お邪魔します。色々慌しくて遅れてしまってすいませんでした。
だいぶ気持ちの整理と身のまわりが片付いて来たし、
どうしてもと、さおり本人から頼まれていたことだったので
本人に代わってここに書き込ませていただきます。
その前に長文失礼します。
さおりは私の娘です。
子供たちの一番上の子で、病気で無くなった私の姉の子で、
養女として引き取りました。
それから私に息子と娘が授かり、5人家族として仲良く今まで過ごしてきました。
本人は幼い頃から優しい性格で、いつも遠慮してるのかと
思うぐらいに思える子でした。
高校を出た途端に働きだして、一人暮らししたいというので、
検査入院には必ず通う条件で了解しました。
もともと肝臓に癌細胞ができたり、血液の異常が時々見られたので、心配ながらも本人の意思を優先させました。
本人もそれを気にしていたのか、それまで浮いた話が
無かっただけに、2年前に伴侶となる方が出来たときは
私達もとても喜びました。
母親の私が言うのもなんですが、とても顔立ちが綺麗だし、
優しい子なのに今までそういう話が出なかっただけでも
不思議でした。
子供も望んだようでしたが、去年の今頃に子宮外妊娠で
3リットルの出血、生死を彷徨い、
子供を産めなくなってしまいました。
それから3ヵ月後に婚約者と4歳の連れ子さんは
事故で亡くなり、そのときに初めて、
さおり本人から泣き言を聞いた覚えがあります。
「ごめんなさい」って泣きじゃくってる日が続きました。
それから1ヶ月程でしょうか…
「ファンタジーオデッセイ」というオンラインゲームに
取り憑かれたように夢中になってたようで、心配してましたが
今年になってブログを開いたことを聞かされ、
私は時々ここのブログを見に来て、今まであの子の色んな面を今更ながら知りました。
色んな方達と大切な時間を共有してたようで、私からも感謝の気持ちでいっぱいです。
パソコンと一緒に置かれてたメモ帳、そこには色んなこと…誰々と何日にこういうことがあったとか、教えてもらったとか、こと細かく書かれてあります。
今年の春の初めだったでしょうか…。
私達の家にさおりが来てたときに少し出血と吐き気が
あるようなことを言ってたので心配してましたが、
子宮の奥に大きな癌細胞があったようで、
あっという間に骨にも転移し、先月に病院に聞かされたときには末期でした。
病院の言うには骨が折れるような痛みがあったのではないかとのことでした。
私は強引にでも入院させて治療を行えば良かったと
後悔してました。
でもあの子は「ごめんなさい」しか言いませんでした…。
5月22日入院し、モルヒネ点滴で痛みが和らいでるせいか、
「病院にインターネットに繋がるパソコンがあったら良いね」
って本人が言ってたので、病院の許可を貰って
私達の家に帰宅し、付き添いながら
さおりの知り合いの方達のブログを一通り見にいきました。
「コメント、書かなくっても良いの?」って聞いたら
「うん。言葉で表せないくらい嬉しいし、
何て言ったら良いのか分からないから…。」
本人は笑顔で泣いてました。
5月24日の朝、さおりは亡くなりました。
朝、泊り込んで寝てた私の側でマスクから呼吸だけが
聞こえてたけど、いくら声をかけても返事が無く、
お昼に呼吸も止まりました。
昨日、葬式も済ませて本人の遺言どおり、
ここに書いて欲しいということだったので
失礼ながら書き込ませていただきました。
なんだか、本人の言葉より私の文のほうが
ずいぶん長くなってしまったようで、失礼しました。
本人の希望どおり、6月3日21才の誕生日に
ここのブログとオンラインゲームの
退会手続きをさせていただきます。
「みんなと過ごした時間の記録は一緒に持っていきます。
私、もっといっぱい話したかったけど
とても嬉しかったし、楽しかったです。
ありがとうございました。そしてごめんなさい。
皆様も人生がんば!です><b」