石巻市議選 再選挙
遅くなりましたが、今回は、僕の地元、宮城県石巻市のホットな政治問題について述べたいと思います。
それは、石巻市議選の再選挙です。
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2005年4月に行われた石巻市議選で、投票用紙の配布ミスがあり、宮城県の選挙管理委員会による選挙無効の採決の取り消しを求め、市議側原告団(40名)が最高裁に上告していたが、最高裁は上告を棄却したため、選挙無効が確定し、市議は1年で失職し、正式に選挙無効の決定が届いてから、50日以内に再選挙が行われることになった。
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この事件の発端は、2005年4月29日に、合併に伴う新石巻市の市長選、市議選において、石巻の選管が43名の有権者に、市長選と市議選の投票用紙を誤って交付し、市議選の42票が無効になり、同5月6日に、市議選で落選した菅野昭雄氏氏が市議選の無効を求め、石巻市の選管に異議申し立てを提出したことに始まる。
初め、市選管は申し出を棄却し、菅野氏は宮城県の選管に審査を申し立て、県選管は、同8月15日に、投票用紙の「誤交付」を公選法違反として市議選を無効とする裁決を下した。
それに対し、裁決取り消しを求めて、市議33名ら原告団で同9月14日に、仙台高裁に提訴したが、同12月20日に仙台高裁は、市議らの請求を棄却した。仙台高裁の判断は、「非正規の用紙を交付することは民主主義の根幹である選挙人の選択機会を奪う結果になる、というものであった。
敗訴した市議側原告団は、同12月28日、判決を不服として上告していたのであった。
以上が、この事件の簡単な経緯である。
とはいえ、この事件には、いくつか、大きな偶然が重なった。
一つには、投票用紙の「誤交付」があった投票所が、菅野氏の「地元」とされる地域であったことである。ほんのわずかな票差が当落を分けたために、菅野氏が不服申し立てをする背景にあるのは当然であろう。
そして、もう一つは、同選挙で当選していた三浦総吉氏が、6月11日に遺体で発見されたことである。
(訂正します。5月4日2行削除)
いずれにしても、三浦氏の自殺により、次点者が繰り上げ当選することとなったが、その次点者と菅野氏は2票差だったのである。
この二つの偶然はあまりにも大きな要因となった。
さて、法解釈について、検討してみたい。
原告団代表の森山行輝市議会議長は、
争点の一つに、公選法に投票用紙の「誤交付」の違法性をめぐる明文規定がないことをあげている。
これは、この事件の大きな争点であった。
それに関して、1審仙台高裁判決は「誤配布は公選法の規定に違反する」として、県選管の無効裁決を正当と認定していた。その裁決は、公選法45条の「投票用紙は選挙当日、投票所で交付しなければならない」という規定に基づいている。
もう一つの争点は、無効票とされた43票と有効票約9万7000票のどちらが重いかということである。
これは、数で単純に計れるものではない。
なぜなら、菅野氏もいうように、有権者の投票する権利は、民主主義の根幹であり、1票の重みというのは、ときおり1票が選挙結果を決めるからである。もっといえば、選挙結果が、接戦であればあるほど、重くなるという二重の意味がある。(1票の重みというのは、国政選挙においても、問題視されるが、選挙区の有権者の密集度の違いによって、選挙区ごとの一票の重みが当然違っている。そのため、都市部の候補者が、地方の候補者よりも多くの票を獲得しても落選する場合、それらの民意は反映されないという現象が起こる。それは、機会があれば、別の機会に論じたい。)
結論としては、2005年12月20日の仙台高裁判決は、市選管の「誤交付」は、県選管の裁決が法205条を適用して本件選挙を無効としたのは正当であり,かつ,本件裁決に手続的違法はなく,本件裁決の取消しを求める原告らの請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決するとされ、最高裁においてもこの判決が支持されたものとなった。
参考 公職選挙法 関連部分
