夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。単身赴任は解消し現在は夫と同居。







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2008年05月26日 /  profession

米倉先生の論考より

戸籍時報5月号「法科大学院雑記帳」に実にもっともなご指摘があったので、そのまま引用させていただく。(引用については許可すみ)
今回の表題は「法科大学院に入ってほしくない人」

「このような人は…試験でカンニングをする医ことや、レポート提出を他人による代作・他人のレポートの引き写しで済ませること…を当然のことのように平然と行う。…このような人が将来の志望は裁判官だとぬけぬけと公言するに至っては二の句が継げないし、同時に、その野望をどうあってもそししないといけないと、私は思ってしまう。このような人は、教員にごく普通の形で注意されただけでも逆上し、その教員を「アカ・ハラ」呼ばわりして当局に駆け込んだりする。」
(p125−6)


「(i)過敏症型 この型の人が法科大学院に入学すると、例えば、教室で教員から誤りをごく普通の形で指摘されたり、レポート作成上の注意を受けたり(例えば出典明示の注意。アメリカの大学では出典を明示しない論文を提示して退学処分を受けた学生があるとのことである。外山滋比古『文章を書くヒント』PHP文庫、58ページ参照)しただけで逆上(過敏に反応)し、その教員にかみつき、授業進行を妨げる挙に出たり、法科大学院に対して「アカ・ハラ」の申立をしたりする。教員としては、これではうっかり注意もできない。この型の人は自分を何様だと思い上がっているのだろうか。
といっても、入学時にはわからないから入学させるしかないが、入学後は、法科大学院としては放置することなく、頭を冷やさせるために停学・退学処分をすべきである。だれよりも他の学生が迷惑だからである。」(p131)

ちなみに米倉先生は、ご自分の授業を断りなく録音した学生をけしからん著作権侵害行為だとおっしゃっていた。


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2008年04月28日 /  profession

環境変化

引越などで忙しく更新できなかったのだが、4月から他の大学に転職し、久しぶりに夫とも同居している。今度の職場は法科大学院ではない。

理由は、昨年10月17日のエントリーでも書いた(そろそろいいだろう、というのはそういう意味である)ように法科大学院制度への疑問があり、批判する論文も発表しているのに、その片棒を担いでいるのが嫌になったこと、そして前任校の文科省への設置申請書における虚偽申請という前代未聞の不祥事を起こすような体質が改まるどころかますます悪化していることである。

現在の大学への採用が正式に決定(公募で倍率は200倍以上だった)したのは昨年の6月だったが、当該大学から前任校への割愛願いは秋に出してもらうように依頼していた。

というのも、このブログでも書いたことがあるが、2003年に、翌4月から他大学に移ると早めに告知した教員二人が、教授会出席や講義を取り上げられるという嫌がらせをされ、3月までいるつもりだったのに12月にやめさせられるという事件を赴任したばかりの頃につぶさに見ていたからである。

それでもひどい嫌がらせをされたのだが(いずれ活字で発表する予定。恩師からも法曹を養成する機関にあるまじきこのような事件は広く世に知らしめるべきだといわれた。発表すれば私を陥れようとした方の恥・職業不適格になることはもちろんである。無責任な噂に振り回されないでほしい。)

ちなみに今回辞めたのは私一人ではなく、特任教授・弁護士教授以外の常勤教員のうちの4分の1が辞めたのである。

不祥事をリークしたと疑われたことにより前任校で受けた非人道的な嫌がらせの数々がフラッシュバックのように蘇って苦しいことも今だにある。悪い夢だと思って一日も早く忘れたい。前任校への興味からこのブログを読んでいる人は、もう関係ないのでほっておいていただきたい。

まだ新しい職場環境に慣れていないが、研究・教育への取り組み姿勢が意欲的でまともだし、人間関係はすこぶる良い。
やっとまともに仕事ができそうである。
今は6月の学会発表の準備に追われている。

何より久しぶりに毎日夫と一緒にいられるのがうれしい。


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2007年10月31日 /  profession

焚書坑儒

「古畑任三郎」の第一回。ノルウェイの森。れいこ。ガリレオの内海薫、金八先生(5)。すいか。加藤夏希。脱北。


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2007年10月25日 /  読書

反転 −闇社会の守護神と呼ばれてー

田中森一の標題の著書を読んだ。

まず、バブル前後の政財界をめぐる事件の真相や裏側が赤裸々に描かれているのが、臨場感があって大変面白かった。
1987年にバブルの恩恵を最大限に受けた信託銀行に入社した私も、渦中で経験していたことだったので。

また、特捜検事の仕事のノウハウが、裏をかくことにより、そのまま裏社会の依頼人のために使えるということも非常に面白かった。しかし、人間である以上、価値判断に従って動くべきで、その法知識を、どちらのために使うかということは重大な問題である。

実は、田中氏をモデルにしたかのようなドラマ「ある日、嵐のように」を2001年にNHKでやっていて(マキノノゾミ脚本)、佐藤浩市が、辣腕特捜検事から裏社会の代理人弁護士に転じるという設定だったし、香川照之(前はこんな役ばっかりだったのよね)が、転落するIT社長を演じていて、ホリエモン事件を予言していてすごいなと最近の再放送を見て思ったのだが。

ヤクザと警察は紙一重というが、実際、その論理は、寄って立つ基盤が法かそうでないかだけで、大して違いはないのかもしれない。

とくに、組織の論理が絶対で、仁義をきるとか、筋を通すとか、裏切り者は許さないとか、そういうことは共通している。

田中氏が弁護士になってからしたことは、もちろん非難に値することもあるだろうが、摘発されたのが、検察出身でありながら検察の裏をかき、妨害することへのっ見せしめという要素があるならば、それは、正義よりも組織の論理を優先することになり,
やはり、法の番人として、あるべき姿ではないと思う。

上告審の行方を注視したい。


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2007年10月23日 /  profession

Reunion

今月末にHarvard Law SchoolでReunionがあるので、毎週のように誘いと寄付のお願いが郵便で届く。
(もちろん、講義があるので出席できるわけがない)

プチ同窓会なら、海外の同級生が東京に来た時食事したり、今年もモンゴルやインドネシアに出張に行った際に、弁護士や中央銀行勤めの同級生と15年ぶりに再会したり、やっているから。

ニュースレターや寄付のお願いは前からしょっちゅう来ているが、申し訳ないが、一度も寄付したことがない。

Harvard の同窓会(Harvard Square近くのビルに専用の事務所まである)から年に一回プロフィールを更新する用紙が来るのだが、該当欄にチェックを入れるようになっている年収レンジを見ると、「10万ドル以下」が一番下のレンジになっているので、寄付なんておこがましくて、という感じである。


OxfordからもUniversity とCollegeの両方から頻繁にくるが、こちらはすごく手作り感が強くて、とくにCollegeの同窓会誌は、近況を書くと載せてくれる。
恩師の訃報を知らせてくれたのもこのCollegeのネットワークだったな。

