◆◆◆◆阪神淡路大地震関連
<◆◆◆ケース・スタディ
<◆◆災害派遣
<日本/自衛隊FAQ目次
<東亜FAQ目次
『関東大震災』(吉村昭著,文春文庫,2004/8)
『危機管理宰相論』(佐々淳行著,文芸春秋,1995/12/15)
◆◆◆◆阪神・淡路大震災関連
【阿部知子】阪神大震災についてトンデモ発言【秘書・池田】(まとめwiki,相互リンク)
『官邸応答せよ』(高見裕一著,朝日新聞社,1995.4)
『自衛隊員も知らなかった自衛隊』(松島悠佐著,ゴマブックス,2004.3)
地震災害対策本部長(阪神大震災当時,新進党地震災害対策本部長を務めた衆議院議員,二階俊博(自由民主党)の記録)
社会党阿部知子議員曰く「阪神大震災で自衛隊の出動遅すぎ:「Net Bunker」
「ハイエナログ」:阪神大震災の失くし物
「ハイエナログ」:阪神大震災の失くし物 続き
『阪神・淡路大震災 激震直後5日間の記録』(神戸新聞総合出版センター,1996.7)
『阪神・淡路大震災−神戸市の記録 1995年−』(阪神・淡路大震災神戸市災害対策本部,1996.3)
阪神・淡路大震災関連情報データベース (総務省消防庁のサイト)
阪神・淡路大震災総括・検証調査シート (内閣府)
>010自衛隊への応援要請と配分調整
>086海外からの支援要員の受入れと配分調整
は一度は目を通しておくべし.
当然ながら政府側の文書ということで,政府に都合の悪いネタは巧妙に伏せられているが.
阪神・淡路大震災と自衛隊の活動 (兵庫県立舞子高校のページ)
『阪神大震災』(読売新聞大阪本社編,1995.10)
『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(松島悠佐著,時事通信社,1996.6)
ひら☆やんの震災関連記事(おきらく軍事研究会)
http://hirayan.okigunnji.com/backnumber/66.htm
http://hirayan.okigunnji.com/backnumber/22-1.htm
【質問】
阪神・淡路大震災時,自衛隊上陸を妨害したと連中がいた,というのは本当か?
【回答】
デマである可能性のほうが高い.
事の発端は1月19日付読売新聞朝刊の解説ページに「派遣遅れた兵庫県南部地震自衛隊と自治体,連携に教訓」と題して掲載された次のような記事.
今回も非常用食料などの荷揚げのため,神戸港に接岸しようとする輸送|艦や護衛艦に,一部労働組合員が入港に反対,接岸場所の調整に手間取っ|た.
これに対して,全国港湾労働組合協議会は事実無根と抗議,事実確認を求めた結果,読売新聞社は誤りを全面的に認めて翌日「おわび」を掲載.
TBSも19日朝の番組で同様な趣旨の情報を伝えたが,これも抗議され,配信元の共同通信社が事実誤認を認めて,同日昼前に記事取り消しを配信.
テレビ朝日21日朝の番組では,海部俊樹元首相が読売新聞の誤報記事を引用してコメント,
海部事務所は番組終了後に謝罪文を発表.
以上,ソースは,朝日新聞1月31日付朝刊の「震災報道」,……だそうだが,この記事も
「デマは自衛隊による工作」
という「推論」だそうなので,どこまで信頼できる情報なのやら.
【参考サイト】
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/jieitai-shinsai.htm
【質問】
救援物資の物流上,どのような問題が生じたのか?
【回答】
量が膨大で,配分・輸送には緊急性が要求されていたにも関わらず,自治体の物流管理体制は不十分だった上,交通渋滞は解消されず,どこに何を運ぶべきかがなかなか分からなかった.
自衛隊では県の災害対策本部に見切りを付け,総監部内に「輸送調整所」を設置して輸送所要を一元管理.
輸送学校,中央輸送業務隊から輸送業務のベテランの増援を得て道路輸送班を,各方面航空隊からの増援を得て航空輸送班を編成し,物資輸送をそれらに割り振った.
また,「輸送調整所」内に「方面交通センター」を設け,道路の混雑状況を無線連絡して便宜を図った.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.142-143を参照されたし.
【質問】
通信装備の不足を,自衛隊はどう補ったのか?
【回答】
中部方面通信群では3個師団,1個混成団および方面直轄部隊が集中する状況に対応できなかった.
そこでまず,通信団や東部および東北方面通信群からの支援を受けて,能力を3倍に強化した.
この野外通信組織を,伊丹駐屯地において「基地通信組織」と連接し,被災地で活動する部隊と全国の駐屯地とを結ぶ「基地・野外複合通信組織」を構成.
また,六甲山・摩耶山に,道路を応急復旧して機材を搬入,中継所を開設した.
ただし同所に対する補給支援は不十分だった.
さらに,本来装備している無線通信組織の他にも,携帯電話,携帯FAX,インマルサットなど利用できるものは積極利用した.
特にインマルサットは,本来国内で使用するものではないが,電波試験という名目で総監部・師団司令部・兵庫県庁等に配置,指揮連絡通信を補完.その運用にはカンボジアPKOでの経験者を中心にした「インマル中隊」を編成して対応した.
しかし使用料金が高額で,数日で1千万円を越え,使用を抑えざるを得なかった.
多数の部隊が集中したため,周波数が不足するという問題もあった.
そのため,37波の増加配当を受けて対応した.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.144-147を参照されたし.
【質問】
阪神淡路大震災の犠牲者の9割が発生直後に圧死していたのなら,災害に対して自衛隊が出動しようがしまいが関係ないのでは?
