婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2008年06月01日
3世代、思いはいろいろあるけれど
 この時期貴重な晴れの日曜日。できる事なら残り少ない雪を求めて山スキーに出かけたい。しかし色々と用事は今日も多い。
 まずは午前中には小学校の授業参観があった。しかもその後に校長先生と3男の転校を巡る話し合いもある予定だ。
 僕はこの夏に今の病院社宅から歩いて5分ほどの場所に引っ越す予定なのだが、そうなるとどういう訳か現在小学5年生の3男だけ、学区の規則で転校が必要となると言う。それはあまりにかわいそうだという事で校長先生と対応を協議する事となったのだ。

 なお僕自身は、子供時代に親の仕事の都合で何度も転校した経験がある。転校と言うのも悪くないと言うのが、実は僕の子供時代の感想だ。転校すれば新しい出会いがあり、一時的でもクラスのヒーロー?になれる。子供というのは順応が早い。別れの悲しみより出会いの楽しみの方が大きい場合もある。

 しかし今回の3男の場合、転校しないで済むのなら転校しない方が良いと言う思いが周囲(と本人)にあった。サッカーのクラブ活動もできればこのままスムーズに続けさせてあげたい。
 この辺については学区の問題で複雑なモノが絡むので、また後日にこの続きを書こう(もし書ければですが・・・)。

 さてさて更に、今日の午後には茨城から僕の父母が高山まで孫の顔を見に来るという大?イベントもあった。
 僕の父母はもう2人合わせて145歳と大分高齢だが、お陰さまで2人とも元気だ。茨城から首都高速経由で新車を飛ばし、高山までやってくると言う。その接待?(親孝行とも言う)も重要だ。70過ぎの親と中学校や小学校で、子供のサッカー練習を見学したりする。 

 そんなこんなで今日も僕は何処にも出動できない。
 しかし考えてみれば僕くらいの年代の人間が、遊んでばかりいられないのは当然だ。それでも僕はまだかなりマシな方だとも思う。
 子供達は皆健全だし、高齢の父母もまだ当分は元気でいてくれそうだ。晴れの日曜日に山スキーにいけないくらいで、ふてくされるなんて、贅沢な話であるに違いないとも思っている。

まずは授業参観から


和太鼓に父兄で飛び入り参加したりして
2008年05月31日
子供達とプロサッカー
 雨の土曜日となった。代わりの医者もいないし、もちろん僕は山スキーに出動は出来ない。
 しかし幸いな事に病棟は落ち着いてくれていた。分娩制限は今日までで、もう何時お産の呼び出しがあってもおかしくない状況なのだが、雰囲気から言って今日はまだ分娩が無しで済みそうだ。これは少しは遠出が許されるかもしれない。

 さて今日は岐阜メモリアルホールの長良川競技場でFC岐阜対ベルファーレ甲府というJリーグの試合があった。
 そしてたまたま東小サッカーチームが抽選?に当たったかなにかで、次男、三男を含めた東小イレブンが、入場行進の時に選手と手をつないでサッカー場に入る大役?を仰せつかっていた。

 FC岐阜は決して有名選手がいる強豪チームとは言えないが、それでも立派な岐阜唯一のプロサッカーチームだ。その入場行進に子供達が参加できるなんて、そうは無い貴重な機会だろう。
 そこで僕は今日は各種用事を全てすっぽかし、子供たちの運転手兼私設カメラマンと化し、岐阜のメモリアルホールまで出かける事とした。もちろんサッカー試合もバックスタンドから観戦する。

 プロサッカーの試合を見たのは、今から15年ほど前にコロンビアの首都ボゴダでコロンビアリーグのサッカーを見て以来の事だ。コロンビアのサッカー試合は怖いもの見たさの乗りであったが、今日の試合は家族連れのほのぼの系であった。
 それでもプロの試合は面白く、見応えある。子供達も即席サポーターとなり応援団と共に大騒ぎで喜んでいた。

 子供達が将来プロサッカー選手になる見込みはほとんど無いだろうし、プロスポーツ界は何処も経営が厳しいと聞く。それはそうでもやはりこういう機会を通して、子供たちも何か夢を持って成長していってもらいたいと思う。

子供達は応援で大騒ぎ


Jリーガーによる少年サッカー教室もありました
2008年05月30日
年を取っても成長できるか
 分娩が無いお陰で仕事は忙しくても、夜にはしっかり休めている。昨日は仕事も早く終わったので、夜から病院有志のフットサル練習に参加する事も出来た。
 昨年12月の親子サッカーで痛恨の肉離れを来たして以来、約半年ぶりの復帰練習だ。とは言うものの張り切った割には、復帰第1戦を華々しく飾る事は出来なかった。

 最初の15分くらいは何とか動きもサマになってる気もしたけど、後半はもう足が球に付いていかず空振りの連続となる。あまり激しく運動するとその後は軽く吐き気までしてきた。
 去年の夏の練習では、フットサル後にクアアルプに出かけ更に一汗かいて温泉に入ってから帰宅していたものだが、その元気も出てこない。たった1年で大分体力が落ちたと思う。

 フットサル練習に来るメンバーを見てもどうやら40代は僕だけだ。しかも医者は僕一人しかいない。年寄りの冷や水と言われても仕方が無い状況で若手に混じって運動に励んでいるのだが、僕は決してめげない。
 世界一の登れて蹴れるとっちゃん山スキーヤーを目指すのだ。(既に日本一の登れて蹴れるおとっちゃん産科医兼テレマーカーである様な気はしますが・・)

 さて話は変わり、75歳で三浦雄一郎がエベレスト登頂した。しかし一方その陰で元冬季オリンピック選手の息子が脳浮腫となり、生死の境をさまよったらしい。迫真の手記が公開されていたが、確かにギリギリの生還だ。常人だったら死んでいた可能性が高い。しかし75歳が登頂して、その38歳の息子が死ぬ思いをするなんて、少し不思議な気はする。

 またつい最近では、37歳の伊達公子がその12年ぶりプロテニス復帰戦で、24歳日本ランキング3位を破った事が話題になった。もちろんこれらは僕のような素人とは比較できないプロアスリートレベルの話だ。

 しかし何だかこういう話を聞くと、年齢でそのパフォーマンスが下がるかと言うと、どうもそうとは限らない気もする。
 今から20年以上前僕が高所登山を良くしていた頃、高所では若い人より高齢の人の方が強いという例を何回も見た。確かに20代前半で高所登山で目覚しい活躍をするのは中々難しい気がする。果たしてこれは何故だろうか。 

 今アンチエイジングと言う言葉を良く聞くが、どうすれば年齢による衰えを克服できるのだろう。何か秘訣があるような気もするが要は気の持ちようなのだろうか。
 世の中元気なお年寄りが増えても困る点はある。やっぱり若い人が元気で無いと世の中は上手く行かない。しかし何か年取ると良い事があるんじゃないかと信じて、生きていった方がきっと人生楽しいに違いない。

結構走り回ります
2008年05月29日
楽する事も大事です
 昨日も比較的早く仕事は終わった。仕事量は決して少なく無いのに早く帰れるのは、もちろん4月5月限定の分娩制限のお陰である。しかしそれだけではない。仕事の要領が良くなったからというのもある。
 僕の仕事上の基本原則である「他人に任せれる仕事はできるだけ他人に任せる」という方針が実を結んでいるからに他ならない。

 これは「何か業務が一つ増えたら、代わりに他の業務を他人に回す様にする」と言い変える事も出来る。
 こういう事は忙しい一般サラリーマンから見たら身勝手で許されない事かもしれない。しかし僕はその原則で妥協するつもりはない。

 周りを見ていてもある程度仕事が出来る優秀な人間になれば、どんどん仕事はその人に集まるようになる。
 そうなるとその人の負担は何時まで経っても減らない。挙句の果ては煮詰まって退職したり、転職したりという事に繋がる。酷い場合は自殺する事すらある。
 僕はそういう例を幾つも見てきた。優秀な人間は積極的にサボらないといけない。そうじゃないと同じ仕事を長く続ける事はできないんじゃないか。

 特に僕には代わりの産科医がいない。医師がやる仕事を何から何まで自分でやるとしたらそれは大変な事になる。
 実際に僕にはそういう時代が今から3年から7年くらい前にあり、その間はただ眠くて何か薄暗い記憶で占められている。しかしそんな事ではいけないとある時ふと気づいた。これでは絶対に先が続かない。

 そこで妊婦健診は助産師さんに、各種ペーパーワークは事務さんにできるだけして貰う様にした。代務医招聘の為の代務料アップも交渉した。
 当初は「これは医者の仕事だ」とか「産科医だけ優遇されている」という類の抵抗はあったが、時代が後押ししてくれた。時代が後を追いかけてきてくれた気もする。

 産科医の人数だけは世間でひたすら減り続けているので、代務医招聘には相変わらず思惑通りに行かない事が多い。
 しかしそれでも医療秘書に点数が付いたり、代務医の招聘に市から援助が出たりと少しづつ僕の職環境は良くなっている。石の上にも3年と言うが、石の上にも10年という感じだ。

 というわけで昨日は夜の空いた時間に、子供達とサッカー練習に興ずる事も出来た。今日も時間があれば久しぶりに病院有志のフットサル練習に出てみようかと思っている。
 これで週末にどこかで山スキーで遊べたら良いと思っているが、さすがに果たしてそこまでは大丈夫だろうか? 