香港大学は同窓会誌は1年にいっぺんくらいだが、メールでシンポジウムや講演会のお知らせなどはしょっちゅう来る。昨年は、依頼されて私自身も講演した。

東大も、法人化してからはやはり随分熱心に同窓会誌やら寄付のお願いやらを送ってくる。11月10日は、何回目かのホームカミングデイという公開大規模同窓会をやるらしい。

別の国立大学の教員になって初めて、予算、設備等あらゆる面で東大がどんなに特別扱いされているか思い知った。卒業生の中では確実に貧乏な方に入る私などに寄付を頼まなくてもいいだろう、と思う。


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2007年10月17日 /  profession

英米と比較した日本の法学教育・新司法試験制度について

去年雑誌に発表して、複数の弁護士の方から反響をいただいた論考だが、自分もその片棒を担いでいる制度について批判することになるので、掲載をためらっていた。しかし、そろそろこちらでも発表しようと思う。

裁判員について書いたおととしのエントリーもここにもう一度貼っておく。
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=2c281cde9768e584ea315a5ff12b3efd


一、はじめに
司法制度改革の目玉として、2004年4月にスタートした法科大学院は、この春、2度目の卒業生を送り出したところである。
私は、地方の国立大学の法科大学院で民法、英米法等を教えている者であり、現場の教員として思うところはたくさんあるが、本稿では、ニューヨーク州弁護士資格をもち、10年以上の企業法務経験を有し、日本だけでなく、米国、英国、香港で法学を勉強した経験から、それらと比較して、この新法曹養成制度をどのように評価すべきかについて考えてみることにする。

二、法学教育
まず、法学教育については、甲:学部(Undergraduate level)型と乙:大学院(Graduate School)型に分けることができる。
1.米国
米国は完全な乙型であり、学部レベルには法学部がない。医学も同様である。法学も医学も、4年生大学を卒業し、学士号(Bachelor)を取得した者が、Professional SchoolであるLaw School やMedical Schoolに進学して初めて学ぶことになっている。
加えて、米国の学部教育は、日本の教養学部に近いものである。というのも、取得できる学士号の名称も、文系がBA(Bachelor of Arts)、理系が BS(Bachelor of Science)という大雑把なもので、そもそも、大学には経済学部や理学部等の学部があるが、それは、あくまで教職員の属する組織に過ぎず、学生がどこか特定の学部に所属するということはない。ただ、それぞれの専攻により、卒業するための必要単位が決まっているので、その必要単位を取ればいいことになる。たまに、「double majorで、歴史学と心理学を専攻しました」という人がいるのも、歴史学と心理学それぞれに必要な単位を全部取ったという意味である。日本語で肩書きを表すとき「Harvard大学経済学部卒」等とやむなく表記するが、その人が経済学部に所属していたわけではない。

そして、法曹を目指す学士がロー・スクールに入学するわけだが、一般的には3年間の課程で、卒業するとJD(Juris Doctor)という称号を得ることになる。日本の法務博士はこのJDの直訳と思われるが、そのおかしい点については後述する。
ちなみに、JDの上の課程として、修士課程に当たるLL.M.(Master of Laws)がある。日本人が留学するのはほとんどこのコースであり、1年間の課程である。実は、LL.M.コースを持っているロー・スクール自体がそんなに多くないが、Harvardのように、LL.M.コースが一つしかないロー・スクールと、NYU(New York University)のように、LL.M. in Taxation, LL.M. in Corporate Finance等、特化したLL.M.コースをもっているロー・スクールがある。後者の専門的なLL.M.コースには米国人学生(といっても弁護士が主)が多数いるが、前者の一般的なLL.M.コースの学生はほとんど外国人である。
LL.M.の上には、博士課程にあたるS.J.D.コースがあるが、この課程の学生もほとんど外国人である。
つまり、英国や日本と違って、米国人向け研究者養成コースというものが、法律学についてはないということになる。実際に、ロー・スクールで教鞭をとる教授の90%以上が、JDの学位しかもっていず、LL.M.やS.J.D.をもっているのは、法哲学や外国法の専門家が多い。そのかわり、教授のほとんどが、法曹実務の経験を有するだけでなく、教鞭をとりながら弁護士として活動している例も珍しくなかった。私がHarvard Law Schoolに留学していた頃は、ある有名教授が弁護士として扱った事件を元に書いた小説がハリウッドで映画化され、休講にすると「ハリウッドに行っているのでは」とjokeをいわれていたし、私が会社法を教わった教授は、国際仲裁人として度々海外出張しておられた。

2.英国
これに対して、英国は、甲型であり、学部レベルに法学部がある。法学専攻の学生は法学部に所属することになる。米国と反対に、早くから専門教育が進んでおり、高校卒業資格を得るための試験をAレベルというが、このAレベルの段階で既に、受験する大学に要求される課目しか受験しないし、高校でもその課目中心にしか勉強しない。そして、その試験の成績によってどの大学に進学できるかが決まるのである。日本の大学の一般教養が高校から始まっているのに近い。そのため、法学部ははじめから法学教育しか行わず、3年間の課程である。
その上にある修士課程、博士課程は、もちろん、英国人が多数を占める研究者養成機関であり、法学部の教授の多くは、修士以上の学位を持った人がほとんどである。

3.日本
日本は、米国のロースクールをモデルにした法科大学院制度を作りながら、法学部を残したので、甲型と乙型の折衷形態といえるであろう。

三、法曹資格取得制度
法曹資格取得制度には、大きく分けて、A:一発試験型(原則的に一定の試験に合格すればよい)、B:修了型(一定の法学教育課程を修了すればよい)、C:混合型(AとBを組み合わせたもの)の3種類がある。

1.日本の旧制度
日本の旧司法試験制度は、Aタイプである。
択一試験は実は二次試験であり、大学で一定の単位をとると、一次試験が免除されるというだけである。一次試験から受けるなら、大学を卒業する必要すらない。(ドラマ『Hero』の木村拓哉演じた高校中退の検事は、一次試験から受験したという設定だろうと推測する)

2.英国
英国では、法学士を取得した者が出願してLPC(law Professional Course)という法律専門学校(全英で数校しかない。ちなみに、法学部のある大学が運営するアカデミックな機関でなく、まさに専門学校という位置づけである)に入学(合否は主に法学士取得時の成績で判断される)し、1年間の課程(夜間だと2年間)を無事修了すると自動的に見習弁護士になり、(ここでは、法廷弁護士であるバリスタでなく、事務弁護士であるソリシタを取り上げる)2年間いずれかの法律事務所で見習をすれば弁護士資格が取得できるので、典型的なBタイプといえるであろう。
ちなみに、法学部出身でない者にも道は開かれており、法学士号(LL.B.)は夜間コースや遠隔地教育でも取得できる。遠隔地教育とは、香港やシンガポールで行われているもので、ロンドン大学等の教授が替わりばんこに集中講義に来てくれ、夜間に開講されているので、働きながら、何年かかかって必要な単位(英国の資格のためには憲法、刑法、契約法、不法行為法、信託法、EU法、香港の資格の場合、EU法の替わりに会社法)をそろえてLL.B.を取得し、その成績がよければLPC(香港ではCPLLという)コースに進学できる。さらに、CPE(Common Professional Course)という、LL.B.よりも簡単な課程の修了によっても成績次第ではLPCに進学できる。
私の香港大学大学院時代の同級生の弁護士テレサは、元会計士で、働きながらCPEをとって弁護士になった。また、友人の香港人の高校の生物教師のケンは、CPEを終了して働きながらCPLLに通っている。

