--福岡人種差別的児童いじめ教師・林田真二:悪意を持った「被害者のでっち上げ」をでっち上げて加害の上塗りをする最悪教師--
(2007年4月)
福岡市立小学校で2003年、特定の児童に対して「汚れた血を恨め」などと叫びながら暴行を加えたり、「今すぐここから飛び降りろ」と暴言を吐くなどを執拗におこなうなどの人種差別的な児童いじめを繰り返し、児童をPTSDに追い込んだ、林田真二というとんでもない教師がいた。
この教師は、裁判でも蛮行が認定されているにもかかわらず「被害者の言い分の大半はうそ。被害者のでっち上げとそれを無条件に鵜呑みにしたマスコミに陥れられた」と主張し続け、自らの主張を広める書籍まで出版している。
結論から言うと、虐待教師・林田真二の主張はすべて事実に反する妄想・でたらめ・うそで、しかも被害者に対して自分の無法行為を投影しているだけに過ぎない。また「被害者がでっち上げをおこなった」というでっち上げを、林田真二自身とその信者がおこなっているのである。
当サイトにも、その書籍を鵜呑みにして嫌がらせを加えてくる者が時々いる。発信元の地域がわかったものだけでも、奈良・静岡などからの嫌がらせがおこなわれた。
筆者がほかに追及している北九州市の暴力教師・林壮一郎(この林という人物も、林田並みに悪質な最悪教師である)の問題では、嫌がらせはこの教師の知り合い関係と思われる福岡県内からの発信が圧倒的に多い。このことと比較すると、林田の問題で嫌がらせの発信元が全国に広がっている理由は、「でたらめ書籍を盲信するものが全国的に現れた」としか考えられない。この書籍こそ、林田がマスコミと結託して起こした、被害者へのマスコミ被害にほかならない。うそを盲信して当サイトにすら突っかかる者も複数湧くくらいだから、被害者本人への攻撃はどれほどひどいものなのか、想像しただけで心が痛む。
林田からの中傷は、少しでも教育問題について学んだことがあるものならばすぐに「うそ・でたらめ」と断言できるくだらない内容で、もともと検討するに値しないものである。しかし実際に被害者に悪質な被害を与え続けている以上、無視するわけにはいかない。
また林田の主張は、全国で発生している、いじめ事件(生徒間のいじめ・教師のいじめ)・教師の暴力事件(いわゆる「体罰」事件)などの学校事件や事故などで、うそつき教師本人がとる態度・周囲が加害者を正当化して被害者への二次攻撃をおこなう態度と共通の部分もある。
林田の主張を鵜呑みにした書籍『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(福田ますみ著)なる書籍が出版されている。
しかしこの書籍は、感情的になって荒唐無稽な妄想をふくらませているだけに過ぎない。明らかになっている客観的事実を完全に無視し、客観的な取材をまともにおこなわず、ただ林田真二を正当化することだけが目的の書籍である。本のタイトルに「真相」などと銘打っているが、真相はこの書籍の主張とは正反対のところにある。書籍の内容は全くのうそ・でたらめ・ガセネタであることはいうまでもない。
世の中には、平気で嘘をついて他人を陥れても良心の呵責を感じないとか、自らのついた嘘ですら真実かのように信じ込むとか、そういう人間が一定の割合でいるようである。この手の人間は、自分を「正常者・常識人」と描き、自分がターゲットとして狙った相手を「精神異常者・人格異常者」かのように描いて徹底的に陥れる工作をおこなう手口も常套手段である。この手の人間の心理状態や対策については精神医学や臨床心理学に究明をゆだねるにしても、普通に生活している人間がこのような人物からいわれのない危害を加えられるということは、社会的にも決して許されるものではない。林田の鬼畜行為によって日常生活や心身の健康がめちゃくちゃにされたうえ、さらに「うそつき」「でっち上げ」と一部書籍を通じての全国的な悪宣伝までおこなわれて卑劣な二次被害を受け続けている、被害者親子の心労は察するにあまりある。
この著書の著者は福田ますみなる名義となっている。福田某なる者は林田真二本人のペンネームなのか、それともどこぞの売文家が福田某名義で林田真二の主張を代筆したのかは、正直言ってどうでもいい。いずれにしても結果的に林田の主張を一方的に代弁して、被害者へマスコミ被害を与えている悪質な物という本質は変わらない。林田真二本人とは別人だとすれば、ライターとして問題であろう。