今年の夏はサッカーモードになるのかなあ
2008年05月28日
遊びの記憶を蓄えとかないと
 昨日は仕事も速く終わり、まだ明るいうちに帰宅できた。週末の暴飲暴食?でちと壊した腹の調子も戻る。
 10日前の鷲羽岳往復以来運動らしい運動は全くしていないから、今は運動不足が気になっていたりする。
 何とか週末には時間を作り、出来ればシーズン大詰めラスト?山スキーを飾りたいと思っているが、代わりの医者もいないし、各種用事もある。思惑通りに事が運ばないのが残念だ。

 6月に入ると分娩制限をしていた期間が終わるので、いよいよ夜中の仕事が再開される。
 そうなると体調も崩しやすくなるし、山に行く時間は益々作れなくなってしまうだろう。もうそろそろスキーを片付ける日が近づいているのは、ひしひしと感じている。
 
 今年の山スキーは、乗鞍岳の縦横断など印象深いものが多かった。GWに穂高の山頂から滑降できたもの嬉しい。しかし小槍とか水晶とかこれぞと言う大物は落とし損ねた。何かまだ忘れ物をしている気がしてならないのだ。とはいえ仕事や家庭を放り出して山に行くような社会人にあるまじき行動はできない。

 このままスキーシーズンが終わるのかと思うと、どこか納得いかない気がする。
 スキー技術は少しづつ上手くなっているが、身体の性能自体は一年一年と薄皮を剥ぐように落ちている。
 まだまだやりたい事は多いし、焦りも感じる。体力と自分の思いを上手く折り合いをつけて少しづつ老いていくのが、賢い人間の在り方なのだろうが、どこかで何とかアンチエイジングできないかと気持ちだけがあがいているのだ。

 昨日は良く晴れわたった好天だった。仕事が早く終わったので明るいうちに、とある家の庭に行くと、笠ヶ岳の雪代から槍ヶ岳、穂高まで良く見えた。何故かは知らないが今年は黄砂少なく山の雪は例年より白い気がする。
 笠ヶ岳の雪代の馬は例年より10日遅れで現れたそうだ。つまりまだ高い山ではスキーが出来るのだろう。まだどこかで豪快スキーを楽しめないかと、気持ちだけは動く。
 
 良く働く人は良く遊ぶものだ。これは確かに真実だと思う。これから夜中の業務が始まると思うと、今の内に少しでも遊び貯めておきたいと気持ちが動いているのだろう。
 冬ごもり前に栄養を身体に蓄えておく熊の様に、雪が溶け登山のシーズンオフに入る前に、僕も身体に遊びの記憶を蓄えておきたい。

昨日夕方の笠ヶ岳雪代。南米リャマの如くの馬がくっきり


昨日は槍穂高も見えました。電線が邪魔なのが難点
2008年05月27日
やっぱりすごい、三浦雄一郎
 昨日から腹を壊して、体調は良くない。多分その原因は日曜夜のビール飲みすぎだろうが、もしかしたら金曜夜に食べたホタルイカの踊り食いでアニサキスに当たったという可能性もある。
 腹痛はほとんど無いから、多分アニサキスではないと思うけど、それでも自己管理が出来てなかったのは同じだ。もう若く無いのだから、調子に乗っての飲みすぎ食べすぎには気をつけないといけない。
 仕事は何時もの様に忙しいし、手術も有る。体調を壊して手術失敗しましたなんて事は許されない以上、こんな事ではいかんなあと思っていたりする。

 さて昨日僕が体調を壊して、ふらふら業務をこなしている間にも、遥か彼方のヒマラヤでは三浦雄一郎が75歳エベレスト登頂を目指し最終キャンプを出発していた。
 三浦隊ではエベレスト登山の状況を逐一リアルタイムでネットに発信しており、僕は思うところがあってほとんど毎日そこにアクセスしていたのだが、昨日ついに登頂に成功したというニュースがネットに流れたのでした。
 
 75歳でエベレストに登頂するという事がどれほど大変な事か、多くの方の想像を絶している事だろう。
 僕は20年前に7500mのムスターグアタに登頂した事があるが、その標高に泊まって更に上に登るなんて事はとてもできないと当時思った。
 また75歳の方の婦人科診察も僕は良くするが、普通は診察台に上がるだけでも一苦労する年齢である。とにかく常軌を逸した75歳である事は間違い無い。

 三浦雄一郎と言えば、1970年のまだ日本人が誰もエベレストに登ってなかった時代に、エベレストをサウスコルの上から滑降した男である。色々な意味で当時のスキーレベルを考えると、ヒマラヤを滑降するなんて事はこれまたとんでもない事だった。当時小学生になったばかりの僕も、なんでエベレストでわざわざスキーせんといかんのか、全く理解できなったという記憶がある。

 その後70年の三浦スキー隊に同行した方たちと知り合う機会があり、色々な話を聞いたが、やはり当時から三浦雄一郎は抜群に高所に強かったらしい。当時の彼ならエベレスト無酸素登頂も楽勝だったろうという話も聞いた。こうなるとなにか特別な身体の持ち主としか僕には思えない。

 更に今回は聖火リレーの関係でチベット側からの登山が禁止され、登頂ルートの変更を余儀なくされた上、更に登山期間も特別制限された状態での登山だった。それでもくじけずに登頂に成功するのだから、そのあきらめない精神力の強さも驚きだ。
 そういう抜群の強い心を持っているからこそ、人並みはずれた身体の強さも発揮できるのだろうか。

 巷では75歳と言えば後期高齢者だ。現代の姨捨山制度とも言われている後期高齢者保険者証が、多分三浦雄一郎の下へも届いているのだろう。しかしこういう特別な75歳に、後期高齢者はもちろんおかしな話だ。高齢者にもピンからキリまでいる。
 僕も白髪も増えて、肉離れを起こしたりとか、サッカーでバランス崩したりとか、スキーで息が続かなかったりとか、とにかく年を感じる場面が最近急に増えてきた。

 身体が歳を取っていくのは、人それぞれ生まれ付きのものがあって仕方が無いとしても、せめてそのあきらめない精神力だけでも三浦雄一郎を見習い、できれば少しでもあやかりたいと思っている。
2008年05月26日
子供はサッカー、親は酒
 土曜深夜にはやや想定外の出動を一件要したが、それ以外はまあまあ平和に過ごす事が出来た。
 この土日は雨となり、山スキーにはもちろん行けない。日曜日は子供のお供で、各種少年サッカー練習試合のお手伝いが僕の最重要業務だ。
 雪が積もる間の遅れを取り戻すが如く、GWを過ぎて飛騨地区の少年サッカーは今が盛りと活発に動いてる。まずは午前中に国府で少年団サッカーの練習試合が3試合組まれていた。

 その間に父兄の親睦サッカーも15分ほどある。子供達はトータルで2時間近く泥だらけで走り続ける訳だが。親さんはわずか15分で息も絶え絶えとなる。僕も持ち前?の運動量を生かして、果敢にゴールを目指したが、足技と経験不足から昨日はノーゴールに終わる。

 更に午後からは飛騨地区の選抜サッカーチームの壮行試合が流葉で組まれていて、そちらにも早着替えで子供達は参上した。選抜に選ばれている三男は午前午後と試合が続き大忙しだ。
 その一方で選抜チームから落ちている次男は、複雑な気持ちらしく機嫌が悪い。人生には色々な事があると慰める。

 さて選抜サッカーチームには、その後お父さんらによる夜の部も待っていた。
 子供達を高山の家に送り帰すと、今度は監督を交えて飲み屋さんに皆で集まった。硬軟交えたサッカー談義に花が咲く。
 親さんらにとっては、昼の子供のお世話と応援よりも、夜のビールと酎ハイの方が実はメインイベントだったりする。

 昨夜は蒸し暑い雨の戦いの後だったので、ついついアルコールの度数も上がった様だ。
 僕も今日の仕事を少し気にしながらも、ついつい腹を壊すまでビールを飲み続けてしまう。

 今日の仕事も忙しい。テクニカルな手術もある。昨夜の飲み過ぎで腹を壊して元気は無い。体調も崩したか微熱もでている様だ。
 そうは言っても飲み過ぎで手術を延期しますなんて、もちろん言える訳は無い。昼飯抜きで反省のウーロン茶を飲みながら、今日も朝から忙しくふらふらと仕事続ける僕なのでした。

午前中は東小の戦い。次男三男はバックで活躍


三男は早着替えで、午後から選抜の壮行試合
2008年05月24日
良く働いて良く食べる
 昨日は午前中は何時もの秒単位外来、午後からはややタフな手術が3件続いた。
 手術では想像以上の癒着と出血に苦労する。とはいえどんな大変な手術でも僕には誰かバックアップが控えてくれてはいない。どんなに疲れていようとも、山で鍛えた根性を発揮し、自力でがんばるしかない。
 もちろん手術は無事にこなし、術後の経過も順調そうだからほっと安心した。

