古風な考え方や雰囲気を持っているところは同じ男としてあこがれますね。融通の利かない面倒くさい部分もありますけど…(苦笑)。とにかく個性的な人物だと思います。そうは言っても、今は自分自身よりも草々でいる時間の方が多いし、「草々はこうだけど自分はこうだな」とか、そういう風に切り離して考えたことがないので、役と自分の境目がよく分からないんです。
ずっと演じていると草々の行動や発言で演じにくいところもありますよ。どんな役を演じてもそういう部分は必ずある。草々で言えば、どんな時でも落語を第一に考えるところや、小草若にビシビシ言うところかな。僕自身からすると「落語も大事やけど、ほかにも大事なことあるやろ」とか、「もうちょっと(小草若の気持ち)分かったれよ。あいつはあいつなりにゆっくりしっかり考えてるんやから」って思う。草々は、気持ちをすぐに切り替えられるから、人がゆっくり考えたり、悩んだり、戸惑ったりしていると、イライラしてついガツンと言ってしまうんですよ。そこが魅力でもあるんですけどね。
12週で師匠にひっぱたかれたシーンがすごく自分の中に残っています。草々は早くに親を亡くしているので、親にどうやって甘えたらええんか、どうやって接したらええんかが分からんかったんでしょう。甘え下手というかね。
師匠のことは本当に慕っているし、まるで母親を思うように女将(おかみ)さんを思い出すこともある。肌では親子の絆のようなものも感じていたと思うんです。でも、草若師匠との関係は、まず師匠と弟子であって、2人のつながりのなかで一番大切なものは落語やった。だから、師匠が「ちっとは親の気持ちを考え!」と言って抱きしめてくれた時、草々はうれしさと同時にほんの少しだけ戸惑いも感じたんやないかな。人の気持ちはほんまに複雑なもんやと思いました。
師匠を亡くしたばっかりで今度は自分が師匠になるって、まだ実感がわきません。でも、最初から師匠やったという人はいませんよね。だから、師匠、師匠と呼ばれるうちに、そういう人格とか、風格ができるものなんやろうなって。そこは、撮影の間、楽しめたらええなと思いますね。
弟子をとることになって「草若師匠のときはどうやったんやろう」って、ちょっと思ったんです。でも、うまく想像できませんでした。子どもって、自分の親に子どものころがあったやなんて信じられない気持ちがするものじゃないですか。それと同じで、草々にとっても師匠はずっと師匠。だから、草原兄さんを弟子にしたころとか、まして師匠がそのまた師匠に弟子入りしたときのことなんか、どうしても想像できなかった。きっと、師匠も弟子をとったときに迷ったりしたんでしょうけど、もう聞けませんし…。だから、構えずに素直に受け止めたいなと思っています。
師匠が喜代美のおかげで高座に復帰できたように、弟子から学ぶことも多いんと違うかな。それに、弟子に教えることで、それまで本当には理解できていなかった師匠の言葉の意味に気づくことがきっとあると思うんです。そこが楽しみです。
役者のやるべきことっていうのは、その時かかわっている作品に集中すること。一人の人間がやれることって限られているので、最大のエネルギーをそっちに向けないと、人の心を動かすことはできませんから。
僕は今、草々に集中して役と一体化しているような状態なので、客観的に見ることは難しいですね。自分にとってどういう仕事だったか、役だったかというのは、後で気づくことでしょうね。何年かたって「あの時、こうやったな」とか…。今の時点では、草々や周囲の人たちの気持ちや物語の流れをちゃんと心で感じられているなって思うだけです。それは、これだけの時間をみんなで過ごしてきたこと、そしてその上で出来上がったチームワークが大きくかかわっています。いいものを作って表現しようっていう共通の意識がお互いを高め合っていて、「何でこんなに集中できるんやろ」って思う時があるんです。それは本当に幸せなことですね。
このドラマでは、喜代美をはじめとするすべての人が成長していきます。僕がそこから得るものはたくさんある。それを吸収しながら、甘えることなくずっと努力しつづけなあかんなと思っています。