【回答】
石原都知事「どうもー! シンちゃんでーす!」
井戸・兵庫県知事「イドちゃんでーす!」
2人「2人合わせて『知事ちゃんズ』でーす!」
石原「いやあ,ボクらも漫才コンビ組んで,もう長いけどね」
井戸「組んだの,ついこないだやないか!」
石原「お蔭様で,ボクも3期目を続投させていただくことになりまして」
井戸「ピッチャーみたいに言いなや」
石原「ボクも松阪世代やし,完投せなあかんと」
井戸「誰が松阪世代や! スタルヒン世代やろ!」
石原「そない古いわけあるかい!」
井戸「だいたい,完投って何すんねん?」
石原「せやな,まずはオリンピック招致!」
井戸「北京でやったあとに,そない立て続けにアジアでできるかい!」
石原「それやったら,『ラーメン・オリンピック』でもええ」
井戸「そっちのオリンピックかい!」
石原「あとは防災,特に地震対策」
井戸「それは大事やね」
石原「都民をみんなサイボーグにして,地震でも死なない不死身の体にする」
井戸「機械帝国か!」
石原「ピンチのときには都庁がロボットに変形して出動」
井戸「だから機械帝国かって!」
石原「地震が起きたときには自衛隊の特殊部隊を呼べるようにして」※1
井戸「特殊部隊はレスキュー隊とちゃうて!」
石原「阪神淡路大震災では,自衛隊の出動が遅れたせいで余計に2000人死んでるわけやし」※1
井戸「そら,フカし過ぎや! 9割は即死やったんやから,ええとこ救えて600人や」※2
石原「600人かて,めっちゃ多いやん!」
井戸「多い言うたかて,阪神の地震は不意討ちやったんやから,出動要請が遅れもするやろ」※3
石原「不意討ちやない自然災害が,どこにあんねん!」
井戸「不意討ちやったさけ,死者の数と,自衛隊出動の有無との間には,何の脈絡もない」※3
石原「脈絡あり過ぎやろ!
阪神大震災は直下型やったから,建物に潰された人の数が多かったっちゅうだけやん.
関東大震災なんて,死者・行方不明者10万人のうち圧死は7500程度で,あとの殆どは火災の犠牲者.※4
2004年のスマトラ沖地震かて,2万人以上の死者の殆どが津波被害で,即死者は殆どおらへんがな.
そういう直下型やない地震に自衛隊派遣せえへんかったら,死者はうなぎ上りやないか」
井戸「阪神・淡路大震災のケースでは,て言うてるやろが」
石原「アホ言いなや.派遣要請するときには地震が直下型かどうか分かってた言うんかいな」
井戸「そもそも,『もし自衛隊の出動が人命を救うんだという風に考えている知事がいるとすれば,普段のそうではない,建物を燃えないようにする,壊れないようにするという方の対策には力点が入らなくなるという疑いが出てきます』」※5
石原「なんでやねん! 耐震対策もやってるて!※6
それに,自衛隊派遣後も,自衛隊と自治体とのコミュニケーションはめっちゃ重要やねん.※7
コミュニケーションとれるためには,自衛隊・自治体の合同訓練をようけやらなあかんねん.
話聞いてると,あんたンとこ,そのへんをチャンとやってんのか,心配になってくるわ」
井戸「あー,そら大丈夫.
いざとなったら,誰でも知ってる人を連絡調整担当者に任命する.
こん人やったら自衛隊とのコミュニケートも,自治体とのコミュニケートもばっちりや」
石原「そら,誰や?」
井戸「神戸市須磨区生まれ(※8)の石原慎太郎」
石原「ええかげんにしなさい!」
end
<脚注>
※1 石原慎太郎発言,2007/4/8記者会見にて
※2 貝原俊民・兵庫県知事(当時)へのインタビューより:
「要請が遅れたから死者が増えたのではない.犠牲者の8割以上が,発生直後に圧死していた」
朝日新聞2007/4/9付
また,別項も参照されたし.
※3 井戸・兵庫県知事定例記者会見,2007/4/9
※4 武村雅之著『関東大震災』(鹿島出版会,2003.5)より
※5 筑紫哲也発言 on TBS「ニュース23」,2007/4/9
※6 東京都都市整備局サイト
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/taisin/index.html
より
※7 別項参照
※8 佐野眞一著『てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社,2003.8)より
【珍説】
阪神淡路大震災の時も,自衛隊が出動しました.翌一月十八日から四月二七日までの百一日間,延べ百六三万六○○○人です.車両は約三四万七○○○両です.航空機は七○○○機です.
人命救助は一六五人で,遺体収容が一二二一体です.
結局,人命救助には役に立たなかったのです.
人命救助は圧倒的に警察,消防,実際には地域の人たちの助け合いでというのがほとんどでした.
自衛隊は遺体収容の訓練はできても,人命救助の訓練はしていないですから弱さがあるというのが実感です.
よく自衛隊が頑張ったと言われますが,遺体を運び出すことには力を発揮したけれど,生存者の救出にはそれほど力を発揮していないのです.
【事実】
人命救助,特に生存者の救助成果が「低調」なものとなった背景は,ここに書いてますね.
http://www.geocities.jp/disasterreliefoperation/hannkatu1.html#Q1B
>よく自衛隊が頑張ったと言われますが,遺体を運び出すことには
>力を発揮したけれど,生存者の救出にはそれほど力を発揮していないのです.
「消防は炊き出しができないから消防は震災復興に役に立ってない」と批判するようなもんだ.
即日あの規模で投入できる組織が他に無いのを度外視してる.
ボランティアだなんだってのは,ある程度の数が組織的に動けるまでには,それこそ数日以上かかる.※
埋もれた人を救い出すには,その数日の間に能力を出せる組織が必要な訳だ.
救命できた人の多くは,地震当日救出されている.
本格出動が遅れた自衛隊が瓦礫の中から救出できた人が少ないのは当たり前だ.
だからこそ投入決断が遅れたことが批判されてる.
要救助者を救命するには,まずなにより一分一秒でも早く救出すること.だからまず近傍の無事だった住民の活動が始まるし,同じ市町村にいる救出作業のプロの消防がそれに次ぐ.
で,だ.あれだけの災害となると,消防の活動も瓦礫の多さに制限され,規模も大きすぎ人員は足りず移動もままならない.
重篤な要救助者を病院に運ぶことも困難だ.
しかも,忘れられることが多いんだが,地域の消防は彼ら自身も実は被災者になっているわけだ.
だからこそ,外部からの自立して行動できる大量の人員支援が必要になる.
それは政府機関としては自衛隊なんだよ.
そもそも,4月までの101日間の延べ自衛隊員や車両,航空機投入数は,その大部分が物資輸送や事後処理に充てられたもので,災害発生から数日間で救助に投入できた人数は,この中の一部.