 何とか仕事が一段落ついたのは、午後8時近くだった。まだ回診も済ませてないが十分腹も減っている。もう遅い時刻だし、明日やれる仕事は全て明日に回し、代務の先生と共に朝日町寿楽久まで久しぶりに美味しいものを食べにでかけた。

 高山は富山湾から近いので、山の幸のみならず、日本海の海の幸にもかなり美味しいものが多い。名古屋では滅多に食べられないものもある。地酒の代表久寿玉を飲みながら、お店お勧めの直送海産物をつまむのは美味しかった。代務の先生もきっと喜んでくれた事であろう。

 仕事の疲れもあいまって、ついついまた飲みすぎ食べすぎとなった。仕事の愚痴?もこの機会に散々聞いてもらう(情報交換とも言う)。
 今週末は代務の先生も高山まで来てくれているのだが、天気も良くないし、家庭や仕事絡みの業務が多い。下手すると今季はもう山スキー終了となりそうだ。

 分娩制限期間も終わりに近づき、これから仕事はどんどん忙しくなる。寝不足の日々がまた始まると思うと心が暗い。こういう時くらい散々飲んで、心と身体に栄養を与えておかないと、これから先の気持ちが続かないよと内心思っていたりする。

ホタルイカの踊りは少し旬が過ぎていた
 

脂の乗った定番飛騨牛刺身
2008年05月22日
お年寄りの介護と子育てが両立できますか?
 昨日は比較的早く帰宅できた。この時とばかりに家電用品店、ドラッグストア、スポーツ用品店、レンタルビデオ屋を回り、更に床屋で散髪も済ませる。
 看護士さんの中には素敵な床屋で髪型をおしゃれに決めたらと言ってくれる人もいるが、僕にはそんな悠長な時間は無い。何時もの様に格安チェーン床屋で15分で散髪を済ませる。お陰で帰宅してからも子供達とDVDを見て過ごす時間が出来た。5月中はまだ分娩制限の最中なので多分夜中に呼ばれる事も無いし、平和で幸せな時間だと言えるだろう。
 
 とはいえ平和な時間はもう残り少ない。来月からびっしり分娩予約が入っているし、手術も多い。
 今月、来月の手術日は既にもう全て埋まってしまった。にもかかわらず次々と手術希望者は来院するから頭が痛い。こういう時は既往帝王切開の人や骨盤位の人を経膣分娩に回すという、手術件数を減らすための奥の手があるのだが、こういう時に限って帝王切開をどうしてもと希望される方が多い。
 帝王切開を希望されてその適応があれば、もちろん無理に無理に断る訳には行かない。どんなに忙しくても数をこなすしかない。それは僕の使命みたいなものだ。

 さていきなり話は変わり、僕の外来には多くの寝たきり高齢者の方も受診される。その主訴の殆どは出血だ。中にたまに癌の方も見えるが、多くは膣炎もしくは子宮留濃種である。
 寝たきりお年寄り方の膣炎の原因は、便が膣に入ってしまう事だ。オムツを一日中当てているのだから仕方が無いのだが、中には膣はおろか子宮の中にまで便が充満している場合もある。各種肝炎ウィルスキャリアの方も少なく無いし、膣炎の洗浄一つでもなかなかえぐい。

 もちろんその殆どの方に認知症が入っていて、自力で内診台に上がれない。
 診察台に上がるのに時間もかかるし看護師さんらの手間も大変だ。とはいえ施設の方も家族も大変な思いで、病院に連れてきている訳だし、もちろん僕は粗末に扱うなんて事はしない。

 そういえば、 僕の子供の頃は良くお年寄りを敬いましょうというキャッチフレーズが巷に溢れていた。しかし現実は厳しい。認知症の入った寝たきり高齢者の方の介護は、既にそういうレベルを超えている。
 僕も診察中に突然蹴られたり、血や尿や便をかけられたりする事もある。ましてや家族や周りの人はもっとずっと大変な思いをしている事は間違いない。上手く施設や介護保険を利用しても、結婚できないとか子供作れないとかの思いをしてる家族の方は、現状でも多いはずだ。

 一人の認知症寝たきり老人の方の介護にはどれだけのパワーが必要なのだろうか。これから更にこの手の老人の人数は増える。そうなるとどこまで社会がそれを支えられるのだろうか。本来なら子育てや子作りにかけるパワーを、お年寄り介護の方に注がなければならなくなっているだろうと容易に想像できる。

 今日看護師さんから、「先生はお年寄りに優しいね」とお世辞?で言われた。とはいえ他に多くの待たしている患者さん方もいるわけだし、なかなかに複雑な思いはする。
 この手の事はお年寄りに優しいだけで解決できる問題では無い。こういう事に上手く解決策を見出す事は難しい。社会や個人で、何処かに何らかの妥協点を探るしか無いのだ。
 
 それでも僕は心配だ。僕がお年寄りとなり、他者の介護が必要となったら、その時の社会はどうなっているのだろうか。僕のオムツを誰がどう交換してるのだろうか。
 おそらくその頃の社会では「お年寄りを敬いましょう」なんて言葉は死後になってるだろう。恐ろしい話かもしれないが、産婦人科の現場から見て、お年寄りを粗末にしないと成り立たない社会というのが、直ぐそこにまで来ている気はしているのだ。
2008年05月21日
司法と医療
 昨日の雨から打って変わって、紫外線降り注ぐ好天の水曜日となった。
 水曜日の外来は助産師さんに任せているし、分娩も多分無いだろう。今日の午前中だけでも山スキーに出かけてやろうかという気持ちも無いわけではなかった。午前中限定で行くのならこの時期穴毛谷周辺になるだろう。

 何と言ってももう山スキーのシーズンは残り少ない。山の雪はどんどん溶けている。各種用事が増えて週末の出動もこれから先はままならない。そう考えると、少しでもチャンスがあるうちは出かけておきたいという気持ちだ。
 しかし出動するとその後の仕事のしわ寄せが怖い。日曜日のロングワンデイの疲れもまだ筋肉に残っている。諸事情を考慮すると出動する根性は結局出なかった。お天道様は眩しいが、今日はきちんと仕事してできるだけ雑用を片付けておこう。

 さて昨夜NHKでプロフェッショナルという番組があった。毎週一人の各分野のプロフェッショナルに焦点を当てて、その生き様を照らし出すという番組だ。医療関係のプロが出る事も多く、時間があれば見るようにしている。
 昨日はたまたま医者の敵?とも言える、医療訴訟の辣腕弁護士がその主人公として出ていた。

 僕は医療訴訟のあり方には言いたい事が山ほどある。現在産科の危機が叫ばれているが、そうなってしまった最大の原因は産科医療における過去の司法判断にあるからだ。
 新生児死亡は千に一例、脳性まひも千に一例(今はもう少し減ってますが)、母体死亡は万に一例。これはどうしても生じる事の有る生き物としての人間の性だ。それが人間というものだ。

 それなのに、そう思わない遺族の逆鱗に触れ、たまたま辣腕弁護士や判断力の狂った検事に睨まれると、莫大な賠償金を取られたり、時には刑務所に入れられたりする。こんな状態では、寝不足で過酷な仕事をわざわざしたいと思う人はいなくなるだろう。もちろん僕もその一人だ。

 僕は産科医としては珍しく、今まで医療訴訟に巻きこまれた事は無い。しかしこれはたまたま運と環境に恵まれていたからに過ぎない。
 多分何かの機会に辣腕弁護士や検事に睨まれたりしたら、今ごろ僕はどこかの刑務所に入っていたかもしれないし、文無しになっていたかもしれないと幾らでも思う。要するに司法の医師(特に産科医)に対する態度はおかしいのだ。
 もし今後も福島の産科医逮捕事件みたいな事が続いたら、産科医が世の中からいなくなり、更に少子化が進み、自分達が老人になった時に自分達のオムツを交換してくれる人がいなくなる。僕はその事を司法人に言いたくて仕方が無い。

 さてさてそんな思いを抱きながら、昨日の番組を僕は見ていた。やはり番組では、その辣腕弁護士が脳性麻痺事例で勝訴したという事を、さすが腕利きだと評価していた。
 しかし当たり前だが、だからと言って世の中から脳性麻痺や死産が減る訳ではない。遺族の気持ちはそれで納得するのかもしれないが、その分産科医のモチベーションが下がり、分娩費用に訴訟費用が上乗せされるだけの事だ。それではかえって世の中は困るのだ。
 そういう点を、その辣腕弁護士がどう思ったのだろうか?それを僕は知りたかったが、番組では分からなかった。

 過去の医療訴訟で産科医療がどんな事態になったかなんて事は、テレビ内では掘り下げられない。これは面白くないが、所詮はテレビ番組だから仕方が無いだろう。
 ただその後その辣腕弁護士は、C型肝炎問題では交渉相手を医師から政治家に変えていった様だ。これは評価できるかもしれない。司法が戦う相手は医師ではない。それでは世の中は悪くなる。司法が戦う相手は、政治であり国家であり世間の仕組みでないか。

