現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 鳥取藩分家 5歳の姫君、父母への優しく切ない遺書2008年05月31日23時28分 鳥取藩分家の一つ、西館(にしやかた)池田家の5代当主池田定常(1767〜1833)の末娘、露姫が家族に書き残した遺書の木版刷り4通が鳥取市鹿野町鹿野の雲龍寺で見つかった。「お年だから、お酒は飲まないでね。おとうさまへ」――。先立つ幼子の優しくも切ない胸の内がつづられている。(徳永悠)
露姫は江戸屋敷に生まれ、1822年に5歳で病死した。死後、愛用の机の引き出しから遺書が見つかり、その内容に心打たれた定常の友人、松平定信や滝沢馬琴ら当時の幕閣や文化人が追悼の意を込めた書画を定常に贈った。遺書などは「玉露(ぎょくろ)童女追悼集」(全30巻)として今も浅草寺に残る。 池田家ゆかりの雲龍寺で見つかったのは遺書の木版刷りと供養を求める覚書で、今年1月に檀家(だんか)向けの冊子に掲載された。 55歳の父への遺書には「於(お)いと(老い年)たから(だから)こしゆ(御酒)あるな(上がるな)」と健康を気遣い、母には「むとせのゆめの なこり於しさに」(数えで6歳という短い命は名残惜しい)と心情をにじませた。 定常の家臣が書いたとみられる覚書も遺書とともに見つかった。そこには露姫の死去や遺書発見の経緯が記され、「定常様の悲しみは深いので木版刷り4通を全国六十余州の霊地に送りました。御寺にもお納めください」と手書きで記されていた。 覚書を読み解いた鳥取市歴史博物館の伊藤康晴学芸員(日本近世史)は「覚書の発見は、露姫の遺書が江戸だけでなく全国各地に広く伝えられていたことの証拠になる」と話した。 PR情報文化・芸能
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