2008年06月01日

川田亜子アナのブログより

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前回に引き続き、川田さんについて話してみたい。前回は、ある程度、言葉を選びながら綴ったつもりなので、今回も、そのようにするが、そう感じない所もあるかも知れないので、それは、ご容赦願いたい。そして、色々な情報が飛び交っているが、5月初旬以降、彼女がSOSを発信し続けたと思われる彼女の綴った日記に私の感じた事を添えていくことにする。


2008年05月22日
仕事の合間

一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。

これをどのように読み取るか、素直に読めば、仕事の合間に余計なことを考えてしまい、間が持てず、彼女にとっては、その時間が苦痛だったのが伺える。「胸がきゅーとしめつけられます・・」という表現は、彼女の女の子の部分で、彼女自身と、ホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている人々の幸せを照らし合わせ、日々の生活に、彼女が思うような幸せを感じることが出来ず、せつなく感じたことを表現したように思う。

また、彼女のように公の仕事をしていて、一連の流れがあり、胸がきゅーとしめつけられる。という心境は、自らの存在価値を考えていたかも知れないし、女性としての幸せに憧れを抱いていたようにも思う。この心の隙間を埋めるのは、一途な愛か、彼女が思っていた愛でしか満たす事は出来なかったのかも知れない。

彼女は、動画の中で、「優しく包んでくれるような人がいい・・」と、多少、表現が違うかも知れないが、そのような趣旨の事を言っていた。年頃の女性は、このように思う人は多いと思うが、彼女なりの幸せも考え、悩んでいた一面もあるかも知れない。ただ、このことは、殆どの女性が考える事でもあるが、カウンセラーA氏の話だと、彼女に、「結婚はいつできると思いますか?・・」と、尋ねたところ、彼女は、「特定の人はいないんです。私は本気になれないみたい・・」と答え、A氏は、「失恋などに陥った雰囲気はなかった・・」と話した。

しかし、これだけで、恋愛で悩んでいなかったと断定は出来ないように思う。なぜなら、自分の恋愛観とかけ離れている時などは、特定の人はいないと答えるかも知れないし、付き合っていても、ギクシャクして、気持ちが離れたり、戻ったりすることもあるので、そのような時は不安になり、特定の人はいないと答える女性もいるかも知れないということだ。また、本気になれないというところは、彼女の本心ではないように思う。たぶん、本気にはなりたいと思っているが、信頼できなくなってしまった経験があるか、本気になるのが怖いか、臆病になっているか、そのように思ってしまう経験を過去にしたから、「私は本気になれないみたい・・」と、答えたように思う。

前の記事でも話したが、彼女は、物事が上手く行かない事を、自分の責任にしてしまう傾向がある。だから、彼女に落ち度がない場合でも、上手く行かなかったりする場合には、自分の至らなさと考えてしまうかも知れないということだ。だから、それを言葉にすると、「私は本気になれないみたい・・」と、なってしまうのかも知れない。つまり、上手く行かない事を相手の責任にするのではなく、自らに矛先を向けるような、ある意味の謙虚さみたいなものがあるように感じるということだ。それに、この答え方は、誤魔化しているようにも思う。それは、触れられたくないところだったので、機転のきく彼女は、咄嗟に考えた答えのようにも思う。

あと、カウンセラーに守秘義務はないのだろうか。そこが、ややひっかかる。が、彼女が何を思っていたのか、少しでも分るのでスルーするとしよう。


2008年05月21日
眠れぬ夜に

今宵の満月が見えていますか?

徒然草に、
『花は盛りに、つきはくまなきをのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。』
兼好法師が徒然草で、「花は盛りの時のみ、月は曇りなく輝ている時のみを見るものであろうか。そうではない。」と。。。 今宵はかけていく満月を堪能しますか。。。。


これは、教養がない私には難しいが、誰か、特定の人間へのメッセージのように思う。その人物に問いかけているようにも思うのだが、同時に、花と曇っている月を、彼女自身に例えているようにも思う。分かり易く言うと、言葉は悪いかも知れないが、「良い時も悪い時も、私のことは、ずっと見て頂けないのですか・・・」と、私には読み取れるのだが、孤独と寂しさを感じて、それを分って欲しい。気付いて欲しいとのメッセージも感じられる。