 多くの司法界の人間だって、その点にそろそろ気づきだしているのじゃなかろうか?
 医療訴訟は件数が多くて、多分弁護士の仕事にはなるのだろう。しかしそんな世間の為にならない事をやってばかりでは、巡り巡って自分に必ずかえってくる。その点を良く考えて司法の人には仕事してもらいたいものだ。
2008年05月20日
何時の間にやらネット中毒
 雨の匂いのする朝になった。この雨で受診患者さんの人数も少しは減るかと思ったら、もちろんそんな事は無く今日の外来も混んだ。何時もの様に忙しい火曜日だ。しかし今日は何時もと違う事もあった。
 それは朝出勤し、僕の病院内アジトで朝一のメールチェックをしようと思ったら、パソコンがネットと繋がらなくなっていた事だ。
 何回試しても、他の予備パソコンを使っても繋がらない。

 患者さんは待合室でずらりと待っているから、ゆっくりはしていられない。朝一のメールチェックが出来ないまま外来を始めたが、何だか気分は落ち着かなかった。
 このままメール確認も出来なければどうしようという感じだ。できれば山スキー記録のHP更新もしたい。しかしパソコンがネットと繋がらなければどうにもならない。

 これで僕がパソコンにもっと詳しければ良いのだが、僕はパソコン特にHP関係では、今まで何度か痛い目にあっている。下手にあちこちいじって取り返しが付かなくなると困ると思った。
 外来が始まると、他の事を考える余裕は無くなったが、それでも時々公私にわたる大事な用件や連絡事項がある事を思い出しては、ちと落ち着かない気持ちとなる。何時の間にやら僕もネットが無ければ生きていけない様な人間になっていたのだなあと、改めて思う。

 さてそんな事を気にしつつ仕事していたら、ふと光ファイバー工事が20日未明に行われるという連絡はがきが自宅に来ていた事を思い出した。
 これはパソコンの調子不良ではなくて、光ファイバーの関係でネットとPCが繋がらなくなっているかもしれないぞ。
 そこで午前と午後の外来の間の僅かな時間に、パンフレットを見つけ出し岐阜のNTTサポートセンターに電話をかける。状況を話したら今度は愛知の故障専用ダイヤルにかけなおしてくれと言われた。

 そこで色々調べてもらったら、光ファイバー自体は問題なく繋がっているが、プロバイダーである@niftyで通信がブロックされていると指摘された。
 というわけで今度は@niftyのパンフレットを見つけ出し、東京のサービスセンターに電話をかけた。こちらは携帯が繋がらなく、固定電話で連絡を取る。
 自動音声ダイヤルの指示に従うと、今度は光ファイバー専用サービスセンターに電話をかけろと出た。そしてまた更に何回か自動音声サービスを経て、やっと人間のオペレーターに繋がった。まずはここまでの道のりが長かったなあと思う。

 その後はパソコン上の画面操作となり、携帯電話経由でオペレーターの指示に従う。
 NTT西日本のお客様IDとアクセスパスワード、続いて@niftyのIDとログインパスワードをオペレーターの指示に従って入力する。これだけの意味不明の番号を控えていた事は奇跡的だと思う。

 そうしてしばらくのパソコンとの格闘の後、やっとPCとネットが繋がった。メールチェックも出来てホッとする。
 何時もの僕なら、途中で放り出していたかもしれないが、ここまでがんばったのはやはりネット中毒になっているからだろうと思う。とりあえず一緒に苦労を共にしてくれた、@niftyの親切なオペレーターさんには感謝する。

 さて、今日のネット接続不良の原因は、今日の早朝未明に行われた光ファイバーの工事による事は明らかだと思う。更に僕の場合、NTT西日本の光ファイバー事業とプロバイダーである@niftyの役割分担というかその垣根が今ひとつ良く分からないのでちと混乱が生じた。

 インターネットはとても便利なもので、現代社会はインターネット無しではもうほとんど成り立たなくなっている。しかしできればその窓口はもっと単純にならないものだろうか。せっかくの今日の僕の自由時間は全てこのネット関係の修復で費やされた訳だが、便利な機械に振り回されている愚かな人間の様な気がして、あまり嬉しくはないなあと思っていたりもする。
2008年05月19日
昨日の水晶敗退、鷲羽岳滑降の地図です


ロングワンデイを成功させるには
 昨日は一日をかけて、新穂高温泉から鷲羽岳を往復山スキーしてきた。当初は水晶岳を日帰り往復してやろうと狙っていたのだが、そちらは時間切れ敗退となった。
 代わりに今まで登った事の無い鷲羽岳に登頂し頂上から滑降できたから、その成果には満足だ。しかし当初の目的は達成できなかったので、それなりの敗北感は有る。

 いろいろな反省点は有る。足回りを間違えたり、ルートを誤ったりで1時間はタイムをロスしただろう。更に前日にあまり寝れてなかったのも良くなかった。
 また月曜の業務が楽だったら、遅い帰宅が許されるため、夜暗くなるまでの行動が可能になる。そうするともっと行動時間に余裕を持てたろう。
 
 前日に睡眠時間を確保できて、ルート選択の間違いも無く、翌日(つまり今日ということ)の仕事が楽だったら、多分水晶岳の日帰往復も可能だったと思う。
 ただ中々その絶好の好条件を掴むのが難しい。とにかくは水晶岳日帰往復の手ごたえは今回つかめたから良かった。

 この手の耐久系スキーにどれほどの価値があるのかは分からない。登るだけだったら、黒部源流に一泊して登る方が楽しくて良いだろう。
 しかし水晶を日帰往復できたら、きっとトライアスロンやアイアンマンレース完走に近い充実感は得れるんじゃないか。そんな目指せ中年アスリート的なノリも感じていたりする。

水晶岳は遠かった


こちらの山頂も簡単には来れません

2008年05月17日
山に行かずに、銀の玉2つ
 昨日は手術も無い金曜日で、比較的早く帰宅できた。代務の先生は来てくれてないが、分娩制限のお陰で多分今週末までは分娩無しで済む見込みだ。要注意の入院患者さんと産科救急さえ上手くこなせば、何とか山スキーに行く事はできるだろう。
 そのつもりで今日は笠が岳の笠谷周辺の山スキーを狙っていた。

 笠谷にはこの時期、白馬形の雪代が出来る。
 飛騨では標高(及び農家の都合?)によって田植えの時期が異なるから、一概に何とも言えないが、昔はこの雪代を見て田植えのを決めていた農家も多分多かったろう。
 なお有名な後立山の白馬岳の雪代は、実は黒い岩肌だ。だから白馬岳の馬は滑る事はできない。
 しかし笠が岳の白馬は本当に白い。雪代の形が馬にしてはやけにスマートで、南米のリャマにしか見えないのが玉に傷?だが、とにかく地元山スキーヤーの僕としてはいつかこの雪代を滑ってみたいという気持ちを持っていたのだ。

 しかしこの雪代、行こうと思えばなかなかに遠い。更に上部の傾斜もかなりありそうだ。高山から見て滅茶苦茶目立つ雪代なのだが、滑降の記録を見た事は、僕は過去に無い。
 こういう時は焦る事は無い。そう考えて今日は僕は笠谷の偵察をしに行こうとだけ思っていた。リャマの背中を滑るのは、高山に住んでいる限りきっと何時の日かチャンスが来るだろう。

 しかしそうは言えども、今朝は何故か早起きに失敗してしまう。朝に偵察だけに行くのも面倒に思う。
 人間気持ちには波がある。何故か気の乗らない日もあるだろう。
 その代わりに今日は、院宅の近くに建てた新しい家に行き、そこから笠が岳の雪代を眺めたりする。小さい家だがそれでまあまあ幸せな気分だ。

 なおこの新しい家は、まだ正式に鍵がかかって無い。
 今日始めて工事用仮鍵から正式な電波式ロックに変えた。
 電波ロックに変えると、まず最初に鍵穴から、2つの銀の玉が出てくると、業者さんから言われていたのだが、その通り始めて鍵を回したら、どこからか銀の玉が玄関に落ちてきた。
 それを子供達と拾って、願いがかなう幸せの銀の玉だから大事にしないとと大笑いしたりする。
 今日は次男の誕生日でもあるし、こんな他愛ない事で一日を過ごすのもきっと悪くないと思ったりする。

とある家から電線越しに見える笠ヶ岳笠谷の馬方雪代。何時の日かスキーで滑降してみよう
2008年05月16日
命の質と量
 四川大地震が大変なニュースとなっている。どうも数万人規模の死者がでていると考えて間違い無さそうだ。その数日前に起きたミャンマーのサイクロンでもやはり数万人規模の死者が出たらしい。
 阪神大震災における死者約6000人、911テロでの死者約3000人より遥かに多い。 3年前のスマトラ沖津波では15万人を越える死者が出たらしいが、今回の災害はそれ以来の大規模自然災害になるのだろう。
 
 僕は普段一人一人の命と向き合う仕事をしている訳だが、時にこういう大規模災害のニュースを聞くと、やはり何だか堪らない気持ちになる。死者の人数の桁があまりに違うからだ。