そもそもまともなライターならばきちんと事実を調べて書くべきであるが、この著書は林田の一方的なうそを鵜呑みにして記述しているという重大な欠陥がある。仮にフィクション小説なら、誰から見ても明らかにフィクションとわかる形で書くのが作家の基本中の基本である。フィクションにもかかわらずノンフィクションかのように書きたて、実際の事件の被害者を感情的に攻撃するなど、卑劣きわまりない。
この書籍には、このような紹介文が加えられている。
クレーマー保護者の虚言によって、彼は史上最悪のいじめ教師に仕立てられた。 「早く死ね、自分で死ね!」
2003年6月、全国ではじめて「教師によるいじめ」と認定される事件が福岡で起こった。問題の小学校教師は、担当児童を自殺強要や暴力でPTSDによる長期入院に追い込んだとされ、「殺人教師」とまで報じられた。
だが後に、一連の事実は、児童両親によるでっちあげだったことが明らかになる──。子供は善、教師は悪という単純な二元論的思考に陥り、550人もの大弁護団を結成した人権派弁護士、保護者の無理難題を拒否できない学校現場や教育委員会、すぐに騒いで教師を悪者にするマスコミ、被害者を救うヒロイズムに酔った精神科医......。病める教育現場で偽善者たちが引き起こした、驚愕の冤罪劇!
妄想の上に妄想を積み重ねている、妄想もいい加減にしろというようなひどい内容である。またそもそも、これが出版物の内容紹介なのかと思うほど、下品で下劣きわまりない煽動的・感情的な表現である。アングラ系出版社発行の書籍ならともかく、新潮社という大きな出版社がなぜこのような下品で下劣なものを出したのかというのも理解に苦しむ。
林田の事件を大々的に報じたのがライバル誌の『週刊文春』だったから、『週刊新潮』および新潮社がライバル意識をむき出しにして反対報道をおこなったという背景も、『でっちあげ-』信者の言動からかいま見える。「マスコミによる林田への被害」というニセの構図に持ち込もうと必死なようだが、これでは「ライバル誌に抜き出るためには手段を選ばずに、事実に反して被害者親子を悪質クレーマー・人格異常者かのように描くマスコミ被害を与えても意に介しない」状況になっている。
書籍の中身も、このような下品な主張を長々と繰り返し垂れ流しているだけに過ぎない。紹介文以上の内容はない。読んでいて気分が悪くなった。
まず、そもそもの事実関係について検討したい。
問題の発端は、2003年にこの児童の担任となった林田真二が、同年5月の家庭訪問で「この児童の曾祖父がアメリカ人」ということを知り、その日以降人種差別的ないじめを繰り返したということである。
林田はその日以降連日にわたって、「汚れた血を恨め」といいながらこの児童に暴行を加えたり、「今すぐ死ね」などの自殺強要や、児童のランドセルをゴミ箱に捨てるなどのなどの嫌がらせを繰り返した。児童はこのことが原因でPTSDに陥り、林田は2003年8月に停職6ヶ月の処分を受けた。しかも停職処分を受けた後、自分が担任していたクラスのほかの児童宅に、保護者に対してうそを吹き込んで自己正当化を図り被害児童を陥れることを狙った電話までかけていた。また一部情報によると、林田は被害者親子へのストーキング行為もおこなっていたとされている。
その後被害者親子は裁判に踏み切らざるを得なくなり、2006年に福岡地裁で判決が出た。福岡地裁の判決によると、林田の蛮行についての基本的な内容は事実と認定している。
これらの事実認定だけみても、林田が悪質ないじめ教師であることが浮かび上がる。事実認定された範囲だけみても、とてもまともな教師のすることとは思えない。これだけでも懲戒処分に値するような悪質な行為である。
いや、教師以前に「まともな人間のすることとは思えない」といったほうがより正確である。林田真二に教師の資質はないことは明らかである。
すなわち、林田が人種差別的児童いじめをおこなったことは事実であると、裁判でも認定されている。
ただ、暴行とPTSDとの因果関係を認めなかったことや、家庭訪問の際の暴言を「事実だが差別発言ではない」としたこと、国家賠償法の規定で林田個人への損害賠償を認めなかったことなど、林田の蛮行についての事実認定は不十分な点があることも事実である。しかし、それでも林田の蛮行は基本的に認められているわけで、だからといって林田の蛮行が否定できるような判決ではない。