3.米国
そして、米国の制度は、4年制大学を卒業した者が、専門職大学院であるロー・スクールの3年間の課程(J.D.コース)を卒業すると各州の司法試験の受験資格ができ、さらにその司法試験に合格しなければならないので、Cタイプといえる。

4.日本の新制度
日本の新法曹養成制度は、この米国型に倣ったCタイプに分類できる。
しかし、私は、この制度が、日本の特殊性を軽視して米国の制度を直輸入したための弊害の目立つ制度に思えてならないので、以下にそれを検証する。

第一に、司法試験の合格率の違いである。
ある課程の修了と試験の合格を両方要件として課すならば、試験の合格率が高くないと、どうしても受験に合格することが第一目的になり、せっかく作った課程自体に学生の身が入らない。その点、米国の場合、ニューヨーク州の2005年2月の試験を例に取ると、合格率は48%(うち初回受験者の合格率は63%)と、高いので、学生はロー・スクールに在学中は受験を気にしないで安心して、実務を意識した専門的な勉強に打ち込むことができる。実際、ロー・スクールの勉強と受験勉強は全く異質のものであるが、後者は、卒業後2ヶ月ほど予備校で集中的に勉強すれば合格はさして困難ではない。
つまり、ロースクールの勉強が、後述するように、規範を発見する過程を身につけるものであるのに対して、受験勉強は、大量の規範の丸暗記である。それに第一、米国の司法試験は州ごとに実施されるから、学生は自分がpracticeするつもりの州の試験をうけるのだが、ロースクールでは特定の州の法律を勉強することはまずない。
日本の場合、来年度以降の合格率は2−3割といわれており、そのため、学生が受験のことしか考えられないという弊害を生み出しており、その要望に応えるためには、教員は、受験対策を意識した授業を行うことになるが、それは、受験教育を厳禁した文部科学省の法科大学院教育の理念に反する、というジレンマに陥る。実際、筆者を含め、多くの法科大学院教員が、「学部で教える方がずっとアカデミックな内容ができてやりがいがある」ともらしている。
予備校教育の弊害を除去するために作った制度なのに、実は、膨大な人的・物的資源を投入した法科大学院自体が予備校化せざるをえないという構造的な矛盾を内包するのである。

第二に、司法研修所の有無である。米国には司法研修所にあたるものがないので、きわめて実務的なロー・クリニックや、ドキュメンテーション技術の授業、模擬裁判などが、ロー・スクールで取り入れられている。
古い資料で恐縮だが、私が在学していた当時の1991年度のHarvard Law Schoolのカタログを見ると、2,3年生の受講する選択科目が極めて多種多様である。
行政法関係が24科目、ビジネス・ファイナンス関係が23科目、商法関係が7科目、比較法関係が25科目、国際法関係が31科目、憲法関係が31科目、刑法関係が10科目、家族法関係が9科目、連邦法関係が10科目、法哲学関係が18科目、法と文学、エイズと法等の隣接展開科目は22、法史学関係が9科目、法実践科目がクリニカルコースを入れて50あまり、専門家教育関係は12科目、地方自治体関係は10科目、財産権関係は、7科目、税法関係は18科目である。クリニカルコースだけでも、30余りあり、細分化されている。たとえば、私も選択していた隣接展開科目のDisability and Lawは、同じタイトル同じ教員のクリニカルコースが併設されており、講義で学んだことを、障害者の施設に行って即実践することができるようになっているのである。
日本では、司法研修所を残してしまったので、法科大学院での教育は中途半端なものにならざるを得ない。また、70%が法曹になれないのに、法曹になってからしか役立たないことを受験勉強より熱心にやるインセンティブを学生に求めるのは無理がある。

第三に、学部レベルの法学教育の有無である。米国には学部レベルに法学教育がないので、ロー・スクールの卒業生しか法的知識はないことになるので、法曹になる以外にも、ロー・スクールの卒業生の活躍する場はいろいろあるが、日本では、法学部を残してしまった。法科大学院卒業後5年以内に3回しか受験できない日本の新制度において、米国ほど労働市場の流動性が高くないこととあいまって、いわゆる「三振」した者の身の振り方が問題視されている。企業法務という声もあるが、企業法務を10年以上経験した筆者は、企業で法務部員としてほしい人材は、法科大学院を卒業して三振した者でなく、法学部の新卒者であると断言できる。私がときどき講師を務める企業法務家向けのセミナーで出席者の何名かに意見を聞いても同様の答えであった。企業法務において必要な法的知識はその企業ごとに違うので法学の基礎さえ身に着けておれば、あとはOJTの方が重要である。また、日本企業には儒教的ともいえる年齢と上下関係の逆転への違和感や、すべてを入社年次で区別する等の年功序列制度が色濃く残っているので、歳だけはくっている「三振」者の処遇には正直困るであろう。
そうすると、法科大学院の学生は、大学卒業後も尚、膨大な時間と資金を投資して法科大学院に行っても、70%の者が、その投資額に見合った職業に就けないということになり、きわめて危険な人生の賭けを強いることになる。さらに、それが可能な恵まれた者しか法曹になれないという危険性も生ずる。
この点も、米国では、学生向けの低金利の教育ローンが普及しているから、日本とは大きく異なる。米国ではロースクールに入学すればほとんど法曹にはなれるので、銀行も安心して貸してくれるし、名門大学ほど金利が低いという話も聞く。
そのようなファイナンス制度の整備されていない日本では、法科大学院在学中とその後の受験期間計5-6年を勉強だけに充てられるというのは、一部の恵まれた人たちだけではないだろうか。その後必ず法曹になれるとは限らないというopportunity costを含む様々なリスクを受け容れられるとなれば尚更である。そのように恵まれた立場の者しか法曹にならないというのも、社会の底辺にいる当事者を扱うこともあり、その人生を左右する仕事に就くについて適当かどうか疑問である。(たとえば、私の家庭の事情では、法科大学院への進学は不可能だった。)

