病院のロビーには、おびただしい数のベッドが並んでいた。頭や足に包帯を巻いた患者ばかり。その中に小学生ぐらいの女の子がベッドで本を読んでいた。伸ばした両足に痛々しいギプス。「明日手術するの」と教えてくれた。心配そうな家族の表情が印象に残った。
二〇〇六年五月末。死者五千人以上の被害が出たインドネシア・ジャワ島中部地震の被災地に発生直後、国際医療ボランティアAMDA(本部・岡山市楢津)の医療救援チームと入った。
倒壊した家屋、がれきの山、周辺で途方に暮れる人々…。被災地には悲惨という言葉では足りないほどの状況が目の前に広がっていた。しかし、現地の人は余震におびえながらも、ゆっくり前進しようとしていた。被災に負けまいと懸命に。
今年も五月に、ミャンマーのサイクロン、中国・四川大地震と相次いで災害が発生。多くの人命を奪い、生き残った人も絶望の中であえいでいる。医療救援活動をはじめ、全国各地で募金活動も行われ、被災者支援の動きは活発だ。
ただ、〇四年十二月に死者・行方不明者二十八万人以上ともいわれるインドネシア・スマトラ沖地震の被災地の“その後”を取材した時に感じたことがある。被災から立ち直り、元の生活を取り戻す復興の道のりはさらに険しい―と。
継続して私たちにできることは。「それは災害を忘れないこと。『私たちはあなたたちを忘れない』と伝え続けることですよ」。取材の中で聞いた言葉が思い出される。
(倉敷支社・斎藤章一朗)