ただ、私から見ていれば、彼女は最後まで輝いていたように思う。その私の感覚と、彼女が抱いたであろう心境が正しければ、彼女自身が思っていたほど、曇ってはいないということだが、そのギャップというか、彼女の純粋さと、自身への厳しさみたいなものが、裏目に出ている一面でもあるように思うのと同時に、彼女の満たされない心境を綴ったようにも感じられる。が、何かの理不尽さに疑問を抱いていたようにも思う。


2008年05月21日
おしらせです

◆5月24日(土)
◆14:50〜15:40
六本木・泉ガーデン セミナー会場Dにて
◆香水スペシャリストの山田麻穂さんとのトークショーを行います。

『香りのソムリエが教える!あなたにあった香水の楽しみ方』

スペシャリスト山田さんに私にあった香水を選んでいただけるなんで光栄です。
香水ってどの香りも素敵でついつい買ってしまいますが、
ちゃんと選んでいただけるとうれしいです。

やはり女性ですから、女性にも、男性にも好かれる香りに出会えれば嬉しいです。

少し調子が悪い私ですが、ちゃんと頑張って生きていますので、
ぜひいらしてくださるとうれしいです。


この告知、普通に思うが、一連の流れがあり、彼女の心境をくみ取れば、これも、ややおかしい。それは、最後の部分、「ちゃんと頑張って生きていますので・・」という所だが、通常、「ちゃんと頑張って生きています・・」とは綴らない。もちろん、ユーモア交じりに話したり、気の合った友人と話している時は、このような表現をする時もあるとは思うが、あくまでも、一連の流れで考えれば、死を意識しているようにも感じとれる。

なぜなら、仕事の告知なので、通常の精神状態だったら、「いつものように仕事をしてきます。楽しく仕事をしてきます・・」などと綴るように思うからだ。それに、彼女の日記を見ていて思ったのが、自身で頑張るという表現を使っている所がいくつかある。本人、既に、頑張っていたのだから、頑張る必要はないと言うことだが、彼女が頑張るという言葉を使っているのは、誰かに言われて、その人を安心させたいか、期待に応えるために、頑張るという言葉を使っている所もあるように感じられる。

だから、彼女自身が、頑張ると言う言葉を自分に使えば使うほど、息苦しくなった一面もあるのかも知れない。また、私も、経験があるのだが、頑張っている時に、或いは、頑張って来たのに、頑張れと言われるのは、意外と辛かったりする。ましてや、彼女のように純粋な女性だと余計に、そのように感じてしまうかも知れない。だから、私は基本的に、その時の状況にもよるが、人には、頑張れ!とは言わないようにしている。


2008年05月21日
言葉が…

でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。

夜風に吹かれながら、たそがれ、ほんの少しの幸せを感じ

みなさんにとっても素敵な夜になりますように。。。。


この日記で言えば、言葉が出てこないのだから、書かなければ良いとも思うが、良く見れば、21日は、3回、更新をしている。だから、この日記を日が明けてから書いたのか、その日の夜に3回、更新したのかは時間の表示がないから分からないが、一連の流れからすれば、「言葉がでてこない・・」というのは、やはり、彼女の変化を分って欲しいと助けを求めているようにも思う。なぜなら、通常の精神状態だったら、言葉が出てこないと文字に記すのは、まず、ないと思うからだ。

書くとしたら、「言葉がでてこない・・」ではなく、「文字にしようと思うけど、言葉が見つからない。言葉が思い浮かばない・・」などと書くように思うが、細かいことは抜きにして、その言葉が思い浮かばないという事を知って欲しい。そうなってしまうのは自分でも分からない。と思っていたかも知れない。


2008年05月20日
移動

移動しているときって好きなんです。移動しているから…。わかるかな…車窓から 電車の中から …動いている風景。

こうしてメイクをして仕事の準備をして移動しない空間にいると取り残されている感じ

でも頭はしっかり動かしていますよ


ここでポイントなのは、「取り残されている感じ・・」という所だが、取り残されている感じがするというのは、いつも走っていないと、後れを取るような感じがして、不安になってしっていたのだと思う。走っているということは仕事で忙しくしているということだが、移動している時も、色々な風景や目に入ってくる情報があるので、ぼーと出来て、ある意味、余計なことを考えないのかも知れない。だから、彼女にとっては、余計なことを考えない時間が好きだったように思う。


