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2007年09月12日

9・11

テーマ:ブログ
2001 9.11

2001年 9月12、13、14日のNEW YOEK POST
あの日からの新聞は、あの現場を撮り続けていました。
あの日を忘れないために私の手元にずうっとあります。


あれから6年.
何事もなく昨日が過ぎ去ったことに
今日は愁眉を開く日になりました。

6年前、大学4年の私は夏休みを利用して、
憧れのNYに行っていました。

あの日、
私は様々な国の学生と
英語の勉強を受けていました。
突然、滅多にならない携帯電話が
何度もなりはじめました。

鳴り止まない携帯の表示を見ると
母の名前が…
急に胸騒ぎがした私は、
先生に理由を告げ、廊下にでて、
talkボタンを押しました。

その瞬間、
母の悲鳴ともとれる声が聞こえてきました。
『大丈夫、大丈夫!!
ニューヨークが大変… …ツー、ツー』
電話をかけ直してもかけ直しても繋がらない電話。

急いで、先生に何かあったのかもしれないと伝えました。
先生はラジオをつけ、
外を見て、状況を把握しようとしました。

私たちがいた場所はミッドタウン・ウエスト、
ワールドトレードセンターから車で15分のところ
10階から外を見るとあまり変わらない様子…
ふと、歩道を見ると
沢山の人の群れがセントラルパークの方に
なにかからのがれるように
流れているではありませんか。

何がおこっているのか?
何から離れようとしているのか?

その瞬間ブッシュ大統領の声がラジオから聞こえてきました。
その時、初めて私たちはワールドトレードセンターに飛行機が
激突したことを知りました。

ただそれが、事故ではなく人為的策略、
テロだというとはまだ知る由も有りませんでした。

それからはじまったニューヨークでの生活は
今の私の指針になっていると常に思います。

ニューヨークを悲しみで被い、
ニューヨークで生活をするすべての人に
戦々恐々の生活を与え、
恨み憎しみが生まれ、

そして人間の尊い命を感じ、
助け合うことを知り、
手と手を取り合うことを学び、
愛することを学び、
国境なき心を持つことを学びました。

この体験をブログで初めて書くことができました。
あの時の体験が私の中でまだまだ
受け止められていなかったのかもしれません。
今こうしてお伝えできるようになったのは、
この経験を受け止め、
自分の進むべき道、進みたい道に歩き出せたからかもしれません。


あの日、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

コメント

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■無題

亜子チャンあの時NYに居たんですかぁ・・・
今知りました。
とってもビックリしてます・・・
大好きな亜子チャンが飛行機に乗ってなくてホントによかったです。
亜子チャンが亡くなったら沢山の人々が悲しみますょ。
自分の命、大切に大切にして㊦さいネ!!!!

■無題

報道希望の意味がわかりました。

■想い

亜子さんは、あの時N.Yにいたのんですね。
しかも、ものすごく近いところに。
そのことが、今の亜子さんの進むべき道に繋がったと。
9.11は、日本にいた私でさえ衝撃的でしたから、現地にいた亜子さんには、心の奥底にまで刻まれているのでしょう。
人は蟠りを無くすことはできないのでしょうか。
人類が誕生し科学が発達した今でも、太古の昔と同じく人は争います。
どうすれば人は分かり合えるのか。
生きていく上での課題かもしれません。
本当に世界が平和になることを祈ります。
(祈るだけではいけないのでしょうが…。)

■9.11

もう6年ですか…あの日僕はテレビを見ていてニュース速報、特別番組へと変わり、まるで映画の様なあのシーンを何度も見たのを思い出します。何より、救出現場を見て父の仕事を尊敬いたのは言うまでもなく…父は救急の仕事をしていて普段はあまり話す事もないのに、思えばあれからよく話す様になったのかもしれません。震災、テロ、起こってほしくない事があった時、少しずつ学んでいくような気がします。

■無題

先日初めてNYへ一人旅をしにいきNYの活気溢れる人々でパワーに満ちた街が一瞬で大好きになりました!グランドゼロにはフリーダムタワーという新しい高層ビルの建設もはじまり9.11があったことをほとんど感じさせないくらいの強さがありましたが、やはり風化されていってるのかなという気もします。
これから航空会社で働くものとしてこれからも安全意識に努めたいです!
あこさんもお仕事がんばって下さいね☆

