先日、木簡に書かれた万葉集の歌が大きな話題になりました。私の郷里である瀬戸内市牛窓町は「朝鮮通信使」だけでなく、この日本最古の和歌集ともゆかりがあるのです。
三十年以上前の大学入学式の後、当時万葉集研究の第一人者だった犬養孝さんによる記念講演会がありました。そこで、いきなり「牛窓」という言葉が出てきたのです。律令国家の礎をきずいた天武天皇の娘・大伯皇女(おおくのひめみこ)が、六六一年に牛窓で生まれた―という内容でした。後に、実弟の大津皇子(おおつのみこ)は政争に巻き込まれ、刑死。犬養さんは「姉と弟がこまやかな情愛を表現した歌は、万葉集の中でも特筆される」と熱っぽく語られました。
私は関西に出て、西も東も分からず不安でいっぱいだったのですが「どうだ! そこがオレの古里だ」と周りの“都会人”たちに自慢したくなり、それからの生活に向けて勇気がわいてきたのです。
大伯皇女が生まれたのは、日本と同盟関係にあった朝鮮の百済を救うべく、大船団が寄港した時。牛窓は瀬戸内海有数の港町であったことからさまざま人が往来しました。万葉集には、愛する人に会いたい一心を歌った「牛窓の 波の潮騒 島響(とよ)み 寄さえし君に 逢(あ)はずかもあらむ」という一首も。作者不詳ですが、柿本人麻呂作とも伝えられています。
また町内にはこの歌以外にも、藤原定家、菅原道真など有名な人々が、牛窓を歌った歌碑があちこちに建っています。中年になった今もこれらの歌を思い出すたび、元気づけられ心豊かになるのです。 (読者室・下谷博志)