安産のおまもり
テーマ:ブログ先週土曜日、Kさんに安産のおまもりを戴いた。自分では買わないだけにとっても有難い。どうもありがとうございました。今までおまもりの類を持ったことがないのでどう扱うかちょっと考えたが部屋に飾った。本当に赤ちゃんが無事生まれてきますように。
先週土曜日、Kさんに安産のおまもりを戴いた。自分では買わないだけにとっても有難い。どうもありがとうございました。今までおまもりの類を持ったことがないのでどう扱うかちょっと考えたが部屋に飾った。本当に赤ちゃんが無事生まれてきますように。
一昨日の夕方、自宅最寄の駅改札口でカレと一緒にいるところ、偶然講談社の元木昌彦さんに会った。元木さんは週刊現代、フライデーなどの編集長を歴任された方である。先だって「週刊誌編集長」と「これが日本の本当の話」と二冊出版されていて、5月末に椿山荘で催された出版記念パーティーでお目にかかったばかりであった。でも、あまりにも意外なところで偶然会うと人間ワカルはずの人が瞬間ワカラナイ。しばし目が合いながら(あれー、あの人は・・・あの人は・・・)あ、元木さんだ!元木さんも(まさかこんなところに知ってる人が)のご様子。慌てて駆け寄りご挨拶。元木さんは美しい奥様と仲むつまじいご様子でご一緒であった。
さて私がカレとなんでそんなところにつったっていたかというと、カレはうちに泊まっていかない日でも家に帰る途中で私の住んでる駅でわざわざ降りて改札をくぐらず改札はさんで私達こっちとあっちで寸暇を惜しんでよく会うのである。カレは運転手つきで黒い車と白い車を使いわけているが電車を使いもするし、遠くまで歩くことも厭わない質実剛健さを未だに持ち合わせている。一緒に電車に乗って、もっと長く一緒に居たいから、快速から普通に乗り換えてそのまま遠くの駅まで行ったこともある。ホームのベンチに座って何台も通過する電車を見送りながらいつまでもお話していたこともある。こんなとき、私はカレの肩書きもカレが何者であるかなんてことも関係なくなるのだ。電話がかかってきて美味しい名産品だったりあるときは新聞の切り抜きだったり「あげるから」と言われると大きいお腹をすりすりしながら、そのためだけに駅に出かけていくのだ。食べ物も記事も口実でただただ会いたいそれだけのために、例え5分でも5秒だっていいからただ会うためだけに駅に向う。カレもはさみで切り抜いた記事1枚ペロンと持ってわざわざ電車を降りてくるのである。そして帰るときカレはドア口に立って、私は改札の柵につかまって見えなくなるまで手をふる。
ロマンスって、夜景や特別なシチュエーションの中にあるのではなく毎日の心の中にあるんだ。
元木さんにお会いしたときは、カレはつまようじでシーハーやっていたし、私は大根とか葱とか入ったスーパーの袋を足許に置いてたし・・・でも目と目は見つめ合って甘甘・・・なところを、見られてしまった。
そういえば地元のこの駅改札。元木さんに偶然でもお会いするとはとても思えない駅なのだが、去年ターザン山本さんとマネージャーの歌枕さんにもバッタリお会いしてお互いビックリしまくった改札口でもある。
先週末に久しぶりにターザン山本さんにお目にかかる機会があった。ターザンさんには以前からお世話になっていたが、身辺慌しくしていて妊娠したことはつい最近ターザンさんの若い衆歌枕さんを通してお知らせしたばかり。妊娠のことは本当に驚いておられた。2006年一番のサプライズだよと言われました。
「ボクが触ると絶対元気な子が生まれてくるよ」。わあホント?元気な子が無事に生まれてきますように・・・私も願いを込めてターザンさんに触ってもらった。あったかくて大きな手。
ターザンさんとは不思議なご縁がある。ターザンさんに宛てた手紙をポストに投函しにいく途中に、偶然にもばったり出会って手渡ししたこともある。ターザンさんの印象を一言で言うと気位の高い人。私はターザンさんの厳しさがとても好きだ。気位って大切なことである。ターザンさんの文章からもそれは感じられる。
http://www.ibjcafe.com/talk/tarzan/d/2006/20060609145534.htm
ターザンさんのサイトは勝谷誠彦さんのブログとともに愛読している。何回か日記の中で取上げて頂いて光栄です。
更新も勝谷誠彦さん同様に毎日。あああ厳しさが違うなあ。