林田はPTSDそのものがでっち上げとしているが、児童がPTSDを発症したことは事実である。裁判では暴行とPTSDとの因果関係を認めなかっただけに過ぎない。普通に考えると、林田の行為で発症させたのは明らかだが、現在の日本の裁判制度上はこの手の被害の因果関係を認めにくい傾向がある。裁判の不十分な点をもって、林田の行為を正当化することはできない。
また林田真二への損害賠償を認めなかったことについては、あくまでも国家賠償法の形式論の上である。国家賠償法では公務員の職務上の不法行為で損害を負った場合は行政が賠償責任を負うが、「不法行為をおこなった公務員個人」の賠償責任については法律上認められていないだけである。行政が賠償した分を、行政から不法行為をおこなった公務員個人に請求することは認められているが、それは義務ではなく行政当局の判断によるものとなる。林田真二個人への損害賠償が認められなかったのは、林田の行為が正当だからというわけではない。単に現行法の不備・限界に過ぎない。もちろん現行法の不備・限界を指摘する形での判決を下してほしかったが、しかしそれでも現に林田の蛮行は認定されているし、法律上の形式論に乗っ取って福岡市の賠償責任は認められている。
また林田はこの期に及んで、人種差別的児童いじめをおこなったという事実を正当化するために「被害児童が外国人の血を引いているのはうそ」と主張しているようである。林田の主張は、しょせんはその場限りのうそに過ぎない。林田の主張通りなら、そもそも「血が混じっている」とは発言する機会すらないはずであるが、しかし実際に「汚れた血が混じっている」と暴言を吐いている。林田の主張によると、なぜこのようなことを発言したのか、全く説明がつかない。林田とその盲信者は、その矛盾点をなかったことにするために、何がなんでも「被害者親子が嘘をついている」ことにしたいのだろう。しかし、嘘をついているのは林田真二であることは、自明である。
林田は「被害児童の両親が事件をでっち上げ、教育委員会も無条件に追随した」ことにしたいようである。しかし、これほどばかげたでたらめは全く通じない。
だいたい、親が「被害でっち上げ」をおこなうとか、教育委員会が「被害児童の訴えに無条件に追随する」など、少しでも教育問題を知るものにとっては相手にするのも面倒なほど、ばかばかしすぎて話にならない荒唐無稽な主張である。こんなバカなことはほぼ不可能といっていい。
しかしこのようなばかげた内容でも、「教師はいつも正しい」とか「子どもはバカだ」とかいう間違った予断・偏見・固定観念にとらわれている一部の連中をだますには都合がよいらしく、一部の人は見事にだまされて林田の主張を鵜呑みにしている。林田の主張を鵜呑みにした連中については、本来ならば「まともに物事を考える力を持たないかわいそうな人たちだと哀れむだけで相手にする価値もない」というのが本当のところだが、被害者に二次被害を与える有害行為とセットなので、こういった有害行為で迷惑をこうむる被害者やその関係者を守るための対策を講じなければならない。
林田真二にとっては、自分の行為を正当化しようと思えば、被害者がでっち上げをおこなっていることにするしかないのであろう。しかし荒唐無稽の上、何よりも被害者への二次被害を与えることになり、絶対に許せないものである。
まず、親が「でっち上げ」をおこなうメリットも全くないし、そもそも「教師の暴力やいじめをでっち上げる」など明らかに不可能である。
「本当に被害を受けたときに被害を訴えただけでも、学校と教育委員会を先頭に悪質な加害者擁護や被害者攻撃がされる」というのが、学校関係の事件・事故、特に教師が加害者の場合の事件・事故での特徴である。暴行やいじめの証拠が明らかなときですら、学校や加害者擁護派は「加害者は正しい。被害者が被害を訴えることそのものが絶対悪」かのように被害者を一方的に攻撃するというのは、あちこちで起きている。
例えば1995年に同じ福岡県で、私立高校教師が女子生徒を殴り殺した「体罰」事件があったが、現地では地域ぐるみで、加害教師擁護と被害生徒・遺族への悪質な中傷や嫌がらせが繰り返された。