2008年05月19日
おはよう

おはようの挨拶したくて…

おはよう


おはよう!と思わず言いたくなるが、だいぶ短い日記なので、コメントをしにくいようにも思うが、それでも話してみよう。これは、きっと、誰かにか、誰でも良いから、おはよう。と、彼女が言いたくなったのだと思うが、それが出来ないので文字に記したのかも知れない。ただ単に、それだけだと思うのだが、同時に、彼女の思う幸せの一つだったのかも知れない。

なんとなく、そう感じるのだが、彼女は、カウンセラーのA氏との会話の中で、「国(金沢)に帰りたい。その方が普通の幸せを得られるかも」と言っている。だから、きっと、素朴な幸せに憧れていたように思う。が、逆に言うと、彼女の思う普通の幸せではないことを味わっていたか、なにか、彼女の思いとは裏腹に、普通ではない幸せを言い聞かされていた様にも感じられる。


2008年05月17日
喝!

うーん 体がまだ元気!といかないようです。中国四川大地震では多くの方が一生懸命生きているのに!情けない 今日もがんばらないと!

自分を奮い立たせようとの思いは伝わってくるが、無理に頑張らなくても良いのにと思ってしまう。死を考えている反面、なんとかしようと思っている彼女の心境が痛々しくも思う。女性は、男とは違い、体力がないところもあるし、心も複雑なところもあるので、何か問題が起きた時は、周りが、ある程度、踏み込んであげる必要があるように思う。また、中国の地震のことに触れているが、カウンセラーのA氏との会話の中で、「今なら、リポーターとして中国四川に飛んで、仕事の傍らでボランティア活動をしたいのに・・・」と言っている。

たぶん彼女は、自分が必要とされる事を望んでいたのだと思う。これは、男女関係なく、そのように思う人は多いと思うが、それは、仕事でも、恋愛、結婚でも、生きている実感として、または、自分の存在価値を知る意味でも、必要とされる事を望むのだと思う。手を差し伸べる=必要とされる。というのは、私は、いい意味で表と裏のように思う。彼女は、そのセンスを持っていたように思うが、それは、父親の影響を受けていたからなのかも知れない。


2008年05月16日
この頃

体調が悪く、元気がないなか、仕事を下さった方、一緒にして仕事をして下さる方、みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただきました。これからもよろしくお願いします。

これは、なんとなく表面を取り繕っているように思うが、彼女の心には、そのような余裕はなかったように思う。周りへの配慮から、このような文章になったように思うが、彼女の真面目な性格が、そのようにさせていたのかも知れない。私から言わせれば、言葉は悪いが、車のハンドルにも遊びがあるように、いい意味で、もう少し遊び心があってもいいのにと思ってしまう。

ただ、局アナとは違い、フリーアナウンサーは、たぶん、請負で仕事をしていると思うので、その辺りの配慮は必要に思う。だからと言って、局アナは配慮をしなくて良いと言っているのではない。きっと、その辺りの事は、彼女も分っていたとは思うが、フリーアナウンサーは、テレビ局から給料を貰っている訳ではなく、所属事務所にマネージメントをして貰う事で報酬を得ていると思うから、ある程度の心配りは必要になってくるとは思う。

そして、彼女は、フリーになったことで、同年代の女子アナやTBS時代の同僚と、話す機会が少なくなったかも知れない。そうなったことで、彼女自身が思っていた以上に孤独を感じてしまったのかも知れない。金沢出身と言うこともあり、東京には、友達が少なかったかも知れないし、その辺りにも、寂しさ、孤独を、必要以上に感じてしまう要素があったのかも知れない。


2008年05月14日
やっぱり

自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね

こっそり書いてしまいました。頑張って仕事行ってきます。


こっそり書いたとあるが、これは、誰かに日記の制限をされたからだと思う。それは、彼女が綴る内容にあると思うが、彼女は、自分の家でブログの更新をしていたと思うが、或いは、移動中、仕事の合間なのかも知れないが、彼女からすると、このブログが、唯一、自分の気持ちを理解してくれる人やファンが見ていてくれている場所だったのかも知れない。