〔このあわはらのように,〕こうやって分母水増しして印象操作するのは関心できん.
自衛隊の得意分野は「倒壊家屋からの人命救助」ではなくて,「悪条件下でのロジ確保」と「野営・自活能力」なんだから,人命救助事例の実数で自衛隊を詰るのはお門違い.
得意分野の転用での支援活動は,物資輸送,避難所設営,給水,炊き出し,風呂提供で高評価を受けてるし.人命救助の実数について,それが本職で地元にいて初動が比較的早かった消防と,本職でなく遠方から部隊整えて駆けつけるしかなかった自衛隊を比較すること自体がそもそもの間違い.
つまり,あの状態で自衛隊が165人しか救えなかったのなら,その数字は当時〔あの制約の中で〕救い得た人数の最大値に近い.
これを以って自衛隊は役立たずだと言うなら,救われた165人に「死んだらよかったのにね」と言うのに等しい.
あとな,瓦礫に遺体が埋まったままの遺族の気持ち考えた事あるのかと.
全く反応なくても,もしかしたら生きてるかもしれない,死んでたとしても早く出してやりたい,
そう思う遺族の気持ちも考えられ無い人は嫌いです.
もちろん彼らは瓦礫の中から要救助者を救出することのプロではない.
それでも165人を助けだした事実は重い.
給水,炊き出し,風呂など自衛隊がやったことは他にもたくさんある.
それに,住民が救出した人数の統計なんてあるわけもなし.
(住民による救出数は推定数万人としか分からないようだ)
ついでに.
当時の自衛隊(普通科)には,有用な装備がありませんでした.携帯用油圧ジャッキも無ければ,コンクリート破砕機さえ持っていなかった.
にも関わらず,165人を助け出したということは,彼等が相当苦労したと推察されます.
また,救出作業は最初の3日間,特に圧壊から12時間が重要です.
装備を与えず,時間も(地震から最初の24時間を)奪っておいて,救命率が低いったって....
よこ in 週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月26日10:36
>自衛隊は遺体収容の訓練はできても,人命救助の訓練はしていない
これもウソだよな.
そりゃあ,「瓦礫をどけて助け出す」のは素人だが,普通に救命訓練はやってる.
医官だっている.むしろ災害時に特有な外傷系医療は得意分野.
つか,「遺体収容の訓練なんてしねーだろ.
人命救助の訓練は,「地域の人たち」だってしてねーだろ.
自衛隊が直接人命救助の訓練を受けてなかったとしても,人命救助に繋がる訓練は行っている.
で…同じページにこんな事も書いてある.
>復興状況を視察に来た人などはよく,「震度七の
>対応をしたら大丈夫でしょうか」と聞かれます.たとえ
>震度七の対応をしたとしても震度八が来れば壊れる」
震度8だってー(笑)
震度はどうして7までしかないの?
震度を決定する要素の一つに「重力加速度」がありますが,阪神・淡路大震災のときは約1000ガル(地球の重力とほぼ等しい)の重力加速度が発生し震度7の地震となりました.
震度8となるためには重力加速度が6000ガル以上(地球の重力の6倍以上)の数値となり,物理的に発生しないだろうと判断されるからです.
地震は無限大に発生するわけではありません.津波も無限大に襲ってくるわけではありません.
大切なのは「正しく知って正しく備える」ことです.
>日本にもFEMAのような組織があれば自衛隊に頼まなくても済む
そもそもFEMAは災害発生時に関係省庁・団体を臨時に統括して,住民の避難や地域復興を迅速に行うための「司令部」として活動する組織なのだが.
このオッサン,FEMAが現場で活動する救助隊だと勘違いしてやがる.
頭だけ作っても手足が無ければ何も出来ないだろ.
週刊オブイェクト・コメント欄 at 2007年01月27日01:42
※ 2007/4の能登半島沖地震でも,被災地の自治体が
「受け入れ体勢が整うまで,ボランティアの方々は数日待ってくれ」
て主旨の声明出しましたね,そういえば.
能登半島地震:ボランティア「少し待って」石川県呼び掛
25日午前に発生した能登半島沖地震で,石川県などには地震発生直後から「ボランティアに行きたい」との申し出が数十件相次いだが,県は受け入れ態勢が整っていないことを理由に,ホームページ上などで
「あと1〜2日程度待ってほしい」
と呼びかけている.
〔略〕
毎日新聞,2007年3月25日20時26分
そして,こういう記事も.
車中泊ボランティア1週間「もう限界」の悲鳴も
能登半島地震の被災地,石川県輪島市門前町地区で活動するボランティアに車中泊をする人が目立っている.
長時間,窮屈な姿勢を続けることで血栓症などを起こす「エコノミークラス症候群」の恐れもあり,参加者の宿泊施設を探すボランティアも登場した.
冷え込みの厳しい門前町地区の市営駐車場.
夜になると,エンジンをかけたまま一夜を過ごす数十台の車が並ぶ.
乗用車の男性(58)はすでに1週間以上,車中泊を続け,車内は携帯カイロや洋服,ゴミ袋などで埋まっている.
男性は
「ボランティアはさせていただくもの.とはいえ,車で寝るのもそろそろ限界だ.遠方からの参加者には配慮があってもいい」
と思わず本音を漏らす.
軽ワゴン車の男性(52)も車中泊が1週間以上.
後部座席を倒し,足を伸ばせるようにしているが,
「被災地で『寝場所を確保しろ』とは言えない.だが,運転席で寝るのは(健康上)危険だ」
と話す.
車中泊を続けるボランティアは20人以上いるという.
持ち込んだテントで寝泊まりしている男性(62)も
「ボランティアは自給自足が原則.しかし,車で寝る人の健康が気掛かり.風邪の人もいた」
と心配する.
阪神大震災や新潟県中越地震では,ボランティアのために体育館など風雨をしのげる施設が提供された.
今回,石川県は,金沢市から被災地まで無料バスを1日1往復運行.
現地ボランティアセンターでも近隣の国民宿舎などを紹介しているが,現地に適当な施設がないため,宿泊先は原則的に「自力調達」.
長期の活動は難しい.
〔略〕
読売新聞,2007年4月7日14時31分
【質問】
・救助犬は検疫を理由に足止め
のソースは何かと聞いている.
