新学習指導要領で小学校の5、6年生に「英語活動」が導入されるが、それでは遅い、3年生から必修にせよ、という声が出てきた。この調子だと、私立中学入試に英語が登場するのも時間の問題かもしれない。いやはや。
日本は過去、英語に対する「焦り」や「愛憎」の時を2度持った。最初は明治。学校教育制度の祖で初代文部大臣になる森有礼(ありのり)は、欧米列強に肩を並べるために焦慮の揚げ句か、英語を日本の国語にしようとした。さすがに反対され、実現しなかったが。
そして敗戦。玉音放送を聴いて思い立ったというわずか30ページ余の「日米会話手帳」が民間出版されるや、初版30万部は数日で消え、年末までに360万部売れた。食う物にも欠くのにだ。初めて接する占領軍への戸惑い、恐れ、好奇心がその数字にある。当時の街頭写真で、手帳を手に女性が米兵と語らう光景はどこかぎこちなく、せつない。
もちろん英語を使いこなせる日本人はいた。当時の朝日新聞に米軍将校に道を尋ねられ、英語で教示した大学教授の会話が紹介されている。礼のつもりかたばこを差し出した将校に教授はたしなめるように言った。「貴官がこれを下さるというのならば、私は受け取ることはできない。売るというのなら、あまりに高価で買うわけにはいかない。敗戦国の国民と乞食(こじき)は明確に区別をしてもらいたい」
そして今、ウッソー、マジ?程度の会話が英語でできれば十分とは、まさか文部科学省も考えていまい。恵みのたばこを静かに断った教授の矜持(きょうじ)とつつましさを表現し得てこそ、真の外国語習得である。
毎日新聞 2008年5月27日 0時24分
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