もちろん、フリーアナウンサーのブログなので、問題になってしまう発言は不味いと思うが、既に、起こってしまったことは仕方がないので、所属事務所は、もう少し彼女の気持ちを受け止めるか、彼女の心に踏み込んであげたら良かったように思う。が、彼女からして見れば、それが達成されないので、「自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね・・」と、思ってしまったのかも知れない。彼女のように精神状態が不安定な時は、話を受け止めるセンスか、良い意味で心に踏み込むセンスも必要になってくるようにも思う。


2008年05月14日
すみません

みなさんからたくさんたくさん元気をいただいていたのにもかかわらず、
あまりにも沢山の方に心配をかけるということで、
元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます。

本望ではないのが、残念です。。。でも私は本当に皆さんに助けていただいています。
どうか信じて下さい。

みなさんの幸せをいつも願っています。

川田亜子


新しい日付の日記からコメントをつけて来たので、上記の日記と同じようなコメントになってしまうかも知れない。この日記は、彼女の素直な気持ちは綴られているとは思うが、やはり、事務所側と話し合って、日記の更新を休憩すると決めたようだが、そのことを彼女は残念に思っていたようだ。が、ご存知の通り、休憩はしないで、その後も日記の更新はされ、不安定な日記は続いたが、日々の生活の中で、或いは、日記の合間で、彼女の心が、不安定になってしまうようなことが起こっていたのかも知れない。

それに、彼女なりに上手くやっていたころは、なにか安心する要素があったのかも知れない。しかし、その安心する要素がなくなってしまったと彼女が思ってしまったので、だんだん不安になったようにも思う。たぶん、彼女なりにオブラートに包むように伝えようとはしたかも知れないが、彼女が安心するようには理解されなかったのかも知れない。

さて、ここまでは、彼女のブログに掲載されているものだが、ここからは、削除された日記にコメントをつけて行きたい。削除したのは、事務所側の指示もあり、彼女の意思もあるとは思うが、2ちゃんねるで掲載してあったので、それを転載しながら、話して行こうと思う。


2008年05月13日
また朝がきました

みなさんのメッセージ読ませていただきました。ありがとうございます。元気いただきました。
仕事が終わるまであと10時間 長いです。


この日記は、それほど問題があるようには思えないので、削除されたのかが分らない。また、彼女のふんわりした所なのか、「また、朝が来ました・・」というタイトルは、良い意味で思わず笑ってしまった。なぜなら、朝は、必ず、くるからだ。だから、「また」をつけたところは、彼女のユーモアなのか、天然の部分なのかも知れない。

しかし、違う受け取り方をすれば、毎日、朝になってしまうのが、やや、嫌だったのかも知れない。なぜなら、仕事に行かなくてはいけないからだ。そこにも、少し抵抗をしていたように思う。その証拠に、「仕事が終わるまであと10時間 長いです・・」と記している。仕事が長く感じる時は、その仕事が充実していないか、楽しくない時だと思う。


2008年05月12日
今日も

一日が終わります。
でも自分なりになんとか仕事はちゃんとできているので、
ホッとしています。
まだこんな早い時間なのに満身創痍です。
明日も頑張ります。
風と共に去りぬの映画ではないですが、
tomorrow is another day…


この日記は、不安要素はないと思う。彼女も、彼女なりに、自分の事を見つめているし、充実した仕事に満足しているように感じる。削除する必要もなかったと思う。が、何かあったのだろうか。


2008年05月12日
悪魔

母の日に私は悪魔になってしまいました。もともとそうだったのかもしれません。
産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。
母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです


これが、報道でも取り上げられた日記だが、彼女が、自分の事を悪魔と発言したことは、ある意味、驚きだが、彼女は「母の日に私は悪魔になってしまいました・・」と記している。母の日は、5月の第2日曜日なので、今年は5月11日になる。だから、彼女は、5月11日に悪魔になったと言っているのだが、それは、産んでくれた母親に、生きている意味を聞いてしまった自分は酷いとの思いから、自らのことを悪魔と表現したのが素直な読み方だと思うが、ここが、彼女の真面目なところなのかも知れない。

