城尾から伊藤の名を度々聞くようになったのは、2002年ごろだったと思う。同年10月以降、県警は長崎市発注の公共工事を巡る入札妨害事件で、現職議長をはじめとする市議五人と市幹部を立て続けに逮捕した。長崎市議による公共工事への介入は以前から噂されており、県警の最終的な狙いは伊藤本人だった。城尾は当時、市議や県警にもパイプがあったようで、「見とってみんね。伊藤は間違いなく逮捕される」と話していた。ところが12月に入り、長崎地検が自民党県連の違法献金事件に着手したころから、長崎市の事件は雲行きがあやしくなり、年明けには事実上終結してしまった。「警察はだらしなか」。城尾は不満気だった。
現時点で銃撃の動機とされている融資や交通事故を巡る市とのトラブルは、問題発生からかなり時間が経過してからではあったが、城尾から聞いていた。「市の不正を書いてくれ」という。「カネを要求してうまくいかなかったから、私に書けと言ってるんじゃないですか」と聞くと、「カネなど要求しとらんし、脅しもしとらん。そがんことしたら逮捕されるとはわかっとる。おいはそがんバカじゃなか。市が平気でウソつくとが許せんと」と怒った。それならばと、融資の件を市に取材したが、城尾の主張は非常に細かい話で、真相はわからなかった。
「仮に城尾さんの言うことが百%正しくて記事にしたとしても、市長にとって打撃にはならない。そもそも暴力団が当事者と分かっていながら書くようなネタではない」と言うと、城尾は「マスコミはヤクザに人権はなかて思うとるやろが。おいたちも一般市民ばい」と言う。「ヤクザの家族には当然人権がある。しかし、ヤクザ本人が一般人と全く同じ権利を主張したら、ヤクザじゃなくなるとじゃなかですか」。そう反論すると、城尾は苦笑いした。その後も何度か同じようなやり取りがあって、反応の鈍い私にいら立っているようではあったが、最終的には理解してくれた。少なくとも私自身はそう思っていた。
今年に入って、「伊藤ばそのまま当選させてよかと思うね。長崎の政治家は何ばしよるとね」と言っていた。三月に入り、県議が市長選出馬に意欲を見せた際には「面白くなった。うまくいけば勝てるやろ」と嬉しそうに電話してきた。城尾と話したのはこれが最後だ。城尾は以前から政治や選挙に興味を示していたから、私は気にも留めなかった。
何の取材か忘れてしまったが、知人を介して城尾に初めて会ったのは7、8年前だと思う。その後は長崎の暴力団事情でも取材できればと思っていたが、城尾は組織のことは一切口にしないので、ネタになったことはただの一度もない。それでも何度か会ったり、電話で話すうち、誤解を恐れずに言うなら友人ともいえそうな関係になっていった。
城尾の小学校時代の同期生がやっている居酒屋を、私も偶然に知っていて、何度か一緒に飲みに行ったことがある。城尾は「店に迷惑ばかけるけん」と、いつも入り口に背を向け、カウンターの一番隅っこに座った。私に対しても同じようなことがあった。私が現場を離れ内勤になってから「話があるから出てきてくれ」と電話があった。「今日は外に出られない。よければ会社の喫茶に来てほしい」と言うと、城尾は一拍置いて「よかとね」と聞く。「え?」。意味が分からず問い返すと「いや、おいが行ってあんたの迷惑にならんとね」。そういう配慮をする男だった。
焼酎を飲みながらとりとめもない話をした。私が運動部に異動になった時は「似合わんなあ。あんた、プロ野球十二球団の名前ば言いきるね?」と大笑いした。「あんたはいっちょん出世しきらんね。上から嫌われとるとやろ」と言う。「私は記者でおれれば満足やけん」と返すと、「下からいくら物ば言うても組織は変わらん。ぐっと我慢して、その立場になってから変えることば考えんばいかん。もうそがん歳ばい」。その一方、「あんたは以前と比べて勢いがなくなった。正義感ばなくしたとじゃなかね」とも言う。「私にいったいどうしろというんですか」。二人で笑った。
「権力の横暴は叩かんばいかん。ヤクザも新聞記者も仕事は同じたい」が口癖だった。「我々は命まで取られることはなかです。長年ヤクザをやってたら、殺されると思った場面もあるでしょう。正直ビビったことはなかとですか」と聞くと、しばらく間をおいて「そがんことば考えよったらヤクザは務まらん」と言った。
水心会の会長代行になって以降、組織への影響力が薄れ、金銭的に困っているとの噂は聞いていた。それには触れず、一度だけこう持ちかけたことがある。「城尾さんはいつも正義感が大事て言いますよね。そんならいっそかたぎになって、社会のためになることば考えたらどうですか。城尾さんの経験があれば、できることはいっぱいありますよ」。城尾は答えなかった。
別に決めたわけではないが、勘定は代わりばんこにすることになっていた。たまたま続けて私が払おうとした時、城尾は怒った。「あんた、ヤクザに払わせたら付け込まれるて警戒しとるとやろ」。たかだか数千円である。「きょうはカネ持ってますから」というと、「バカ言うたらいかん。おいの方が持っとる」と広げた財布には、万札が詰まっていた。
言わずもがなだが、どんな理由があれ人の命を奪ったことは到底許されるものではない。おそらく残りの人生を塀の中で過ごすことになるだろうが、それとて罪の償いにはならない。城尾は逮捕後「死ぬつもりだった」と供述したという。それはうそではなかろう。しかし、生き残ってよかった。遺族のため、社会のために、わずかでもできることがあるとすれば、この不可解な事件の真相を、自分の口で全て明らかにすることだ。
最後に電話で話した数日後、私の携帯に「城尾ですけど。よかったら連絡下さい」と、いつもと同じ調子の留守電が入っていた。会議中で返信できずにいるうち、忘れてしまった。城尾はいったい何を話したかったのだろう。私は心底、後悔している。
<プロフィール> とくなが・ひでひこ 長崎新聞報道部デスク。県警を皮切りに、長崎市政、スポーツ、遊軍、県政を担当、大瀬戸支局(現西海支局)、佐世保支社、運動部に勤務。地元テレビ局にも出向した。趣味は映画鑑賞。1959年生まれ。長崎市出身。 |