■無題

6年ですか・・・

あの時は携帯に速報メールが来ました。

テレビをつけると、あの光景でした。

あの衝撃は一生忘れることはナイです。

■無題

もう6年、それともまだ6年でしょうか?
昨日、今日と同時テロの話題が出てました。
亜子ちゃん、いたんですね。しかもたった15分位の場所に、びっくりです。
本当に、色々な事が起きます。でも、生きて行くには、前をそれも笑って向いていくのが一番だと思います。
今日も、会社で嫌な事がありました。でも、明日は、切り替えて元気に、出勤します。
がんばりましょう。

■もう6年ですか。。。

突然、テレビ番組が変更され、煙が出ているビルが映し出されたような。記憶が甦ってきました。

犠牲者の皆様、ご冥福を申し上げます。

自身の事ですが、祖母が病院のICUに入りました。

一命は取りとめましたが、久しぶりに自分の死に際。。。というものを考えました。

今までやりたくてもやれなかった事、今抱えている問題、将来への希望・不安。。。

犠牲者の皆様はそんな事を考える事も出来なかったかもしれません。

改めて今、生きている事を感謝しなければと思いました。

■そうだったんですか…

あの事件は日本でも夜のニュースで放送され(日本では9/12)
そのとき知りました。
次の朝、仕事で一緒になった人とあの突入の話をし、
「あれ酷かったよな」
とその人は言いました。
まだそのときはテロなのか操縦ミスなのか判別できて
いなかったはずです。

あのテロ以来、世界は新たな時代に突入したといわれますが
川田さんは身近なこととして経験してるのですね。
友人やその家族は大丈夫だったんですか?

私自身、突然降りかかってくる不可避的な災難に遭ったことが
幸いにもありません。
そのときどうしたらいいのか正直わかりません。
川田さんがNYでつくった友達からいろいろな話を聞いているでしょう。
それは大きな糧になっているわけですね。

報道キャスターをするうえでも大きな糧になっていると思います。

■六年

あのテロの時、自分はまだ小学生でした。最初あの映像を見たときは本当の事なのか理解できませんでした。あんな事が二度と起こってほしくありません。

■こんばんは

フィクションかと思わずにはいられない。
そんな映像でした。

ショックと異常な興奮。
そんなものを抱えたまま、あの出来事の数日後。
少し遅い夏休みをとった僕は、ハワイにいました。
半旗のワイキキは、僕に心の底から異国の地を楽しませてくれることはありませんでした。

■2001. 9.11

自分の知り合いもNYに居たので あの日はずっと朝までテレビを見て心配していました 亜子さん WTCの近くに居たんですね 亜子さんのお母さんもほんとに心配されたことでしょう ほんとにテロの犠牲になられた方々 その家族の方々のこと思うと胸が痛みます

■あの日から日本人は変わらないのかな…、……

6年前、俺は14才でした。あの日の夜は思い出したくない…俺はつい目をそらしてしまいます。

忘れはしない、あの日のニューヨーク。川田さんが、まさかテロ現場近くにいたなんて…


あまりに、生々しいハナシを聞いて、今書いている間も心臓がバクバクしてしまってます。


きっと、ご両親も亜子さんが無事であることを確認出来るまでは涙が出てとまらなく、ドキドキしてしまっていたのだろうと思います…


今、このように俺達の前で辛く悲しい、あの日の事を話してくれて、うれしいです。


今日、安倍総理が辞意を表明しました。外交に力を注いでいて支持できる点はありました…


しかし、国民の多くは安倍総理が何もしていないと言う…


確かに、俺も不支持しているが、一部を見ての不支持である。


よかった点、悪かった点が何処なのか…考えるべき。


国と国とが関係悪いということは良くない…平和、平和一番、戦争は嫌…日本人は多くが現実を見ようとしない。


知ろうとしないかぎりは、今のままだろうと思います。


変わってほしいな~、本当に…

■無題

憧れの21世紀が始まって、世紀末気分から開放されていた矢先、花の都NYで起こった悲劇。あれから何もかもが変わった気がします。寛容で憧れだったアメリカは保守的になり、戦争がはじまり、今も続いています。
あの事件がなければ、安部さんが今日辞めることもなかったかも知れません。
失われずに済んだ命も数万の単位ではきかないでしょう。
歴史に「もし」はないけれど、考えてしまいます。
とりあえずは与えられた命を精一杯生きるしかないですよね。うまく表現できませんが。