第二百五条 選挙の効力に関し異議の申出、審査の申立て又は訴訟の提起があつた場合において、選挙の規定に違反することがあるときは選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、当該選挙管理委員会又は裁判所は、その選挙の全部又は一部の無効を決定し、裁決し又は判決しなければならない。
2 前項の規定により当該選挙管理委員会又は裁判所がその選挙の一部の無効を決定し、裁決し又は判決する場合において、当選に異動を生ずる虞のない者を区分することができるときは、その者に限り当選を失わない旨をあわせて決定し、裁決し又は判決しなければならない。
3 前項の場合において、当選に異動を生ずる虞の有無につき判断を受ける者(以下本条中「当該候補者」という。)の得票数(一部無効に係る区域以外の区域における得票数をいう。以下本条中同じ。)から左に掲げる各得票数を各別に差し引いて得た各数の合計数が、選挙の一部無効に係る区域における選挙人の数より多いときは、当該候補者は、当選に異動を生ずる虞のないものとする。
一 得票数の最も多い者から順次に数えて、当該選挙において選挙すべき議員の数に相当する数に至る順位の次の順位にある候補者の得票数
二 得票数が前号の候補者より多く、当該候補者より少い各候補者のそれぞれの得票数
4 前項の選挙の一部無効に係る区域における選挙人とは、第二項の規定による決定、裁決又は判決の直前(判決の場合にあつては高等裁判所の判決の基本たる口頭弁論終結の直前)に当該選挙の一部無効に係る区域において行われた選挙の当日投票できる者であつた者とする。
当たり前のことであるが、裁判所では、法律上の問題を争う。
手続き上の問題があったために、選挙自体無効となった。
そして、誤交付自体は、確かに公選法上の明文規定はない。
だが、いくつかの条文、同45条、68条など、判例から、手続き上の不備が指摘されている。それが、全体として、公選法第205条違反との判断へとつながっている。
法解釈上、これ以上の争いはできないため、最高裁でも上告棄却の結果となったのである。
逆に言えば、裁判では、このような争いしかできないのである。
裁判では、手続き上の問題を争ったのであって、
その結果、無効票43票が、有効票約約9万7000票を消す形となった。
市民感情からすれば、財政難のこの時期に、再選挙というのは、納得いかないものであろう。
デジタルな処理として、43票を無効票とし、選挙を有効とすれば、済むという錯覚さえ起こるが、それは、民主主義を否定するというジレンマに陥る。
そのように、裁判所は判断してはならないのである。
したがって、無効票と有効票を天秤にかけたのではなく、手続き上の不備だけを判断した。
私見としては、今回の事件は、石巻市議会の自治能力を試されたと思っている。
法的な争いは、選挙費用の負担など特段関わらない。
そのような政治的な判断を裁判所はできないからである。
;したがって、市議会は、政治的決着を図るとすれば、誰か一人辞職すれば済んだのである。これは、法的なものではない。あくまで政治的判断である。
個々の議員が、石巻市の財政への負担を考慮しているならば、
再選挙を回避する手段を考えることである。それが政治的判断だ。
だが、選挙の有効性、しいては、自身の身分の問題を争点としていたのではないか。
法的な争いに走るということは、市議会の自治能力がないことを示した。
つまり、自分たちで解決できないために、裁判で争ったということである。
結局、最高裁でも棄却であった。
ただ、ただ、今回、重大な欠陥は、市選管の「誤交付」は、当該有権者の投票する権利を阻害してたことである。
有権者自身の意思で無効票にしたのではないことが、今回の問題の発端である。
規定を逸脱した投票行動であれば、当然否定されてしかるべきであるが、
選挙を管理する立場のものが、有権者の権利を侵害したことが問題なのであった。
今度は、このようなミスは絶対に避けてもらいたい。そして、再選挙に際し、国から補助金が出るとしても、それもまた税金であることを考えるべきである。
結局は、納税者の負担であり、それを代弁するのが議員であることを忘れないで欲しい。
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