥に、
「(私の言う教えを信じないなんて、お気の毒に・・・)」
という「哀しみ」が感じられた。
彼女は帰っていった。
その背中を見送りながら、僕は何とも言えない気分になった。
凝り固まって、瞳の輝きを失い、訳の分からん話をして友人を失ったり、他の教えをいただいている場所(人)に土足で踏み込んできたり、周囲と噛み合わなくなっていくのが、「宗教」なのではないと思う。
でも、彼女のお陰で、
「この道ひとつ」・・・という親鸞さんの「受け止め」を考える事ができた。
まだまだ「他の道を行けば、うまくいくのでは?」という可能性にうぬぼれたり、「この道ひとつ・・」と言い切れない自分がいたり。
でも、僕は、迷いながらも、「命を本当にマットウする道」を、これからも尋ね続けるのだ。
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