「「党幹部はチベットを去れ」 胡曜邦
少数民族問題直視したただ一人の総書記
少数民族政策の過酷な現実に立ち向かった人がいる。胡耀邦だった。
1980年2月、党総書記に就いた胡耀邦は、その3カ月後にはチベットに入った。現地を目の当たりにした彼は、その惨状に呆然としたという。漢族入植政策によるチベット文化の破壊と、チベット人の貧窮する姿が眼前にあった。胡耀邦は、その日夜、宿所の窓からポタラ宮の方を眺め瞑目したという。
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1986年2月、貴州省黔西南(けんせいなん)の布依族(フイぞく)苗族(ミャオぞく)自治州を視察した胡曜邦総書記(当時)。写真中央は、胡錦濤現主席=胡曜邦資料情報ネット |
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「人知れずチベットに謝罪したのでしょう。共産主義者としての矜持がそうさせたのか。胡耀邦自身の良心がそうさせたのか。おそらく両方でしょう」
95年、吉林省で出会ったある放送局の記者が言った。彼女は、「胡耀邦は延辺に対してもそうだった」と語った。
文革のさなか、江青から「民族主義者」と批判され非業の死を遂げた延辺朝鮮族自治州主席・朱徳海にまつわる話だった。文革後、朝鮮族が朱徳海の死を悼み、延辺市内の公園に記念碑を建てたときのことだ。
「文革の嵐はやんでいたというのに、党は記念碑を取り壊しました。朱徳海の名誉を回復したのは胡耀邦でした。今でもはっきりと覚えています。84年5月12日でした。胡耀邦が延辺大学を視察した際、朱徳海記念館を建設せよと吉林省党幹部たちに命じたのです。彼は記念碑が破壊されたことを朝鮮族に謝罪し、現地党幹部らに対しては烈火のごとく怒ったと言います」
チベットに赴いた胡耀邦が5月29日に共産党幹部らを集めて行った演説が残っている。
「我々の党がチベットの人民の期待を裏切ったのだ」と始まるその演説は、並み居る幹部たちを青ざめさせたという。
「チベット人民の生活に明らかな向上が見られないことに、我々は責任を負うべきだ。…まず、自治権の完全な行使が認められるべきだということだ。自治権とは自己決定の権利である。その自治権がなければ、現地の状況に合った政策を実施することはできない。生産工作隊が自己決定の権利を有していることを、我々は今しがた確認したではないか。われわれは皆、自己決定の権利を持っている。われわれは皆、個人的な趣味に耽る権利を有しているのだ」
愕然とうなだれる党幹部たちに、胡耀邦はさらに、「多数の党幹部はチベットから引き上げよ」と促した。
少数民族地域に「自治権の完全なる行使」を認める法は胡耀邦の手によって1984年5月に成立した。胡耀邦が真っ先に打った手は、チベット自治区書記に、チベット系のイ族(涼山彝)伍華精を任命したことだった。伍華精はチベットの宗教と自由を理解し重視した。「ラマ書記」と人々から呼ばれた。
周知のように、胡耀邦は1987年1月、総書記を解任される。政治的致命傷を負ったことの一つに「少数民族政策の誤り」があったとされた。
胡耀邦の失脚でチベットの時間の針は激しく逆回りした。胡耀邦解任に怒る僧侶たちの漢民族支配への抗議行動が波状的に起こる中、伍華精もまた更迭され、替わって書記に就いた胡錦濤が、89年の「ラサ暴動」へと発展する抗議行動を全力で鎮圧し、これを功績として総書記、国家主席の地位へと上りつめていく。
チベットの人々に限らず、多くの少数民族は今も、事あるごとに胡耀邦を親しみと敬愛をこめ思い出す。「彼の言葉と涙にだけはうそはなかった」と。
中国の指導者で少数民族問題を直視したのは胡耀邦をおいてほかにいない。
今も、12億人の漢族の中で、チベットへの同情の声をあげる人はほとんどない。伝えられる限りで言えば、中国政府に抗議を表明したのは評論家の劉暁波や作家の王力ら30人ほどだけだ。
89年のラサ暴動直後にチベットを取材したジャーナリストの竹内正右は次のように書いた。
「ラサの寺院内を手をつないで見学する兵士たちはあの文革下、先輩の兵士たちがチベットの寺院や仏像を破壊したことなど微塵も知らぬ気である。文革後に生まれた若い人民軍兵士たちにとって、このチベットは生まれた時から自分たちのもの、としか映らないのかも知れない」
竹内が毎日新聞(90年6月30日)に寄せたこの短いルポは、おそらくそれまでのどの記事より多くの人の目を惹いた。末文にはこう書かれた。
「民主化運動を担ってきた中国人学生の口からは、チベット独立擁護の積極的な言葉は聴けなかった。中国の矛盾は衝けてもチベット人の痛みは分からない、と言うのだろうか。中国人青年に広い心を期待する私が悠長なのか」
民主化を目指したはずの中国人学生の多くが、チベット騒乱のさなか、「民主化は愛国的行動で、チベット支持は祖国分裂行為」だと叫んだ。このことこそが中国の危機的状況なのかもしれない。問われているのはチベット人の「暴動」ではないことは確かだ。
中国政府はダライ・ラマとの対話に応じるという。北京五輪を無事乗り切るための方便なのか。中国の意図は五輪閉幕後に分かるはずだ。(了)
(編集委員 梁基述)
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