■鮮明に記憶に残ってます

当時私も大学4年で深夜型なためテレビを
ザッピングしている中、NHKをつけたらビル
から煙がもくもくと上がっている映像を見て
最初はなんだ??って感じでした。

音声の無い映像だけのテレビをしばらく見て
ると2機目の飛行機が敢然とビルに突入して
いくところを見てしまいました。
一瞬映画か何かと疑ったぐらいです

でもテレビには”LIVE”という文字が出ていて
ほんまに突入したんだ・・・・
と何回も確認したのを覚えています。

テロにせよ戦争にせよ、対テロ行為にせよ
一部の人間の考え方で多くの人の命が巻き
込まれるのは腹が立ってしょうがありません。
ほんとうに腹が立ちます。

でも凄いところにいたんだね。。
操縦桿を握っているテロリストが目測をあや
まったら亜子さんのいるところにも落ちてた
やもしれないしね。お母さんの気持ちが大変
だったでしょう。

■無題

どうして世界は憎み合っているのでしょうか。

あの時はそんなことを考えてしまいました。

■これが理由。

了解。

お昼に見てたんだけど、首相の件で、遅れました。
あの現場にいたんだね。
自分はTVで見てました。

あれから、いろんな事が何だかわからないまま進んでいて、いろんな膿がたまってる感じがします。
テロ特措法も、実際には日本がどう世界と接していくか?大事な部分の話が抜け落ちて、続けるか続けないかの話ばかり。
イスラムへの理解もこの六年間ほとんど進んでない。
本来物静かで親切な民族性を持っていて、本来豊かな国のはずなのに、そうならない。
どこかで、戦い以外の方法へ転換すべき、そんな時に来てるような気がしてます。

安倍首相の件は、土曜日発行の週間新潮の記事か、沖縄で殺されたライブドアの方とのつながりの件か、内部で何らかの裏切りにあったか、テロ特措法の新しい法案に何らかの問題があったか、健康問題か?それとも複数からんでるか?
土曜日には新潮の記事もわかってるから、触れる可能性もあるかも知れない。

一足飛びに何でもかんでも出来るわけではないから、一つ一つ頑張っていこうか。

■無題

妥協しないで仕事がんばって下さい。これからも応援してます。

■無題

私もあの日アメリカにいました。遠い州でしたが。

始めは事の重大さに気づかず、呑気な自分でした。大学が休校になり、バスには家路へ急ぐ人で満員。家に帰ってようやくテレビを見て震え上がったのを覚えています。日本の友人や知り合いからのメールを見て涙が出ました。平和ボケしてた自分の情けなさや、現実を受け止めた悲しみ。色んな思いが詰まってました。
その日の夜も恐ろしくて眠れず。

やはり何年経っても映像を見るとその時の感情が蘇ってしまうので未だに見ることができません。

■川田亜子さんへ

川田さんのブログを見て
今までTVで受けていた印象と全く違うものを感じました。
TVでは一生懸命キャラを作ッていたのですね。
自分の夢のためにそこまでしていた川田さんをものすごく尊敬しました。