第四に、法体系の違いがある。米国のロー・スクールで取られている教育方法であるソクラテス・メソッドを文部科学省は日本の法科大学院にも導入するよう奨励しているが、ソクラテス・メソッドは、英米法には適した学習方法であっても、日本法の属する大陸法には必ずしも最適な方法ではない。というのも、英米法は、複数の類似のケースについての判例を検討することによって、そこに定立されている規範を「発見」するものであり、実際、ロー・スクールの1年生の必修科目(契約法、不法行為法、財産法、憲法、刑法、証拠法について、特定の州法でなく、全米に共通する判例法を学ぶ。この6科目はそのまま、ほとんどの州の司法試験で課される全米共通試験科目である。ちなみに、ニューヨーク州の司法試験は、その他に、ニューヨーク州法約20科目の試験を課される)では、教員と学生、あるいは学生同士の対話を通して、この規範を「発見」する訓練を徹底的にやらされる。だから、英語で判旨のことを、Findingといったりする。そのことによって、学生たちは、「法律的なものの考え方=think like a lawyerあるいはリーガル・マインド」を体で覚えるのである。
しかし、大陸法は、基本的に条文中心であり、判例はその文言の解釈を補うものである。規範は初めからそこに書いてあり、あとはそれをどう解釈するかだけの問題であるので、必ずしも対話が効率的な方法ではない。それどころか、記憶すべき規範の量の多い大陸法では、却って非効率な方法かもしれないのである。

第五に、瑣末なことになるが、法科大学院を卒業すると授与される「法務博士」という学位についても問題がある。これは、おそらく、米国のロー・スクールのJD(Juris Doctor)の直訳であろうが、このDoctorは、そもそも「博士」という意味ではない。米国のこの3年間の課程を卒業しても、それは法律に関する最初の学位なので、かつてはLLB(法学士)しか授与されなかった。現在のロー・スクールの教授も、ある年齢以上の人のタイトルがJDでなくLLBになっているのはそのためである。しかし、米国では何かというと比べられ、お互いに仮想敵扱いしている医師の免許取得も、学部レベルに医学部がないので、専門職大学院であるMedical Schoolの卒業が要件となるが、彼らが、その課程を修了すると、MD(Medical Doctor)という称号が与えられるのに、自分たちがBachelor(学士)では不公平だ、と弁護士団体が苦情をいったため、途中からMedicalのMを法律を意味するJurisのJに変えただけのJDという称号が用いられるようになったという経緯があり、まさに、「政治的美称」に過ぎない。

第六に、新法曹養成制度導入の正当化事由として、よくとりあげられる、日本の法曹人口の少なさについても疑問がある。
2003年の統計によると、法曹一人当たりに対する人口は、米国が277人、英国が574人、ドイツが631人なのに対して、日本は5510人にも上る。
しかし、ここで無視してはならないのは、米国にはない法曹以外のさまざまな法律専門職が日本にはあるということだ。米国には、日本で言う、弁理士、司法書士、行政書士、社会保険労務士、税理士にあたる資格がないので、弁護士がそれらの仕事をしている。それらの日本での人数は、それぞれ4064人(2005年)、17306人(2005年)、38871人(2006年)、30450人(2006年)、66674人(2003年)であり、それらを加えると、日本の法曹人口一人あたりに対する人口は720人になり、決して少なすぎるとはいえない。
そして、安易に法曹人口を増加させることは、日本の「法の支配」を覆すことにもつながりかねないという危惧を私は抱いている。
法曹人口が少ないからこそ、法律家は”Nobles Oblige”を意識して、儲けを度外視した仕事も引き受ける。刑事裁判の9割が、国選弁護人によって弁護されているが、弁護料は経費込みで一件10万円にも満たないから、まじめにやればやるほど赤字になるのだが、殆どの弁護士は手抜きをせずに弁護人の務めを果たしている(米国ではそれが期待できないので、Public Defender Officeという、公選弁護専門の弁護士を雇用する州政府および連邦政府の機関がある)。さらに、多くの地方自治体では、法律知識のある職員の不足を、地元の弁護士が各種審議会や委員会の委員になることで、ボランティア的にカバーしていることを、私は地方で暮らして初めて認識した。いわば、この”Nobles Oblige”意識が、日本の「法の支配」を下支えしているという一面を否定できないのである。
また、数が増えて、競争が厳しくなり、法曹が必ずしも高収入・高ステイタスを保証された職業でないようになれば、時間と資金を大量に投資する法科大学院に優秀な人材が集まらなくなり、結果、法曹の質が大幅に低下するという問題も出てこよう。
以上のように、米国の制度を形だけ導入した新法曹制度には見直すべき点が多々あることを、現場の教員として日々この矛盾に耐えながら教育に当たっている者として、提言させていただくものである。




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2007年10月16日 /  演劇

夢の(離れた)2ショット

本当は科研費の申請とか仕事が山積みなんだけど、今までの加害者とは全く別の人間がらみで改めて人間不信になるようなことがあったりして(まあ、どこまで腐っているのかと反吐が出そうだ。頼むから、姑息・卑劣な方法で自分だけが利益を得る行為を正当化するために他人の人権を侵害するのはやめてほしい。社会的にも大きな問題だと思うのでいずれ実名で公表する)、やる気が出ず、つい逃避したくなる。

私の大、大、大好きな役者である堤さんと上川君は、どちらも役者馬鹿タイプで、バラエティ番組にはあまりでない。

二人とも、科白ならいえるけど、素でしゃべるのは本当に苦手らしい。

その二人が、先日のフジテレヴィの新番組対抗の生番組に出た!!
堤さんは{SP]というドラマで岡田准一とダブル主役だし、上川君は、「スワンの馬鹿」で、民放ドラマ単独初主演というから、断るわけにはいかなかったのだろう。

けして一緒に並びはしなかったけど、夢のような絵だった!!

でもやっぱり堤さんは、司会の中居君に、「堤さん、生放送の時はいつも唇乾いてますね」といわれて、ひきつっていた。

スリッパ卓球の時もさんざんだった。

上川君は、そつのないユーモアある受け答えだった。実は、キャラメルボックスの前説では、劇団一鋭い突込みをするのである。(もうすぐ何年ぶりかでキャラメルの芝居にも出るのよね。チケットが取れるか心配)
劇団員からは「上川君は、ただの銃器おたくの癖にかっこいいなんていわれてずるい」とかいわれている。

卓球もうまかったが、劇団ひとりが足を引っ張って負け。

上川君といえば、最近WOWOWで主演してドラマ化されたので、横山秀夫『震度0』を読んだ。
未曾有の大災害と同時進行で起こる、一警察官の失踪をめぐる地方の警察内部での醜い権力争い。本人の安否はもちろん、国民の安全や正義などまるで眼中になく、ひたすら自分の出世や退職後の天下り先のことだけを計算して動く人間たちは、自分の職場のことを思い出させた。
そして、そんな醜悪な論理とはまったく異質の、人間らしい感情でキーパーソンが動いていたことから訪れる意外な結末。
大掛かりなトリックなどなくても、十分読ませるミステリーを開拓した作者の、今のところ、最も好きな作品である。『影の季節』(上川君が主演した2時間ドラマがシリーズ化されている)、『半落ち』よりも良かった。そもそも、やたら評価されていた『クライマーズ・ハイ』はどこがいいのかさっぱりわからなかった。