 僕は産婦人科医なので人並み以上に多くの生き死にを見てきた。
 僕が取り扱った分娩数は、出産届けベースで既に5000人を軽く越えている。これから先も大体同じペースで仕事するとして、僕の生涯分娩取り扱い件数はおそらく1万人強くらいになると思う(なお流産はだいたいその10分の1です)。
 これは高山市の全人口の9人に1人だ。高山市に今産科医は5人いて、その就業年数が30年と考えると、これは多分妥当な数字なのだろう。

 それでも全く楽できない。散々働いて一生で一万人の分娩と関係するのは、多いとも少ないとも思えない。ただ四川大地震で数万人亡くなったかと思うと、数字の印象がよりリアルで恐ろしく感じられはする。

 なお僕は分娩関係のみならず、癌治療関係の仕事もしている。
 こちらの方は人数的に分娩より随分と少ない。癌手術件数は平均月に一件強だ(初期の頚ガンは除く)。だから僕は多分生涯で300〜400人くらいのがん治療を手がけるのだろう(これはCISと言われる初期癌を除いた数字です)。

 その多くは完治するので、婦人科癌で亡くなられる患者さんの人数はその3分の1以下となる。
 となると僕が生涯で書く死亡診断書の数は100枚くらいとなる。多分死産証書の数もそれと同じくらいだ。僕の印象ではこれは意外に少ない。

 この数字は少ないに越した事はないが、考えてみれば人間は何時か必ず死ぬ。どんな人でも日本人なら一人に付き一枚の出生届けと死亡診断書が何時か必ず出てくるはずだ。日本では殆どの方は、婦人科ではなく内科や外科、脳外科で亡くなられているのだろう。

 毎日僕はいろいろな生き死にに関する仕事をしている。あまり生き死にと関係していない、膣炎とか膣脱とか良性腫瘍の仕事も多いが、時には患者さんの命を半年延ばすためにすごい苦労をする事もある。
 そう思うとこういうとんでもない災害の数字が出ても、あまりに実感が湧かない。遠い他国の呆然とする数字で、つい自分の仕事とその数字を比較してみてしまった。

 人生には色々な生き方があって、色々な死に方がある。何万人の中の一人の死も、同じ死である事は変わらない。そう思うと自分がこの手の災害に遭わない事を願い、思わず亡くなられた方の冥福を祈らざる終えない。
2008年05月15日
患者さんもピンキリですから
 今日は午後から気合を入れて臨まなければならない手術がある。こういう時は体調も整え、万全の態勢で手術に入りたい。幸いな事に夜中の業務は無いから、寝不足は無い。僕が分娩制限をしている4月、5月に、僕の手術を受ける患者さんは幸運だと思う。
 しかし午前中の外来は混んで、手術時間に間に合うかギリギリだった。外来はいつもの秒単位外来だ。それでもなかなか待合の患者さんの人数は減らない。

 やはり大きい手術の前には、腹ごしらえぐらいはしておきたい。
 腹が減っては戦はできんと言うが、腹が減っては良い手術もできないものだ。そういうわけで今日は、何とかぎりぎり昼食の時間は作れたが、おにぎりとカップラーメンだけとなった。
 しかしこのおにぎりカップラーメンというのは、まだ医師の世界ではマシな方だろう。
 もう数分外来終了が遅ければ、今日の僕の昼食はチョコレートのみとなっていた。更に数分遅ければ昼食無しで、手術に入る事となる。

 そうなれば脳内にいきわたる糖分は減り、手術の質は落ちるだろう。場合によっては命の量や質に繋がる事になるかもしれない。
 というわけで、外来を秒単位で早く進めると言う事は、雑で手抜きだなんて思わないで欲しい。それは実際に大事な事なのだ。

 それにしても産婦人科というのは、いろいろな患者さんが集まる科だと思う。幸せな人もいれば。甚だしく不幸な人もいる。何でこんな事でわざわざ病院に来るのと思う人も結構いたりする。 
 命に関わる重要事項で、真剣に医師と時間をかけて話し合わなければならない患者さんが多数いるのに、どうでも良いようなトホホの訴えで、受診してくる患者さんがあまりに多いと、このくらいは自分で何とかしてよと思う時も少なからずあるのだ。
 
 患者さん側から見た医療と医師側から見た医療というのは、異なるものだと言う事は有る程度分かる。
 多分一人一人の患者さんにとっては、傍から見てどうでも良い事でも、それはとても深刻な悩みなんだろう。
 しかしどうでも良い事で僕が診察時間を割くと、本当に気の毒な方の治療に当たる時間が減る。手術も出来なくなる。それではいかんのだ。

 だから僕はどうでも良い事での診察は、本当に数秒で終える。あまりに早く終わるのでびっくりしたり、不平不満を持つ患者さんも多数いるだろう。しかし残念ながら、僕の時間は有限だ。
 患者さんは僕の時間を人数割りにしてもらいたいと思っているのだろうがそれはできない。やはり命に関わる事の方に時間を割かなければならない。それは不公平という問題では無いのだ。
2008年05月14日
がん治療もしています
 2ヶ月間限定の分娩制限期間も徐々に終わりに近づいてきた。外来に受診される患者さんもそれに伴い少しずつ増えてきている。各種処置や急患さんも多く、なんだかんだと忙しい毎日だ。
 とはいえ今は夜中には寝れている。着実に仕事を片付けていけば、今日はまともな時刻に帰れるかもしれない。

 さて分娩を減らしているからかどうか、ここのところ新規ガン患者さんの受診が相次いでいる。各種合併症を持つ方や超高齢者がほとんどで頭が痛い。
 僕のところには産婦人科医が僕一人だけなので、産科業務の他にいかに上手くガン治療をこなしていくかは大問題なのだ。ただ単純に手術するだけならまだしも、ガン治療というのは手術以外にやる事が非常に多い。

 説明や検査、合併症対策、術後管理、その後の化学療法や、再発対策など、一人のガン患者さんをきちんと診ようと思えば、仕事は幾らでも出てくる。
 しかも患者さんの方も自分の命が懸かっているので、それは真剣に医師と医療に対峙する。そうなると医師の方も生半可な気持ちではいられなくなるものだ。

 ガンは今や不治の病ではない。早期発見さえすれば治る事の方がずっと多い病気となった。
 しかし中には数年してから再発してくる方もいる。産科業務の多くは、分娩が済んでその場をしのげばそれで終わりなのだが、ガン治療はそうはいかない。手術が終われば、はいさようならではない。

 その点僕も高山で仕事してから長くなり、それは多くのガン患者さんを診てきた。無病生存している方もいれば、担癌生存している方もいる。治療の甲斐なく亡くなられた方も少なくないし、癌以外の他の病気で亡くなられる方もいる。
 キリが無いから5年無病生存した段階で、治療もアフターケアも打ち切りにしていただいているが、それでも現在僕の外来に通われている癌既往患者さんの人数は100人はいるだろう。

 高齢化社会が進み、この人数はこれから増える事こそあれど、減る事は決して無いと思う。これは考えると大変な事だ。分娩業務は一切辞めて、がん治療に専念した方が良いくらいかもしれない。
 しかし現状の保険制度では、がん治療は医師にとって全く旨味の無い仕事だ。経営的な事を考えたら、そんな事はできない。はっきり言って、今や医師にとって癌治療というのは、儲けを度外視したボランティア業務になりつつあるのかもしれない。

 僕は自分がガン患者だった事があるので、割とがんばって今でもガン治療に当たっている。
 とはいえ多くの産婦人科医は、夜中に分娩業務で消耗し、更にがん治療にまで日夜当たらなければならない事を、堪らんなあと思っている方が少なくないだろう。 

 産科医療にも圧倒的な需要があるし、婦人科業務も黙っていれば増える一方だ。ひたすらにやれる事をやるしかないと思うが、何処かにニンジンをぶら下げとかないと、先が続かないよと思える時もある。
2008年05月13日
登山とサッカー
 昨夜は一昨日の夜にいきなり決まった親子サッカーが、選抜少年サッカーチームの練習後に行われた。
 分娩制限中でお産が無い事を良い事に、半年ぶりのサッカーに興じた。とはいえ試合前には、僕はやや特別な不安感を抱いてもいた。

 というのも僕は昨年12月始め、やはり夜に行われた高山東小親子サッカーで、無念の左太もも肉離れを起こし、その後約1ヶ月間、サッカーや山スキーが一切できない安静期間を必要としたからだ。
 その時は病院の整形外科医に「今年はもう山スキーできん、3ヶ月間は静養だ」と言われ、随分と失望落胆した。

 しかしその後僕は年の割には奇跡?の復活を見せて、自己判断で勝手に正月頃には山スキーに復帰する。
 山スキーは基本的に柔らかい雪の上でやるスポーツなので、それ程筋に負担を与えないと思ったからだ。
 とはいえサッカーは違う。サッカーは堅いグラウンドの上で、急なダッシュや素早い動きを要する。筋肉に与える負担はおそらくスキーよりサッカーの方が数倍多い。

 というわけで僕は12月の親子サッカーでの故障以来、サッカーは封印、病院の有志フットサル練習にも参加しない事とした。今度またサッカーで遊んでる最中に肉離れを起こしたら、もうサッカーはおろか登山すら碌に出来ない身体になってしまう。
 しかしあの無念の肉離れから既に半年が経過した。もうぼちぼちと親子サッカー位はできるだろう。