ブログでコメントさせてもらおうと思ッたのは川田さんが初めてなんです。


これからも応援してます。


今年の2月にグランドゼロに行ッてきました。
言葉になりませんでした。
自分に何が出来るかと考えた時このことを忘れないことくらいしか思いつきませんでした。

二度と同じことが起こらないように願います。

■テロ

報道希望の訳がこれでわかりました。
帰宅してから家族に呼ばれてテレビの前に。
最初は映画だと思いました。
今まさに崩れて行くビルを見て呆然としました。

自分は地下鉄サリンの時に一本後ろの電車に乗っていました。

やはり母から安否確認の連絡が来ました。

人は助け合う事もあり、人は相手を殺める場合もします。

相反する事なのに両面とも人なんですよね。

進むべき道を歩いている姿を応援していきますね。



■無題

亜子さんはあの瞬間近くにいたんですね…。文章から亜子さんが目にした状況が映像で浮かんできました。報道という仕事への深い思いを感じました。

『平和』になってほしいし、『戦争』はなくなってほしいけど自分に何ができるのかわからないし、日常生活を送っていたら遠いところで起こっていることに感じたりします。
でもドラマや映画だったり、体験した人の話を聞いたら『平和』とか『戦争』っていう言葉についてだけじゃない何かについて考え、言葉にうまく表せない思いを感じたりします。実際今それを感じました。貴重なな経験をありがとうございました。亜子さんのお仕事は一人一人に考える機会を与えてくれるお仕事だと思います。これからも私達にいろいろと伝えて下さい☆…長くなってすいません!

■人生の岐路?

 僕もそのとき大学生でした。旅先の旅館で、テレビの中継で観ただけなのですが、そのときの記憶が今の研究への動機になっています。
 
 きっと、直接現場にいた人はもちろん、そうでなくとも世界中で多くの人があの事件を期に人生の方向を大きく変えていったような気がします。

 良い未来にしたいですね。

■雨ニモマケズ風ニモマケズ

世界には様々な国があって歴史文化があり、考え方、主張があり、それはまた個別にも存在していて人間社会を形成していますが、崩れたコンクリートから舞いあがった、あの鼻の穴の奥から喉に突き刺す粉塵と、原型さえ留めていない身体の一部の前では、何もかもが戯言のように聞こえ、目に映ったりします。

『ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ』
そんな文章で終わる言葉があります。
このご時世では、多分卑怯な生き方かも
しれません。
だけど、自分は木偶坊でもいいかな、と
思っていたりします。

川田さんのその経験を貴重な経験というには、語弊があるかもしれませんが、川田さんの文章から、何事からも努力さえすれば学び、成長できる心構えを自分は感じました。

お疲れ様です。

■平和であることが当たり前の世界に!

驚きました、あの日、あの時刻、正にそのすぐ近くに亜子さんがいたなんて!(*_*)!

あの夜、何気なくテレビを見てたら、突然「ビルに飛行機が刺さった映像」が映し出され、最初は何のことだかわからず、そう、コメントもあまりなく、ただ無音の状態が続いてたのを覚えてます。 「ん? 映画の一シーン?」と思って見てたら、そのうち、もう一機が突っ込んだのを見て、異常事態に気づきました。
「テロ」という言葉は耳にしていても、現実にあんなことが起こるなんて考えても見なかったので、「衝撃!」のひとことでした。

世界中がパニックに陥った瞬間でしたから、亜子さんのお母さんの電話での様子も容易に理解できます。「もしあの時、家族がそこにいたら」と考えたら、自分もゾッとします。

ふだんの亜子さんは、全然そんな体験をしたなんて素振りも見せないから、全く知らなかったけど、 過去のブログの中で、『なぜ、亜子さんが、普段から家族を凄く大事に思っているのか』、『なぜ、敢えてフリーになることを選んでまで、報道に強いこだわりを持っていたのか』、これを読んで初めてわかりました。 話してくれて良かった。亜子さんの強い思いを感じます。

今まで以上に応援して行きたい気持ちが沸いてきました。 亜子さんと共に、平和について改めて考えてみる機会ができました。 いつの日か、『平和であることが当たり前の世界』になることを切に願います!

■そういうことがあったんだぁ

知らんかったよ
かなり貴重な、というか大変な体験をしたんだな?

そういう体験をした人はたぶん普通の人よりか強い
「次」に向かう力が普通の人よりか大きいと思う
気持ちの上でなんとか頑張って乗り越えてきたってあたりから


ちなみにオイラはそのときジャズ研の合宿に行く準備をしてた
天と地の差…orz

でも、体験を聞くことで、少しだけ強くなれたような気がする
ベクトルがフィックスした感じ


しっかし、なんか「そのとき」が共有されるって不思議な気分だな
大体は小さな世界で、同じ時を意識することってないし


なんかだらだらな文章になっちゃった

最後に

亜子ちゃんの未来が平和でありますように(-人-)

■平和?