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2007年10月16日 /  演劇

はなまるマーケット

話題があちこち飛ぶが、昨年10周年を迎えたというこの番組について。

私も、香港から戻ってきて職探しをしている短い間、本当の意味での専業主婦だったので(香港では、外交官の配偶者も外交団の一員として外交官用パスポートが支給され、公務があり、結構な額の手当ても出る=生活費は夫もちだったので、可処分所得は国立大学の准教授になっても、山の手線内に180平米という分不相応なマンションのローンを抱える今より多いくらいだったので、専業主婦とはちょっと違う)、この番組を見ていた。

今は、もし家にいるとしても、「特ダネ」の方を見ている。

この番組では、ほうれん草はゆでなくても、茎に十文字に包丁を入れて、水にさらしておくと灰汁が抜けますよ(これは今でも使っている)、とか、そういう情報をやっているのである。

夫から渡された生活費は食費、消耗品込みで一月4万円だったのでやりくりが大変だったのである。(ちなみに小遣いとしては6万円をもらっていたが、これでは、服も買えないし、旅行にも芝居にも行けない。自分で稼がなければ人間らしい生活はできないと思い、必死で就職活動をしたのである。東大の同級生も夫の海外転勤から帰国後はほとんど専業主婦になっており、40過ぎてブランクのあるおばさんの再就職は半端なく大変だった)

また、女性の家庭料理の先生がよく出てくるのだが、気づいたら、ほとんどみんな、母子二代、場合によっては祖母から三代同業なのである。
しかし、みな結婚しているのに、母親のブランドを引き継ぐため苗字は母親と同じ、ということは、二代目からは仕事上夫婦別姓ということ。家庭料理という、極めて主婦的な仕事で夫婦別姓というのがなんとも皮肉で面白い。

はじめは、どうして割とやんちゃなキャラクターのやっくんが主婦に受けるのかなあ、と不思議だった。

でも、見ているうちに、主婦は自分の旦那とやっくんを重ね合わせているのだなあとわかってきた。

彼は、けしてそつのないタイプではない。ゲストに対して決してお世辞をいわないし、紹介される食べ物も、おいしくないときには、口には出さないが、見ているほうにはそれとわかるリアクションをする。でも、立場上それを表立っては出さないように必死に苦労しているところが、主婦から見ると、「うちの旦那も、私たちを養うために、会社ではきっと同じような苦労しているんだろうな、でも、私にだけは本音を見せてくれるのよね」と親近感を持つのである。

でも、彼のような性格だと、NG発言のできない、しかも下品なこともいえない朝の生番組は相当プレッシャーなのか、番組内で上手にストレス解消していることもある。

たとえば、高橋克典が、吹雪ジュン(堤さんがプチブレークした1996年の『ピュア』では叔母甥関係だったのに)と相愛になる『年下の男』(内館牧子脚本)の番宣のために出演したとき、「高橋さん、個人的にはずっと年上の女性というのはいかがですか?」(このときまだ未婚)と聞いたのには、心底「意地悪だなあ」と思った。
高橋が下積み時代、吉田日出子と長く同棲していたことは、オフィシャルファンサイトにも出ているほど、公知の事実、やっくんも知らないはずはない。高橋も困っていた。

もっとも、ゲスト自身が、上手に意趣返しに使っていたこともあったなあ。
やはり、渡辺淳一原作のドラマの番宣で、緒形拳が出たとき、ちょうど、共演者のトヨエツが中山美穂らしい相手との恋愛を書いた本を出したばかりで、緒形拳は、にこにこしながら、「豊川さんはとってもいい人で、僕にこの本をサイン入りでくれたんですよ」と、そのサインの箇所を示すと、「緒方拳さま 豊川悦司」と書いてある。
大先輩の俳優の名前を間違えるなんてこれほど失礼なことはない。
緒形は本当は、トヨエツは失礼な奴だといいたかったのだろう。しかし、こんな形でうれしそうにいえば、建前上は悪意があるとはいえない、実にうまい意趣返しの仕方であり、将来、参考にしたいと思った。

それにしても、司会者二人の無知ぶりもご愛嬌を越えている。

やっくんは、吉本多香美がゲストの時、「小さい頃からスポーツにはコンプレックスがあって」といったら、「すみません、コンプレックスってどういう意味ですか」と聞いていた(知ったかぶりしないところは評価すべきなのだが)。

また、岡江久美子は、前にドラマ『七人の女弁護士』(最近釈由美子でリメイクした)で弁護士役をやっていたくせに、クイズコーナーで、「弁護士バッジは何の花を模しているでしょう」という問題が解けなかった。

まあ、その辺が主婦を安心させるのでしょうけど。


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2007年10月16日 /  読書

品格とは

ベストセラーになっているので一応、『女性の品格』を読んだ。

72ページに、

「流行を取り入れた服は質がよくて長く着れそうでも、デザインは必ず古くなって十年二十年と着ることはできません。」

まちがいなく、ら抜き言葉は品格がない。
他人に「品格」を説く本にこういう間違いがあること自体が、胡散臭さをよく表している。

大体、フェミニスト的には「女性の」と区別すること自体が噴飯ものである。

男性ならよくて女性なら品格がないなどということを認めること自体、一応ジェンダーに携わっている人間のくせに到底許しがたいことである。

著者はこんな人だと思わなかったので正直ショックだった。

前の前の内閣で「男女共同参画・少子化」問題担当大臣に猪口邦子がなったときも、不適格だと思った(もうやめたからいいけど)。
というのも、あの人は、夫のことを公的な文章で「主人」と抵抗なく書くし、ジェンダーバイアスに基づいた役割分担をしていることを平気で日経新聞のコラムに書いていたからだ。

いわく、「子供が小さいうちは、自分は外での交際を諦め、専ら家で主人の内外からの客をもてなすことに専念していた。しかし、子供が大きくなって、主人が『邦子もそろそろ外に出たら』といってくれたので、国連軍縮大使を引き受けたのである」

女性の中でもキャリアを持って活躍している人が、ジェンダーバイアスに鈍感であることを、日経新聞の夕刊という媒体で堂々と示すことが、どれだけ有害かわからないのか、と憤った。そんな人に男女共同参画などできるわけないのである。



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2007年10月16日 /  profession

学力低下

藤木直人が好きなので、おしゃれイズムという番組をよく見るのだが、先日、須賀健太という子役がゲストのとき、のけぞるほど驚くことがあった。

ゲストのかばんの中身拝見ということで、かばんから漢字ドリルが出てきた。
上田が「ちょっと泉ちゃんやってみてよ。藤木君、問題出してあげて」といい、森泉(森英恵の孫でモデル)にある漢字の読みの問題を藤木君が出した。(藤木君は性格がいいので、易しいのを選んでいた)
しかし、森泉は、その漢字=「妥協」が読めなかったのである。

「あんきょう?」とかいうのである。

彼女は確かに母親がアメリカ人だが、日本生まれ日本育ちで母国語はもちろん日本語、大体「妥協」のようによく使う漢字が読めないということは、番組の進行表なども読めないし、新聞だって読めないということではないのか?