今週の月曜日でNHKのドラマ「柳橋慕情」が終わった。原作は山本周五郎「柳橋物語」である。午後の3時頃スタートという地味な時間帯のドラマで、大抵この時間というのは近所に買い物に出かけていたり家事をしていたりでこのような秀逸なドラマをやっていることに全然気付かないでいた。最終話に近くなってから見出すようになったが、やっぱり山本周五郎はいいなあ。池波正太郎も藤沢周平も好きだが山本周五郎はも一つ好きだ。
「柳橋慕情」は長屋の人間模様を描いている。最終話にこんな挿話があった。妻を亡くした長屋住まいの浪人が生まれたばかりの息子を捨て、もう一度侍で身を立てようと長屋を出て行く。一方、子供を押し付けられた方も剣の腕のたつ男やもめの浪人で道場荒しで日銭を稼ぐような生活をしていたのであるが、赤ん坊のために細々とでも地道に生きようと道場荒しの生活をやめ屋台の蕎麦屋を始めるのである。そうやって男手一つで赤の他人の子を育てるうちにいつしか本物の親子の情の通い合うようになる。ところが子供がいくらか大きくなってなついた頃に本当の父親が子供を迎えにやってくる。ある藩に召抱えられ再び侍として立身した姿でである。本物の父親は当然、突然乳呑み児を残して出て行った詫びとこれまで育ててくれたことへの謝礼を差し出すのであるが、育ての親は受け取らない。金は引っ込めてくれと言い「この子を育てたことは、そういうことではない!」と、今夜は遅いから明朝子供を迎えに来るように言う。子供への未練も生みの親の不在を責めることもしない。ただ何度も差し出される金に対し「これはそういうことじゃない」と「引っ込めてくれ」と何度も差し戻すだけだ。台詞では「これはそういうことじゃない」しか言わないのだが、こんなところに別れる子供への情が偲ばれる。
ここまでだとよくある長屋の人情物語だが、この後侍の一旦引き上げた後、侍を責める近隣の娘に「いやあの男は悪くない」と育ての親に言わすところが山本周五郎の深いところだ。「あのままあいつが子供を選んで情に流されていたら、その日その日を貧乏に追われる日がその先ずっと続いただろう。それをあの男は踏み出したんだ。あの男は思い切って決め所を決めたのだ。人間、ここぞという時は決め所を決めねばならないものなんだ」
周五郎は市井の人々を描くのがとてもうまいと言われる。市井の人情というのともちょっと違う。まさに市井の品とでも言おうか。市井に生きる人、底辺を生きる人の厳しい人間洞察の眼を感じさせる。
私の1回目の夫はそれこそダメ男であった。ミュージシャンというけど自称の域だったし経済能力も無かった。でも痩せても枯れても、自分の女のことだけは例え世界を敵に回しても守るようなところがあった。私たちは十代で駆け落ちして、でも別れるまで彼はそれだけは貫いた。それは彼がダメ男であるということより私にとっては重要なことで、かけがえのないことだった。それは彼の品だった。私は総じて男運がいいと思っている。別れた後でも皆とても愛しい存在で思い出すこともしばしばである。でも勿論、男運のいい経験ばかりではない。悲しい思いをしたこともある。
作家のMと付き合ったときなどは随分悲しい思いをした。Mは完全な作家というより作家活動もしている、と表現したほうが良いかもしれない。アウトローを自認していて、ド素人の私はMのような人間をアウトローの代表だと信じ込んでいた。MはK組というファンクラブのようなものを持っているのであるが、あるとき私とMのことがK組にバレルような事態が起きた。K組はよくイベントをやっていて私も積極的に参加していたのだが、Mは涙ながらに「二度とK組とは接触しないでくれ。お前とのことがバレルと俺の立場がなくなる」と頼むのである。私は好きなMのために二度とイベントにも参加しないし、皆とも会わないようにしていた。
私が真相を知ったのはずっと後、全く別のイベントでたまたまK組のNさんとバッタリ会ったときのこと。当時私はある企業と地位保全の裁判中であった。Nさんが言うにはMが私のことを「あいつは俺のことが好きで好きで俺と付き合ってると思いこんでいる。今、裁判のストレスで頭がおかしくなっているから、そう思わせてやっておいてくれ」と言い回っているというのだ。