【回答】
救助犬の話なら,当時の新聞あされば,まずどの紙も1回は書いてあるよ.
ネットで見られるものとしては,例えば,
わが国で救助犬の存在が知られるようになったのは平成七年の阪神淡路大震災の時である.
地震発生当日の夕方,スイス大使館から外務省経由国土庁に救助犬派遣の打診があったのに,政府は一旦兵庫県が受け入れ態勢にないということで返答し,支援受け入れが遅れた.
結局,発生三日後にスイス災害救助隊二十五名が救助犬十二頭を連れて関西空港に到着,自衛隊ヘリコプターで直ちに神戸入りした.
一説に犬の動物検疫に時間がかかり現場到着が遅れたとあるが,実際は特例措置により検疫を事実上省略することが可能となる措置がとられたようだ.
http://satotake.web.infoseek.co.jp/towa0611/column/column56.html
また,例えば
田村公平君
大変情けない話を記憶しておりますけれども,あの阪神・淡路の大震災のときにスイスからのレスキューが来たときに,救助犬を動物検疫しなきゃならないみたいなばかなことを言っているのが,日本の役所の現状なんですよね.
そんなことを言っている間に人どんどん死んでいくのに何だという話.
政府参考人(山本繁太郎君)
例に出していただきました救助犬の検疫については,農林水産省が責任を持って的確な対応,迅速な対応をするというようなことが,例えばでございますが,そのほかの様々な人的,物的な救援活動につきましても外務省と相談をしながらできるだけスムーズに受け入れることができるような枠組みが役所の中ではできております.
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/~hiroi/index-genzai_no_sigoto-sangin-kaigiroku-156-03.htm
……と,少なくともレスキュー犬受け入れ遅れが問題になったことが議事録に残っている.
【質問】
東灘区に駐屯する海上自衛隊阪神基地隊は,どのような活動を行ったのか?
【回答】
地震当時,3連休明けだったために休暇の隊員はまだ帰っておらず,20人ほどが残っていただけ.
当初は,掃海艇2隻を沖へ避難させ,壊れた自分の基地の後始末だけで精一杯.
次いで,水中処分員を潜らせ,呉から増援に来る艦艇が接岸できる岸壁探し.
夕方には,支援に来ている艦艇から人員を抽出して「陸戦隊」を編成,18日朝から中央区生田署管内に派遣した.
同隊は,陸上で行動する装備が何もなく,土地勘も,警察・消防との接触もないので,第3特科連隊から連絡幹部を派遣してもらい,共同で,見よう見真似で救出作戦を行い,8人を救出,遺体17体を収容した.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.20-21 & 41-43を参照されたし.
【質問】
なぜ途中で第3師団指揮から方面総監指揮に切り替わったのか?
【回答】
増援部隊が到着するに伴い,師団司令部の指揮が飽和状態となったため.
部隊が多くなれば,命令を起案し発令するにも時間がかかり,軽快な指揮ができにくくなる.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.46-47を参照されたし.
【質問】
伊勢湾台風では,延べ66万人を混成団長(現在の師団長に相当)が指揮したのでは?
【回答】
中部方面総監部は編成中であり,まだ指揮がとれる状況になかったので,やむなくそうしたもの.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.49を参照されたし.
【質問】
指揮切り替えに伴うデメリットは?
【回答】
指揮移転に伴い,部隊交代が行われたが,任務を継続しながら部隊を交代させることは部隊運用上,非常に難しく,可能なら避けるのが原則.
既に被災地に展開していた部隊は,自治体関係者と連携体制ができつつあり,土地の状況にも慣れてきたところだったので,交代により作戦効率が悪くなった.
また,部隊が錯綜して,活動が一時中断したり,一時的な空白地帯ができたりした.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.48を参照されたし.
同書では,任務中の部隊交代に付いてはもっと普段から研究しておくべきだったと反省している.
【質問】
救出活動中,装備は自衛隊に足りていたか?
【回答】
不足していた.
出動各部隊は,資機材をなるべく集めて携行したが,数が十分になく,隊員の装備の主体はシャベルだった.
ビルやマンションの倒壊現場では,携帯用削岩機,コンクリート・カッター,ポータブル・ジャッキなどがないと,手に負えなかった.
木造家屋でも,チェーン・ソーなどが充分にないと,作業が捗らなかった.
第7普通科連隊では,長田区区長から「チェーンソー20機,代金請求は区長に」と裏書きされた名刺を貰い,福知山でチェーンソーを緊急調達したという.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.67-68を参照されたし.
陸自リヤカー
【質問】
神戸市での自衛隊による炊き出し支援は,なぜ2/11に中止になったのか?
【回答】
神戸市の意向を受けたもの.
「自衛隊の炊き出しを受ける避難者は温食を食べることができるが,市の準備した仕出し弁当の提供を受けるところは既に冷えていて,不公平感が生まれている」
という理屈.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.70-74を参照されたし.
それにしても,神戸市,何か間違ってないか?
【質問】
自衛隊の給水支援上,露呈した問題点は?
【回答】
自衛隊の1トン・トレーラーだけでは効率が悪く,自治体が持つ1トン半の水タンクを災害派遣用に取得しておく必要があった.
また,給水点数ヶ所の巡回が,渋滞で思うようにいかなかった.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.77-84を参照されたし.
給水トレーラー 撮影:へぼ担当
【質問】
交通渋滞は,自衛隊の活動にどのような悪影響を与えたのか?
【回答】
自衛隊には交通規制の権限がなく,パトカーの先導が必要だった.
しかし,パトカーが通れても自衛隊の大型トラックでは車幅が広く通れないところもあり,次第に車列縦隊は分断され,縦隊の後ろのほうは渋滞に巻き込まれた.
また,京都府福知山駐屯の第7普通科連隊は,福知山署のパトカーに先導されたが,兵庫県との県境からは警察の責任地域が違うことからパトカーは引き返してしまい,同連隊は兵庫県内をパトカーなしで走ることになり,三田市からは徒歩のスピードと変わらない速さでしか進めなかった.
さらに,第3特科連隊を誘導したパトカーは,長田署と兵庫署から来ていたため,彼らにとって一番事情のわかる自分の署に連隊を誘導.