痴漢冤罪(満員電車などの場合は事件発生時の状況把握が困難なために誤認もありえ、加害者とされた人物の言い分が無視される傾向があるために冤罪も報告されている)などとは正反対の性質を持つのが、教師の暴力や児童・生徒いじめの被害である。「教師の暴力や児童・生徒いじめ」ほど、たとえ客観的事実がどうあれ被害者の訴えを軽視し被害者を嘘つき呼ばわりする性質の被害はない。
ということは、わざわざうその「被害」をでっち上げて自滅するバカはいないし、そもそも被害をでっち上げられるわけもない。日本社会においてはおそらく、冤罪をでっち上げるのが一番難しいのが、「教師による暴力やいじめ」だろう。
決してすすめないが、仮に教師攻撃や教師への嫌がらせが目的ならば、もっとほかの「効率的」な方法がある。「教師からのいじめ・『体罰』でっち上げをおこない、しかも裁判までおこなって正攻法で正面から突撃する」というのは一番効率が悪い。嫌がらせが自己目的なら、ちょうど林田真二がしたように、あることないことでたらめの噂でも流して相手を中傷したり、また相手を不法に脅しつけたりするほうが「効率的」だろう。
本来の意味での「クレーマー親」に該当する人物が、わざわざ裁判などの正攻法で突撃するなどということは、結果的に自分のうそや無法行為がばれて自分に不利益が返るだけなので、絶対にありえない。だいたいクレーマーとは、まともな手続きを踏まずに一方的な嫌がらせを加えるような連中のことで、被害者親子はそういった連中とは正反対の人たちであることはいうまでもない。事件の流れを追うと、林田真二こそがクレーマー気質の持ち主であることは明らかである。
今回被害にあった親子についても、林田真二やこの書籍のいうような「クレーマー」とか「虚言」などは全くない。むしろ林田の無法行為は真実で、また明らかになっている事実以上にひどい被害を受け、やむにやまれず訴えざるを得なかったということである。「虚言癖」というなら、それは林田真二自身にこそ該当するものである。
いじめ事件、「体罰」事件や教師による児童・生徒いじめ事件、学校災害など、学校での事件や事故については、教育委員会は事件そのものをもみ消したり、被害をできるだけ小さく描こうとする傾向があるというのは、全国で共通にみられる傾向である。
俗な言葉で言うところの「お役所体質」で、行政には問題が発生した際、まるで何事もなかったかのように振る舞うことが有能で、誠実に対応すれば内部からの圧力がかかったり周囲からの評価が下がったりするという体質がある。もちろん問題を未然に防ぐことが一番重要であるが、そのことが「問題が起こっても問題そのものが存在しないかのように振る舞う」という極端な方向へと進んでいる。
そのため上層部がもみ消しを図った末に被害者を傷つけて事態を悪化させるということは、今までの事件でも多くみられているものである。もみ消しを図るためには、必然的に加害者や学校の責任を不問・曖昧にして被害者への誠実な対処を怠るということである。それだけにとどまらず、学校や教育委員会が先頭となって、被害者の悪口を広めるというケースも多くある。学校や教育委員会は本来なら「変な教師に無法行為をされて学校が混乱に追い込まれた被害者」でもあり、被害者と連携する立場をとれば早期に円満解決のはずだが、ほとんどの場合そういうことには決してならない。学校の混乱は加害者の無法行為が発端であるにもかかわらず、逆に被害者を「学校の混乱の元凶」と描くのである。
すなわち結果的に、教育委員会は加害者の味方となる。今回の事件でも福岡市は、単に「もみ消せないほど悪質だった」というだけで、実質的には加害者教師・林田真二の味方となり、被害を実際よりも小さく認定している。
しかも事件のあった福岡市は、教師の暴力事件関係では加害者の悪質さも際だち、また加害者擁護・被害者への嫌がらせ・教育委員会のもみ消し傾向も他県よりも際だって強い地域である(福岡市だけでなく、福岡県や北九州市でもそうだが…)。教師が悪質な暴力やいじめ行為を加えても無罪放免だったりするのが福岡という土地柄である。そんな土地柄でも「停職6ヶ月相当」と認定せざるを得なかったのは、決して「被害者に追従した」からではない。林田の行為がそれだけ悪質だったことの証明である。他地域ならば即懲戒免職ものであろう。
