以前の日記
「経済的合理性と社会的合理性のバランス」において、
「村上世彰氏は、どこかで十中八九刺し殺されると思う」
と書きましたが、この度、逮捕されるという形となりました。私自身、こんなに早くそうなるとは思わなかったです。
刺し殺されるであろうと考えた根拠として、
「経済的合理性を追求しすぎて、社会的合理性に欠けていた」
ということを挙げたのですが、今回は、それについて追記してみたいと思います。
今回の場合における「経済的合理性」というのは
「資本の論理」
であると解釈すれば、それほど本質を外さないかもしれません。あるいは、別の観点からは、
「法の範囲内であれば、他人を蹴落としてでも利益を追求する」
と解釈することも可能だと思います。
この世界観は、経済学部出身の大学生であれば一応は学ぶであろう、
「古典派経済学」
が規定する世界観です。今回は、古典派経済学について話をする日記ではありませんので、
「合理的期待形成仮説」
「期待効用最大仮説」
「一物一価の原則」
などというキーワードを挙げるに留めておきます。
この古典派経済学は、現実の経済問題を解決しないばかりか、(古典派経済学の論理を持ち込まなければ引き起こされならなかったであろう)厄介な問題を引き起こす要素を持っております。
それは、古典派経済学者が
「頭の良いエージェントを想定して、そこで考えられる均衡状態のみを学問の対象にしている」
からです。要するに、人間の性格や能力の多様性、および、文化的背景をまるで考慮せずに、
「理論的はこうなるはずだ」
ということばかりを前面に押すことによって引き起こされる問題を、古典派経済学者は想定していないのです。
たとえば、M&Aコンサルティングのウエブサイトにあった「弊社の視点」を解釈したいと思います。
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株式会社M&Aコンサルティングは、必要に応じて経営改善に関する具体的な提案を行う等、株主価値向上のための積極的かつ直接的な働きかけを行っています。
■ 「上場」の意義
会社が株式公開する目的は第一義的には資金調達にあります。そして公開した以上は、株主価値・企業価値を向上させる責任が経営者にはあります。
■ コーポレートガバナンスの実現による株主価値の向上
株主利益に基づいて企業統治(コーポレートガバナンス)を実現させることで、当該企業の株主価値の向上を促していきます。会社資産のより有効な活用、事業の選択と集中、企業統治構造の改善などの提案を必要に応じて行っています。
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いかがでしょうか?全く正しいことだと思います。少なくとも、「経済的合理性」の観点からはそう言えます。
そして、この観点から見れば、実は、日本において「上場の意義」を全うに果たしている上場企業は非常に少ないのではないかと思います。
これは、
「恐ろしく低い資本利益率」(例えば、10年国債の利回り以下)
「資金調達をする必要がないビジネス」
「外部株主に利益を全く還元する気がない経営者」
などなどから言えます。
企業側も企業側で考えるべきことがあります。それは、
「上場すると、誰に買われてもおかしくないというリスクが取れるか?」
ということです。よく、
「上場したことで、知名度と信用度がアップした」
と言われますが、上記のリスクと天秤にかけて上場することによって得られるメリットがあるかどうかを、よく検討しなければならないと思います。
昨今の買収騒動で名が挙がった一連の上場企業群の経営陣は、うかつにも、そのリスクを軽視しすぎていたと言われても仕方がありません。
もし、そのリスクを許容できないのであれば、
「上場しない」
というのも一手なのです。それを世間一般に知らしめたという意味では村上世彰氏は立派な功労者であると思います。
さて、「経済的合理性」の観点では村上世彰氏に分があるのは明らかなのですが、それが行き過ぎたゆえに、ここで古典派経済学者が陥っている罠に嵌っているのです。
確かに、商法が規定している「株主の権利」から
「モノを言うこと」
は出来るのです。そこに問題があるとすれば、
「短期の株主でありながら、いきなりしゃしゃり出て来て『俺はこの会社の株主だ』と言うこと」
「人間本来の性格から、経済的合理性だけで動くものではなく、義理・人情などで動く部分もあることを理解しないこと」
などでしょうか?
そもそも、日本においては「和を尊ぶ」という文化があります。
「社会的営みが円滑に進むように互いに協力できるところは協力する」
という側面もあれば、
「抜きん出ると嫉妬を買うことになる」
という側面もあるかと思います。
そういうこともありますので、「社会的合理性」という考え方は資本主義社会においても不可欠なのです。
私も投資事業に本格的に進出して、上場会社への投資を大規模に行うことになる可能性がありますので、これは十分に肝に銘じておかなければなりません。
私が心掛けているのは、資本利益率が多少落ちたとしても、社会的合理性から逸脱した行為をとることによる不利益(すなわち、刺し殺されること)を被らないようにしなければなりません。
余談ですが、
「法の範囲内であれば、他人を蹴落としてでも利益を追求する」
という思考は、ちょっと間違うと、
「法を犯しているつもりはなかったのに、いつの間にか周りにそそのかされていた」
とか、
「たとえ法を犯しても、バレなければそれは合法である」
という思考になると思います。
ちなみに、M&Aコンサルティングはパートナーに警察庁出身の滝沢建也氏を迎え入れております。
村上世影氏にしてみれば、「刺し殺されるリスク」を極小化していたつもりだったのでしょうが、「経済的合理性」が極限に出たときの誘惑に勝てなかったのかもしれません。
逮捕されるきっかけが元ライブドアの堀江貴文氏であったことからも、「類は友を呼ぶ」とはこのことではないかと思います。
今回の類友は、「合理的な愚か者」同士だったということです。
したがって、このようなめぐり合わせは単なる偶然ではなく、両者ともに「経済的合理性」だけを極限までに追求するスタンスだったからこそ、今回の共謀もあったのではないかと思います。
そして、
「法の範囲内であれば、他人を蹴落としてでも利益を追求する」
から
「たとえ法を犯しても、バレなければそれは合法である」
という考え方に変わって、最後は「刺し殺された」のだと思います。
P.S.
村上世彰氏は、最後は証券取引法違反をあっけなく認めていて潔かったと思います。「社会的合理性」が垣間見えた瞬間だと思います。
悪く書いてばかりでしたが、上場の意義などを考えるきっかけを与えてくれたという意味ではプラスの功績も残しているのではないかと思います。