それで曲がりなりにも社会人が務まるのか?

それよりも驚いたのは、この番組はかなり編集でカットされる部分が多いはずなのに、このシーンがカットされていないということだ。
つまり、「妥協」という字が読めない司会者でも恥でもなんでもないということなのだ、その認識の方が恐ろしい。

内田樹(この名前って、読み方は違うけど今でも多数の香港人を小樽観光に駆り立てている映画『ラブレター』の主人公と同じだ)の『下流志向』にも、学生の学力低下のことが描かれていたが、私が深くうなずいたのは、教員と学生の関係について。

昨今、大学と学生、教員と学生の関係は、教育というサービスを提供する契約であるという考え方が非常に意識されており、民法学界でも、とくに前納授業料返還をめぐる一連の裁判例で「裁判所は『在学契約』という新しい類型の契約を樹立した」なんていわれている。

しかし、契約だからといって、お客様は神様であり、なんでもお客様である学生が主観的に望むとおりにしなければならない、という結論になるのはおかしい、とかねがね思っていた。

そのことについて、内田氏は、「普通の契約なら消費者がその商品の品質を評価する能力をもっているが、教育の場合は、その時点で学生が契約によって提供されるサービスの品質を適正に評価する能力を持っているとは限らない。むしろ、だからこそ教師が教え導くのだ。教育の内容を適正に評価できるほどはじめから学生に能力があるならそもそも教える必要などない」というようなことをいっている。

私は、これに英米法上の信認関係の法理を付け加えたい。
信認関係については、「学界など」というエントリーで触れたが、大陸法的な契約ドグマでは実質的に適切な解決ができない問題に有用な概念である。
はじめから対等でない契約関係のいくつかの類型を信認関係として規律するのである。Englandの判例では、大学教員と学生の関係は信認関係であるとしている。

信認関係ははじめから対等ではない。私が教えている学生のことはここに書かないと自戒しているのはそのためである。しかし、と同時に、信認関係ということは、専門家に信じて任せるという要素を含んでいる。パターナリスティックな要素もある。つまり、「主観的に」学生が喜ぶことが、必ずしも教育的に効果があるわけではないということが、法的にも正当化できるのである。


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2007年10月12日 /  profession

ショックのあまり禁を破る

私は立場上、勤務先の大学の問題は告発しても、直接教えている学生の問題は、どんなに社会に問いたい問題があっても、ここでは絶対に書かないようにしようと自戒してきた。(いずれ立場が変われば別の媒体には書く予定だけど)

同じように、よそのロースクールの学生のこともとやかくいうのはやめようと思っていたのだけれど、あまりにもショックを受け、まさかこれが一般的なロースクールの学生の姿ではないですよね(もし、そうだったら世も末だ)、と確認したいがために、禁を破る。

某(うちではない)ロースクールを卒業して、残念ながら今年の新司法試験には不合格だった人のブログに、こんなくだりがあった。

「実務にもし出られたら、みんなに追いつけるよう、また私が実務に出られなかったために苦しんでいる多くの方々のために、そして自分のためにも人より何倍も働かなければならないのですから。」

「私が実務に出られなかったために苦しんでいる多くの方々」って何???

現在は、弁護士の数が増えて、修習生も就職難、量的な過疎化の問題はほぼ解消し、わが県でも、「量より質をどうするか」ということが弁護士会の課題になっているくらいだし、法テラスもあれば、ネット相談もあるという時代、事件を依頼したいのに弁護士がいないということなありえない。

ここでいう「事件」というのは、弁護士が依頼を受けること自体が「着手金目立て」と非難されるような、法的に全く成り立たない議論で訴訟しようとする依頼人による、勝ち目のない事件はもちろん除く。こういう事件を引き受けることは却って弁護士倫理に抵触するから。
また、もし、法律論として全くナンセンスな事件や、法律や判例に照らして絶対に勝てっこない事件を受任したりしたら、裁判官や検事から能力を疑われ(法律どころか社会科学そのものがわかっていないようなとんちんかんな理論では、弁護の引き受け手などないのが当たり前)、とくに法曹が全員顔見知りの地方都市や田舎では、事件の依頼が来なくなる。

もっとも、弁護士が増えて競争が厳しくなると、着手金だけでもほしいからといってこうした無理な事件を引き受け、依頼人に無用な期待を抱かせたり無駄な金を使わせたりするのではないか、という危惧がある。

つまり、このブロガーがいいたいのは、俺様は現在弁護士をしている誰よりも優秀だから、この俺様が不合格になったために弁護してやれず、替わりにできの悪い弁護士に依頼しているから苦しんでいる人がたくさんいるってことになる。

この傲慢さはちょっと尋常ではない。

私も大学在学中は、法曹を目指していた。
ご多分に漏れず、社会正義を実現したいと思っていた。

しかし、留年しても論文試験に合格しなかった時、こう思ったのである。

本当に困っている人を助けたいなら、ほかにいくらでも仕事がある。
現に人権派の弁護士として活躍している人の助手になってもいいし、NPOだってたくさんある。

それなのに、「自分が」弁護士になることにこだわるのは、勉強の得意な自分こそその職業にふさわしいという傲慢さと、ステイタスへのこだわりがあるからではないか、実は、自分の能力にふさわしい知的で偉そうに見える職業に就くということが真の目的で、社会正義云々はただの偽善的な正当化じゃないかと。

その偽善に気づきながら司法浪人はきつい(実際親の援助は在学中すらなかった=学費も本代も全部バイトで賄った)なと思い、就職したのである。
(初めて受けた論文の成績は総合Bだった。就職したが、上司である法務部長に理解があって、受験を続けることを認めてくれた。入社してから留学させてもらうまで、毎年短答には合格したのだが。全部で14年の銀行員生活では、法務部等で弁護士を使う立場で、使う弁護士は同業の中でも成功している者ばかりだったが、弁護士という仕事のいい面も悪い面も見つくした気がする。)

司法試験のように,社会に貢献したいといいながら、機会コストがかかる資格の場合は、そのコスト(とくに、受験勉強の間社会に貢献できない)を正当化するのが難しい。

たとえば、役者を目指して長く下積みをする場合にはそんな偽善的な矛盾はないのだが。

もし、困っている人を助けるために弁護士になりたいというのが本当なら、ありていにいって、受験に要する時間、NPOなどで働いて社会に貢献するよりも、その時間を勉強だけに使っても、弁護士になった方が社会全体から見たら有用だ、と客観的にいえるほど、優秀で正義感にもあふれた人でないと正当化できないのではないか。

旧試験の時代のように学部在学中合格することもできる制度ならともかく、大学を卒業したあと、そうした困っている人を助ける仕事に就く機会を放棄してまで、大学院でさらに勉強しなければならない現在の制度では、「困っている人を助けるために」法曹を目指すということは、自分がそういう、よっぽど価値のある人間だと自負しないとできないことなのではないか。