すなわち、保護者の無理難題を拒否できない学校現場や教育委員会
(紹介文)としている、『でっち上げ-』なる書籍は、林田本人やライター・支持者の妄想に過ぎず、全くのでたらめである。
学校や教育委員会が拒否できない無理難題は、「クレーマー保護者」からのものではない。本当の意味でのクレーマーであろうが善意の保護者であろうが、不都合なことはすべてをクレーマー呼ばわりして全力でつぶすのが、多くの学校や教育委員会のやり方である。むしろ無法行為をおこなった教師からの逆恨み抗議、すなわちクレーマー教師からの無理難題を、学校や教育委員会は拒否できない傾向がある。暴力などの無法行為が表面化して不都合になると「労働問題」や「教師への人権問題」にすり替えて騒ぐ教師や、教師の無法行為を無条件に肯定する教師狂信者の存在が、教育委員会が事なかれの対応をして、この手の無法教師を野放しにしてつけあがらせる一因となる。
書籍紹介では、子供は善、教師は悪という単純な二元論的思考に陥り、550人もの大弁護団を結成した人権派弁護士
なる表現もみられる。書籍の中でも同様の内容が繰り返されている。下品すぎる上に、内容も失笑ものであることはいうまでもない。
「単純な二元論的思考に陥」っているのは、林田真二自身とその信者にほかならない。「教師は善で子どもは悪」という二元論に自分自身が陥っているからこそ、その思考回路の枠から抜け出せずに、自分の行為を投影しているだけに過ぎない。「教師のやることなすことには、たとえ無法行為でもおとなしく従え」などと傲慢不遜なことを思っているからこそ、このような悪態しかつけないのであろう。
だいたい、弁護士もまともにものを考える人の方が多いからこそ、550人もの大弁護団になったのだろう。普通の人は「二元論」ではなく、「事実かどうか」を基準にして考えている。事実を精査した結果、被害状況は客観的事実で(むしろ明らかになっていることよりもひどい被害を受けている!)、林田が嘘をついていることが(「教師は善で子どもは悪」という二元論を盲信している狂信者以外の)誰の目にも明らかになっているからこそ、大弁護団がついたのである。
仮に「うそつき保護者・クレーマー親のでっち上げ」が正しいのなら、弁護士も不審に思って引き受けないに決まっているし、引き受けても「法律上誰かが引き受けなければならない」という義務感からくる人だけであろう。しかし現実は正反対である。
林田が正しければ、林田の方に大弁護団がついてもおかしくないが、そんなことは現実にはない。確かにどんな極悪人でも弁護士をつける権利があるので、林田にも弁護士がつくことは否定しない。林田にも実際に弁護士が付いているようだが、林田の代理弁護士は「法律上誰かが引き受けるもの」以上のものではない。
「すぐに騒いで教師を悪者にするマスコミ」(書籍紹介文)などというのは、学校関係の事件の際、加害者がつく悪態の定番である。いじめ事件や教師の暴力事件が発覚した際、必ずといっていいほど加害者側はこういう悪態をつく。(拙稿「学校事件:被害者攻撃のメカニズム」も参照)
しかしこれは、いつものことながら、単に「自分にとって不都合なことをばらされたことを逆恨みしている」だけに過ぎない。文句があるのなら最初から問題行動を起こさなければいいだけである。またそもそも、学校関連の事件に関するマスコミの事件報道は、生々しさを避けるためか、実際に起こったことよりも被害を小さく報じる傾向がある。下手をすれば、加害者側を擁護するような報道すらされることもある。
加害者側がよく言うような「マスコミがあることないこと大げさに言い立てて学校攻撃・教師攻撃をおこなう」などというのは妄想である。ということは、加害者にとってはむしろ、悪事の本質的な内容をばらされなくて済んだと感謝すべきものである。被害者が「報道内容は不十分」「加害者とマスコミが結託している」などと不満を持つのなら話はわかるが、加害者が悪態をつくような性質のものではない。
