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2008年06月01日(日曜日)付

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生物多様性―絶滅防ぐ「名古屋議定書」を

 生物は進化するにつれて千差万別の特技を身につけてきた。その匠(たくみ)の中に数多くの技術革新の種が眠っている。

 最高速度を上げた500系の新幹線は、パンタグラフが風を切る騒音をいかに低くするかが課題だった。ヒントになったのは、夜、獲物を捕まえるフクロウだ。羽の周りに空気の渦をつくりながら、静かに滑空する。これを応用し、騒音の低下につなげた。

 ハスの葉の表面構造を参考に、汚れの付きにくい塗装を開発する試みもある。天井を動きまわるヤモリの指を分析して、垂直の壁を歩くロボットを実用化する挑戦も続く。

 生物の匠を産業に利用することは、「生物模倣」と呼ばれる。その多くは生態系を傷めず、しかも効率的だ。東北大学の石田秀輝教授は「ネーチャー・テクノロジー(自然から学んだ技術)が今後、環境問題への対応で大きな鍵を握る」と語る。

 ■加速する危機

 地球の生物は約3千万種にのぼるとの推定がある。それらが互いにつながり合って生態系を形成している。こうした大自然が生み出す恩恵は「生物模倣」に限らない。

 多くの医薬品は植物から得たものだ。ヤナギの樹皮の成分に鎮痛・解熱作用があることに着目し、アスピリンが合成された。インフルエンザに効くタミフルの成分は、中華料理の食材でもある八角(トウシキミの実)から抽出される。

 ほかにも、食材や木材に使われたり、水や土、空気を浄化したりする様々な生物が、現代の物質文明を下支えしている。

 ところが、世界の生物は今、恐竜が姿を消した時代以来の大量絶滅に直面している。乱獲や乱開発、都市化、外来生物の侵入などが原因だ。過去の平均的な絶滅速度をここ数百年で約千倍に加速したとの推定もある。

 「宇宙船地球号」は、多様な生物の微妙なバランスの上に成り立っている。生物種の相次ぐ絶滅は、宇宙船地球号から部品をひとつずつ取り去るようなものだ。部品の役割を知らないまま部品をはずしていけば、やがて宇宙船地球号が壊れかねない。

 生物種の絶滅を防ぎ、多様性を保っていくことは、地球の生命や文明の基盤を守ることにほかならない。

 そうした考えから、地球サミットが開催された92年に署名されたのが生物多様性条約だった。条約には生物の多様性の保全や持続可能な利用が盛り込まれた。

 02年の同条約第6回締約国会議では、「生物多様性が失われる速度を10年までに顕著に減らす」との目標も採択された。だが現実には、絶滅の危機は和らいでいない。

 ■京都議定書を手本に

 先週までボンで開かれた第9回会議で、10年の第10回会議を名古屋で開くことが決まった。開催国・日本は未来に向けた戦略を描く必要がある。

 まず考えたいのは、地球温暖化防止での体験を生かすことだ。

 先進国に二酸化炭素などの排出削減を義務づけた京都議定書が97年に採択され、温暖化対策が本格化した。期限と数値目標をつけて排出削減を進めようと決めたことが変化の原動力となった。これにならって、10年には生物多様性の「名古屋議定書」をつくってはどうだろうか。

 日本がつくった「生物多様性国家戦略」は、野生生物が生息する森林や里地・里山の増加、渡り鳥に欠かせない干潟の保全・再生、漁場の堆積(たいせき)物除去などで数値目標を示している。農作物の品種改良に役立つ植物の種子などの保存数は、10年度には06年度より1万点増やして25万点にするのが目標だ。

 国によって生態系の事情が異なるため、単純な目標設定は現実的ではない。それでも、日本の戦略も参考にして、保全目標をできるだけ明確に示し、目標達成に責任を持つような議定書をつくるべきだ。その際、保全のための資金、技術、人材育成について途上国を支援する仕組みを整えないと、絵に描いたもちになる。

 ■多彩な知恵で行動を

 温暖化問題では英国の報告書が「早期かつ強力な対策」が経済学的に見て最終的に利益をもたらすと結論づけ、国際社会に大きな影響を与えた。

 生物多様性でも、対策の遅れによる損失と早期の対応で得られる利益を総合的に分析することが必要だ。昨年のドイツでのG8環境相会合で、こうした分析に着手する方針が示された。日本も積極的に参加していきたい。

 企業や市民がどのように保全活動にかかわっていくかも大きな課題だ。

 住宅メーカーの積水ハウスはNGOの協力を得て、「5本の樹」計画を進めている。戸建て住宅の庭をつくるときに、「鳥のために3本、チョウのために2本」の木を植える。それが地域に広がれば里山のような環境になり、野鳥も増えるとの期待がある。

 どれだけの生物絶滅に、地球が耐えられるのか。だれにも答えはない。地球規模の取り組みから身近な保全まで多彩なアイデアを繰り出し、早めに行動するしかない。

 日本では先週、生物多様性基本法が成立した。国だけでなく自治体にも対策の実行を求めている。まず日本で対策を進め、そして世界に働きかける。

 名古屋を人類の転機にしたい。

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