私の話をすれば、売り言葉に買い言葉の親子喧嘩もするときもあり、母には、酷い事を言ってしまう事もある。が、私は、自分の事を悪魔と思ったことはないし、私が母と親子喧嘩をするときは、「あなたなんて産まなければ良かった・・」と言われれば、「子供は、親を選べない・・」と、言い返すときもあるぐらいだ。それに、先に言った方が悪いと思っているし、親子喧嘩をしても、数日経てば、何もなかったように話すようなものだとも思っている。

話を戻すと、このことは、彼女の綴った三行だけでは分からない所もあるように思う。彼女の母も、彼女も、涙がとまらなくなったのだから、何か、もっと踏み込んだ話もあったように思うが、それが何なのかは分らない。ただ、彼女が悪魔と言う言葉を使わなくてはいけないほど、精神的に追い込まれていたのだと思うし、生きている意味を聞いたということは、自らの命を意識していたようにも思う。そのような背景があり、彼女は、母と話したのかも知れない。なかなか母と娘が、一つの話題で涙を流す事はないと思うし、私が発言する事ではないとは思うが、情の深い親子という事は、なんとなく分る。

保存してあった画像では、その時の読者のコメントも見れる。


2008年05月10日
1日

ようやく夜ですね。夜だから楽であるかと言えば違いますが… ここ数日沢山の方々にたくさん助けていただきました。
このブログであったり、一緒に仕事をさせていただいている方であったり、初めてお会いした看護婦さんであったり、
私の小さな小さな悩み事に耳を傾けて下さり、なぜそんなにも優しくしてくださるのでしょうか?
感謝の言葉では表現できないくらいです。
人のためになにができるのでしょうか。
明日はまた新しい日が訪れ、皆さんにとって素敵な日がきますことを願います。


この日記も、基本的に、問題ないように思う。だから、なぜ、削除したのかも分からない。自分の発言や行動を客観的に見ているし、助けて貰っていた人達への感謝の気持ちは、素直なものだとも思う。また、彼女は、その人達に対して、「なぜそんなにも優しくしてくださるのでしょうか?・・」と、問いかけている。

その人達が、彼女に優しくした理由は分からないが、彼女は、甘えん坊のような所もあるように思う。だから、その辺りも関係して、優しくする人達もいたのではないだろうか。人によっては、そういう所が可愛いと思うかも知れないし、「ほっとけない、自分がなんとかしてあげなくては・・・」と、思う人もいたのかも知れない。それに、彼女が心配りができて優しいから、色々な人達に優しくされるところもあったのだと思う。


2008年05月09日
1日

やっと1日が終わりました。長かったったです。でも私はたくさんのスタッフに支えられています。
幸せ?生きている実感?身にしみて感じました。
縁があって出会うことができたみなさんに感謝の気持ちでいっぱいなんです。
みなさんはどんな1日でしたか?
私の友達に赤ちゃんができました。生まれてくる生命… 大切に大切に生まれて来てほしいです。
みなさん、ありがとうございます。


これも、基本的に問題ないから、なぜ、削除されたのかが分からない。ただ、「幸せ?生きている実感?身にしみて感じました・・」とあるが、「幸せ」と「生きている実感」に疑問符がついているので、彼女の心の中では、曖昧に綴っているように思う。したがって、「幸せ」と「生きている実感」を、身にしみて感じていたようにも思えない。つまり、取り繕っている部分があるように思うということだが、一行一行のくだりに繋がりがないところも、やや、気になる。全体的には、支えられていたスタッフに言っているが、この日記を綴る前に、「幸せ?生きている実感?」について、何らかの会話があったのかも知れない。

また、彼女のキーワードは、「幸せ」と「生きている実感」だったように思う。特に、幸せは、他の日記でも、色々な場面で使われていたし、カウンセラーのA氏にも、幸せについては話している。あとは、生きている実感だが、これは、意外と言葉にするのは難しい。私も、生きている実感を話してみろ。と言われれば、正直、困ってしまうが、危険な目に遭って助かったり、大病を患い治ったり、地震で建物が崩壊し閉じこめられ生還したり、他にもあるとは思うが、そのような時は実感を持てると思う。ただ、人それぞれ、幸せと感じることは違うし、それは、生きている実感も同じように思う。