この事件に関しては「悪者にする」も何も、林田真二が実際に悪事をはたらいているのだから仕方ないだろう。林田の行為は世間的には絶対に通じない悪事であることはいうまでもない。悪事をばらされて逆恨みするのなら、最初からしなければいいだけのことである。「人の嫌がることはしてはいけない」というような小学生でもわかるようなことを、小学生を指導することが仕事内容の小学校教師が全く理解していないというのは重大な問題である。また、自分のしたことが正しいと思っているのならば、道義的問題は別として「人種差別的児童いじめをおこなったが何が悪い?」とでも公然と宣言したほうがよほどましである。それができずに事実関係そのものを「でっち上げ」かのように描いている林田の態度そのものからも、林田の行為の無法性・反社会性について林田自身が認識しているという証拠である。
まじめに働いている良心的な教師にとっても、林田真二のような異常な同業者の存在は迷惑きわまりないものである。このような異常者を世間にあぶり出すことは、良心的な教師にとっては攻撃でも何でもなく、むしろ自分たちの教育条件や労働条件を良くすることにつながる。
また別の角度からみると、事実無根のデマをマスコミの力で全国的に振りまいたのは、『でっち上げ-』なる書籍である。これこそ、マスコミによる被害者親子への報道被害であることはいうまでもない。林田本人やその信者は、マスコミ批判などとなんだかんだと偉そうにいっていても、結局は自分たちがマスコミと結託して報道被害を与えているのである。換言すると林田の信者は、「自分たちは客観的にものを考えている。報道はうそで、被害児童に同調するものは思考力がなく報道に踊らされているだけの愚民」かのように位置づけているが、実際は「事実関係を調べることなしに林田の主張を盲信し、林田に都合の良いマスコミ報道に踊らされている」のである。「マスコミ報道に踊らされている愚民」という形容は、この書籍を盲信するものにこそ該当する。
またこのような書籍を盲信した連中については、「自分が気に入らないマスコミ報道はうそだと言い立てるが、自分が気に入った『でっち上げ-』なる書籍ひとつだけを、すなわち都合の良いマスコミ報道を、無条件に盲信している」という、きわめて恣意的な態度である。林田信者や書籍信者の態度は、なんだかんだいっても、このような書籍を盲信している連中が敵に仕立て上げている「人権派」(ただし、人権派の表現を侮蔑的に使用する連中のイメージするところの「自分たちの主張が絶対的真理で、自分たちの主張を受け入れない人間に対しては徹底的に人権侵害をおこなっても意に介さない」「自分たちの人権だけは主張するが、他人への人権侵害は平気」という使用法での)の態度そのものである。
そこには、事実を精査するという態度はみじんもない。事実を精査すれば、被害者親子の主張が正しく、林田の主張は矛盾だらけの大嘘であることは、容易にわかることである。
書籍紹介では被害者を救うヒロイズムに酔った精神科医
と悪態をついている。しかしそもそも、医師が病人を診断して治療する・「被害者(=患者)を救う」のは当然の行為である。しかしこの著書のように、明らかに揶揄的・侮蔑的な意図を持った悪罵ととれる文脈でヒロイズムというのは、被害児童を診断した医師個人だけではなく、医師全体への侮辱であろう。
また、児童のPTSDの診断について、林田側は「医師のでっち上げ」としているようである。しかし、林田の態度はきわめて矛盾したものである。
診断がでっち上げだと主張しているということは、医師が診断書を偽造したと主張していることになる。偽造が本当ならば、医師は罪に問われることになる。だが林田は、医師の診断はうそだと言い立てるわりには、医師に対して刑事告発などの措置をとっていない。うそだと言い張り、テレビの取材に答えたり変な書籍を出したりする暇があるのなら、医師を刑事告発しても良さそうなものだが。
なぜ医師を告発できないのか。理由はきわめて簡単である。「診断がでっち上げ」という主張こそが単なるその場限りの思いつきのうそで、でたらめだからである。うその刑事告発をすれば、当然のことながら林田自身が罪に問われることになる。だから医師を刑事告発するなど最初からできるはずもないことは、火を見るよりも明らかである。
以上みてきたように、林田真二の主張は荒唐無稽きわまりないものである。しかしそれでも、そんな荒唐無稽な主張を盲信する手合いも多く出ている。
こういった盲信する手合いは、おおむね以下の予断と偏見・固定観念を持っている。
