投資やビジネスという資本主義の世界において長期にわたって成功するためには、
「合理性」
を持って意思決定することが絶対に不可欠だと思います。
しかし、単に「合理性」といっても、さまざまな定義付けがあるかと思います。
ここでは、「経済学批判」の世界でよく議論される対立する2つの概念―――
「経済的合理性」と「社会的合理性」―――について考えてみたいと思います。
「合理性」という単語から連想するイメージを世間に問うたとき、とりわけ、「資本主義」という単語と合わせてそれを問うたとき、それはおそらく「経済的合理性」なのではないかと思います。
「経済的合理性」とは個人の合理性です。すなわち、(法律の範囲内であれば)他人を蹴落としてでも個人の経済的利益を最大化する行動をとるのが良いとする考え方です。
このような「経済的合理性」という価値観をもって資本主義経済を説明する経済学のことを「新古典派経済学」といいます。
なお、経済学が規定する個人とは「利害関係が一致する経済主体」ということですから、これは捕らえる範囲によってさまざまです。(家族、企業、場合によっては国家という可能性もあり得ます。)
例えば、企業(株式会社など)の場合、一定の経済活動を経て利益を上げるということが存在意義の一つに挙げられます。
この存続意義を果たすためには、一定の合理性(利益を上げるための体質)をもって経営者が意思決定を実施しなければなりません。
場合によっては、競合他社を淘汰させてでも自社が勝つことも求められます。
資本主義はこのような「自由競争」が活発であるからこそ発展したという側面があるのは間違いないでしょうし、社会主義(もしくは、共産主義)がうまくいかなかった決定的な理由の一つがここにあるのだと思います。
もちろん、企業によって「経済的合理性」が求められる程度の差はさまざまだと思います。
プライベート企業(非上場企業)であれば、このあたりについて「緩やかな合理性」(低い資本利益率でも容認すること)で済ませることも可能でしょう。
しかし、パブリック企業(上場企業)であれば、株式が流通しているゆえに、外部の利害関係者からの圧力も無くはありません。
最近は、M&Aなどが日本においても活発になってきたこともあり、そうした低い資本利益率を是正させるべく動きも出てきております。
こうした「経済的合理性」に基づいた圧力は企業の生産性を高める可能性がある一方で、危険な側面も持ち合わせております。
個人の合理性を追求するあまり、社会全体に害を及ぼすかもしれないという可能性、すなわち、「社会的合理性」の欠如に繋がることです。
このような
「経済的合理性を追求することによる社会的合理性を失う可能性」については、ノーベル経済学賞であるアマルティア・センが著書で指摘している「合理的な愚か者」に集約されるのではないかと思います。
この「合理的な愚か者」について、身近な具体的な事例をしめしたいと思います。
皆さまは、遠くに旅行に行ったときに「おみやげ」を買って帰るでしょうか?
もちろん、自分のためのおみやげではなく、他人(友人や親戚や会社仲間など)のためのおみやげです。私は、おみやげを買うのが大好きです。観光地に行くたびに(観光地でなければ安く買うことができると分かっているものでも)相当買い込んでしまいます。
しかし、このおみやげを買うという行為はただ単に自分の懐を痛めつけるという意味では経済的合理性がなく、「寄付」と同等の行為であると言えます。
すなわち、新古典派経済学者は「おみやげ」や「寄付」という行為を学問的に説明できないのです。でも、皆さまはおみやげを買う理由を説明できるのです。例えば、
「よい人間関係を構築しておきたい」
という理由だと思います。それが「社会的合理性」です。
すなわち、ややもすれば「経済的合理性」が先行しがちな資本主義の世界においても、「社会的合理性」は不可欠なのです。
逆に言うと、「経済的合理性」ばかりが先行しすぎて「社会的合理性」に欠ける行為をする人間というのは、どこかで「刺し殺される」ことになるのです。
事例を挙げるならば、
「ライブドア創業者のホリエモン」
「M&Aコンサルティングの村上世彰」
などでしょうか?
彼らは経済的合理性には長けており、その点について学ぶべきところはありますが、それが行き過ぎて社会的合理性に欠けているパターンと言えるのです。
前者は既に「刺し殺されている」ので、後者がどうなるかのが本当に見物です。(「十中八九、刺し殺される」というのが私の予想です。)
他にもいろいろな事例があるでしょうけど、私が投資情報会社(および、投資会社)を経営していくに当たっては、この2人のケースはひとごとではないのです。
経済的合理性だけを追求しすぎると必ず刺し殺される
上場会社を目指すゆえに高い資本利益率を追求する経済主体でありたいのは間違いありませんが、これだけは忘れないようにしたいと思います。