テロの死者より、イラク戦争の死者は
圧倒的に多い。
テロも戦争も、人の命を奪うだけで、
変わりはない。
戦争を始めた国、テロを起こした集団。

どちらも人殺。

他人の痛みが分かる人が増えば、
世の中変わると信じています。

■6年前→今

ビルが崩れて人々が叫んでいる映像が流れたことを憶えています。ドキュメント番組もいくつかみました。

高校1年生だった僕は一連の出来事など考えることをしませんでした。思ってた事はせいぜい日本じゃなくて良かったなぁくらいでした。

それから海外の状勢に自分なりに向き合ってみました。1番不幸な事は何も関係のない人が巻きぞいをくらう事だと思いました。

亜子サンの一言一言重かったです!

■体験

大変な体験をされましたね。
川田さんのこれからに、その体験が活かされて行くのでしょうね。
ところで、私は9.11をテロだとする報道には、些か懐疑的です。
当局発表や伝聞ばかりで判断させられていないでしょうか。
イラクにあるはずの大量破壊兵器が存在しなかった様に、もしテロ自体が存在しなかったとしたら…。
アメリカは真珠湾攻撃の際にも、日本軍の奇襲攻撃を事前に察知していながら、敢えて奇襲攻撃が成功する様に仕向けたのではないかと言う疑いがあります。
仮にもしテロだとして、テロは何故起こるのでしょうか。
悲劇は誰によってもたらされているのか、冷静に判断する必要があるかも知れません。

■9・11

初めて書き込みします。
ふと、当時を思い出してしまいました。
私も、NYではありませんでしたが、シカゴ近郊で9.11を体験しました。当時、大学院に留学中で。。。
あのときの米国内の雰囲気を思い出すだけでも、いろいろと考えさせられたことを思い出します。
反面、アラブの国々の人が、その後いろいろと非難され、派生的に人種差別的行動も米国内に広がった気がします。

あの事件は僕の中ではかなり衝撃的な出来事でした。

■忘れられませんね

友人から電話がかかってきて、話をしていました、TVを何気なく見ると旅客機が世界貿易センタービルに突入している映像でした、電話していたのでTVの音量はゼロにしていたので新しい映画のCMかな?と思いながら電話していたのですが、しばらくしても変わらない、これは変だと思い直ぐに電話を切りました、その後は翌朝までニュースを見続けました、あの時の映像、今でも忘れられないです。

■無題

そうですか、あの時、そんなに近くで、
あの出来事を体験なされてたんですね。
遅くなりましたが、まず、亡くなられた方々の、
安らかな眠りを、お祈り申し上げます。

安倍さんの辞任は驚きました。
理由を巡って色々な報じられ方をされていますが、
状況がこれ以上悪化する前に、自らの身を処して、
自民党としての今後を計った、という見方も
出来るのではないかと思いました。
「敗者になった時に・・・」と亜子さんはお書きでした。
もう、世間の関心は次の政治的な動きに向いているようですが、
一人の人間としての、安倍晋三さんの今後のあり方を、
見ていきたいと思いました。

9.11に関しては、亜子さんの体験を読ませて頂いて、
枠組みの外側で動く、ということを考えていました。
それが負の側面を帯びれば、
ひょっとしたらテロなのかもしれませんし、
それが正の側面に働けば、どうなんだろう・・・と。

同じ時や状況、守るものや信じる対象。
「何か」を共有することで得られる一体感。
信仰としてのイスラムも、テロを受けたアメリカも、
この点に関しては同じ経験を持っているのではないかと思います。
そして時にはそれが、同じ敵を共有する、
そんな形を取ることもあるのかもしれません。

「共にある」という感覚と、
とりまく関係や環境の向こう側を、志向していくということと。
とても困難な課題ではありますが、
どちらも大切なことであるように感じます。

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