私は本当にショックを受けた。一方では私の頭がおかしいといい、一方では相も変わらず私の家に私を抱きにくるのである。これほどの屈辱はなかった。第一私からMに言い寄ったことなどない。そもそもMからくどかれて始まった関係である。このときばかりは、なんとセコイ男だ!と思った。付き合っていることを隠すために、自己保身のためなら自分の女の頭がおかしくなったとまでしゃあしゃあと言えるのである。Mには以前から身内を平気で裏切るという噂があった。アウトローを自認するMだのに一方で公安のスパイをして身内の情報を売り続けたという噂だ。私はそれはオウムの信者を助けるためだったというMの理由を信じていた。でも実際はそのオウムの信者からも何千万という大金を引き出したのである。
信者を助けたのじゃない。助けるというのはそういうことじゃない。Mがしていたことは金のためのビジネスである。金の為のビジネスで身内を売ったのである。私はこの日Nさんに聞くまでもMには色々なことで裏切られてきた。でも心のどこかで信じてついていこうとしていた。でもこの日、心の中で何かが大きく変化したのである。Mの正体がようやく見えてくるようであった。なんてツマラナイ、チイサイ男だ。この日のNさんの言葉と今までの繰り返しのMの裏切りの中で、公安のスパイだったという噂も空所空欄穴埋め問題の空欄がピタリ、ピタリと埋まっていくように(ああ、いかにもMのやりそうなことだ)と思えてきた。
自分の女にこんなこと出来る奴がテレビや雑誌では「義」だの「掟」だのと、徳や倫理をエラそうに説いているのである。私はこの日から真実を記録しようと心に決めた。
最低でも2週間に1度は、Mと私はMの行きつけである信濃町の「大漁」という料理屋で河豚で食事をしていた。時期はずれの夏場ですらそうであった。私は探偵まで雇いMと共に過す時間、食事からホテルまで統べてビデオに納めさせた。当然日を変えて、Mが私の自宅の出入りするところもである。勿論、私の自宅内で過すMのこともカメラを設置して撮りに撮った。Mへの気持ちは日に日に冷めていった。私自身がMを嫌いぬく努力をした。女は鬼になれる生き物である。
そんな頃、今の彼と出会った。Mは私の変化に全く気付かなかったに違いない。Mは相変わらず自分が一番愛されていると思っていただろう。今の彼は私に大きな変化をもたらしてくれた。人に本当に愛される意味も、男の思いやりも能書きではなく身をもって示してくれた。アウトローに対する考え方も今の彼のお陰で大きく変わった。あのままMと付き合っていたら、義なんてお題目のようなもの、裏表が激しく嘘つきで小ずるく影でコソコソというのがアウトローの実態だと思っていただろう。でもそうじゃない。今の彼は驚くほど正直である。私は何よりその正直さに心が打たれた。いつも心がストレートで小細工が無い。
私は迷わず、今の彼の元に走った。その頃は彼が大物だなんて知らなかった。今だって彼といるといつも日向に居るように幸せでとても癒されるから一緒に生きていきたいのである。彼が何物であるかなんて関係ないのだ。Mから今の彼を選択した時、すでにMに対しては毛筋ほどの未練も、思いの片鱗すらも残っていなかった。すでにそのような心の準備を整えていた。迷うことなく今の彼を選べたのである。女にも決め所というのはあるのだ。
Mのことはすっぱり忘れるつもりでいた。そりゃ誰しも昔の男のことを悪く言うなんて嫌である。でもMの嘘つきは未だに直らない。最近もまた彼の弟に電話してきて私が昔やっていた裁判のことで嘘を並べたてていた。向こうからそうやって接触してくるのである。犯人が自らマスコミに接触してしゃべりまくるのに似ている。やましいこと満載だからこそ、焦りでそんなことしてしまうに違いない。Mの正体は映像も勿論出して何らかの方法で表に出そうと思っている。Mは決して著名人やヤクザの大物の親分には地を出さない。だが名前の無い人間、発言の場すら持たない人間のことは自分の都合が悪くなれば平気で踏みにじる人間なのだ。それは持って生まれた癖のようなもので、今後もMは繰り返すだろうと思う。私は3年近くMの隠れた愛人として、Mの醜さを見尽くしてきたように思う。
今日は爽やかな一日で、洗濯やお布団を干したりと家事に明け暮れた。なんか人生でこんなに一日中家事していることなんて生まれて初めてなのだ。家事に一日を割けるなんて、とてつもなく贅沢なことに思える。これは本当にカレのお陰なのだ。お腹の赤ちゃんと私の体を気遣って仕事しなくていいようにしてくれた。
