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2008年5月31日 (土)

内田勝氏、ご逝去

今朝、マイミクであるスタジオ・ハードデラックス高橋さんのミクシイ日記で、30日に内田勝さんが亡くなられていたことを知りました。73歳でした。

奇しくも先日このブログで長谷邦夫先生の『マンガ編集者狂笑録』を記事にしたばかりですが、この本でも一章を費やして内田さんのことが書かれていました。

内田勝さんは、1959年に講談社に入社、65年に「少年マガジン」3代目編集長に抜擢され、奇才エディターの大伴昌司と「ウルトラ怪獣大図解」をグラビア特集して一大怪獣ブームを巻き起こし、マンガ班チーフの宮原照夫氏とともに「巨人の星」「あしたのジョー」「天才バカボン」などマンガ史に残る名作を次々に連載、1970年にマガジンを少年誌初の150万部突破に導きました。

まだ詳しい情報が入ってないので死因等はさだかではありませんが、情報源が確かですので間違いないと思います。自分は、かつて内田さんにロング・インタビューを試みたことがありますが、その明晰な話しかたに度肝を抜かれました。頭の中でしゃべる内容が完璧に整理されていて、テープ起こししただけでほぼそのまま記事にできた人は、自分が経験した中では内田勝さんだけでした。

以前、いとうせいこう氏にお会いしたとき、内田さんのエピソードを伺ったことがあります。80年代のある日、「ホットドッグ・プレス」の編集者だったいとうさんは、作家になるため講談社に辞表を提出したのでしたが、当時の担当役員だった内田さんに呼び出され、数時間にわたって辞表撤回を説得されたそうです。

しかし、いとうさんの辞意が固いと見るや、内田さんは「わかった」と一言言って、その場で知り合いのテレビプロデューサー、他の出版社の編集長、広告代理店に片っ端から電話をかけ、「今度我が社からいとうせいこう君という優秀な才能が旅立ちます。そちら様とも仕事をすることがあるかもしれません。私からもどうか、よろしくお願いします」と全員に頭を下げたとか。そして一部始終を唖然として見守っていたいとうせいこう氏に対して、「辞めることは残念だが、これからも私は君を応援する。フリーになっても頑張りたまえ」と激励したそうです。

この話をしてくれたいとうさんは、目に明らかに尊敬の色を浮かべて、内田勝氏を「講談社最後の伝説の編集者だ」と言っていました。

内田さんについては、いろいろまだ書きたいことがあるのですが、またの機会にしたいと思います。とりあえず今はご冥福をお祈りするばかりです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%8B%9D
↑内田勝ウィキペディア

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