だから、何でも言いように思う。例えば、空気を吸っていること、毎年、初日の出を見ること、友人と遊びほうけているとき、フルマラソンを走りきったとき、忙しくしていて休みの時に好きな人と散歩したとき、誰かを助けたとき助けられたとき、自分の事を必要とされていると思えたとき、夕日を見ながらぼーとし、ビールを飲んでいるとき、一つの話題や出来事でシェアできたとき、家族でいるときなど、「幸せ」と「生きている実感」は、重なっていると言うか、似ているようなところもあるが、幸せのほうが、小さいものから大きなものまで、物欲から精神的なものまで、語りやすいように思う。生きている実感は、それに比べると、基本的には幸せに似ているが、精神的なものに限られてくるように思うが、それも、決まりはないとだけ言っておこう。


2008年05月09日
収録
今から仕事です。ふぅー 頑張ってきます。みなさんありがとうございます。


これも、削除する必要はないと思うが、面倒なので削除してしまったのかも知れない。司会の仕事でため息をついている映像をテレビで見たが、ブログでもため息をついているので、なんとなく気持ちが晴れないか、気持ちが重いのが伺える。次ぎ・・・。


2008年05月08日
みなさんが
一人でこうして旅をすると、より一層みなさんを近くに感じる事を発見できました。
でもいつもの私がまだ見つけられません…


これは、旅先から、たぶん携帯か、何かを使って、日記を更新したものだと思うが、休みの時に、プライベートで旅をしていると思われるので、その区別をした方が良かったように思う。が、なんとなく、ブログの読者に話しかけていないと不安だったのかも知れない。「みなさんを近くに感じる事を発見できました・・」というのは、たぶん、休みのときに旅をしていても、読者がコメント入れてくれるので、彼女からしてみれば、「仕事上の私だけでなく、プライベートで旅をしている私でも、コメントを頂けるんだ・・」と、嬉しく思い、読者を近くに感じたように思う。

ただ、それでも、「いつもの私がまだ見つけられません・・・」と言っている。私からすると、「無理に、いつもの私は見つけなくても良かったのに・・・」と思ってしまう。これも、削除の必要はなかったように思う。


2008年05月08日
寝れない夜に

地震があったようですね テレビがないところに来てしまったため情報がすくなくすみません。
皆さんが無事であることを願ってます。マスメディアで働きながら反省しております。


この日記からも、彼女の律儀さ、真面目さが分る。規模にもよるが、休みの時なので、地震があったことを知らなくても問題はないし、その情報を知らなかった事を、反省し謝る必要もないと思う。ただ、これが、彼女の優しさ、正義感ではあると思うが、やや、仕事に対して、過敏になっているようにも感じる。これも、削除の必要はないと思う。


2008年05月07日


今日は私のお休み。
先週から口がうまく回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。
普段から喋りがなめらかとは言えない私にとってとても心配であり、不安が押し寄せてきます。
特に心あたりもなく…
言葉がおもうようにでてこないのであります。
積み重ねてきたものがあっというまに失う時があります。
人生は無常ですね
気分転換に少し遠出をしてみることにします。


さて、最後だが、削除は、この日記から行なったようなので注目したい。彼女は、滑舌が悪かったのだろうか。よくアナウンサーのNGシーンをテレビでやっている時があるが、私が思うに、色々な女子アナが出てきて、会話の途中でかんだり、口が回っていないことは良くあるように思う。だから、悩む必要はないと思うのだが、たぶん、彼女は、わりと最近になって、今まで以上に、そのことを悩みだしたのではないだろうか。

彼女は、「特に心あたりもなく・・・」と言っているが、口が回らないことが気になってしまうというのは、やはり、精神的に不安要素があり、普段よりも、必要以上に、そのことを意識してしまっているようにも思う。つまり、過敏になっていたと言うことだが、「特に心あたりもなく・・・」と言いつつも、「積み重ねてきたものがあっというまに失う時があります。人生は無常ですね・・・」と言っている。はっきり言って、心あたりがありそうだが、 仕事でミスをしている訳でもなく、口が回らないこと不安に思い、「積み重ねてきたものがあっというまに失う時があります。人生は無常ですね・・・」という風には繋がらないように思う。

つまり、口が回らないことで、彼女は、彼女が積み重ねてきたものを失うと思ってしまい、それを、人生は無常ですね。と、言っているのだが、素直に読むと、少し大袈裟のように思うが、同時に、この時点で、「もう、アナウンサーは続けられない・・」との思いも感じられるし、カウンセラーA氏との会話では、「執筆業に転職しようか迷っている・・」と彼女は言っている。なにか業界で仕事をし難いか、業界にいづらい要因があったのかも知れない。それも、彼女にとっては重大なのかも知れないが、実際に仕事でミスをした訳でもなさそうだし、口が回らないだけで・・・。