 昨日はそういうわけで恐る恐るの、親子サッカーであったのだ。
 2度と肉離れを起こさない様に、それなりだが十分ストレッチもした。更に脚にはサポーターを外からは見えないよう付けまくる。その準備は効を奏して、もちろん昨日は肉離れを起こす事は無かった。
 しかしやはり登山とサッカーでは全く使う筋肉が違う。今日は脚のあちこちが痛い。山では一日中歩いても大丈夫なのに、サッカーではわずか15分の戦いで筋肉痛だらけとなってしまう。要するにもう身体は若くないのだ。

 さてさて久しぶりの親子サッカーはそれなりに楽しかった。東小サッカー親さんチームと異なり、どうも選抜チームの場合ほとんどの親さんがサッカー経験者らしい。さりげなく鋭いプレーを見せる親さんも少なく無いし、中にはシニアリーグの現役サッカー選手もいる。そういうサッカー現役組は手加減して子供と戦っていたようだが、もちろん僕にそんな余裕は無く、小学生相手でも真剣勝負であった。

 とはいえ基本的にサッカー素人の僕はただ意味も無く走り回っていたという感じだ。真面目にサッカーに取り組んでいる人から見れば邪魔な存在だったかもしれないと、少しひがんで思ったりする。
 後から子供からも、あの空振りはかっこ悪くて恥ずかしかったと指摘され、面目ないと思う。

 どう考えても、サッカーと登山は全く異なるスポーツだ。どちらがどちらに役立つという事もほとんど無い。下手するとお互いにマイナスな影響を及ぼす面の方が多そうだ。とはいえせめて子供からは馬鹿にされない様、身体を壊さない程度でぼちぼちとサッカーでも遊んで行きたいとは思っている。それで子供と楽しめる時間が少しでも増えれば言う事は無い。 
2008年05月12日
他人の痛みは分からない
 昨夜は3男が所属する選抜少年サッカーチーム親さんらの懇親会があり、随分と飲み過ぎてしまった。意外に奥の深い少年サッカーの世界の話に花が咲く。
 3男のいるチームが本格的にクラブチームの全国大会を目指すのは来年であり、そのための準備が今からもう始まっている。しかしまず全国大会に行くまでの壁が、予想以上に厚いものであるらしい。

 もし運良く全国に行けば、今度は相手はJリーグのユースチームがずらりと並ぶらしい。そうなるととても歯が立たない訳だが、それまでできるだけ長く、親さんと子供が楽しめるのが目的のチームなのだろう。
 そんなこんなで昨夜は盛り上がり、今日の昼頃までは二日酔いで仕事が辛かった。幸い手術が無いから大丈夫だろうと思っていたが、午後から各種処置が何件も入ってくる。休み明けの仕事も多くそれなりに大変な一日であった。

 さて、どういう訳か今日は流産関係が多く、入院患者さんも含めると6〜7件の流産関係の仕事があった。分娩には良く波があると言われているが、流産もこんなに固まると気持ち悪いなあと思ったりする。

 流産処置と言うのは全く同じ麻酔で同じ処置ををしていても、痛がる人と痛がらない人がいる。痛みを感じる閾値と言うのは個人差があるのだから、これは当然と言えば当然だ。
 しかしまた同じ人でも、そのマインドセットによって、痛がる時と痛がらない時が有ったりする。
 産科医なら誰でも知っている事だが、同じ事をしていても、普通流産処置より中絶処置の方が痛がらないものだ。これはやはりマインドセットの問題だろう。
 
 だからという訳でも無いが、僕は流産処置はとにかく流れ作業的にどんどん業務を進める様にしている。
 そうしないと仕事が先に進まないし、痛がる方を後回しに処置していたら、結局その本人がまた一番困る事に繋がるからだ。
 とにかくどんなに痛がろうとも、麻酔の量をいじるより早く処置してあげる方が、安全で良いんじゃないかと思っている。

 以前夢枕獏の小説で、拳法の極意は他人の痛みを感じなくなる事だと書かれている本を読んだ事がある。他人の痛みを何とも思わない人間になれば、どんな敵でも倒せる拳法の達人になれるらしい。
 その一方、仏教では他人の痛みに同苦する事が、大事な修行だと聞いた事もある。どちらにしても大変な事だ。

 僕は職業を産科医にしている以上、そのどちらになっても仕事は成り立たないと思う。他人の痛みに同苦していたら仕事にならないし、かと言って全く無視する訳にもいかない。
 そんな事を思いながら、今日もたくさんの人の各種訴えを聞き、各種業務をたくさんこなしていくのでした。
2008年05月11日
中学サッカーと小学サッカー
 朝から小雨が降る日曜日となった。当然山スキーには不適に決まっている。
 ちょうど今日は長男に中学生サッカーのクラブチームとの対抗試合。三男に小学生サッカー大会の飛騨予選というのがあった。各種雑用をしながら、子供達の戦いを観戦するのには良い日だ。

 結果は共に善戦むなしく惜敗という感じだった。しかし共に実は負けてもともとと言う試合でもあったらしい。
 学校の部活サッカーよりもクラブチームの方が、やはり強い子が集まる傾向に有るからだ。
 この辺の事情は中学校と小学校では微妙に異なって複雑な部分があり複雑なものもあるらしいが、僕はその事をとやかく言える立場には無い。
 ただ自分の子供のいるチームを楽しく応援するのが、僕の役目みたいなものだ。

 今日の試合も見てて面白かったが、中学のサッカーと小学のサッカーどちらが見てて面白いかと言うと、小学サッカーの方が倍くらい面白い。これは競技場の大きさとかも影響してるかもしれないが、おそらく子供達の無心の頑張りが小学サッカーの方が心に響くからだろう。
 中学サッカーだと、もう身体の大きさは大人と同じなので。見ていて下手?なプロの試合を見てる様な気分となってしまう。
 とにもかくにも今日は、子供達のサッカー試合とその他雑用であちこちと動き回る一日となりそうだ。

スピード感ある中学サッカー


小学サッカーは、子供達の一生懸命さが心に響く
2008年05月10日
雨の週末は名古屋に行く
 山スキーのシーズンは残り少ないというのに、生憎の雨の週末となった。こういう時は学会にでも行ってシール集め(勉強に行くというのが本当は正しい)に行くのが正解だ。
 もちろんついでに都会歩きも楽しめる(僕は山屋さんには珍しく人間のたくさんいるビルの谷間を歩くのも結構好きなのです)。

 ところが今週末は東海地区で産婦人科関係の学会は一つも開かれてなかった。
 しかし土曜の夜には僕の古巣の日本山岳会東海支部で総会が開かれる。その際に高所医学の講演がエベレスト登頂経験者の医師により行われるという。
 これは中々興味深い。僕は高所登山を離れて久しいが、いつかある日の高所登山のためにも、その話をぜひ伺っておきたいと思った。 高所では下界では決して見られないような不思議な生理的変化が身体にいろいろおこるのだ。
 もちろん日本山岳会の山の大先輩と積もる話をしたいというのもある。

 というわけで、土曜日は日本山岳会東海支部総会に出かけ講演を聴き、懇親会で今更ながら?の名古屋の山の大先輩等と旧交を温めてきた。
 ただ車で名古屋まで行ったので、懇親会の席上では酒を飲めず、泣きながらお茶を飲む。

 何歳になっても元気な山の先輩らは、このまま2次会に行き散々飲んで、名古屋に泊まれと言ってくれたが、真面目な僕はそこをぐっと堪えて、昨夜遅く高山に戻ってきたのでした。

 さてさて日本山岳会の最大の問題は高齢化である。僕が今から25年前の学生の頃、海外登山に行きたい一心で、日本山岳会に出入りする様になった時のメンバーが、ほとんどそのまま当時の元気な状態で今も残っている。
 つまり彼らは今何歳なんだろう。あまり考えないようにしよう。

 とにもかくにも時代が変わり、日本山岳会の持つ役目は25年前と大きく変わった。皆それなりに軽い焦りを感じている様だが、時代の流れと言われればそれまでだ。
 昨日の夜の集まりでは、また色々な事を考えさせられ、個人的に成果もあった。雨の週末は山にはいけない。そういう時は都会に出て、人と合うのがきっと一番だろう。
2008年05月09日
暗証番号も覚えてません
 GW明けの忙しさは続いていたが、幸い午後からの手術が1件に減ってくれたお陰で、今日は比較的楽に業務は済みそうだ。少しでも空いた時間があると、様々な雑用をこなし時間を能率よく使う様に心がける。
 今日の午後からは代務の先生が名古屋から来てくれる事となっている。今週末も残り少ない雪を求め、できることなら山スキーに出かけたい。しかし天気予報ではどうも今週末の天気は今ひとつの様だ。

 この時期高い山に行かないと雪はもう残っていない。しかし標高の高い山で雪や雨にやられるのは、辛いし危険なものだ。
 せっかく代わりの医者もいることだから、出動したい気持ちはあるのだが、天気ばかりはどうにもならない。
 雨が降ると山の雪はまだぐんと減ってしまうし、今年の山スキーシーズンももう終わりになっちゃうんじゃないかと、少し焦りも感じている。