「だめだこりゃ」としかいいようがないような手合いであるが、実際にこの手の手合いは、いじめや「体罰」など学校での問題が発生するたびに、どこでも湧いてでてくるものである。本来ならばばかばかしすぎて相手にする価値もないものだが、この手の連中は「自分こそが客観的事実の体現者」と思いこんで、被害者へ嫌がらせを加えるのも「社会正義」と思いこんでいるから、余計にたちが悪い。
この手の連中に支えられれば、無法教師がさらにつけあがるのも必然的であろう。『でっち上げ-』なる書籍の著者・福田某なる者も、林田真二本人のペンネームではなく別人ならば、根本的にはこの手の悪意を持った手合いだろう。またこの書籍を出版することで、潜在的なこの手の手合いを呼び起こす「効果」も狙ったのであろう。
林田の主張を盲信する手合いについては、いくら事実を対置しても感情的になって「気に入らない内容はたとえ事実でも信じない」の一言で済ませるような手合いなので、どうしようもない。そういった手合いこそ、『でっちあげ-』の表現を借りると、事実に反して林田を「冤罪被害者」認定して、その虚構の上に「冤罪被害者を救う」という間違ったヒロイズムに酔っているという形容がぴったりだろう。
問題は「信じるかどうか」ではなく「事実かどうか」である。信じる・信じない以前に、事実に基づいて判断すべきである。
事実を精査すれば、林田が人種差別的児童いじめをおこなった結果、被害者が被害に遭っているというのは事実であることは論を待たない。先入観なしに事実を精査すると、被害者親子の言い分が正しく林田が大嘘をついているのは自明なので、当サイトとしては結果的に被害者親子を支持することになる。
冤罪でも何でもないものを冤罪呼ばわりすることは、何よりも「でっち上げをおこなって林田を陥れた」という事実無根の内容を広められるという濡れ衣・冤罪の被害にあった、被害者親子をさらに傷つけるものである。冤罪被害者を救うというのなら、悪質な暴行・虐待を受けた上、被害の事実を訴えるとさらに「でっちあげ」呼ばわりされるという冤罪まで受けた被害者親子を、冤罪被害者として救わなければならないだろう。
しかし、「どっちが事実なのか」と疑問に思う善意の人が出てくることも否定できない。「どっちが事実なのか」と疑問に思う人が出れば、その分客観的事実から引き離されることになるので、結果的に林田にとっては有利になる。
『でっち上げ-』なる書籍に言及しているブログがいくつかあるが、ネット検索でブログ内容をみたところ、書籍の内容を盲信して被害者親子への悪質な攻撃をおこなう卑劣な連中と、「この書籍も結局林田側の言い分だけ。この書籍がしていることは、批判しているはずのマスコミ報道の裏返しに過ぎない。どっちが事実かわからない」などとしているのが半々という状況になっている。当サイトとしては、この問題に関する事件発生当時からの資料も調査しているので、「林田の言い分はうそ」と判断しているが。
「被害者が悪い」という印象が広がれば、林田にとっては万々歳だろう。そこまでいかなくとも、少なくとも「どっちもどっち」「どっちが事実なのかわからない」という印象が広がることでも、林田にとっては有利になるだろう。だが問題は、「林田のうそを信じるかどうか」ではなく、「林田の無法行為の事実」であることはいうまでもない。
また、控訴審の審理が続いている最中にこのような書籍を出版したことは、「被害者が悪い」もしくは「どっちもどっち」「どっちが事実なのかわからない」という心証を裁判官に与え、裁判の方向性に悪影響を与えて不当判決を引き出そうとすることを狙っているとも推測される。
以上みてきたように、林田真二の主張は荒唐無稽きわまりないものである。また林田の主張を鵜呑みにした『でっち上げ-』なる書籍で被害者親子にマスコミ被害を与えたということも、悪質さに拍車をかけている。
林田真二の無法行為について、控訴審判決で全面的に認定されることを強く願う。また『でっち上げ-』なる書籍については、絶版などのしかるべき措置がとられるべきであろう。林田真二は教職に居座り続け、停職処分に不服申立をした上、2006年度から福岡市早良区の市立小学校に復職したと報じられているが、このような教師は即刻退職すべきであることはいうまでもない。
また福岡市は、裁判での賠償金や裁判にかかった諸費用を林田真二に請求し、また林田が起こしている処分不当の申立は早急に却下すべきである。