私は2回も結婚していたわけだが、1回目の旦那はミュージシャンで生活能力ゼロ・・・私は銀座でホステスをしていてその後そのまま26歳で新橋に店を持った。スポンサーなんかがいたわけではなく自力での独立だった。亭主養い続けるのが使命だと思っていたし、その亭主と離婚するまで働きどおしだったなあ。
離婚して、割とすぐに2回目の結婚をしたのであるが、この結婚がまた家事に従事する間もないスピード離婚であった。新婚旅行から帰ってきて1ヶ月もしないうちに別居→別居したまま、入籍からたったの4ヶ月でキレイに籍を抜いてしまった。
お天気のいい日に超スローペースの超マイペースで家事をしている自分が不思議である。
実は、今のカレと付き合う直前まで付き合っていた元カレがなんか周囲に影をチラつかせるようになって、鬱陶しい最近の梅雨まがいのお天気のような気持ちが続いていた。
この元カレというのはもう還暦も過ぎていてルックスも全然違うが、ルックスは違えどタレントのガクトそっくりのセンスの持ち主なのである。例えば、狙われてもいないのになんでかSPをつけたがるところなんかが共通していた。例えばまた、できるだけ人をはべらかしたがる習性もガックンであった。それも右側だけ、とか、左側だけ、にはべっていることはあんまり無くなんでか必ず左右である。左右に人がはべっている状態がとっても好きなのであった。
なんだかそんな具合に元カレの癖や懐かしいあれこれ思い出してしまうのって、絶対赤ちゃんによくないんだろうなあ、、、、、なんて思ってたらごく最近妊娠のことを打ち明けたばかりのカレの弟さんが素敵な本を贈ってくれると電話をくれた。「赤ちゃんとお母さんは体も心もつながっているんだよ。今が一番大切なときだから」自分の兄がこの歳になって、その兄の子供を妊娠て、結構ショッキングな報告の直後に、生まれてくる赤ちゃんにこんな気持ちになってくれる弟さんがまたすごい。
兄弟、情の深さがとても似ている。血なのかなあ。ヤクザの幹部だった方が言っていたがカレがこれほど長い間裏社会に君臨しているのは人を裏切らないできたからだ、と言った言葉が日々身にしみてくるのである。
訂正です。前回「京都阪急」と書いたてしまったけど「京都伊勢丹」の間違い。イケテるスタッフは京都伊勢丹のスタッフです。
なんだか妊娠してから食の好みが変わってしまった。今まではご飯よりパスタやパンが好きで毎日でもよかったのに、今は白いご飯がすっかり好きに。魚より肉派でそれも薄切りじゃなく固まりで、血のしたたるレアが好きだったのだが、これまた魚派に。それも白身の淡白な魚に。何よりの激変は体がラーメンを求めてしまうこと。でも好みの変化は大抵の妊婦さんが経験するみたい。ただ本人にとっては新鮮です。
昨日、今日と彼が株主総会に出るため東京を離れているので寂しい。明日は帰ってくるけれどほとんど毎日のように会っていたからなあ。また食べ過ぎてお腹が苦しくなっていないといいけど。体重管理が必要なのは妊婦のほうだけど、うちは父親の体重が心配。ウェスト周り余裕で85センチを超える立派なメタボリック・シンドロームなのだ。パパの方も赤ちゃんが入っていそうなお腹なのである。
唯一愛するブランドのDOLCE&GABBANA。
出来うる限り色んな店舗を除いては接客から店員のトークなんかチェックしてたけどDOLCE&GABBANAの服を最もDOLCE&GABBANAらしく着こなすスタッフの一人が京都阪急の店長だった。他のブランドに移ったと聞いたが残念。お人柄までは解らないがDOLCE&GABBANAのファンにとってはスタッフがコレクションの雰囲気を持っているかどうかは重要なことなのだ。それはどうでもいいことなんかじゃないのだ。ちなみに京都阪急は女性スタッフのIさんもシチリア女っぽくてブランドのイメージにぴったりである。
新宿伊勢丹のメンズのスタッフも商品知識が豊富で楽しい。服を愛しているかどうかは生地の織り、染色の説明一つとっても伝わるのである。私見だが伊勢丹のレディスはいつ行っても接客がいただけない。
ステレオタイプの接客がつまらないのと同時に、このブランドが好きだとか情緒だけの接客も非常に退屈だ。やはり専門的な知識を持っている人が断然面白い。何故なら私はオタクをこよなく愛しているからだ。オタクはほんっとに好い。オタクのことは信用できるのだ。