 さてここでいきなり話は変わり、先日高山市役所に行かなければならない用事が出来た。何とか昼の時間を工面して、僅かな隙間を工面して役所に出かける。
 まず印鑑証明を貰おうと申請すると、住民基本台帳カードを持っているかと聞かれた。

 そういえばそんなものが前に郵送されてきたと答えると、そんなはずは無いと言う。、そりゃシティカードか住民票番号通知書でしょと言う。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれないと答えると、とにかく住民基本台帳カードを作った方が良いと言われ、あれよあれよと言う間に運転免許書を確認され、適当に暗証番号が決められ、住民基本台帳カードが出来上がった。
 これでそこの機械で、印鑑証明を取れと言われ、その通りにした。印鑑証明一つもらうにも随分と複雑な手続きだと思う。

 続いてこの機会に、ついに本籍を名古屋から高山に移そうと思い、そちらの手続きもする。
 そしたら今度は配偶者のサインと印鑑が必要だと言われた。仕方なく携帯でこれまた忙しい配偶者を役所に呼び出して手続きをする。

 その間結構な時間がかかり、仕事のしわ寄せは大きくなった。もちろん配偶者も突然呼ばれて機嫌が悪い。
 それでも役所の閉まる時間寸前に手続きは済んだが、とにかくお役所と言うのは、少しの事をするためにすごい時間と手間がかかる所だと思う。
 なお住民基本台帳カードに記憶した僕の暗証番号は何番だったか、今はもう忘れていたりする。困ったものだ。 

 印鑑証明も戸籍謄本もシティカードも住民票も住民基本台帳も年金手帳もその他諸々も、お役所関係の登録は一つにできないものなのだろうか。
 この前の役所でも、結局一番本人確認に効力を発したのは、印鑑でも暗証番号でもなんでもなくて、運転免許書だった。
 だったら全て運転免許書で済ませれる様になれば良いと思う。運転免許が無い人の身元確認は健康保険証になるらしいが、その場合は写真が付いて無いのでちと弱いらしい。
 要するにどれもこれも中途半端で、何が何だか一般人には分からない世界が、お役所の書類にはある。

 僕は忙しい医療の現場から見て思うが、本当にこの手のお役所業務はたまらんと思う。能率が悪すぎるのだ。
 医療の現場も様々な事で能率悪い部分があるが、それはやはりお上からこの手の書類を作れとか、この手の同意書を取れとか指示されて、手間が増えている部分がある。

 今日本では、高齢化が進み、労働力が減り、世間には余裕がなくなっている。これは病院で仕事していて、ほとんど毎日の様に痛感する事だ。
 せめてお役所関係の仕事くらい、もっと効率UPしてもらわないと、どうにもならんのじゃないかと思うのだがどうだろうか。  
2008年05月08日
仕事すればするほど、病院は損をする
 夜中の仕事は無いから良いものも、GW明けて一気に仕事量は増えた。もともとGWにターゲットを絞って分娩制限を行っていたのだが、GW明けてからあまりに急に忙しくなったので少々焦る。これで分娩制限期間が終わる6月には入ると夜中の仕事がぐんと増える訳だが、今からそれが空恐ろしい。

 今日もGWのしわ寄せで外来は混む。重症さんも多く、どんなに患者さんが嫌な顔をしようともいつもの秒単位外来を貫くしかない。午後からは各種処置や、手術、ここには書けない深刻な説明もある。要注意の入院患者さんもじわりと増えてるし予断は許されない。軽症さんの中には後回しにされてるとか、手抜きされてる思う人もいるだろうが、僕は一人しかいない。それはもう仕方が無い事なのだ。

 さて話は変わり、病院では先月よりDPCと言う入院患者さんのマルメ診療が始まった。今月始めのレセプトから、ぐだぐだと良く分からない事が書かれているレセプトが急に増えたので、今更ながら時代が悪くなったと実感していたりする。
 とはいえ僕はレセプトをしっかりチェックする時間なんて無い人なので、レセも全て右から左に流すだけではある。しっかりレセを見る時間があるのなら、困ってる患者さんの診療に時間をそがないといけない。

 さてさてマルメ診療とは、疾患ごとにその病院への支払い金額が決まっている診療システム(患者さんが窓口で払う金額では無いですので念のため)だ。
 つまり医者は一つの病気だけ診て、余計な事をせず、とっとこ患者さんを退院させるのが一番儲かる。

 しかし病院に入院してくる患者さんのほとんどは、幾つもの病気を持っているものだ。
 健康そのものと思われてる僕ですら、高脂血症、尿管結石、アレルギー性鼻炎、から腰痛、肩こり、不眠、虫歯、歯肉炎、更には精巣ガン既往まである。要するに人間は病気だらけなのが普通なのだ。

 ましてやほとんどのお年よりは命に関わるシリアスな病気の一つや二つは持っている。
 昨日の手術ではとりあえず糖尿病と喘息。今日の緊急手術でも糖尿病が普通にあった。もちろん精査すればもっとたくさん病気は出てくるだろう。
 ところが、DPCではこれらの合併症の治療はすればするほど、病院が損をする仕組みとなっている。つまり医者がサボればサボるほど病院の利益幅は増えるのだ。

 困ったものだと思う。今やまともな病院ほど経営が厳しい時代となった。もちろんまともで無い病院も経営も苦しいだろうから、いずれ医療は崩壊する。医療が崩壊すれば困るのは国民(特に病気の多いお年寄り)という事になる。
 僕は産婦人科医で本当に良かったと思う。というのは分娩にかかる費用の多くは自費だからだ。八百屋が野菜を売るように、たくさん売れば売るほど利益は上がる。きっとそっちの方が世の中の仕組みとして自然だろう。

 DPCや後期高齢者でいろいろな話を聞くたびに、もういっそのこと、健康保険なんて無くして全ての医療は自費にしちゃえばどうだろうかと思う。
 戦前で行われていた医者のお手盛り診療と、今のDPC診療とどちらが良いか、結構微妙な違いしかないんじゃないかと思えたりもするのだ。
2008年05月07日
今年のGWの出来は
 昨日は槍沢重荷往復滑降から帰ると、どういう訳か一人でお留守番していた次男に夕食を食べさせて、その他雑用を済ませると速攻で眠りに付いた。何と言っても今日からGW開けの多忙な業務が待っている。しっかり眠って少しでも疲れを取らなければならない。その点分娩が無いと、深夜に突然起こされる事は無いから、気持ち的には楽だ。
 お陰様で、昨日は午後9時から今朝の6時までぐっすりと気持ちよく眠れた。

 仕事の疲れによる眠りと異なり、山での疲れによる眠りは、身体を思いっきり動かした後だからだどうか、数倍美味しく眠れる。お陰で今朝から気持ちよく職場に戻る事が出来た(もっともGW中も随分と病院で仕事していたけどね)。
 もちろん今日の仕事は忙しい。まずは午前中に貯まったペーパーワークを一気に済ませないといけない。続いて午後からは随分と待たせてしまった患者さんの悪性腫瘍手術だ。
 連日の山スキーで脚は疲れているが、指先は疲れていない。手術はタフなものだったが、外科の先生の助けも借りて何とかこなした。

 続いて久しぶりの病棟業務がこれからまだ残っている。しかしその前にこの寝不足日記をUPしていたりする。
 こんなに色々やる事はあるのに、なぜか先ほど4日の奥穂高直登ルンゼ昨日の槍ヶ岳山スキの記録もUPしてしまった。何処からこのような時間がひねくり出てくるのか自分でも不思議だったりする。

 今年のGWは連日の好天に恵まれ、西穂高、笠が岳、前穂高、奥穂高、そして槍ヶ岳と5つの3000mクラスの山に登る事が出来た。その内、笠が岳と前穂高は頂上から滑降できたので100点、奥穂高と西穂高もほとんど頂上から滑降できたので90点、唯一槍ヶ岳だけは狙いの小槍登頂が果たせなかったので50点という所だろうか。

 しかしそれにしても贅沢な話だ。
 短いGWの期間にこれだけの成果を上げ、かつ今日もかなりの仕事をしっかりこなしている。
 周囲や家族がどう思っているか知らないが、僕自身は、こういう事できる事自体、最高レベルの幸せな事に違いないと思っていたりする。 
2008年05月06日
挑戦する事に意味がある
 今年のGWは例年以上の好天に恵まれた。比較的高温の日が多く、かなり豪快な急斜面滑降も楽しめた。
 そのGWの今年最大の目玉企画は、小槍のワンデイスキー&クライムだった。
 この時期槍ヶ岳本峰を日帰りする山スキーヤーは少なく無いだろうが(多くも無いけどね)、小槍を日帰りしてきたという話は聞いた事も見た事もない。
 小槍頂上でノリの良いMisao 先生にアルペン踊りを踊っていただき、それをインターネットで全国に配信してやろうと言うのは、僕の年来の密かな悪巧み?なのだ。