自分こそがその値打ちがあると思う人間であることと、社会的弱者のために身を粉にして働くということが両立するとは思えないのだが。

もっと端的に「悪い奴に適正な刑罰を与えたい」とか「人を裁きたい」とか「法律を適用して問題を解決するという仕事をしたい」とかいえば、「それなら法曹になるしかないですね」ということで、わかるんですけどね。




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2007年10月12日 /  profession

朗報

私が法科大学院に移る前の年に教えていた学部生で、一番元気の良かった女子学生が、中央大学のローに合格したとわざわざ知らせに来てくれた。

1年生向けの法学入門ゼミで、私の東京の家に泊まってもらって合宿までしたのだった。

エコ活動で全国的に有名で、一昨年の選挙で商店会長の安井さんが衆議院議員にも当選した早稲田商店会に見学に行ったり、六本木ヒルズにあるTMI総合法律事務所(今葉玉元検事がいるところ)を訪問したりした。

夜は夫の手料理と、学生たちが作ったデザートで食事をしたりした。

TMIの事務所のすばらしさに感激して、でも、「私、パラリーガルになりたい!!」なんて慎ましいかわいいことをいっていた彼女が、3年後、法曹養成では新旧司法試験とも実績のあるローに合格して、弁護士になる夢を確実に叶えようとしている。

こういうことがあったときだけは、大学教師になって本当によかったなと思う。


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2007年10月10日 /  profession

学会など

この3連休は、私法学会と金融法学会に出席。

専修大学は近いので自転車で行ったら(気持ちいいサイクリング日和だった)、自転車置き場がなくてちょっと焦った。案内状に書いておいてくれればいいのに。

一日目は民法と競争法の交錯という刺激的なテーマだが、私がとくに関心をもったのは、差止請求権一般を日本の民法上どう基礎付けるか、ということ。

発表者が引用していたが、末弘博士が「衡平法上の考慮が必要」といったとおり、英米法では、equity上の救済手段として位置づけられているのだが、発表者にあとで質問したら、日本法はまだその手前の段階ということだった。

英米法と大陸法の違いのうち最も大きなものは、common law体系とは区別されたequity体系というものの存在であり、現在の日本の民法上の問題も、差止だけでなく、説明義務や占有訴権や、誤振込など、もしこうした体系があれば説明可能なものがあるのだが、それを日本にも適用可能か、というテーマで現在研究している。equityの代表格、信託法の研究はその中心になるもの。

2日目は、個別報告で、3回ほど質問したが、やや肩透かしの回答もあって、私の質問の仕方が悪かったのかなと思ったが、「その回答はないだろう」と思っていた参加者が他にもいるとわかった。

http://blog.livedoor.jp/assam_uva/archives/51117873.html

また、CISGのセッションも面白かった。
潮見先生が「CISGでは対価危険は引渡では移転しない」と報告されたので、あとで「日本民法でも引渡で移転するのは給付危険ですよね。有名なタールの事件も口頭の提供時は給付危険が移転し、特定の時点で対価危険が移転するのですよね。だから、CISGも66条〜70条がなかったら、契約違反の問題に吸収されて、対価危険固有の問題は生じないのですよね」と確認させていただいた。

金融法学会は、そのまま大学に戻るので、夫が会場の慶応大学まで送ってくれた。
終わった後も新宿まで送ってくれた。

いつも週末が終わって東京から大学に戻る時は、悲しくていい年をして泣いてしまう。今回みたいに休日だと尚更引き離され感が強い。
もちろん、夫をmissするからだけでなく、地獄のような場所だからだ。

またひどい人権侵害をされたしね。こういう嫌がらせをして向うもどういう得があるのかなと疑問に思ってしまう。

また、組織の長としても疑問だ。
実務家出身でロー設立時に教歴2年に満たなかった人間に未修の民法を7分の3も担当させるというのも特殊なローだが、そういう重要な講義を担当している人間が、ただでさえ、その長がいじめたために診断書が出るほどなのに、さらに傷ついたり嫌な思いをするだけで、別に組織運営上何のメリットもないことを研究科長の権限でやるのは、結局学生のことよりも、自分の私情(不祥事をリークされたと疑っており、その仕返しをしたい。あらゆる機会をとらえて嫌がらせしたい。病気になるほどいじめてもまだ足りない。)を優先させるということではないのか。

もちろん、法律家としても疑問だ(業績が××で、○○○にも落ちた人をこう呼べるかどうかは別として)。
米倉明先生も、「法科大学院雑記帳」31(大学時代からの恩師で、戸籍時報を毎号送ってくださるのである)で、「自浄作用が期待できない場合には、内部告発による浄化促進に待つしかあるまい。…法律を勉強していながら、これはよくないと考えて行動に出る…のが皆無という状態のほうがむしろ異常である」とおっしゃっているではないか。

悪いのは不祥事を起こした当人であって、それを告発した人間ではないということがわからないでよく法律を語れたものだ。その不祥事を起こした当人には米搗きばったのように阿るくせに、そのことと法律を教えていることをどう自分の中で整合させているのだろう。

しかし、その地獄のお釜の真ん中で、唯一私を癒してくれるのが、けい太という大学にいる猫の存在。

経済学部の校舎の周辺にいるので「けい太」と名付けられ、みんなにかわいがられている。とくに図書館の職員の人がよく面倒をみているらしく、経済学部の隣にある図書館の裏口のところに、専用の小屋まである。その裏口のすぐそばに経済学部とローの自転車置き場があるのだが、朝早く出勤すると(講義のある日は7時半から8時ごろ出勤する)、置いてあるバイクのシートで眠っているのだ。

そんなかわいい様子をみて「けいちゃーーーん」というときだけ、私の地獄に一瞬の癒しが訪れる。安眠を妨げて悪いが、起こして抱っこさせてもらう。

携帯電話で撮影したのでボケているし向きが違うけど、かわいいでしょ?


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2007年10月06日 /  旅行

荻原碌山と中村屋インドカリー

週末に夫と前々から行きたかった安曇野の碌山美術館に行ってきた。

キリスト者の碌山にちなみ、小さな教会のような建物の中に彼の作品やゆかりの品を展示している。

改めて、彼の人生が、尊敬する師であり友人である相馬愛蔵の妻であるがゆえに、いっそう禁忌である黒光への許されぬ愛に貫かれたものであることを確認した。

「優雅とは禁を犯すものである。しかも至高の禁を」三島由紀夫『春の雪』

もちろん、黒光をモデルとし、膝を地につけ、手を後ろで組み、上半身と顔が限りない高みを目指している(地面から離れない膝が妻であり母であり中村屋の経営者であるという逃れられない立場や地上のしがらみであり、上半身が本当の気持ちを象徴しているのか?後ろに持っていった手は必死の自制心の象徴か)有名な「女」もそうだが(この世では叶わない何かを天上に求めているかのように、見ている者の胸を締め付ける)、ほかにも、以下のような展示物があって、彼の苦悩を思い、胸が苦しくなった。