結果として,長田区の手前の須磨区を通り過ぎることになった.
夕刻になっても県も市も警察・消防も自身が被災者となって混乱,警察は被害状況把握に精一杯で交通規制どころではなかった.
さらに,第3戦車大隊,第5特科大隊が駐屯する滋賀県今津町では17日朝から大雪であり,移動の前に,まず除雪から始めねばならなかった.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.27, 39 & 41を参照されたし.
【質問】
出動当初,人手不足が痛感された原因は?
【回答】
生き埋め現場が次々と入ってきており,一つの現場が終わったときには,もう住民が呼びに来て待っているという状態だったため.
ちなみに,もしヘリポート不足も交通渋滞もなく,1月17日に部隊移動がスムーズにできていれば,午後に2〜3千人,夜までに5〜6千人くらいの部隊が展開できただろうと推算されている.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.28-30 & 149-150を参照されたし.
【質問】
ヘリによる空輸の開始が遅れた原因は?
【回答】
長田区の海浜公園は液状化現象で使用不能.
他の殆どの公園や学校のグラウンドには被災者が避難してきており,ヘリポートとして利用できる場所は残っていなかったため.
唯一,王子グラウンドは周囲に柵があったため,被災者が入れず,ヘリ基地として重要な役割を果たすこととなった.
また,第1ヘリコプター団の大型ヘリは,第3特科連隊と第3高射特科大隊の人員を輸送し終えた頃には17:30を過ぎており,停電で真っ暗な神戸の,しかも見知らぬヘリポートに,誘導もないまま離着陸するのは大変危険なため,夜間運行はできなかった.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.30-32を参照されたし.
「飛べないヘリは,ただのオモチャだ」
【質問】
ヘリの活動上の支障は何だったのか?
【回答】
混雑.
神戸市の唯一のヘリ・ターミナルとなった王子グラウンドには,一時期,100機にのぼるヘリが集中して,大変危険な状態になった.
この状況は最後まで改善されず,常にニアミスの危険と隣り合わせだった.
航空機の飛行統制を管轄している運輸省(当時)には臨時設営のヘリ中継基地の統制を速やかに実施できる組織機能はなく,自衛隊の飛行統制班には民間機に対する法的な統制権がなかったためだ.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.167を参照されたし.
【質問】
米空母の援助なんて役に立たなかったんじゃないか?
村山は港湾の許容量を考えて
空母<他の船
って判断しただけじゃないの?
そもそも,病人だったら空母を持ってくるまでもなく,ヘリで他の地域へ移送すれば良いんだし.
被災民を空母や揚陸艦に収容しても,格納庫に住むんじゃ反って環境悪い気がするが.少なくともミリオタ以外は喜ばないんじゃ・・・.
水兵下ろして居住区開放しても,マットレスの硬い3段ベッドだしなぁ.
【回答】
ヘリによる支援すら断ってる.
これなら接岸の必要が無いにもかかわらず.
当時,神戸,大阪周辺の病院は病院自身が被災&被災者でパンク状態であり、半壊になりながら被災者の治療を行ってた.
ヘリで移送するにも,ヘリの絶対数が足らなくて,報道用にヘリ飛ばしてたマスコミまで批難されてたんだぞ.
そのなかに,衛生状態の完備した艦船の提供を断ってますが.
港湾設備は壊滅的な打撃を受けてたけど,停泊は可能だった.
ちなみに,神戸の港湾能力は日本有数で横浜とタメを張るくらいで,第7艦隊に自衛隊の全護衛艦を収容してもオツリがきますよ.
【珍説】
阪神大震災のときに,ヘリコプターを思うように活用できなかった理由のひとつとして,
「ヘリコプターが着陸できるような,瓦礫も被災者も無い,空いている土地が無かった」
というのもありましたね.王子陸上競技場ぐらいしか,適した場所が無かったとか.
大量の米軍ヘリコプターが来たとしても,あまりの騒音に,埋もれた被災者の小さなうめき声が聞こえず,かえって死亡者が増えたことでしょう.
先日,震災祈念会場で取材ヘリが1機だけ飛んでいても,かなりの爆音でしたから,アメリカ軍の物量作戦の下では,さらにうるさくなるでしょうね.
【事実】
>「ヘリコプターが着陸できるような,瓦礫も被災者も無い,空いている土地が無かった」
瓦礫をどければ済む事だ.
スリング(吊り下げ)輸送ならヘリポートに降りる必要も無い.スリング輸送によってヘリで重機を運んで,平地を造成すればいい.
世界最大級の大型ヘリCH-53Eスーパースタリオンはスリング輸送能力が16トン.クレーンやドーザーを吊るして運んで空き地を造ってしまえるよ.米軍を舐めるな.
同じようにして簡易桟橋も作っちまうよ.
そしたら,ヘリなしでも船から直に荷おろしできるようになる.
>大量の米軍ヘリコプターが来たとしても,あまりの騒音に,
>埋もれた被災者の小さなうめき声が聞こえず,かえって死亡者が増えたことでしょう.
騒音で問題にされたのは,報道するだけで何の救助にも役に立たなかったマスコミのヘリコプターだ.
阪神大震災の後,防災ヘリコプターの拡充が図られるようになった事実を知らないのか.
海外の事例でも,ヘリコプターによって助かる命の方が圧倒的に多い事が立証されている事も知らないのか.
世界中の国で災害救助にヘリコプターが活用されている事を知らないのか.
近年のパキスタンやイランでの大地震でもヘリコプターが大量投入された事を知らないのか.
スマトラ地震でも,もしヘリコプターが無ければ,どれだけ大量の人が死んでいっただろうか,知らないのか.
以下引用.
防災とヘリコプター
このような災害救助にヘリコプターを使うのは,それほど難しいことなのだろうか.勿論そんなことはない.少なくとも欧米先進国では救急車と同様,日常的に使われている.
日本でも,昭和34年の伊勢湾台風ではおよそ5,000人がヘリコプターで救出された.
飛行に当たったのは主として日本に駐留する米軍と発足間もない自衛隊のヘリコプターである.
あのときの死者は5,000人だったから,決して生やさしい災害ではなかったし,ヘリコプターがなければ,犠牲者は倍増していたかもしれない.
