2008年5月29日放送

あなたの知らない秘密の地下空間


1_01  現在、東京を始めとする大都市では地下に巨大施設が作られている。まるでSFの世界から現れたような近未来的風景。地下の造形美を集めた写真集が人気を集め、密かな地下ブームが起こっている。しかし、地下には多くの謎が潜んでいる。
 東京・虎ノ門交差点の地下には、直径20m、深さ40mの巨大な筒状の空間がある。これは共同溝といい、ガス・電気・上下水道などのライフラインをまとめて収容する施設だ。埼玉県春日部市にある何の変哲もないグラウンドの地下には、シンメトリーに柱が立ち並ぶ幻想的な空間が広がる。これは、中小河川から溢れた水を江戸川に排水するための施設で、別名「地下のパルテノン神殿」と呼ばれる。
 一方、政治の舞台である国会議事堂でも知られざる地下空間が存在する。産經新聞国会担当の池田記者に話を聞いた。衆議院と参議院、記者会館、第一議員会館など国会に付属する9つの建物が地下通路で行き来できるようになっているという。これは、議員が安全かつスムーズに国会に移動するために建設されたもの。
 だが国会議事堂の地下にはそれ以外にも秘密の地下通路が存在するという噂は絶えない。
1_02  東京の地下開発史を研究し多くの著作を発表する作家の秋庭俊氏。東京の地下開発は戦前から秘密裏に進んでいた、という見方に基づく著作は隠れた地下ブームの火付け役となっている。
 国会議事堂から霞ヶ関の官庁街や防衛省など、東京の地下には政府専用の極秘地下通路が存在するという秋庭氏。国会議事堂から250mほど離れた旧首相官邸(1929年〜2002年使用)には不思議なエピソードがいくつもある。1960年の日米安保条約改定反対運動の際にたびたびデモ隊に包囲された首相官邸で、中にいた閣僚たちは容易に外に出ることはできなかった。だがそんな状況の中、官邸内にいたはずの閣僚がたびたび赤坂のネオン街で目撃されていたという。かつてある代議士は当時の官房長官・椎名氏から「トンネルを通り抜けてよく赤坂に遊びに行った」と聞いたという。
 さらに1936年、2・26事件が起きた当時首相を務めていた岡田啓介は、「官邸には庭の裏手から崖下へ抜ける道ができ山王方面に抜ける近道になっていた」と記している。
 首相官邸に電話取材をすると、そのような通路はおそらくなかっただろう、という回答だった。
1_03  そこで、国会議事堂からの地下通路の有無を検証すべく、最新の地下探査レーダーを用いて調査することにした。調査したのは千代田区紀尾井町の清水谷公園。国会議事堂から防衛省に抜けるとしたらこの辺りを通るであろう、という秋庭氏の指摘する場所だ。協力してくれたのは、地下埋蔵物に関する第一人者、八重野氏。
 秋庭氏監修のもと、地下通路の探査を開始した。すると、画面に大きな空洞を示す青色が浮かび上がった。深さ13mのところに直径が3mほどのトンネル状の空洞があるようだという。
 だが八重野氏は、形状や方向の特定は地上からはできないという。公園を管理する千代田区役所道路公園課に問い合わせると、下水道管が入っているという回答だった。それ以外には何もないという回答に、下水道工事関係者の見解をたずねた。すると、下水管は40mくらいの深さにあるのでこの空洞は下水管ではないという。再び千代田区に問い合わせると「わかりません、把握しておりません」という回答に変わった。
 形状や方向が読み取れなかったため、空洞が地下通路かどうかは不明だった。しかし、東京の一等地の地下に謎の空洞が存在することは事実だ。
1_04  秋庭氏は、周辺の地下鉄にも多くの謎が存在するという。地下鉄千代田線国会議事堂前駅は議事堂の地下38m、地下6階部分の深い場所に作られている。千代田線が地下6階、丸ノ内線が地下2階にあるのだが、地下5〜3階の空間がなぜあけられたのか。駅周辺は締まった砂で掘りやすい、と東京都建設局土木技術センターの中山氏はいう。
 地下は深いほど建設コストがかかるため、なるべく浅く建設しようとするはずであり、秋庭氏は既に存在した地下空間を避けてホームが建設されたと考える。だが東京地下鉄広報部に電話取材をすると、霞ヶ関と外堀通りを結ぶ地形が高さ約20mの丘になっていることと、千代田線より先に作られた丸ノ内線と首都高を避けるために千代田線はその下に建設している、という回答だった。確かに首都高を避けるように作られているのだが、それでも秋庭氏はもっと浅い部分に作れたはずだと反論する。
 秋庭氏は地下鉄の文献にさらなる謎を発見した。戦後に建設された丸ノ内線の建築史を見ると、赤坂見附と四谷の間に「182m88cm1mm」という半端な数字のカーブの回転半径が記されている。秋庭氏が不自然に思って戦前に採用されていたマイル法で換算したところ、200ヤードだった。