日記に「ちくまの鍋」という題をつけていたこと。
これは、滋賀県にある筑摩神社に、鍋を被って詣でれば、不義が許されるという言い伝えにちなむもの。

また、「文覚」という彫刻作品。
(いうまでもなく、文覚=遠藤盛遠と袈裟御前の伝説を自分になぞらえている。
が、京都出身で読書家の夫がそれを知らなかったのにはびっくりしたが。
ヨーロッパの哲学者や政治思想家、現代史のことなら、ものすごく詳しいんだが。こういうのを灯台もと暗しというのか)

それにしても、荻原守衛という本名は、明治時代の農村の農家の五男坊にして、フランス人みたいな名前じゃないか(姓はオーギュスト=碌山がパリ時代に指導をうけたというロダンの名に似ているし、名前はモリエールみたいだ)。

実は、私が相馬黒光を知ったのは、碌山の思い人としてでなく、ボースという、インド独立運動家の義母であり、庇護者としてが先である。

夫に勧められて読んだ(恥ずかしながら勧められなければボースの名も知らなかった、この辺が夫と私の守備範囲の違い)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義 (単行本)
中島 岳志 (著)

に詳しい。

インド独立運動の中心人物であり、暗殺されそうになって日本に亡命していたボースを庇護し、長女俊子と結婚までさせたのが相馬愛蔵夫妻なのである。
本格的な味であるインドカリーを開発したのは婿であるボースだったのだ。

もちろん、小さなパン屋をあそこまで大きくする実業家としての才覚もすごいし、危険を顧みずボーズを保護したり、碌山をはじめたくさんの芸術家をパトロナイズして、サロンのような場所を提供していた。

あの時代の女性にはどんなにか大きな制約があっただろう(旧民法では妻は無能力だったのだから)に、なんと先進的なキャリアウーマンなのだろうと憧れの気持ちを持ったのである。しかも、ビジネスにも、政治、芸術にも通じるだけでなく、年下の碌山に生涯渇仰されるほど女性としての魅力もあったのだろう。

今年の2月に、『碌山の恋』というドラマを、平山広行、水野美紀の主演でやっていたが、なかなか面白かった。

それにしても、相馬愛蔵は、二人の関係をどう考えていたのだろうか?
中村屋の敷地内に碌山のアトリエを建てたくらい(碌山が黒光に看取られ亡くなるのは完成直後)なんだが、まさか、クリスチャンの彼が三島の『獣の戯れ』のようなシチュエーションを好むほど倒錯的だったはずはないし。

中学生の頃、遺族から訴えられた『事故の顛末』(川端康成の自殺の原因が若いお手伝いさんへの失恋だとする小説)を読んで以来、読んだことなかった臼井吉見の『安曇野』を読んでみようと思う。



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2007年10月03日 /  旅行

「まあつひ」ってなんだ?!

気分がすっかり自殺念慮モードなので、少し明るい話題を。

忙中閑あり、9月の連休に父と夫と三人で「信州方面に」旅行した。

父は免許を取った瞬間から50年以上ペーパードライバーなので、「家族とドライブ」という経験自体が初めてで、夫の運転する車に楽しそうに乗ってくれた。

私の父は、生まれてから現在まで一冊も小説というものを読んだことのない人で、およそ教養というものとは縁がないので、いろいろな傑作語録がある。

私がHarvard Law Schoolに合格した時も、
父「お父さんな、お前が行く大学知ってるぞ。」
私「え?!」
父「日本語にしたら『港大学』っていうんだろ?」
私 (絶句)
(HarborとHarvardの区別がついていない)

Harvard Law Schoolの卒業式の後、父を呼んで、一緒にニューイングランドや中南米を旅行したのだが、ボストンで、
私「お父さん、ここが、アメリカがイギリスから独立したときの戦争があった場所なんだよ」
父「えええええ!!アメリカってイギリスから独立したの?!じゃあ今でも仲悪いのかな、どうしよう(おろおろする)」

冗談でもなんでもないのでよろしく。

今回も新たに父語録が加わった。

今回、黒姫高原の一茶記念館に行ったとき、

父「小林一茶って女だよな」
夫「お義父さん、もしかして、樋口一葉とまちがえてませんか?」
父「あ、そうだった。名前似ているからまちがえたよ、ははは」
私「ていうか、一しかあってないじゃん!」

一茶記念館の裏庭の句碑の前で
父「なあ、『まあつひ』ってどういう意味だ?」
私「それはね、『これがまあつひのすみかか雪五尺』っていう句でね。一茶が50歳で骨を埋めるつもりで生まれ故郷のこの村に帰ってきたのが旧暦の11月でね、もう雪がたくさん積もっていたのを見てそう詠んだのよ」
父「『まあ』ってどういう意味だ」
私「だから感嘆詞だってば」
父「かんたんしってなんだ?なんで『い』なのに『ひ』って書いてあるんだ」
私「お父さん本当に昭和一桁?その頃旧仮名遣いだったでしょう?」

とこんな調子である。

ちなみに、「痩せがえる、負けるな一茶ここにあり」ってどこで詠まれたか知ってます?
小布施にある、北斎の天井画で有名な岩松院の庭の池で、繁殖期にたくさんのオスがえるがメスを争っているのを見て詠んだ句なんだよ、と父に説明しても、あまりよくわかってないようだった。

一茶旧居にいったら、売店のおじさんが話しかけてきて、なんと、長野オリンピックで清水選手が金メダルをお母さんにかけてあげたのを見て感動して60歳でスピードスケートを始めて、全国大会にも出るレベルになったそうだ。

ナウマン象博物館で知ったが、野尻湖の発掘って毎年やっていて誰でも参加できるそうだ。

父はこんな人だけど、ものすごく性格がよくて、一緒にいると本当に癒される。

翌日、千畳敷カールに行った時、天気が悪くてロープウェイの窓がすっかり曇っていたが、一生懸命自分のタオルで窓の曇りを拭っては、近くにいる見知らぬ親子連れの小さな男の子に、「ほら、僕、見えるでしょう?」といっている。それが全然わざとらしくないのだ。

だから、若い人にも失業者や非正規労働者の多い今日、74歳の今でも、常勤の仕事が続いている。

教養はないけど、性格がすごくいい父、
それに対して、教養はあるかもしれないけど、性格が…な私、
こんな極端に正反対な二人が本当に親子なんだろうか。

知識を得るという私の人生の目標が無力化されそうな気もする。
私が命がけでやっていることって大して重要ではないのだろう。

父に孫の顔を見せてやれないことには心が痛む。
(妹二人はバツ一で再婚の見込みはない)

父に心配させてしまったのは、煙草のこと。

だって、自然保護のためにマイカー規制されていて、ごみも全部持ち帰らなきゃいけない場所で煙草を捨てるなんて人非人のやることでしょう?注意するのが当たり前じゃないの?

でも、逆切れされて、車で発車した後も追いかけられてボディを叩かれた、怖かった!!


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