救助ヘリは有用.報道ヘリは役立たず.
>「ヘリがうるさくて救助を求める声が聞こえない」
そういうときは,地上にいる救助隊員が上空にヘリが飛ぶのを止めさせるかヘリのルートを変更したりします.
ヘリは重傷者や重病人を運ぶのに便利.阪神淡路大震災のように瓦礫や亀裂で道路が通行できないときは特に.
90式改 in 週刊オブイェクト・コメント欄,2007年01月21日
【質問】
阪神大震災のとき,謎の地下室から大量の武器弾薬が見つかる事件が多かったってホント?
9年前の阪神淡路大震災直後の救助作業中に,倒壊した家屋の地下からたくさんの武器庫がみつかったとされる.当時から,消息筋の間の噂話として私自身,耳に挟んでできたが,この事実は,現在,多くの信頼できるソースで語られている.
そこ(多数の地下武器庫)には,2001年の奄美大島沖「不審船事件」で,北朝鮮工作船に搭載されていたものと同クラスの武器(ロケット砲や無反動砲,機関銃)も多数隠されていた.
あのとき工作船が沈没寸前に放ったロケット弾(や無反動砲)はもし命中すれば,数十人の乗組員を乗せた海上保安庁の巡視船を轟沈させるほどの威力をもっている.
それほどの破壊力を持つ兵器が,人知れず日本の大都会の一角に大量に貯蔵されている.
いまも同じような武器庫が日本国内に多数存在すると見られている.
ひとたび戦時になればこれら大量の武器庫群から,(ロケット砲・無反動砲,機関銃など)これらの大量破壊兵器を大量に取り出した破壊分子が日本の大都市を走り回ることは十分予測できる.
しかもその勢力が如何なる外国に結びつくか,その答えは困難でない.この日本国内,それもまさに我々のすぐ隣に潜んでいる.日本の,それも東京や大阪など大都市がれっきとした戦闘地域なのである.
このことを我々は片時も忘れてはならない.いまや
日本は国内における(重火器による大規模な攻撃)テロ,(本格的に武装した)ゲリラ行為に文字通り,本格対処すべき時代に来ているのである.
イラク復興特集・京都大教授・中西輝政「日本の国防力が目覚めるとき」
【回答】
それは有名なデマです.
事の発端は倒壊したエアガン屋から出ています.
軍事板
また,当時被災地域においては,罹災家屋の撤去等を進めていく内に,旧家の縁の下や地中からから旧軍の弾薬類が発見される事例が多々あったようです.
中には,数十個の手榴弾が縁の下の箱から発見された例もあります.
多くは手榴弾や小銃弾のようですが,報道によると何故そこにあったかは家人にもわからないケースが多かったかと記憶しています.
〔ソースですが,〕当時の新聞記事で幾つか載っていたと記憶しています.
現在,ネット上では新聞記事のアーカイブが有料化されていますので,検索してアップすることは出来ませんが,図書館等で縮刷版を丹念に調べると結構載っていると思います.
手榴弾云々の記事は
「西宮の倒壊家屋から手榴弾30数個が発見される.旧軍製?」
とかの見出しであったと記憶しています.
記事を発見しますた.
旧陸軍の不発手りゅう弾130個見つかる
民家の震災解体作業で/兵庫・西宮市
二十七日午後四時二十分ごろ,兵庫県西宮市今津水波町で,阪神大震災で全壊した民家の解体作業をしていた民間のショベルカー運転手が,地下約十センチの所に不発の手りゅう弾があるのを見つけ,西宮署に通報した.
同署員と陸上自衛隊第三師団の隊員が掘り起こしたところ,計百三十個あった.
調べでは,いずれも旧陸軍が使っていた九七式手りゅう弾で,うち二十八個に安全ピンが残っていた.
さびて腐食が激しいものの,ショベルカーのアームなどで強い衝撃を与えると,爆発する危険性もあり,近く同師団で処理する.
読売新聞1995.02.28朝刊
(朝日,毎日にも同種の記事あり)
◆24時間体制で「けん銃110番」を開設−−県警保安課 /神戸
1995.05.10 読売新聞地方版/兵庫 28頁 (全401字)
県警保安課は,十日から一般市民からのけん銃情報や相談を二十四時間体制で受け付ける「けん銃110番」を開設する.
番号は「078・304・1030(去れよ 銃去れ)」と覚えやすいごろ合わせになっており,同課は「けん銃を処分したい,という暴力団員からの相談や,眠っている古いけん銃の情報を集めたい」と期待している.
同課はタイ人船員によるけん銃六十一丁密輸事件など,昨年一年間で計百五丁のけん銃を摘発した.
今年は五月九日現在で,阪神大震災で新たに倒壊家屋から見つかった旧日本軍の軍用けん銃(九丁)▽尼崎中央署が摘発した改造モデルガン(七丁)−−など計二十二丁(前年比六丁増)を押収している.
〔略〕
◆阪神大震災で倒壊の民家から短銃12丁押収,大半は旧軍用/兵庫・芦屋
1995.10.20 毎日新聞東京夕刊 19頁 (全384字)
阪神大震災で倒壊した兵庫県内の民家などから短銃十二丁が押収されていたことが,二十日までの同県警銃器対策室の調べでわかった.
ほとんどが旧日本軍の軍用銃で,実験の結果,弾丸が発射できるなど殺傷能力があった.
今年,同県内で押収されたピストルはこれまでに計四十丁.
その三割が震災がきっかけで発見されたことになる.
芦屋市川西町で五月中旬,壊れた物置内を片付けていた家人が油紙に包まれた自動式短銃と実弾十三発を発見,芦屋署に届けた.
同市内では二月と六月にも,半壊した住宅などから回転式や自動式の短銃各一丁が出てきた.
西宮市では,門戸岡田町の旧家の半壊した蔵の中から四月初め,油紙と布に包まれた22口径の自動式軍用銃が見つかり,別の被災家屋からも米国製回転銃など三丁を発見.神戸市内でも五丁が押収されている.
いずれも,戦前か戦時中に所持,戦後は家人が気づかないままだったと見られる.
・・・こいつ↓は震災の直前〔の記事であり,傍証にしかならないの〕ですが...
