サッカーの元日本代表FWで川崎の我那覇和樹(27)が、点滴注射をめぐってJリーグから科されたドーピング禁止規定違反の処分(6試合の出場停止、クラブは罰金)の取り消しを求めて、スポーツ仲裁裁判所(CAS、本部スイス・ローザンヌ)に申し立てた件で、主張が認められなかったJリーグは28日、鬼武チェアマンによる会見を行った。
チェアマンは「CASの仲裁結果について真摯に受け止めこれに従います。我那覇選手には本当に一年間苦労をかけたと思う。反省すべき点があり、精神的につらい思いをさせたと思っている。申し訳なかった。今回の裁定においては、焦点となった静脈内注入が正当な医療行為であったかどうかを明らかにして欲しいと両者が希望していたが、これが明らかにされず大変残念に思っている。本件に関して、サッカー協会と連動して誠実に対応していく。ドーピング行為にあたったかどうか明らかになっておらず禍根を残すことにもなりかえないが、我々も今後勉強をして取り組んでいく」とした。
27日にCASは、「我那覇の行為はいかなる制裁にも値しない」と処分を取り消す裁定を下し、Jリーグには我那覇が負担した弁護士費用などのうち2万ドル(約210万円)を支払うよう求めた。
我那覇は昨年4月、風邪で体調を崩した際に当時チームドクターだった後藤秀隆医師から禁止薬物を含まない生理食塩水200ccの静脈内注入(点滴)を受けた。Jリーグはこれをドーピング規定にあった「緊急性のない静脈注射」と判断、我那覇に公式戦の出場停止、川崎に制裁金1000万円を科した。
CASは裁定の中で、後藤医師の治療は2007年の世界反ドーピング機関(WADA)規定に照らして正当な医療行為と認定。また、Jリーグが「適切な医療行為」の基準について詳細な条件を明示していないといった手続き上の不備を指摘した。裁定を受けて我那覇は、「最高の結果を得られてうれしい。自分を信じてやってきて本当に良かった」とのコメントを発表していた。
Jリーグは今回の裁定を受けて、我那覇の6試合出場停止処分については記録から抹消し名誉回復ははかることを明言。しかし、今回のCASはあくまでも我那覇に科した処分を取り消すべきとのことで、その根拠として争点となった静脈注射が正当な医療行為かどうか、またそれがドーピング違反があたるかについての認定は放棄しているため、クラブに対しての制裁金については今後検討していく。また処分にあたる判断を下した医事委員会青木委員長らの処分については、チェアマンは明言を避けた。
◆ここまでの経緯
2007年
4月23日 練習後、風邪で体調が悪かった我那覇がチームドクター(当時)から点滴を受ける。
4月24日 ゴールを決めた試合後「にんにく注射が効いた」と我那覇本人が発言したことがスポーツ紙に掲載されこれが発端になる。
5月 8日 Jリーグが点滴をドーピング禁止規定違反と認定。我那覇に出場停止6試合、川崎に1000万円の制裁金を科す。
5月18日 Jリーグ全クラブのチームドクターが連名で質問状を提出し、点滴はドーピングに当たらないと主張
8月 7日 現場の医師が正当な医療行為と判断した点滴については許可申請が不要とJリーグが全クラブに通知
11月 5日 チームドクターが処分取り消しを求め、日本スポーツ仲裁機構に仲裁申し立て
11月12日 Jリーグが申し立てに同意しないと表明。仲裁は不成立に
11月15日 参院文教科学委員会でこの問題が取り上げられる
11月21日 Jリーグ、日本サッカー協会が文科省に事情説明
12月 6日 我那覇が処分取り消しを求め、第三者機関への仲裁申し立て
12月13日 我那覇とJリーグがCASでの仲裁に合意
2008年
4月30日 CASが聴聞会を開催(5月1日まで)
5月27日 CASが我那覇の申し立てを認める裁定を発表
「我那覇問題の根本」