 というわけで昨日は何と午前2時に新穂高温泉を発ち、ひたすらに槍を目指した。
 ただ目指すだけならまだしも2人で50mロープを2本、登攀具一式、更にはクライミングシューズまで持っている。これにスキーを担ぐと、四十半ばの身体にはさすがに応える。
 当然悪路林道で自転車を使うパワーもなく、ひたすら自分の足で長距離を歩くしかなかった。

 そこを何とかがんばって10時前には、指呼に小槍が望めるポイントまで付いていた。これは重荷の登りにしてはがんばったと思う。ところが風が強い。小槍へのアプローチ斜面はどう見ても急斜面でウィンドクラストしていた。
 アプローチでザイルを出していたら、時間切れ間違いない。寝不足による体力消耗もかなり来ていた。

 残念だか小槍への挑戦はあきらめた。もともと最高のコンディションでなければ登攀には成功しないと思っていたが、重荷スキーにつきあっていただいた、Misao先生には申し訳ない気持ちで一杯だ。代わりに大槍は空身で往復してきた。大展望を存分に楽しむ。 
 そして、優しくいつも前向きのMiaso先生は、「これは止められないよー」と大喜びしながら硬い槍沢斜面を大滑降していた。その姿を見て慰められた気分になる。

 今日の敗因は、あきらかに自分の心身の準備が十分でなかった事が第一である。
 それでもきちんと怪我無く、人並み外れた豪快GWを楽しめたのは大満足だ。最後の小槍登攀は岩に触る事すらできなかったが、それでも挑戦心をもって重荷に耐え槍を往復できた、それで十分過ぎるくらい大満足の一日になったと思う。

小槍はそこに。でも雪が硬くてアプローチに危険を感じる。風も強かった


重荷、クラスト斜面にも強いどくたあ
2008年05月04日
三重苦でもやる事はやる
 GW後半戦も好天から始まった。しかも今日から代務の先生も高山に来てくれる。昨日の前穂高に引き続き今日も山スキーに出動だ。といわけで今日はMisao先生と新穂高温泉から白出沢経由で奥穂高の直登ルンゼを滑降してきた。好天下のグットコンディションで大滑降を楽しむ。

 それにしても今日は僕もMisao先生も強烈な紫外線と厳しい行程にやられ、ややグロッキー気味だった。
 しかし何と言ってもその最大の理由は、寝不足である。僕もMisao先生もあまりに忙しいのだ。
 Misao先生は野暮用??があり昨日はほとんど寝ていない。寝ずに奥穂高直登ルンゼの日帰滑降をするのも尋常じゃないと思う。

 僕も昨日の前穂高山スキー後、レセプト業務やその他救急関係の仕事が入り碌に休む時間は無かった。更にGWならではの各種家庭サービスもある。

 更にMisao先生も僕も山スキーの最中に職場から何度も電話が入った。中にはちょっとシリアスな用件も有る。
 それでも懲りない中年コンビは、今日も何とか奥穂高頂上からの滑降を成し遂げた。

 帰宅後もあちこちから呼び出しの電話が入り、何が何だか分からないけど今も仕事している。
 とにかく今はせっかくのGWの最中だ。どんなにいろいろあっても、きちんとやる事はやるのだ。

寝ながら歩くドクタア


それでも大滑降を楽しんだ
2008年05月03日
高温にも気をつけて
 4連休の初日も晴れてくれた。代務の先生は今日は来てくれてないが、今年の分娩制限は今までに無く著効している。
 このGWはまず分娩が無い見込みだ。もちろんGW明けたら忙しい仕事が待っているのだが、それでもこの4連休は大分楽しく過ごせそうである。
 とはいえ、さすがに代務の先生もいないのに山中泊の山スキーまではできない。まずは日帰り山スキーで楽しく過ごすのが正解だ。

 というわけで、今日は上高地から岳沢経由で、前穂高頂上から滑降してきた。短時間で豪快スキーを楽しめた。上出来の成果で大満足である。
 実は昨夕までは、今日は御岳辺りで確実に単独スキーを楽しもうという思惑だった。
 ところが昨日から高山でも急に気温が上がってきた。紫外線が強烈に降り注ぎまるで夏のような暑さだ。これは槍穂高の頂上の雪も大分緩んだに違いない。しかも病院も落ち着いてくれている。
 そこで昨日の夜、急にチェンジマインドして、今日は上高地から前穂の滑降を狙う事にしたのだ。

 その狙いは当たり。西面を向いている奥明神沢も今日はぐさぐさ雪だった。頂上まで広い雪面を辿り登頂でき、しかも頂上付近の急斜面も比較的滑落の危険少なく、そこそこ安心して滑降できた。
 要するに今日はテレマークでも穂高ピークスキー可能なスキー好適日だったのだろう。

 とはいえ高温すぎて中間部からはぐさぐさ雪でそれなりに苦労した。特に狭い急斜面でグサグサ雪が流れて、足を取られヒヤリとさせられる。大きな雪崩の誘発はなさそうだったが、それでも下部にもし登山者がいたら顰蹙ものだった。
 
 今日は上高地でも暑かった。高山に戻っても猛烈な紫外線でこれまた暑い。山の雪は恐ろしい勢いで減っているに違いない。
 今年のGW後半はかなりの高温から始まったが、それは果たして今期山スキーのどういう結果に繋がるのだろうか。

帰りのバスの車中より前穂高を振り返る。赤線が滑降ライン。青点で雪が崩れて緊張ヒヤリ


吸い込まれるような急斜面もあり


正面の谷は、今日の奥穂高扇沢の核心部(多分)全景。
今日のコンディションなら完全滑降できるエキストリームスキーヤーもいるんじゃないか???
2008年05月02日
伝言ゲームは要注意
 4連休の前日。当たり前だか今日も秒単位外来に朝から勤しむしかない。とそこに遠くから救急車の音が聞こえてきた。外来の看護士さんらが「救急車内で分娩してしまったらしい」と話しているのが聞こえる。
 僕は処置中で手を離せない。一方で外来患者さんのカルテに所見を記載しながら、2つある耳のうちの一つで看護士さんから報告を受けた。
 「誰か分からないが、ここに通っている妊婦さんが救急車内でお産してしまった」という報告だ。

 これが正期産の人ならまず問題は無い。こういうパターンはほとんどが安産だから、救急隊員らがとんでもない対応をしていない限りまず大丈夫だ。
 しかし今は分娩制限中で、しかも最も分娩を減らす時期としてターゲットを絞ったGWの最中である。これは早産に違いない。急いで名前と予定日を調べて伝えるよう指示する。

 1分後に予定日がやっと分かった。予想通りまだ7〜8ヶ月のクリティカルな早産である。これはいけない直ぐに救急車をそのまま高山日赤病院に走らせ、小児科の先生に連絡を取る様、指示を出した。
 カルテ取り寄せと同時に、高山日赤病院の産婦人科部長にも連絡を取る。この間約5分だが、とりあえず僕が至急でやらなければならない仕事はここまでだ。後は落ち着いてからFAXで過去の診療情報を日赤病院に送れば、多分許してもらえるだろう。
 その約30分後にヘリコプターと救急車の音が聞こえた。おそらく日赤病院から岐阜への新生児搬送だろうと思う。

 ところがその30分後にまた別の情報が入った。
 搬送されたのは新生児ではなく、母親だと言う。どうも僕に伝わった情報は正確ではなく、まだ母体は分娩に至ってなかったらしい。ヘリは新生児搬送ではなくて母体搬送の為に動員されたのであった。

 これは誤った情報を日赤病院に流してしまった。申し訳ないと思う。分娩に至っているか至っていないかは基本的な事項で、もちろんそれにより病院側の対応は異なる事になる。
 最終的な結果にはそれほど変わらないかもしれないが、いきなり搬送される日赤病院の医者は混乱しただろう。
 なぜ誤った情報が僕に伝わり、それにより誤った対応に繋がったのか。それは救急隊員から僕への情報の伝わり方に問題があったからだ。
 
 救急隊員の情報は、まず救急室にいた新人看護師さんに伝わったらしい。
 その情報が外来婦長さんに伝わり、それが産科外来の看護師さんに伝わった。それを僕が外来診察しながら小耳に挟んで、直ぐに次の対応を指示するしかなかった。
 その伝言ゲームの最中に、分娩経過中のはずが、救急車内で分娩したに変わってしまっていたのだ。

 産科は時に分単位、秒単位の素早い対応が生死を分ける事が有る。そういう素早い対応を要する時になによりも正しい情報が早く伝わる事が大事だ。それには現場と医師が直接連絡取れなければならない。伝言ゲームでは駄目なのだ。

 実はこういう事は産科のみならず医療の世界では良くある。少ない情報の中で、素早く正しい判断を下すのは難しい事だ。その判断の基本は「たとえ誤った判断だとしても、最悪の結果は避けられる」様にすることだ。常にもしもの時を考えた判断をするのが重要だと言える。

 そしてそういう中ではもちろんベストの判断は下せないのが普通だ。
 今日は情報伝達にエラーが生じた。このコミュニケーションエラーには確かに問題があるが、人間はエラーする生き物だ。こういう時にはとにかくベストでなくてもベターである事を目指すしかないと思って今日もまだ仕事している。
 
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