◆自宅にライフルなど13丁隠す ガンマニア2人逮捕/兵庫県警
1994.11.30 読売新聞大阪夕刊 15頁 (全277字)
兵庫県警銃器対策室と尼崎中央署は二十九日夜,無許可でライフル銃などを所持していたとして,川西市久代四,モデルガンショップ経営村上裕司容疑者(32)と西宮市名塩南台一,同前田和明容疑者(43)をそれぞれ銃刀法,火薬取締法違反の疑いで逮捕,改造ライフル銃など計十三丁と実弾計約千二百発を押収した.
調べでは,村上容疑者は県公安委員会の許可を受けていないのに,自宅にライフル銃二丁と実弾六百十六発を所持.前田容疑者は自宅にライフル銃など三丁と実弾六百六発を隠し持っていた疑い.このほか尼崎,伊丹市内の二 人の店から散弾銃やエアピストル,改造銃など八丁が見つかった.
〔モデルガンのほうの件ですが,〕自宅が近いということと,子供を連れてよく行ってたこともあり,当該店舗の店主にお話を聞いたことがあります.
その店主から聞いた話から,噂の出所がここである可能性は非常に高いと思料いたしますが,当時から,噂に関して相当不愉快な思い出があるようで,公にしたくないとの意思表示が暗にありました.
店主から聞いた話をまとめますと,震災直後,付近の被災住民の子供達に倒壊した店舗から,ガチャポンなどを掘り出して配って少しでも元気づけようとし,また親御さんたちからも感謝されたようです.
この延長線上で,すぐに遊べるということで,年かさの子供には傷物のモデルガンを与えたのですが,此れをみた事情(モデルガンということも含めて)を知らない大人(ボランティア?)の何人かが顔をしかめ云々ということになり,当時店主がいた避難所でちょっとした騒動になったとの由です.
一本気の店主だっただけに,あらぬ噂の震源とみなされる事には相当困惑なされている様子でした.
無論,この種の趣味的な店舗の店主だけに,傍目には偏屈と見られる言動もあり,誤解の原因になったのではないかと思料いたします.
噂の出所である店舗のURLと倒壊時の写真のURLをお教えしても良いのですが,店主の気持ちを考えるとちょっと判断に困っております.
いささか,とりとめのない話になりましたが,小職個人としてはこれ以上,本件について突っ込んで欲しくないといのが本音です.
Hawkeye by mail
※編者には該当店舗名もお教えいただきましたが,メール者本人の希望,および該当店舗店主のことを考え,名前は秘することといたします.
なお,2007年1月の読売新聞が,中西論文と重なる記事を掲載しているが……
[核の脅威]20XX年 北朝鮮が…(3)重要施設を警備せよ(連載)
◇第1部
◆陸自いつ出動,武器使用は
【国内で複数テロ発生】
(冒頭,シミュレーション部分略)
朝鮮半島有事などの際には,北朝鮮の特殊部隊が日本で破壊活動を行う事態が想定される.陽動作戦のため,全国各地で複数のテロが発生する恐れもある.
日本政府の極秘資料は,約10万人に上る北朝鮮の特殊部隊のうち約2500人が人民武力省偵察局所属の日本専門の工作員と推定.
うち500人前後が日本に向かうと分析している.
〔略〕
日本に長年潜入中の休眠工作員(スリーパー)もいる.
政府関係者によると,阪神大震災の時,ある被災地の瓦礫(がれき)から,工作員のものと見られる迫撃砲などの武器が発見されたという.
(以下略)
2007.01.19(読売新聞朝刊)
……これについては,マスコミ板において以下のような,極めて合理的な指摘がありました.
噂 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>2007年1月19日付け読売新聞は,北朝鮮の核の脅威を訴える特集において,
>上記中西論文と極めて類似した情報を掲載した.
>「政府関係者によると,阪神大震災の時,ある被災地の瓦礫(がれき)から,
>工作員のものと見られる迫撃砲などの武器が発見されたという.
>(【核の脅威】第1部 20XX年北朝鮮が…(3)重要施設を警備せよ)」
>上記読売新聞北朝鮮の核の脅威を訴える特集は1日遅れで
>ザ・デイリー読売(読売新聞の英字版)に転載されているが,当該部分は
>「According to government sources, mortars and machine guns were discovered
>among debris in a disaster-hit site just after the Great Hanshin Earthquake.
>The weapons likely belonged to sleepers.
>(NORTH KOREA'S NUCLEAR THREAT / Sniffing out N. Korean agents vital in emergency)」
>と英訳されている.日本語版を一日遅れで英訳したはずなのに英語版においては,
>mortar(迫撃砲)だけでなく日本語版に記載されていなかった「マシンガン」も発見された
>と書かれており,2004年中西輝政論文との類似性をさらに印象付けるものとなっている.
おそらく日本文を書いた記者とそれを英文を訳した記者は同じ人物と思われる.
中西輝政
↓
中西の論文を鵜呑みにした政府関係者(下村副長官?山谷えり子?)
↓
読売記者・オリジナル日本文→1月19日掲載(字数の関係でマシンガン省略)
↓
同記者・英文に翻訳→1月20日掲載(マシンガン記載)
読売はもう震災の記事を書かない方がいいと思いますた.
ちなみに,wikipediaが電凸した(?)時の回答.
読売新聞読者センターの回答は
「政府関係者がそのような発言をしたのは事実である.
政府関係者が誰なのかは取材源の秘匿で回答できない.
中西輝政氏の記事は知っている.
バズーカ砲が実際に発見されたのかどうかは関知しない.
12年間これまで報道されなかったことに疑問を持つのは読者の自由である.
読売新聞側が今後,武器が実際にあったかどうか調査する,しないは記者の自由である.
バズーカ砲の存在について記事を読んだ読者が疑問に思うなら,読者が独自に調査されればいいことである」
なんだかこれを思い出した.
ナベツネ新聞にしてからが,この程度の職業倫理ではどうしょうもないですね.
「自由」の問題ではなくて「責任」の問題なのだが・・・
【質問】
政治イデオロギーによって,災害救難活動上,どのような支障があったか?
【回答】
災害派遣要請をした後においても,自衛隊・警察・消防の連携は取れていなかった.