これって、不自然な心の動きのように思うが、口が回らないことを強く意識してしまう、何かがあったようにも思う。その何かが切っ掛けになっているようにも思うが、彼女は、何かの圧力を感じていたのかも知れない。それも、もの凄く巧妙に・・・。そのような経緯もあり、不安を強く抱き、口が回らなくなってしまい、それを意識したようにも思うのだが、そこには、何かの圧力か、誰かが絡んでいたようにも思う。

なぜなら、一連の経緯もあり、彼女の心の動きを感じていると、彼女一人だけの色々な思いだけで、苦しんでしまう内容ではないと思うからだ。また、彼女の父親は、何かを知っているのか、次ぎのような報道もある。

川田アナ「追い詰めた人間を告発する」と憤る父親の無念

●実家は北陸で大病院を経営
 娘をここまで追い詰めたのは誰なんだ。できれば、そいつを告発したい――。
 26日に亡くなった元TBSアナウンサーの川田亜子さん(享年29)の父親は、こう憤慨しているという。父親は最初から不信感の塊だったようだ。
「遺体と対面した遺族は変わり果てた姿に絶句していました。ただ、お父さんだけは『ちゃんと捜査してくれたのか?』と必死になって警察に食い下がっていたそうです」(関係者)
 今後、父親は携帯電話やパソコンのメール、その他遺留品を徹底的に調べた上で、川田さんを追い詰めた人物と原因を特定し、結論を出す意向と伝えられる。
 川田さんは北陸にある実家が大病院を経営していて、白百合女子大出身のお嬢さまといわれていた。しかし、実際には15歳のときに両親が離婚し、その後、父親は再婚したわけありの家庭環境で育った。父親は精神科医で富山県内で大きな病院とクリニックを経営。そんな実家と離婚した母親のはざまにいて、亡くなる前は実母に相談に乗ってもらったりしていた。
 それだけに、父親としては突然、娘の死を知らされて動揺したはずだし、精神科医として娘の自殺に納得できない面もあるだろう。真相を追及するのは当然なのだ。
「川田さんはさまざまな悩みを抱えていたとされ、そのひとつが彼女と交際していたと噂される男性の存在です。ひとりは芸能界の実力者で、これまで数々の女優やタレントと浮名を流した人物。さらにタレントや俳優の名前も挙がっているし、川田さんがストーカーに悩んでいたという話もある」(マスコミ関係者)
 父親が経営する病院は、日刊ゲンダイ本紙の取材に「一切言えません」と口を閉ざす。川田さんが最後に何を思ったか。つまびらかにして欲しいと祈るばかりだ。



彼女の父親の憤りと悲しみが伝わってくるが、大切な娘さんを失った父親だったら、このような心境にはなると思うので、今後の動向を見守りたいとは思う。そして、日記を観察していると、日記を削除し、そのあとに綴ったものの方が、精神的に不安定になっていたようにも思う。それは、自らのが記したものを削除することで、彼女が、自身の気持ちを否定されているように感じてしまった所もあるのかも知れないということだ。

私も経験があるが、意外と、自分が綴ったものを削除すると言うのは、抵抗があったりする。また、私が思うに、「悪魔」と記した日記は不味いとは思ったが、それも、彼女の最後の抵抗だったように思う。だから、その気持ちを、しっかりと受け止めてあげれば良かったように思うし、彼女としては理解されないまま削除しなくてはいけなくなったのは、何よりも苦しかったのかも知れない。それとも、彼女の気持ちを無視してまでも削除をしなくてはいけない不味い事でもあったのだろうか。どうも所属事務所の対応がおかしいと思ってしまうし、SOSを発信し続けていた川田さんへの配慮が足りなかったように思えてならない。

サタデースクランブル

追悼 川田亜子

川田亜子さん、ご冥福をお祈りします。Me singing Bye bye......

川田さんのご冥福をお祈りいたします。
isharejp at 15:38 │Comments(0)TrackBack(0)社会問題  | 心、魂、命

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