世界経済
The world economy
インフレの再燃
Inflation's back
(2008年5月22日)
2けたインフレが世界人口の3分の2を苦しめようとしている
かつてロナルド・レーガン米大統領はインフレを「辻強盗のように凶暴で、武装強盗のように怖く、殺し屋のように恐ろしいもの」と表現したことがある。つい最近まで各国中央銀行幹部はインフレという凶悪犯を「終身、閉じ込めに成功した」と思っていた。近年、適切な金融政策のおかげでインフレは世界的に抑制されていた。しかしこの「凶悪犯」は獲物を求めて戻ってきた。
米国が景気後退に向かい、他の先進国の経済成長が鈍化するなか、インフレが頭をもたげてきている。今週ジャンクロード・トリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁は、インフレが放置されて経済成長が著しく阻害された1970年代の過ちを繰り返さぬよう警告を発した。同総裁の発言は先進各国の中央銀行に向けられたものだったが、これに最も耳を傾けなければならないのは新興諸国の政策立案者だ。中国、インド、インドネシアやサウジアラビアでは、たいていは疑わしい政府統計で見ても、ここ1年で物価が8〜10%上昇したことを示している。ロシアでは上昇率が14%、アルゼンチンでは23%、またベネズエラでは29%となっている。こうした数字を正確に計算すると、おそらく世界人口の3分の2が今年の夏、2けたインフレの被害を受けることになる。
歓迎されざる1970年代の再来
全体的に見て(また各国政府の統計を使うと)、世界の平均インフレ率は1999年以来最も高い5.5%に達している。最大の原因は、食料価格と今週一時バレル135ドル値をつけた原油価格の急騰だ。しかしトリシェ総裁の懸念は、1970年代のように消費者物価指数の上昇がインフレ期待を強め、さらなる賃上げ要求を生み、賃金と物価の悪循環を招くことだ。当時の各国中央銀行の失敗は金融を緩和し過ぎたことで、そのため原油価格の高騰が急速に他の物価に波及していった。従って、現在世界の金融政策が1970年代以来、最も緩和的なのが気になる。世界の平均実質金利はマイナスになっている。
インフレが加速している時に数回の利下げを行った連邦準備制度理事会(FRB)は新たなインフレ時代の種をまいてしまったのだろうか? これは先進諸国では証明が難しいようだ。米国のインフレ率3.9%やユーロ圏のインフレ率3.3%は双方の中央銀行が容認できる水準をはるかに超えるもので、インフレ期待は増大している。ユーロ圏の経済成長が堅調に推移すれば、ECBは当然さらにインフレを警戒すべきだろう。しかし現在までのところ、先進諸国では食料と原油の高騰が他の物価を押し上げている兆しはほとんど見られない。賃金は比較的低めに抑えられており、コア・インフレ率(食料とエネルギーを除く)は1年前からほとんど上がっていない。さらに米国と欧州の経済成長は来年ごろまで傾向線を下回り失業率が上昇すると思われるので、こうした状況が賃上げを抑える要因になるだろう。米国の消費者マインドはここ28年間で最低値まで落ち込んでいるので、今後の消費減退が予想される。これにより企業の経費削減や賃上げ抑制が促進されるだろう。
新興国の状況はまったく異なっている。食料が消費者物価指数に占める割合が先進国より大きい事情もあり、物価高騰はさらに早いペースで進行している。しかし賃金上昇(ロシアでは年間30%近く)やコア・インフレ率も加速している。インフレがより根を下しやすいこうした諸国の多くでは経済はほぼフル稼働している。
今日の新興諸国と、「大インフレ」が発生した1970年代の先進国の間には警戒すべき類似性がある。新興諸国の多くの政策立案者はインフレ上昇を短期的な供給ショックと見ているので利上げの必要性をあまり感じていない。むしろ彼らは物価の高騰を抑えるのに物価統制や補助金を利用している。マネー・サプライは先進国に比べ3倍近いペースで増加している。多くの中央銀行がまだ完全に独立していない。さらにインフレ期待に適切な歯止めがないため、賃金と物価の悪循環発生のリスクが増大している。新興諸国は「辻強盗」を家に招き入れているようなものだ。
後ろに気をつけて
高まるインフレの原因は、近年の世界経済に見られる現象の多くと同様に、先進国と新興国間のますます複雑化する関係によってある程度説明できる。新興国も米国の住宅と金融バブルの責任の一端を担った。一部のアジア諸国と湾岸の石油輸出国では莫大な経常収支の黒字が続いており、彼らは自国通貨の切り上げを回避するため外貨(ほとんどが米国債)をため込んだ。これが債券利回りを下押しした。同時に中国などからの安い輸入品により先進各国の中央銀行は、短期金利を従来よりも低水準に維持しつつインフレを抑制することができた。低利の資金が米国のバブルに油をそそいだ。
このバブルがはじけた今、国際的な金融刺激策は方向を転換した。FRBの利下げに伴い、ドルに自国通貨を連動させている新興諸国は、自国経済が過熱しているにもかかわらず、さらに金融を緩和せざるをえなかった。自国通貨をドルに最も密接に連動させている新興諸国――特にアジアや湾岸の――は最も激しい物価高騰に見舞われている。為替レートをより柔軟に運用し、インフレ目標維持により注力しているメキシコなどでは状況はそれほど悪くない。
FRBの金利は米国経済にとって適切なものだとしても、世界の金利は低すぎる。その結果、新興諸国における不当な需要刺激策がさらに物価を押し上げ、またこれら諸国における外貨準備高の増加で債券利回りが低迷しているために投資家が債券よりも高い収益性を求めて投機買いに走っているのも物価上昇の一因となっている。これが米国や欧州のインフレを助長し、先進各国中央銀行による金融政策の舵取りを難しくしている。
米国の金融緩和と新興国の硬直的な為替レートは危険な取り合わせだ。新興諸国が通貨の切り上げを遅らせれば遅らせるほど、世界的インフレ上昇の危険は増大する。もちろん通貨切り上げは新興国にとって一部の評論家が言うほど単純な療法ではない。利上げと通貨切り上げ期待は関係者の意図に反して、より多額の資金を取り込んでインフレを増長させる可能性もあるし、為替レートの自由化は極度の過大評価を引き起こすリスクを生む。しかし経済的連続殺人犯ともいえるインフレが野放しになったため、これら諸国はいずれ金融引き締めと通貨切り上げを迫られそうだ。