県の災害対策本部に派遣されている自衛隊連絡幹部に対し,県側からは何の連絡もなく,県警からも直接被害情報は入らなかった.
このことは派遣要請の遅れよりも重大である.
その原因の一つには,自治体と自衛隊とが普段から殆ど接触がなく,その背景には自衛隊に対するアレルギーがあったと考えられる.
神戸は自衛隊を憲法違反と主張してきた旧社会党の勢力の強い地域であり,防災訓練にも自衛隊の参加は拒否してきた.
また,対策会議で自衛隊側から積極的な提案をするのを好ましく思わない一部の職員がいて,相互調整がうまく機能しなかったこともたびたびあった.
東灘区では,自衛隊から派遣された連絡員の提案に対し,
「まるで戒厳令じゃあないか」
という自治労の職員もいた.
その結果,救援物資の食料が野積みのまま腐ってしまったり,一部救難所に水・食料が届かなかったりという状況になった.
詳しくは,松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』(時事通信社,1996.6.15),p.178-を参照されたし.
【質問】
「風呂に役所からクレームついた」ってソースどこ?
【回答】
『自衛隊員も知らなかった自衛隊』(松島悠佐著,ゴマブックス,2004.3)という本に出てるな.
筆者は阪神淡路大地震当時の中部方面総監.
公衆浴場法の規定で循環式のフロしか認められない,と県職員が言い出して押し問答に.
結局,総監が衛生管理には自分が責任を持つ,と押し切ったそうな.
常識的に考えて,震災でばたばたしてる時に,公衆衛生法だか浴場法だかを遵守しようなんて余裕のある役人がいるとは思えないので,自衛隊の活動に横槍を入れようという意図があってのことだろう.
当時の兵庫県政は革新政党の牙城だったので,出動要請から温食配給から,交通整理から,何でもかんでも自衛隊の活動を妨げようとした.
人命救助が最優先じゃないんかい.
軍事板
【質問】
>当時の兵庫県政は革新政党の牙城だったので,出動要請から温食配給から,
>交通整理から,何でもかんでも自衛隊の活動を妨げようとした.
「牙城」の意味がよくわかりませんけど,知事も自民推薦ですし,議会も自民党が最大多数だったのですが…
. in FAQ BBS
私は神戸生まれでいまも神戸に住んでいるのですが,たしかに兵庫県は土井たか子はいるし新社会党とか今でもあって,高校入試は一部地域で総合選抜制があったり――真相はよく知らないけど日教組が強いからだと言われた――と,革新系が強い方だと思いますが,90年代の兵庫県が革新政党の牙城と言われるとかなり違和感があります.
hoge in FAQ BBS
【回答】
立法府がそうでも,職員が革新派の自治労に牛耳られているケースだったのでしょう.
ウィナ・ツァハル in FAQ BBS
▼ 兵庫県自治労の方に「地方公共団体における組織率や如何?」という質問のメールを送ったら,丁寧な返事を頂きました.
要約しますと,組織が職域ごと(役所勤めもいれば市営バスの運転手などの事業系職員もいますので,そのことと思います)にバラバラで「だれがメンバーか?」という定義付けが困難であることから,公正なデータの提示ができないとのことでした.
ただし厚生労働省なら,独自に数値を把握しているだろうとも仰っていました.
引き続き調査を行います.
あ,それは俺も調べてた.
http://www.hm.h555.net/~minpokyo/news/436.htm
によると,2004年時点で県庁支部の状況は
>・ここ10年くらいで,組合員数約1800人,組織率8割程度から,
>現在の組合員数1000人強,組織率5割弱に減少.
とのこと.
震災が96年だから微妙だな.
あと,ほかの支部がどうかというのも当然問題になるだろうし.
事実,当時の状況を鑑みるに,他の項目に述べられているように
・兵庫県と神戸市は国内でも名高い反自衛隊思想に牛耳られた自治体で,他の自治体とは違い平素からの自衛隊との交流はほとんどありませんでした(エンリケ航海王子 in 『おきらく軍事研究会』)
・自衛隊幹部の間では「関ヶ原を過ぎると寒くなる」という言葉があるそうだ.
関ヶ原以西の関西地方の自治体とはつきあいがまったくなかったという(「国際派日本人養成講座」,平成10年1月17日)
・神戸市は防災訓練でも「自衛隊は来なくて結構」という自衛隊アレルギーの強い土地柄だったため,同連隊は殆ど神戸市内に入った事がなく,そのため地理不案内で,救難活動に支障をきたしている(松島悠佐著『阪神大震災 自衛隊かく戦えり』)
・神戸は自衛隊を憲法違反と主張してきた旧社会党の勢力の強い地域であり,防災訓練にも自衛隊の参加は拒否してきた.(同)
・対策会議で自衛隊側から積極的な提案をするのを好ましく思わない一部の職員がいて,相互調整がうまく機能しなかったこともたびたびあった.
東灘区では,自衛隊から派遣された連絡員の提案に対し,
「まるで戒厳令じゃあないか」
という自治労の職員もいた.
その結果,救援物資の食料が野積みのまま腐ってしまったり,一部救難所に水・食料が届かなかったりという状況になった.(同)
といった,累積的に見て比較的信頼性の高い情報がある.
当時の貝原知事については,当サイトでは現在,情報収集が不足しているが,選挙では多党相乗り候補であり,また,
「神戸を中心とする被災地は,平和力で人類社会に貢献するフロントライナーとして復興していくべきではないか」(神戸新聞,2004/1/23付インタビューより)
と述べているなどの点を見ると,「自民推薦だから」というのは強い反証とはなりえないだろう.
ちなみに2008/2/1現在,いくつかの自治労サイト(兵庫,京都,大阪,奈良)を見比べて見ても,トップ・ページで護憲を謳うという政治色の強いものになっているのは兵庫県だけである.
【質問】
この震災時以降,自衛隊の災害派遣の要領は変化があったのでしょうか?
この阪神淡路の震災後何らかの変更がなされたように記憶しておりますが,正確なところはわかりません,お教え願えれば幸いです.
【回答】
お尋ねの件ですが,下記のURLに公式の文書がありました.
「陸上自衛隊の災害派遣に関する達」
ちなみに,平成9年に改正されています.
おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)1月24日