DOLCE&GABBANAの服にはエロティシズムがある。エロスもオタクと一緒で大真面目に追い求め突き詰めていくものである。それはだらしない緩んだ精神とは違うのだ。だから私は、ヨレヨレの服にむーっちゃかったーーーいヴィトンのバッグを合わせて異性を食い散らかしている輩を見ると心がさぶーくなるのである。
カレは昨日宮崎学さんから来た山口組に関する取材依頼を断ったようだ。
今夜はカレがひらめの昆布〆を届けてくれた。でもいつもいつも美食をしているのかというとそんなことはない。こないだの日曜は焼きうどんを作って食べたし、ひものを焼いたり、野菜を炊いたりと結構粗食である。やはり接待ではグルメ三昧になってしまうので、家ではなるべくカロリーを押さえたものを食べてもらおうと心がけている。若布、メカブ、もずくと手を変え品を変えあきないようにして海草を沢山とってもらうこと、野菜を数種類は並べることと、後は化学調味料の類を極力避けてきちんとダシからとることと、カレの健康面に何より気をつけている。
でも昔からこんなかいがいしかったかというと昔は全然違っていた。実は私は2度の結婚暦と離婚暦があるのだが一度目なんか亭主に「お腹すいたあ、、、ねえ、コンビニでなんか買ってきてよ」なんてぬかす嫁であった。
今のカレとは二人きりでどんな風に過しているかといえば、案外とほのぼのとした時間を過している。週末は私が大好きな水木しげるの漫画の話をしてあげたのだ。水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメで有名だけどアニメより断然原作の漫画がいい。よく小説は行間を読むというけれど水木しげるの漫画には小説で行間と呼ぶところの、なんともいえず味わい深い「間」があるのだ。
カレには不思議な転校生が貧しい少年に希望を与えてまたフイと姿を消してしまう「テレビくん」の話をしてあげた。話しているうちに涙がこぼれた。カレはその話を聞きながら「刑務所で見た映画を思い出した・・・」と貧しい兄弟が一足の靴をかわりばんこに使っている物語を話してくれた。
それから、最近はふたりで子供の名前を考えるようになった。
グリコ森永事件で知られる作家の宮崎学から、カレに取材の申込みが来た。「山口組90年史」という主旨でインタビューか対談を応じてもらいたいと宮崎学が赤ちゃんのパパの実弟を通して申し込んできている。只今検討中です。
宮崎学さんには色々と思い出がある。秘蔵写真と動画で、おいおい私的なエピソードを綴ろうと思っている。
さて、ブログはさぼっていたが実生活は充実していた。
12日の金曜日は、カレと法律事務所、それから弁護士と共に公証役場へ。赤ちゃんの出産予定日は11月だが、実はカレは胎児のうちに認知をしてくれたのである。勿論認知とは子供が生まれてからする手続である。しかし遺言という形で出産前、まだお腹にいる胎児のうちに「○○の懐妊する胎児は△△の子供である」と認知の遺言書を作ってくれた。カレは自分の年齢のことや私の立場を考えてくれたのであろう。弁護士を2名証人としてたてて、公正証書として遺言書を作成してくれたのである。公正証書としての遺言は、最も効力が大きい。これは未婚の母(シングル・マザーという言葉はきらいなのだ)となる私にとっても赤ちゃんにとっても、とても大きいことである。
だけどそれだけが重要なのではない。母子がいかに保障されるかということよりも、自分の女と子供の為にここまでしてくれる男としての思いやりや昔気質の男の懐の深さをこそ汲みとるべきなのだ。まだお腹にいるうちから「私の子供である」と堂々と認めてくれるのは、このご時世珍しいことだと周りからも言われた。
まあ実際、不倫の子なんて大それたもんじゃなくても「えー!?」というほど些細なしょーもないことで、保身のために醜くなる奴っているもんなあ。どんな見苦しい嘘でも平気でつく男はいるんだよなあ。
父親のこの精神性は子供にも誇れるものだ。いつまで子供と一緒に生きられるだろう。あんまり小さい頃に親が死ねばどんなに可愛がっても記憶には残らないかもしれない。しかしこういう足跡を残したことが財産なのである。大人になれば父が何を決断してくれたのか理解できるだろう。母親がどんなに父親に惚れていたか、どんなふうに父親に惹かれていったか、父が男としてどんな男だったかを、子供はきっと想像してくれるだろう。