配布された和文の資料の中に、CASが両者から提出されている資料を引用する形で以下が記されていた。引用する。
「07年4月24日火曜日、サンケイスポーツという新聞紙に記事が掲載された。当該記事は(中略)我那覇選手は、「(にんにく注射は)連戦だし、やって損はない。臭うから(記者に対して)あんまり近づかないほうがいいですよ」と述べたと記載していた。我那覇選手は、ジャーナリストに対してこのような言葉を述べたことを否定したが(以下中略、続き別項で)新聞報道の正確性は争わないものの……」
現場で取材した記者にはテープ、メモがあり、聞いた人間もサンスポ記者一人ではないから事実は一点だろう。もし言ってもいない話が発端になって、事実無根の話が裁定委員会の材料にまでされた挙句、6試合の出場停止、罰金、ドクターが結果的に社会的に不利を被ったというのなら、我那覇、フロンターレ、ドクターが争う相手は、そもそもJリーグではなくて、ましてCASなどいう大げさな話ではなく、最初からサンケイスポーツだったのではないか。我那覇が発言を否定していることは聞いていたが、CASへの資料に「そういうことは言っていない」としたことは重大で驚かされた。
今回、すべての発端は、どこの媒体にも掲載されていなかった選手自身の発言が「新聞記事になった」ことだった。記事にならなければこんなことになっていない。誰かの尿から禁止薬物が出たわけでも、「アウト・オブ・コンペティション」(抜き打ち検査)があったわけでも、アナボリックステロイドやエポが出てきたわけでもない。尿がすり替えられたとか、血液ドーピングといった話でもない。
最初から我那覇やドクターのいわゆる反スポーツ行為としての「薬物事件」などではなく、我那覇が悪いとか、ドクターが悪いといった話でもない。報道によって、極めて曖昧な、どうにでもできる解釈や選手の無知をさらしてしまったことに過ぎなかったはずだ。
Jリーグは権威的に、しかも杓子定規な判断などすべきではなく、最初から話し合いや双方の立場をよく把握するためにコミュニケーションをとり、選手を守り、ドクターに貢献してもらい、クラブがサポーターとともに発展していくための手段を考えるべきであり、そこに及ばなかったセンスの欠如、その結果費やした日数の無駄は指摘できる。 我那覇の募金行動も支持しない。
登場人物は、勝てるかどうかという都合によってあまりにも増えたが、「原則」は置き去りにされてはいないか。
禁止薬物の検出で違反を判定してきたアンチドーピングは、08年「いっさいの静脈注射を禁じる」とした。これまでは尿という科学的根拠について結果責任を求めてきたが、検出薬物という科学だけではなく、その「行為」についても広く「薬物違反」に取り入れているのだ。そのため、疑わしいものを体に注射することを全面的に禁止したわけだ。
翻ってJリーグを見ると、恐ろしい光景は頻繁に目撃できる。選手がゴールを奪って興奮のあまりサポーター席に駆け寄る。そこでサポーターは「ご苦労さん、ありがとう」という親愛を込めてドリンクを手渡し、これを選手がおいしいそうに、連帯の証として飲む。オリンピックでメダルを狙う選手たちが見れば、仰天して倒れてしまうような光景はJリーグの日常である。
もし、試合後の検査で禁止薬物が選手の尿から検出された場合、サポーターの善意に疑いがかかるかもしれないことを、選手もサポーターも全く考えていないという能天気な光景だ。
「ミックスゾーン」で取材している記者が、選手に親切心のために飲み物を渡しているのを目撃することもあるし、「これ大好きな何々ですよね」と言って、お菓子を差し入れする記者も見たことがある。もし選手の尿から何かが出れば、一部の国では記者が容疑の一部として拘束されることもある。これらは、規定に禁止行為と書かれてはいない。しかし、広く「ドーピング行為」にあたるということを、今回の問題で考えてもいいと思う。
(取材・文=増島みどり)