1_05  戦前にしか使われなかったヤードがなぜこの区間だけ採用されたのか。秋庭氏は、戦前に造られた施設を丸ノ内線建設の際に利用したと考える。
 東京地下鉄広報部に電話取材すると、赤坂見附駅は戦前に着工したが線路を延ばすには至っておらず、その数字についても確実なことは言えないという回答だった。
 地下に謎の空間があるのは地下鉄だけではない。JR東京駅の丸の内側の地下1階から長いエスカレーターを下りると、そこは一気に地下4階。トイレと売店以外施設のない不思議なフロアだ。さらに下りると地下5階にようやく総武快速・横須賀線のホームが現れる。秋庭氏は、最初から地下5階まで地下建築があったからだと考える。
 だがJR東日本の回答は、総武線は馬喰町付近で都営浅草線の下を通したため、東京駅よりもさらに深い場所に馬喰町駅が存在し、そのため総武快速線の東京駅は地下5階の深さになった、というものだった。
 秋庭氏の一連の仮説が事実なら、地下空間とは何なのか。秋庭氏は、戦前は至る所に防空壕や砲台があって地下通路で繋がっており、戦前に使っていた地下道を政府は今も使っているとみている。国土交通省に電話取材をすると、聞いたことがないとの回答だった。
1_06  そこで地下断面図の情報開示を求めたが、正当な地下利用を計画進行する人でないと情報は開示できないという。
 東京の地下計画に詳しい明治大学大学院の青山教授は、テロや有事の際を考え関係官庁は詳細な地下の構造を明らかにしないという。
 だが、政府によって作られた地下施設が海外では実際に発見されている。首都ワシントンから400km、アメリカ・ウェストバージニア州ホワイトサルファー・スプリングスの山中にアメリカ政府が造った地下施設があるという。山の中腹、不意に景色が開けると突然巨大な銀の扉が見えた。
 責任者のリンダ・ウォルスさんに話をし、特別に中を見せてもらえることになった。中に入ると高さ5mの頑丈な鉄の扉があり、開けると地下通路が姿を現した。トンネルを進むとその先には第三の扉があり、ついに地下施設が出現した。
 そこはがらんとした巨大な空間。リンダさんは、ここはパーテーションで仕切ると24の執務スペースになるという。その先に進むと、壁には星条旗とホワイトハウスの写真が飾られた放送スタジオがあった。さらに進み次の扉を開けると多くの椅子が並べられた会議場。ここでは臨時の議会が開かれるという。
1_07  ここは有事の際にアメリカの中枢となる場所、いわば臨時の首都なのだという。核戦争などが起きた際にホワイトハウスや議会などを緊急避難させるために造られたものだったのだ。
 1964年に完成した施設の面積は約5000平方mで、18の宿泊室に1100人以上を収容可能で、議員やその家族用に建設されたのだという。核戦争に備え、放射能を洗い流す汚染除去室もある。
 実はこの政府施設はホテルの地下と繋がっている。この施設は当時の大統領・アイゼンハワー氏とホテル上層部の密談により、老舗ホテル「グリーンブライヤー」の地下に極秘で建設され、ごく一部の政治家にしか存在を知らされていなかった。山の中腹にあるため、核の影響を受けにくいという理由でこの場所が選ばれた。
 普段は利用客に存在が知られないよう、隠し扉でホテル側の入り口は隠されている。
 1992年、ワシントンポスト紙がスクープとして報じると、秘密の存在でなくなったために施設を放棄、1995年にホテルに売却した。アメリカ史研究家のコンテ氏は、まさかこのような施設が極秘に建設されていたとは驚きだった、と話す。
1_08  このように、第二次世界大戦中や冷戦中に造られた政府の秘密施設がのちに明るみに出る例は多い。2005年には、それまでイギリス政府が存在を否定していた核シェルターが不動産として売りに出された。このシェルターは第二次大戦中に採石工場跡地に建設されたが、冷戦終結後に維持費がかかるということで競売に出されたのだ。
 では、日本には有事の際の地下施設は存在しないのだろうか。事実、太平洋戦争末期には政府機能を移転させるべく長野県に大規模な地下壕が建設されたことがある。
 コンテ氏は、日本政府が危機を感じていれば当然存在するはずだと話し、イギリスの軍事ジャーナリストのマッカムリー氏も一つといわずいくつかあるだろう、他の国も同じような道を歩んできたのだから、という。
 東京、そして日本の地下はいまだ数多くの謎に包まれている。私たちが平和に暮らすその足下にも謎の地下施設は存在するかもしれないのだ。




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